多摩丘陵林住記

徒然なるままに山歩き、散歩、読書、仏教などを書いています

ミャンマー旅行5

2012年03月04日 20時26分07秒 | ミャンマー旅行

H24.2.27 :ミャンマー旅行5日目

今日は朝から一日自由行動の日です。朝食後すぐに二人でホテルを出発します。

まず、目指すはDhamma Joti vipassana centre. ここはゴエンカ師が創設したinternational vipassanar associationのヤンゴンの道場です。ゴエンカ師はヤンゴンの出身の人なので一度訪問したいと思っていた所です。

場所はカンドージ湖の北にある日本大使館の近くで、大使館の横の道を北に少し上がった所と見当を付けていたので、磁石と簡単な地図を頼りに歩き始めました。多分1時間くらいで到着すると思います。

Thamadaホテルの前の大きな道を北に向かいます。写真はThamadaホテルの隣のパークロイヤル・ホテル。道路は広く朝早くから車も沢山走っています。

車は日本製の中古車が殆どです。日本製の中古車は人気が高く同じクラスの韓国製の新車より値段が高いそうです。とくにトヨタ車を多く見かけました。バスも日本製の中古車が多いです。日本で使っていたそのままの姿で走っています。我が家の近くを走っている神奈中バスが沢山走っていました。

教会のような建物も見かけます。スーレー・パゴダの横にも教会がありました。仏教国ですが、信教の自由は保障されているみたいですね。

私たちは右側の歩道を歩きました。時々大きな穴ぼこがあり、注意して歩かないと危険。

目印と考えていたロータリーに到着です。これで半分くらいか。

ロータリーの反対側から一枚。綺麗に整備されたロータリーです。

日本大使館の横の道にDhamma Jotiの道標がありました。塀の奥の建物は日本大使館です。

この道標の反対側には大使館の別館がありました。

しばらくこのような道を歩きます。

次の分かれ道に又道標が出てきました。

比丘尼の人たちが托鉢に廻っています。女性は頭に荷物を載せている人が多いです。

比丘も沢山見かけます。はだしの比丘もいます。中央の人はロンジー姿です。

Dhamma Joti に到着しました。約40分のウオーキングでした。

門の中に入り、0ffice と書かれた事務所の中で数人の人としばらく話をしました。

事務所の中にはゴエンカ師の写真等が張られていました。

インド・ムンバイに建てられたヴィパッサナー・パゴダの写真もありました。

このパゴダは2009年2月にムンバイに建てられたもので、直径97mあり世界一の石造りのドームで柱が一本もないそうです。8000人以上が一度に瞑想出来るとのこと。インド大統領も参加して竣工式が行われたそうです。

事務所の奥の小高い所に小さなパゴダがありました。

センターの内部です。今日は10日間コースの9日目だそうです。ひっそりしています。

帰り口です。ALWAYS BE MINDFUL と書いてありました。

外に出ると、そこは道路脇に市場が連なっていました。

犬たちものんびり昼寝をしています。

日本大使館の場所まで戻ってきました。これから空港近くの日本人墓地に墓参しようと思いますが詳しい場所がはっきりしません。

日本大使館に立ち寄り場所を教えてもらうことにしました。大使館の掲示板です。

日本大使館は受付がマジックミラーになっていて場所を聞くだけなのにパスポートを出してくださいとか、カメラ、ビデオはロッカーに預けてくださいとか大そうな事を言われ面喰いましたが、それだけ警備が必要だということでしょう。

中に入ってしまうと、親切に対応してくれました。結局日本人墓地の住所をミャンマー語で紙に書いてくれてこれをタクシーの運転手に見せなさいということでした。

その後、私たちが戸惑っているのを見たミャンマー人の警護の人二人が、大使館の前の大通りまで出てくれてタクシーを停め、運転手さんと行き場所から、値段交渉,帰りの手配までミャンマー語で交渉してくれました。なんと親切な人たちでしょう。困っている人は助けるというミャンマーの人達の優しさでしょう。

ということでタクシーに乗り30分くらいで日本人墓地に到着しました。

入り口の門です。写真を撮るために閉めてもらいました。文字が少し変ですね。ミャンマーの人が書いたのでしょう。

中はミャンマーの人たちが綺麗に整備してくれています。頭が下がります。

祭壇に供えるために日本から線香とマッチを用意してきましたが、お世話をしているミャンマー人の人が火を付けた線香を私たちに手渡してくれました。記帳用のノートがありましたので二人で記帳しました。沢山の日本人の方が来ているようです。

この地で19万人の人が戦争で亡くなったことを考えると胸が痛みます。あの戦争は何であったのか。日本人はこのミャンマーまで来て何のために戦ったのか。どのような状況で亡くなって行かれたのか。ミャンマーの人たちはこの戦争をどのように考えているのか。

日本でも自虐史観だけを教えるのではなく世界の常識と言われる歴史の真実を後世に伝えて行くことを、マスコミ、教育界が本気で考えていかないといけないと思います。

日本人墓地を後にして、次はインヤー湖の北にあるカバエー・パヤーに待たせてあったタクシーで行きました。タクシー料金は日本大使館前で乗る時の約束は1時間6000チャットでした。カバエー・パヤーに着いた時は1時間半経過していましたが2000チャットのプレゼントを含めて14000チャット払いました。日本円で1400円くらいに相当します。安いですね。

1952年、世界の平和を願って建てられたパゴダです。ミャンマーは軍政の危険な国と考えれていますがこのパゴダに見られるように平和を願う仏教国なのですね。

カバエー・パヤー

パゴダの内部の仏像です。

外に出て少し北に歩くと1954年~1956年、第6回の仏典結集が開催された建物群とMaha Pasana 洞窟がありました。 

ちなみに仏教における第1回仏典結集は仏滅後すぐにラージャガハの霊鷲山で 、第2回は入滅後100年にインド・パトナの北にあるヴェーサリーで、第3回は入滅後236年にパータリプッタ(現パトナ)で、第4回は北伝によれば西暦AC140年頃カシミールにおいて、南伝によれば西暦BC20年頃スリランカにおいて、第5回は1871年ミャンマー・マンダレーにおいてなされました。ミャンマーでは5回と6回の2回の結集が行われたことになります。

第6回結集の会議が行われたMaha Pasana 洞窟にある会議場。この洞窟は人造のもので第1回仏典結集の霊鷲山に似せて造られたもので、内部は長さ139m、幅113mもあります。 

会議場の内部

人造洞窟の側面。霊鷲山のごつごつした岩肌が良く現せています。

ここから更に北に少し行ったところに円形の建物があり、聞くと公立の仏教資料館ということです。玄関にこのような書き物がありました。

TO REFRAIN FROM ALL EVIL.

TO DO GOOD.

TO PURIFY THE MIND.

ADMONITION BY THE GREAT BENEFACTOR SAYADAW.

NEVER ACT,SPEAK OR THINK OF ANY THING THAT MAY HARM OTHERS.

DON'T USE HARSH WORDS.

KEEP YOUR MIND FILLED WITH LOVING-KINDNESS.

THINK GOOD THOUGHTS.  DO WHAT IS RIGHT. SPEAK THE TRUTH.

NOW IS THE OPPORTUNE MOMENT.

USE IT WELL UNTIL YOU REALIZE NIBBANA. 

上の4行は大乗仏教では七仏通戒の偈と言われるものですね。

諸悪莫作(悪いことはしない)

衆善奉行(善いことをする)

自浄其意(すると心は清らかになる)

是諸仏教(これが仏の教えです)

近くには学校の生徒が 歩いていました。学校に通う人は先生、生徒とも上が白、下が緑の服を着ているそうです。簡素で分かりやすくていいですね。

丁度、お昼時間になったので昼食を食べることにしました。近くに緑の樹木が沢山ありましたので木陰に入って座り込んで日本から持って行った梅干しの入ったおかゆを食べました。

その後、いったんホテルに帰ることにして、近くに列車の駅があるはずなので少し聞いたり、探したりしましたが結局わからないので大通りに出て、バスに乗ることにしました。

ガイドのローズさんの話ではヤンゴンのバスは路線図もなく利用するのが難しいので自分も使ったことがないとのことでしたが、やって来たバスの車掌さんにThamada ホテルの住所を見せて行くかと聞いていると、3台目のバスが行くという返事だったので飛び乗りました。

バスは超満員でしかも急発進、急停車の繰り返し、途中はものすごいスピードで走ります。時速50kmくらいか。日本のノロノロバスとはえらい違いです。列車がほとんど利用できないのでバスが市内の地下鉄の代わりをしているみたいです。

最初は様子が分からないので手荷物とポケットの貴重品に気を使いましたが危険なことはありませんでした。バスは運転手一人、車掌さんが二人の合計3人で運行していました。一人の車掌さんはバス停ごとにバスから降りて行き先を大きな声で叫んでいます。

もう一人の車掌さんは満員のバスの中にいて運賃の徴収を行っています。切符とかは何もないみたいです。満員のなかで一人ひとり200チャットずつ集めていました。どこまで乗っても200チャットみたいです。日本円で20円、安い!

払った人と、まだの人の区別はどうしているのか、分かりません。私たちは行き先を言っていたのでThamada ホテル前に着いた時はにっこり笑い、目で合図してくれました。ちなみにバスは神奈中バスの中古でした。

ホテルで少し休んだ後、まだ少し時間があるのでダウンタウンに出てみることにしました。

昨日も少し歩いたのですが、昼寝が長く十分見れなかったのでもう一度廻りました。

碁盤目に整備されたダウンタウンの町並み

スーレー・パゴダ近くの独立記念塔

          ヤンゴン市庁舎

             市庁舎の近くの教会

スーレー・パゴダ

スーレー・パゴダ入り口

ヤンゴンセントラル駅方面からスーレー・パゴダを見る。

ヤンゴンセントラル駅北側の風景。駅舎は立派ですが周囲は殺風景です。

これで今回のミャンマー旅行が終了です。

今回の短い旅行で感じたことは、ミャンマーの人たちが厳しい生活の状況にもかかわらず優しく親切で、困っている人はどこまでも助けてくれるような人たちだで、日本と日本人に好意を抱いてくれている人が多いということです。

日本はこのような人たちと今後も友好を深め、ミャンマーの国作りの援助を惜しんではならないと思いました。

ヤンゴン空港は丁度陽が落ちるところでした。

ヤンゴン空港発:19:10 ハノイ乗り継ぎで成田に帰りました。成田着,翌朝7:00

 

 

 

 

 

 

 


ミャンマー旅行4

2012年03月04日 09時20分43秒 | ミャンマー旅行

H24.2.26

昨晩泊まったニューバガンのRuby trueホテル。

ホテルの前の道からの朝焼け

ホテル玄関前のブーゲンビリア

ホテル出発です。全員で見送ってくれました。

ホテルを出ると観光用の気球が上に浮かんでいました。西洋人には人気があるらしいです。最近料金が上がって一人一回300ドルだそうです。

昨日と同じニャウンウーの空港からエアバガン航空でヤンゴンに戻ります。

ヤンゴン着後すぐに訪れたのはチャウタッジー・パヤーです。ここは比較的新しいパゴダで、全長70m、高さ17mの大きな寝仏が祀られています。びっくりするほど大きいです。篠栗の南蔵院の寝釈迦像に比べ、長さ、高さとも2倍近い大きさです。

ずいぶんとなまめかしい仏像ですね。この御釈迦様にどのような事をお祈りしているのでしょうね。

参考までに福岡県篠栗・南蔵院の涅槃像の写真です。↓

足元から見ると↓

足の裏には108の絵が描かれており仏教の宇宙観が示されているそうです。

ここで、一息入れて速めの昼食をとり、それから今日のホテルにチャックインします。一昨日に泊まったのと同じホテルです。すごく速いチェックインですが、昨日と同じお昼寝タイムとなります。

ヤンゴンは暑く37℃くらいあります。ガイドさんを含めてご老人達は連続して外を歩き回るとバテてしまうという事なのでしょうか。12時から4時までホテルの部屋で昼寝をしてくれとのことです。

(-_-)゜zzz

(-_-)゜zzz

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          ヤンゴンセントラル駅近くのThamadaホテル

良いお目覚めです。16時、これからヤンゴンのダウンタウンに向かいます。最初にヤンゴン中央駅西のボーチョー・アウンサンマーケットに行き市場の中の見学と買い物をしました。私たちはここでバガンで買い損ねた漆器の器を御土産に買いました。

それから、ダウンタウンの中心にあるスーレー・パヤー(パゴダ)に行きました。

スーレー・パヤーの横にあるヤンゴン市庁舎

この後、有名なシュエダゴン・パヤーに向かいます。ここは2500年以上もの歴史があるパヤーです。二人の兄弟がインドで仏陀と出会い8本の聖髪をもらいここに奉納したのが始まりということです。

とにかく、巨大で広く、金色の輝かしい建造物でいっぱいです。

ネオンの輝く仏様もあります。

このように、素晴らしい建造物なのですが、聞くと世界遺産にはなっていないそうです。世界中の世界遺産になっている宗教的建造物に比べ全く遜色ないかそれ以上なのに何故なのでしょうか。価値観の違いか、軍政の影響か。良く分かりません。ちなみにミャンマーには世界遺産は一つもないそうです。これからなのでしょうか。

お坊さんのお経の声がパヤーの敷地全体に響き渡っています。ここでお経を読んでいます。

 

境内ではテントが張られインド・ムンバイのヴィパッサナー・パゴダへのダーナを募っていました。ゴエンカさんの本も売っていたので買いました。

外に出ると、今日は幼児、幼女のお坊さんになる儀式でもあるのでしょうか。かわいらしい子供たちが大人に引率されて整列していました。皆はだしです。もっとも私たちも中でははだしでしたが。

今日は丁度ここで夕刻になりましたのでホテルに戻りました。

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 


ミャンマー旅行3

2012年03月03日 09時48分00秒 | ミャンマー旅行

H24.2.25

                バガンの街中を托鉢している僧侶

次にニャウンウーからオールドバガン向かう途中にあるティーロミンロー寺院に行きました。1215年建設

2階建てになっていて一階には4体の仏像があります。2階は現在は入れなくなっています。

次に、オールドバガンの城壁の中にあるダビニュー寺院に向かい、まづ近くにある日本人戦没者慰霊碑に行きました。現地の人が手厚くお世話をしてくれています。

ミャンマーでは先の大戦により19万人もの日本人が亡くなったそうです。

戦争により犠牲になられた方々への感謝と冥福を祈り手を合わせ線香を奉じました。

この戦争がミャンマー人にとって、日本人にとって何だったのか考えさせられます。

ダビニュー寺院を見て、次にマヌーハ寺院に行きます。この寺院はモン族のタトォン国の王であったマヌーハがバガンとの戦いに敗れこの地に捕虜として連行されて、その後、許され1059年に建設したものです。捕虜の身の鬱屈した感情が込められた仏像になっていると言われています。

狭くて窮屈で居心地が悪そうですね。

少し早目ですがサンセットというイラワジ川に面するレストランで昼食です。

お腹の状況を考えてごく控えめに食しましたが、ミャンマーの味付けは意外とおいしい。日本人に向いていると思いました。

イラワジ川ののんびりとした景色です。しかし雨季には向こうの森まで数キロに渡る川幅になるそうです。

現地の人はこの川で泳いだり、魚をとったり、洗濯したり、飲料の水を汲んだりしているそうです。

この後、予約のRuby trueホテルにチェックインします。

庭先にブーゲンビリアの花が沢山あります。さすが南国です。

こんなに早い時間にチェックインとは?

驚くことに昼寝をするそうです。確かに暑いですがシエスタということでしょう。この国は皆そうなのでしょうか。イタリア、スペインでは良く聞きますが。観光旅行客がシエスタとはどんなものでしょう。

従って、12時半から16時までお昼寝タイム。

(-_-)゜zzz

(-_-)゜zzz

(-_-)゜zzz

良い目覚めです。体調が良くなかった私にとってはこのシエスタは結構有効でした。元気が出てきました。

この後、バガンの遺跡を代表するアーナンダ寺院に行きました。バガンでは最大でバランスのとれた寺院ということです。

仏像は4体ありますが南と北側にある仏像が古くからあるものです。近づくと表情が変わります。

アーナンダ寺院の外観。1975年の地震により上部が崩れました。金色の部分が修理復元されたものです。

            

ダマヤンジー寺院の外観。1170年王さまが暗殺され工事が中断され、現在でも未完成だそうです。

ダマヤンジー寺院の仏像。

                      スーラマニー寺院

                    夕陽に映えるバガンのパゴダ群の遠景

今日の最後にシュエサンドー・パヤーから見たイラワジ川の向こうに落ちる夕陽。

夕陽鑑賞の名所シュエサンドー・パヤーで夕陽を鑑賞する人々。きつい階段を登る。

この後、ニャウンウーのNANDAというレストランで人形劇を見ながら夕食をいただきました。

ユーチューブより転載↓

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 


ミャンマー旅行2

2012年03月02日 09時10分35秒 | ミャンマー旅行

H24.2.25

昨晩のお腹の調子はだいぶ良くなっています。この調子だと旅行は快適に出来そうで安心しました。調子が悪くなった原因は多分飛行機の中の窮屈な体勢で慣れないワインを飲んだり、食事を2回も食べたりしたからだと思いますが、何故私だけというのがちょっと解せません。

昨晩はそんな調子だったので気がつかなかったのですが、ホテルのバスはお湯が出なくて入ることが出来なかったり、出る水も黄色く濁っていたとの事、更に部屋のカーテンが閉まらず、さんざんだったそうです。

それでも元気に出発です。今日の予定はヤンゴン空港6:15発でバガンに向かいます。早朝なので朝食はホテルに弁当を用意してもらって5:30にホテル出発です。ミャンマーの時差はハノイから更に30分差があり、日本とは2時間半の遅れです。

ヤンゴン空港で待ち時間が少しあって、ここで弁当を食べる予定でしたが、大事をとって食べることを控えました。

ヤンゴン空港のバガン行きプロペラ機(エアバガン航空)

バガンまでの飛行時間は1時間20分。この飛行機の中でも食事が出ましたが、これもパスです。

バガンは11~13世紀にかけて初めてビルマ民族が統一王国を作り首都にした所です。この国はアノーヤタ王により建国され,フビライハーンにより滅ぼされました。

11世紀、下ビルマのモン族のタトォン国との戦争に勝利し、それまで大乗仏教が行われていたバガンの地にタトォンの上座仏教(テーラワーダ仏教)の仏典、教義、資料等が大量に持ち込まれました。これによりこの地は上座仏教に変わっていきました。

バガンに到着しました。飛行場はオールドバガンから少し離れたニャウンウー村にあります。

空港のロビーでは歓迎の出迎えの人がいっぱいです。

車の乗り場では現地の音楽と踊りを披露しています。

空港から小型バスに乗りニャウンウー村の市場に見学に行きます。

現地の生活に密着した、野菜、果物、魚、肉などの食料品から日用雑貨まで何でも並べてあります。

私たちはここで黒米を買いました。約1kgが1ドルでした。日本の5分の1~10分の1位の値段です。

次に、小型バスで同じくニャウンウー村の中にあるスエジーゴン・パヤーに行きました。いよいよミャンマーのパゴダ見学が始まります。ここはアーナンダ寺院と並んでバガンを代表する仏塔です。

尚、仏塔はミャンマー語ではパヤー、英語発音ではパゴダと言います。ついでに、ミャンマーという国名はもともと現地ではミャンマーでしたが、英国がこの地を植民地にしてからはこれをBurmaと表記し日本ではビルマと発音しました。最近になってミャンマー政府はこれを本来の現地発音であるMyanmarに正しました。

このスエジーゴン・パヤー(スエジーゴン・パゴダ)は11世紀にビルマを最初に統一し、バガンを首都にした王国を作ったアノーヤタ王により建設がはじめられました。内部に仏陀の骨と歯が納められているとされています。

あまりにも大きい建造物なので全体が写真に収まりきれません。表面は全部金箔で覆われています。

菩提樹の下の仏陀像

スエジーゴンパヤーの動画です。

次回に続きます。

 

 

 


ミャンマー旅行1

2012年03月01日 10時51分06秒 | ミャンマー旅行

H24.2.24~H24.2.28 ミャンマーに行ってきました。

成田発10:00のベトナム航空でハノイ乗り継ぎ、ヤンゴン行きに乗ります。朝が早く電車の始発では少し空港着が遅すぎるので4:50発の空港バスに乗りました。成田空港着は7:20で少し早すぎましたがベトナム航空のチェックインはすでに始まっています。すぐに座席指定をします。成田→ハノイ、ハノイ→ヤンゴン両方の座席指定ができました。

定刻に成田から飛び立った飛行機は羽田空港の上を通って、富士山、南アルプスの上を通りました。天気が良く、窓に顔をつけっぱなしで下界の景色を堪能しました。

羽田空港上空

富士山上空

南アルプス、右上から八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、千丈が岳、北岳、間ノ岳、塩見岳、赤石岳、聖岳、光岳、等が見えます。

ハノイに到着までに飲み物、機内食が出ましたが体が窮屈なまま食べてばっかりなので少しばかりお腹にこたえました。

ハノイには定刻の現地時間14:40着(成田との時差は2時間なので6時間40分の飛行時間)。

乗り継ぎのロビーの表示が分かりづらく少してこずりましたが無事ヤンゴン行きのゲートに到着しました。

ハノイ空港出発ロビー

この後無事にヤンゴン行きベトナム航空機の乗り込みました。飛行機の中で又飲み物と機内食が出てそれも完食してしまい胃がどうもあやしくなってきました。

ヤンゴンには定刻に無事到着しました。空港では現地ガイドさんの迎えがあるはずです。うまく会えるか心配でしたがボードに私たちの名前が書いてあるものを見つけほっとしました。ガイドさんは現地のサイトラベルという会社の方でローズさんという59歳の女性でした。

ここで今回の旅行は私たち二人だけだと思っていたのですが、もう一組同年代の男性の二人組がおられることが分かりました。今後、この4人プラスガイドさんでミャンマー旅行をすることになりました。お互いに”よろしくお願いします”のご挨拶。

ヤンゴン空港で現地通貨のチャットを購入する予定でしたが窓口が閉まっています。ローズさんに聞くとチャットを使うのは飲み物くらいでそれ以外は殆どいらないので10~20ドルくらいチャットに換えればよいのでは、また、それくらいは自分の手持ちで出来るのいつでもどうぞということなので安心しました。

最近はチャットのレートが上がってきていて以前は1ドルが1000チャット位でしたが、今は100ドルの新札が1ドル800チャット、小さい札、古い札になると1ドル700チャット位ということでした。

空港はヤンゴンの北の方の郊外にあり、そこから中心近くのホテルまで迎えの小型バスに乗り込みます。ホテルまで40分程度かかります。もう薄暗くなっていますが、道の広さにはびっくりしました。片側3車線の広い道がまっすぐ続いています。車の量も多く市の中心部に近づくと渋滞気味になります。思っていたミャンマーのイメージとはちょっと違います。

途中シュエダゴンパゴダの横を通りましたが、ライトアップされた金色のパゴダには遠くからの車窓からでも圧倒されます。今日はこのパゴダの記念の日だとかで、ものすごく多くの人がこの時間もパゴダ近辺を歩いています。

やっとホテルに到着です。

到着と同時に私の胃の調子が悪くなってしまいました。ミャンマーに着いたばかりなのに何が悪かったのだろうか。正露丸を3錠飲んでそのままベッドにバタンキュウー。明日までに良くなればよいのだが。

続きは次回。