H24.2.27 :ミャンマー旅行5日目
今日は朝から一日自由行動の日です。朝食後すぐに二人でホテルを出発します。
まず、目指すはDhamma Joti vipassana centre. ここはゴエンカ師が創設したinternational vipassanar associationのヤンゴンの道場です。ゴエンカ師はヤンゴンの出身の人なので一度訪問したいと思っていた所です。
場所はカンドージ湖の北にある日本大使館の近くで、大使館の横の道を北に少し上がった所と見当を付けていたので、磁石と簡単な地図を頼りに歩き始めました。多分1時間くらいで到着すると思います。
Thamadaホテルの前の大きな道を北に向かいます。写真はThamadaホテルの隣のパークロイヤル・ホテル。道路は広く朝早くから車も沢山走っています。
車は日本製の中古車が殆どです。日本製の中古車は人気が高く同じクラスの韓国製の新車より値段が高いそうです。とくにトヨタ車を多く見かけました。バスも日本製の中古車が多いです。日本で使っていたそのままの姿で走っています。我が家の近くを走っている神奈中バスが沢山走っていました。
教会のような建物も見かけます。スーレー・パゴダの横にも教会がありました。仏教国ですが、信教の自由は保障されているみたいですね。
私たちは右側の歩道を歩きました。時々大きな穴ぼこがあり、注意して歩かないと危険。
目印と考えていたロータリーに到着です。これで半分くらいか。
ロータリーの反対側から一枚。綺麗に整備されたロータリーです。
日本大使館の横の道にDhamma Jotiの道標がありました。塀の奥の建物は日本大使館です。
この道標の反対側には大使館の別館がありました。
しばらくこのような道を歩きます。
次の分かれ道に又道標が出てきました。
比丘尼の人たちが托鉢に廻っています。女性は頭に荷物を載せている人が多いです。
比丘も沢山見かけます。はだしの比丘もいます。中央の人はロンジー姿です。
Dhamma Joti に到着しました。約40分のウオーキングでした。
門の中に入り、0ffice と書かれた事務所の中で数人の人としばらく話をしました。
事務所の中にはゴエンカ師の写真等が張られていました。
インド・ムンバイに建てられたヴィパッサナー・パゴダの写真もありました。
このパゴダは2009年2月にムンバイに建てられたもので、直径97mあり世界一の石造りのドームで柱が一本もないそうです。8000人以上が一度に瞑想出来るとのこと。インド大統領も参加して竣工式が行われたそうです。
事務所の奥の小高い所に小さなパゴダがありました。
センターの内部です。今日は10日間コースの9日目だそうです。ひっそりしています。
帰り口です。ALWAYS BE MINDFUL と書いてありました。
外に出ると、そこは道路脇に市場が連なっていました。
犬たちものんびり昼寝をしています。
日本大使館の場所まで戻ってきました。これから空港近くの日本人墓地に墓参しようと思いますが詳しい場所がはっきりしません。
日本大使館に立ち寄り場所を教えてもらうことにしました。大使館の掲示板です。
日本大使館は受付がマジックミラーになっていて場所を聞くだけなのにパスポートを出してくださいとか、カメラ、ビデオはロッカーに預けてくださいとか大そうな事を言われ面喰いましたが、それだけ警備が必要だということでしょう。
中に入ってしまうと、親切に対応してくれました。結局日本人墓地の住所をミャンマー語で紙に書いてくれてこれをタクシーの運転手に見せなさいということでした。
その後、私たちが戸惑っているのを見たミャンマー人の警護の人二人が、大使館の前の大通りまで出てくれてタクシーを停め、運転手さんと行き場所から、値段交渉,帰りの手配までミャンマー語で交渉してくれました。なんと親切な人たちでしょう。困っている人は助けるというミャンマーの人達の優しさでしょう。
ということでタクシーに乗り30分くらいで日本人墓地に到着しました。
入り口の門です。写真を撮るために閉めてもらいました。文字が少し変ですね。ミャンマーの人が書いたのでしょう。
中はミャンマーの人たちが綺麗に整備してくれています。頭が下がります。
祭壇に供えるために日本から線香とマッチを用意してきましたが、お世話をしているミャンマー人の人が火を付けた線香を私たちに手渡してくれました。記帳用のノートがありましたので二人で記帳しました。沢山の日本人の方が来ているようです。
この地で19万人の人が戦争で亡くなったことを考えると胸が痛みます。あの戦争は何であったのか。日本人はこのミャンマーまで来て何のために戦ったのか。どのような状況で亡くなって行かれたのか。ミャンマーの人たちはこの戦争をどのように考えているのか。
日本でも自虐史観だけを教えるのではなく世界の常識と言われる歴史の真実を後世に伝えて行くことを、マスコミ、教育界が本気で考えていかないといけないと思います。
日本人墓地を後にして、次はインヤー湖の北にあるカバエー・パヤーに待たせてあったタクシーで行きました。タクシー料金は日本大使館前で乗る時の約束は1時間6000チャットでした。カバエー・パヤーに着いた時は1時間半経過していましたが2000チャットのプレゼントを含めて14000チャット払いました。日本円で1400円くらいに相当します。安いですね。
1952年、世界の平和を願って建てられたパゴダです。ミャンマーは軍政の危険な国と考えれていますがこのパゴダに見られるように平和を願う仏教国なのですね。
カバエー・パヤー
パゴダの内部の仏像です。
外に出て少し北に歩くと1954年~1956年、第6回の仏典結集が開催された建物群とMaha Pasana 洞窟がありました。
ちなみに仏教における第1回仏典結集は仏滅後すぐにラージャガハの霊鷲山で 、第2回は入滅後100年にインド・パトナの北にあるヴェーサリーで、第3回は入滅後236年にパータリプッタ(現パトナ)で、第4回は北伝によれば西暦AC140年頃カシミールにおいて、南伝によれば西暦BC20年頃スリランカにおいて、第5回は1871年ミャンマー・マンダレーにおいてなされました。ミャンマーでは5回と6回の2回の結集が行われたことになります。
第6回結集の会議が行われたMaha Pasana 洞窟にある会議場。この洞窟は人造のもので第1回仏典結集の霊鷲山に似せて造られたもので、内部は長さ139m、幅113mもあります。
会議場の内部
人造洞窟の側面。霊鷲山のごつごつした岩肌が良く現せています。
ここから更に北に少し行ったところに円形の建物があり、聞くと公立の仏教資料館ということです。玄関にこのような書き物がありました。
TO REFRAIN FROM ALL EVIL.
TO DO GOOD.
TO PURIFY THE MIND.
ADMONITION BY THE GREAT BENEFACTOR SAYADAW.
NEVER ACT,SPEAK OR THINK OF ANY THING THAT MAY HARM OTHERS.
DON'T USE HARSH WORDS.
KEEP YOUR MIND FILLED WITH LOVING-KINDNESS.
THINK GOOD THOUGHTS. DO WHAT IS RIGHT. SPEAK THE TRUTH.
NOW IS THE OPPORTUNE MOMENT.
USE IT WELL UNTIL YOU REALIZE NIBBANA.
上の4行は大乗仏教では七仏通戒の偈と言われるものですね。
諸悪莫作(悪いことはしない)
衆善奉行(善いことをする)
自浄其意(すると心は清らかになる)
是諸仏教(これが仏の教えです)
近くには学校の生徒が 歩いていました。学校に通う人は先生、生徒とも上が白、下が緑の服を着ているそうです。簡素で分かりやすくていいですね。
丁度、お昼時間になったので昼食を食べることにしました。近くに緑の樹木が沢山ありましたので木陰に入って座り込んで日本から持って行った梅干しの入ったおかゆを食べました。
その後、いったんホテルに帰ることにして、近くに列車の駅があるはずなので少し聞いたり、探したりしましたが結局わからないので大通りに出て、バスに乗ることにしました。
ガイドのローズさんの話ではヤンゴンのバスは路線図もなく利用するのが難しいので自分も使ったことがないとのことでしたが、やって来たバスの車掌さんにThamada ホテルの住所を見せて行くかと聞いていると、3台目のバスが行くという返事だったので飛び乗りました。
バスは超満員でしかも急発進、急停車の繰り返し、途中はものすごいスピードで走ります。時速50kmくらいか。日本のノロノロバスとはえらい違いです。列車がほとんど利用できないのでバスが市内の地下鉄の代わりをしているみたいです。
最初は様子が分からないので手荷物とポケットの貴重品に気を使いましたが危険なことはありませんでした。バスは運転手一人、車掌さんが二人の合計3人で運行していました。一人の車掌さんはバス停ごとにバスから降りて行き先を大きな声で叫んでいます。
もう一人の車掌さんは満員のバスの中にいて運賃の徴収を行っています。切符とかは何もないみたいです。満員のなかで一人ひとり200チャットずつ集めていました。どこまで乗っても200チャットみたいです。日本円で20円、安い!
払った人と、まだの人の区別はどうしているのか、分かりません。私たちは行き先を言っていたのでThamada ホテル前に着いた時はにっこり笑い、目で合図してくれました。ちなみにバスは神奈中バスの中古でした。
ホテルで少し休んだ後、まだ少し時間があるのでダウンタウンに出てみることにしました。
昨日も少し歩いたのですが、昼寝が長く十分見れなかったのでもう一度廻りました。
碁盤目に整備されたダウンタウンの町並み
スーレー・パゴダ近くの独立記念塔
ヤンゴン市庁舎
市庁舎の近くの教会
スーレー・パゴダ
スーレー・パゴダ入り口
ヤンゴンセントラル駅方面からスーレー・パゴダを見る。
ヤンゴンセントラル駅北側の風景。駅舎は立派ですが周囲は殺風景です。
これで今回のミャンマー旅行が終了です。
今回の短い旅行で感じたことは、ミャンマーの人たちが厳しい生活の状況にもかかわらず優しく親切で、困っている人はどこまでも助けてくれるような人たちだで、日本と日本人に好意を抱いてくれている人が多いということです。
日本はこのような人たちと今後も友好を深め、ミャンマーの国作りの援助を惜しんではならないと思いました。
ヤンゴン空港は丁度陽が落ちるところでした。
ヤンゴン空港発:19:10 ハノイ乗り継ぎで成田に帰りました。成田着,翌朝7:00