前回に続き帯状疱疹の記録の7回目です。
平成24年9月8日(142日目)
パキシルCR12.5mgを毎日飲む。
まだ風邪が完全に良くなっていない。
平成24年9月11日(145日目)
夜、左足が痛風発作と思われる状態になる。左足の親指の付根が赤くはれて激痛がする。そのうちに赤い腫れの範囲が広がり左足の甲全体が腫れあがる。私は40代の頃より尿酸値が7位あり医者に高いと言われ、薬も飲んでいたこともある。この10数年は薬も止め、それでも尿酸値は7台で維持していた。
このような痛風のような症状は初めてのことである。手持ちの鎮痛剤イブプロフェンがあったので2錠飲む。
その後寝る前にバッファリンを2錠飲んで寝る。それでも痛みがひどい。
平成24年9月13日(147日目)
朝は痛みが少し減る。それでもまともに歩けないので登山のストックを使って支えながらやっと歩く。
平成24年9月14日(148日目)
痛みは大分減るが赤い腫れはまだ残っている。
平成24年9月15日(149日目)
腫れも少しは引いていると思われる。ストックなしでも注意すれば歩ける。
平成24年9月16日(150日目)
左足はだいぶ良くなっているが歩くと少しまだ痛い。腫れも残っている。
結局、医者には行かずに鎮痛薬で痛みに耐える。この症状が本当に痛風の症状なのか迷っている。
実は、左足の親指が痛みだす前、数日間、この左足親指と人差し指を交互に擦り合わせる運動を熱心に何回も続けていたのである。このせいで親指の関節を痛めたのではと思ったりもして医者の診断を受けることに抵抗を感じる。
平成24年9月19日(153日目)
Kクリニックに行く。左足はまだ痛いが国立までやっとの思いで行く。16回目の肋間神経ブロックの注射をする。パキシルCRを2週間飲んだが頻脈、手の震え、多汗、口渇が返って増えたことを言うと、K医師「それでは薬を減らしていきましょう。副作用があるのに飲み続ける薬でもないので」と言われる。
パキシルCR12.5mgからパキシル5mgに変えることになる。そして次回から神経ブロック注射は3週間おきということになる。この処置は帯状疱疹後神経痛が治って来ていると解釈できるのか、それともパキシルを徐々に減らしていき、その後で他の薬に変えていくのか説明がないのでわからない。いずれにしてもパキシルは徐々に減らして様子を見るという事らしい。
K医師に痛風の発作と思われる事について聞くと、痛風発作と神経ブロック注射やパキシルは関係ないと言われる。
パキシル5mg3週間分の処方箋がでたので調剤薬局で受け取る。
平成24年9月20日(154日目)
パキシル10mgが1週間分残っているのでこれを無駄にするのももったいないので、これを飲んだ後昨日買ったパキシル5mgに変えることにする。
平成24年9月25日(159日目)
今日からパキシル5mgに変更する。
平成24年9月28日(162日目)
・帯状疱疹発病後しばらく行けていなかった墓参りに静岡へ行く。久しぶりに車の運転を長距離(片道90km)する。以前と同じように運転することが出来て少し自信が出る。少しずつではあるが確実に回復しているようである。
平成24年10月3日(167日目)
日常の生活では痛み・痒みを感じていない時間が多くなる。何かに夢中になっている時は殆ど忘れていてふと、“あっ今痛みがない”と思う事が多くなった。特に、歩いていたり、何か運動をしている時は痛みがない時が多い。しかし朝の寒い時、じっとしている時などはまだ少し痛み、ないし違和感がある。これも最初の痛みに比べれば20%くらいの痛みか。
平成24年10月10日(174日目)
国立のペインクリニックに行き17回目の神経ブロック注射をする。K医師から「パキシル5mgに変えて悪化していないかと」聞かれる。微妙であるが、待合で待っている間は殆ど異常がなかったので「悪化していない」と答えてしまう。今回ものパキシル5mgを3週間出される。
この時期の肋間神経ブロック注射は何のためにしているのか良く解らなくなるが、念のためという事だと思う。
平成24年10月14日(178目)
・大分調子が良くなってきたので、前々から行こうと思っていた東北に震災支援を兼ねて車で出かける。3泊4日。
帯状疱疹発病半年でようやくちょっとした宿泊旅行ができるようになった。
平成24年10月31日(195日目)
国立のKクリニックに18回目の神経ブロックに行く。今回でパキシルは終了となる。
今日の夕飯後はパキシル飲まず。約半年ぶりに薬なしの日常に戻る。
平成24年11月1日(196日目)
気のせいかパキシルを飲まないと帯状疱疹が又痛みだしたような気がするので、残っているパキシル5mgを割って2.5mgにし、しばらく飲むことにする。気休めとは思うが。
平成24年11月9日(204日目)
パキシル5mgの最後の半錠2.5mgを飲む。以後薬は完全に0となる。
平成24年11月20日(215日目)
19回目の神経ブロック注射の為Kクリニックに行く。
K医師には「普段は歩いている時、運動している時等は痛み、痒みは殆どなく、忘れていることが多いが、寒い時じっとしているとまだ痛み、痒みがあることに気が付きます」と伝える。私自信はひょっとすると今回が最後の注射かなと思っていたが、K医師は「次回12月17日に卒業という事にしましょう」という事だった。
帯状疱疹の体の傷痕は日に日に薄くなっていくのが分かる。まだ完全ではないが、もう少しで元に戻るような気がする。傷跡が少しずつでも回復しているという事は、痛み・痒みもまだ改善しているということだろうか。
平成24年12月13日(238日目)
大分寒くなってきた。寒いと朝起きた時等まだ痛みを感じる。痛みの強さは最初の痛みと比べると10~20%程度である。その痛みは、ある時は背中がキリキリであったり、ある時は腋の下がむずむず痒かったり、ある時は胸が火傷のようにヒリヒリしたりと、それこそ何でも有りの痛み・痒みである。
暖かくしたり、体操をしたたりすると消失するし、長くは続かないと思っているので余り苦にはならない。
夏のころは下着が肌に触れると痛みが少なかったので殆ど裸でいたが、今くらいの気温になると裸でいることは出来ないので、下着とシャツを着た状態で日常過ごしている。そうするとやはり下着が肌に触れて何となく焼けた痛みのようなものを感じる。思い切って裸になってしまうとほっと解放された気分となり、痛み痒みもなくなってしまう。
毎朝、家の中で天風体操をしているが、その時裸で出来るよう、室内の温度を20℃以上にするようにしている。そのため今年は室温アップ対策として外気に接するガラスに全て断熱フィルムを張り付けた。それと、寝室の窓を2重カーテンとした。このような対策をしたので朝の居間の室温は今のところ19℃を確保している。断熱の効果は大分出来ているようで、帯状疱疹のお陰で今年の冬の暖房代の減少が楽しみになった。
平成24年12月17日(242日目)
20回目の神経ブロック注射に国立のKクリニックに行く。前回(19回目の注射)のときK医師に「次回は卒業という事にしましょう」と言われていたので今回が最後と思って家を出る。
Kクリニックでいつものように処置室から呼ばれて、看護師に「その後どうですか」と聞かれる。私は特に問題もなく前回と同じですと言う意味で、「前と同じです。寒いと少し痛む時があります。1か0.5くらいの感じです」と答えるとそれをメモに書きつけて医師に渡している。
その後、K医師がベッドサイドに来て肋間神経ブロックをしながら「○○さんは今回で卒業と思っていましたけどねー。まだ残っていますか」という。一瞬これはまずい、看護師さんに私が言ったことが間違って伝えれていると思う。あわてて、「いつもはもう痛みもないのですが、朝、寒い時などは少しまだ違和感を感じる時があります。それも1くらいですが」と答える。
K医師「パーフェクトではないという事ですね。それでも最初よりはずいぶん良くなっているでしょう」
私「それはもう全然。最初は夜眠れなかったですからね」
そのまま医師は立ち去る。ひょっとして今回が卒業という事にならないのかなと不安になる。
ベッドで15分間くらい安静にした後、看護師さんが来て
「次回は5週間後の1月21日です」と言う。やっぱりそうなったか。
私「今日が卒業と思っていたのですが、駄目ですか」
看護師「そうですね。次回は卒業と思いますが」
という事で今年中の決着とは行かなかった。
それにしても今後5週間、神経ブロック注射もせず、薬も飲まずにただ時間だけ過ぎて様子を見るとはどういう事であろうか。ぶり返す可能性があるので様子を見るという事なのだろうか。
次回に続きます。