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多摩丘陵林住記

徒然なるままに山歩き、散歩、読書、仏教などを書いています

寸又峡温泉

2013年09月23日 13時01分50秒 | 旅行

H25.9.19,

静岡にある両親のお墓にお彼岸の墓参りをした後、寸又峡温泉に寄りました。

ジャランで予約した山湯館に宿泊です。古い旅館ですが、中は見かけより広々としていました。温泉は露天風呂もあり、ゆっくり入れました。ぬるぬるとしたお湯でなんとなく肌によさそうです。本日は我々を含めて4組しか宿泊客がいませんでした。

翌日、宿の周囲の寸又峡プロムナードコースを散策しました。約2時間のコースです。この辺りは日本カモシカが沢山いるみたいです。

下の橋は猿並橋という橋です。左側にある大きな山から猿がこの橋を渡って寸又峡の集落に訪れるということです。

途中このようなトンネルを通りました。トンネルを出た後も二人ともブタにはなっていませんでした。

飛龍橋↓

 

飛龍橋から下を覗く↓

展望広場には昔使われていたトロッコ列車の機関車が展示されています。

展望台からみた夢の吊り橋。先日の台風の影響で水が濁っています。いつもはエメラルドグリーンの綺麗な川で有名です。普段の綺麗さに戻るには2,3週間かかるそうです。このエメラルドグリーンの綺麗な水の現象をチンダル現象というそうです。従って、この橋のかかっている湖の名を募集してチンダル湖と名付けたそうです。

この橋は細い木材で出来ている吊り橋です。下が丸見えです。怖いよ。

寸又峡を散策した後、少しドライブして接岨湖に行きました。接岨湖を形成している長島ダム。

ここでも水は濁っていて、一部放流していました。

接岨湖上流にかかっている南アルプス接祖大吊橋

 吊り橋の上からトロッコ列車が見えます。

この橋から先に、八橋小道(やっぱしこみち)と言われる小さな橋が八つ続いています。

関西からのクラブツーリズムのツアー客が2,30人が観光していました。

この後、帰路につきますが、新東名の新静岡ICまでの国道362号線沿いに曹洞宗の洞慶院があります。

ちょっと寄ってみました。十数年前、ここで夏の数日間坐禅合宿をしていた懐かしい場所です。

当時、我々が宿舎に使っていた部屋はこの通り「おやすみ処」としてサービスされていました。

簡易ベッドも置かれています。

本堂↓

ここは梅花講の発祥の地だそうです。

この後、新静岡ICから新東名高速道路に乗り、厚木で圏央道に乗り換えて初めて相模原・愛川ICで降りて帰りました。

 


土肥温泉から青木ヶ原へ

2012年10月31日 13時48分13秒 | 旅行

H24.10.28

裾野の普明寺での大般若会と施食会に参加しました。

大般若会とは大般若経600巻の経典を左上から右下に、又逆に右上から左下にひらひらと広げながら読んだ事にするものです。見る分には迫力があります。

大般若会に引き続き施食会が行われました。亡くなった方に食事の供養をするという儀式です。

9時半に始まり、12時に終了しました。普明寺では一年の内一番忙しい行事になっています。

その後関係者が別室に集い昼食を食べました。

昼食後、私たちは病気回復祝いとして予約していた土肥温泉に車で行きました。伊豆半島の西側の海岸沿いを行ったので3時間ほど時間がかかりました。

展望台からの眺め。曇っていてよく見えません。

平成24.10.29

土肥温泉の宿の目の前に世界一大きいと言われる花時計がありました。

花時計のすぐ隣は海岸で海の向かいには富士市あたりが見えます。

この近くには土肥金山があったとのこと。今は観光施設になっています。

この後、青木ヶ原を見に行きました。途中139号線から富士山が東の方に綺麗に見えました。

我が家から見える富士山は剣が峰が左に見えますが、ここでは右側に見え全体の形がちょっと違って見えます。

孫たちがよく行くまかいの牧場がありました。

まかいの牧場から見た富士山。ここで昼食を食べました。

更に139号線を進んで精進湖に着きました。

ここでは紅葉が大分すすんでいます。

更に139号線の富士パノラマラインを進むと富岳風穴に着きます。

ここから東海自然歩道の青木ヶ原自然歩道に入ります。

しばらく歩くと青木ヶ原樹海に入りました。

その奥は鳴沢氷穴ですが、余り奥に行くと帰れなくなるのでこの辺でUターンしました。

後は中央高速でひたすら家に帰りました。

 


東北旅行(盛岡から三陸海岸へ)

2012年10月27日 21時31分57秒 | 旅行

 H24.10.16

盛岡の宿を出発して三陸海岸に向かいます。

国道106号線で宮古に出て、少し北上し浄土ケ浜に行きました。

この手前に駐車場がありそこに駐車します。

駐車場から先は一般車は通行不可となっていました。

管理のスタッフの人と話をしていると奥浄土ケ浜まで歩いて40分かかるが、今日はすいているので車の許可証を特別に発行してもよいとのこと。

やはり東北の観光客が少なくなっているのでしょうか。

喜んで出してもらい、バス一台がやっと通れるような狭い道を車で下り奥浄土ケ浜の海岸に行きました。

白い砂浜と向かいの小さな島々の景色が絶妙なバランスの絶景です。

ここが大津波に襲われたとはなかなか実感が出ません。

 

下の写真は3.11地震の発生の丁度1年前に竣工した浄土ケ浜ビジターセンターです。

地震時は柱の一番上の青い印まで海水が到達したそうです。

記録を残すために青い印をつけたと下に説明があります。

奥浄土ケ浜から登って広い道に出ます。車が殆ど通っていません。

橋の上から海を見る。

浄土ケ浜を後にして宮古を通過し大槌町に来ました。

1階、2階が津波でやられています。

大槌町役場の表示があります。↓

手前に祭壇が設置され花、線香等が置かれています。

廻り一面が破壊されています。災害後一年半が経つのに復興の兆しは全く感じられません。

この辺りも一面に家が立ち並んでいたのでしょう。

鉄筋のビルだけが残っていますが、それも1,2階は壊されていて全体が使われていません。

がんばれ東北。

その後、釜石に入りました。

釜石製鐵所は若い頃、何度か出張で訪れたことのある懐かしい所です。

最近合併して社名が変わりました。

マークも変わってしまい、なにか残念な気がします。

それから南下して陸前高田の街に入りました。

ここも恐ろしく地震・津波の被害をうけています。

頑丈な鉄骨、鉄筋コンクリート等の建物の残骸だけが残されていますが人は住めないし、使われていません。

周囲の家並みは皆撤去されているのでしょう。

陸前高田市の市庁舎です。↓

入り口には千羽鶴と祭壇がおかれています。花やお菓子のお供えもあります。

卒塔婆な何本か建てらています。

その中の一本に法華経如来寿量品偈の終わりの句(毎時作是念 以何了衆生 得入無上道 即成就仏心)が書かれていました。

私たちも亡くなられた方のご冥福を祈り手を合わさせていただきました。

その後更に南下して気仙沼市に入りました。

大きな船が道路の脇に横たわっています。津波のひどさを改めて思い知らされました。

 

今回の旅行で東北の震災、津波の被害の大きさに改めて驚かされると同時に、その復興がなかなか進んでいないことを実感しました。

そして最近はあまりこの実態がマスコミ等で報道されることが少なくなり皆が忘れつつあるのではと思われます。

私たちもできる範囲で少しでもお役に立ちたいと思いました。

頑張れ東北!

この日はここまでとし、その後明日の中尊寺見学の予定なので一関まで車で戻りました。

H24.10.17

宿泊した国民宿舎衣川荘

朝食後出発。

ここから中尊寺は車で約5分です。

中尊寺境内からの下界の景色。曇っています。

午後からの雨が心配です。

金色堂が中にある覆堂。↓

ここは25年くらい前に子供たちを連れて訪れたことがあります。

金色堂はこの覆堂の中にあり外からは見えません。金色堂そのものは撮影禁止で写真がとれません。

京都の金閣寺でも自由に写真が撮れるのに、何故写真がダメなのだろう。

せっかくの世界遺産なので、もっと世界に向かって優しくしたらよいのにと思います。

建て替える前の古い覆堂。こちらの方が趣があります。

芭蕉の像

野外能楽堂

天気が下ってきたので、ここまでで今回の東北旅行は終わりとして、その後は一路大雨のなか東北道で帰りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


東北旅行(福島から盛岡へ)

2012年10月26日 08時52分03秒 | 旅行

H24.10.15

福島の飯坂温泉を出発して日本三景の松島に向かいました。国道4号線を北上し仙台空港の手前で海岸にでると一面、震災と津波の被害を受けた光景が展開していました。

下の写真の家一件だけがかろうじて残っていました。廻りは、家の基礎だけが残っています。あたり一面が破壊されその後片づけられたのだと思います。奥にがれきの山が見えます。被害のひどさを改めて実感させられました。

家の中にはまだ震災前の生活の跡が残されていて名前の読み取れる手書きの封筒とか、幼稚園くらいの女の子の物と思われるピンクのバッグなどがあって、状況を思うと涙が出ます。

向こうの木立が海岸線ですが、樹木も殆どがなぎ倒されています。今後どのような復興がなされるのでしょうか。

その後、更に海岸線を北上し塩竃に到着しました。松島の観光船は塩竃港と松島海岸から出ています。、私たちは松島海岸から乗ることにします。

観光船乗り場の案内所に今回の津波の説明が出ていました。

観光船の埠頭から見た五大堂

船が出港するとかもめが客が投げるカッパエビセンを求めて群がって追いかけてきます。カッパエビセンは船内で一袋100円で売っています。

私たちは松島発着の湾内一周コースに乗りました。所要時間50分。17Kmのコースです。沢山の小さな島が見え、船内放送で説明をしていますが、あまりに島が多くどれがどれかよくわかりません。

観光船で一周後乗り場の向かいにある瑞巌寺を散策しました。西国33観音の像を祭った洞穴があります。

瑞巌寺を簡単に廻った後、予約の宿がある盛岡に向かいました。

翌朝、宿の窓から撮った御所湖と繋大橋、奥の山は岩手山(2038m)

次回に続きます。

 

 

 


パスポートの更新

2012年01月07日 10時42分44秒 | 旅行

H24.1.6 今のパスポートが5月に10年になるので更新をすることにしました。

住所等前回と何も変わっていないので必要な書類は写真だけです。

そこで急きょ朝、デジカメで写真を撮りそれを使うことにしました。

デジカメの写真を自分でプリントすると変色等があるので不可であると以前に聞いたことがあるので東京都パスポート電話案内センターに問い合わせると、持参した写真はそのままパスポートに使うのではなく都庁の旅券課でコピーしたものを使うので変色は関係ないとのことでした。

注意することは顔のサイズが34±2mmであること、写真のむら等の欠陥ないこと等詳しく説明してくれました。

顔のサイズが34±2mmであれば、35×45mmの切断、その中での顔の配置は旅券課でしてくれるので自宅のプリンターでL版の写真専用紙にプリントしてそのまま持ってきてくださいとのことでした。

デジカメで家内と私の写真を部屋の壁をバックに撮り午後から新宿の都庁にある旅券課に出向きました。

1月の金曜日の午後からなので一番混んでいる時らしく大分待たされましたが、それでも全部で1時間ちょっとくらいで終了しました。

自分で撮影・プリントしたデジカメ写真で何ら問題はありませんでした。

受取は1月16日以降と書いた書類をもらって帰りました。

受取時、10年旅券で一人16000円必要だそうです。

せっかく都庁にきたのでついでに都庁の45階に登り下界を見下ろしました。

夕陽が丹沢の方に落ちて行きました。富士山も見えました。

今日の朝の我が家からの富士山です。丹沢の北の端に遮られて上部しか見えません。

 


南蔵院のお墓参りと同窓会

2011年12月09日 19時13分52秒 | 旅行

12月5日より3泊4日で福岡、佐賀方面を旅行しました。主な目的は家内の両親のお墓参りですが50年ぶりに中、高時代の友達に会うこともあります。

羽田から福岡行きのANA便に乗りましたが、天気が良くて下界がはっきり見えます。羽田空港の新しい滑走路が見えています。

しばらくすると北側の窓から南アルプスの山々が良く見えました。上から雪をかぶった甲斐駒ケ岳、千丈が岳、北岳、間ノ岳、農鳥岳、赤石岳、聖岳などが見えてきました。

少し西に、中央構造線の伊那谷が見えます。

福岡に着くと空港でレンタカーを借りて、篠栗の家内の実家に行き義理の兄、姉と一緒に篠栗の南蔵院に行きました。紅葉が綺麗です。

涅槃像は以前に来た時より綺麗になっています。色を塗り替えたようです。

ここで先祖供養のお参りをしました。納骨堂の中は観音経の読経がテープで流されていました。

次の日、12月6日は友人のK・H君の計らいで福岡県の大牟田市で急きょ友達が集まってくれました。レンタカーを運転して一人で大牟田に出向きました。昼食の時間帯は高校時代の友達が福岡、大宰府、大牟田から来てくれました。盛り上がった最後に懐かしい校歌を全員で歌いました。その後、席を変えて中学時代の同級生がやっている喫茶店に中学時代の友達が集まってくれ一緒にお茶をしました。約50年ぶりの再会の人もいました。お互いに年をとりましたが皆元気そうでした。懐かしいひと時でしたが、16時に大牟田駅で家内と待ち合わせていましたので、残念ながら切り上げて帰りました。

この日は、その後、武雄温泉まで車を運転して行きましたが、予約の宿に到着したのは8時近くでした。

12月7日。武雄温泉を散策しました。最初に宿の近くの桜山公園に行きました。

紅葉が少し盛りを過ぎているようですが綺麗です。

岩山の頂上付近まで革靴で登りました。

武雄の温泉街が見えます。

ハゼの木が真っ赤に色づいています。

その後、武雄神社に行きました。

武雄神社のある御船山のふもとの大楠

大楠の内部から上を見る。

近くに白い椿が花をつけていました。

その後、福岡県の柳川に行き川下りをする予定でしたが寒くてお客さんが少なく船がなかなか出ないのでコースを歩いて廻ることにしました。

先客の船。

この日は、柳川から筑後川をさかのぼり、筑後川温泉に宿泊しました。

12月8日 この日もう一度大牟田に戻り、昔泳いだ三池海水浴場まで行ってみました。冬で誰もいませんでしたが、夏はまだ海水浴場としてある感じでした。小学生、中学生の頃毎日のように泳いでいたのを思い一人感慨にふけりました。

海水浴場の反対側にある三池港。

この三池港の方が泳ぎやすいので怒られながら泳いだものです。向かいの奥の山は三池山。

その後九州道で福岡空港に帰りレンタカーを返して、ANA便で東京に帰りました。

 

 

 

 

 


岡山県高梁市有漢に行きました

2011年10月23日 09時16分44秒 | 旅行

H23.10.20

法事で岡山県高梁市有漢の宝妙寺に行きました。ここは真言宗の歴史ある名刹です。

その後、市内の備中松山城に登りました。この城は国指定重要文化財になっています。

臥牛山(480m)の頂上付近に建てられた、天守の現存する山城では日本で一番高いものだそうです。

結構きつい山道を杖をついて登ります。

頂上の休憩所です。

その後京都に行き、宇多野ユースホステルに宿泊しました。ここは3年前に建て替えられ、今は京都市が管理をしていて世界一のユースホステルを目指しています。家内は約40年前に一度宿泊したことがあるのですが、すっかり変わっていました。中はホテル並みに綺麗なのですが、中学生の修学旅行生がいっぱいで賑やかでした。

次の日、京都市内を見学しました。市営バスの一日乗車券(500円で乗り放題)は重宝しました。

最初に下京区高辻通西洞院西入北側にある道元禅師示寂の地に行きました。

 

道元禅師は御病気のため永平寺から京都に戻られ、すぐにこの地で53歳で亡くなられました。

碑の横に道元禅師の正法眼蔵生死の文章がありました。  参考正法眼蔵生死4

その後八坂神社にも行きました。↑

その後、近くの建仁寺に行き、中を見学しました。このお寺は臨済宗の栄西禅師のお寺で、道元禅師もここで学ばれ、その後、宋に留学され如浄禅師の法を継がれた後、帰朝されてからもしばらくこのお寺に滞在されています。

法堂の天井図↑

金閣寺に行きましたが紅葉にはまだ早すぎます。

次に、竜安寺です。

有名な石庭です

写真には良くとれませんでしたが、これも有名な銭型をしたつくばいと言われるものです。 

口の字を中心にして吾唯足るを知るに成ります。 

今回の旅行はこれで終了です。雨が予想されましたが旅行中は全部晴れて快適でした。

 

 

 

 

 

 

 


能登の総持寺祖院に行きました

2011年10月03日 11時34分03秒 | 旅行

H23,9.26 早朝に家を出発して八王子ICから圏央道、関越道、上信越道を通り豊科ICで高速を降りて、北アルプスパノラマ道路、大町アルペンラインを通り扇沢に出ました。

北アルプスパノラマ道路は地図にも明記がなく、もちろん古いナビには出ていませんでしたが、事前にネットで調べていたので無事行くことができました。信号もなく、交通量も少なく並行して走っている国道147号線より快適に行けたと思います。

扇沢には7時半前につき始発の関電のトロリーバスに乗ることができました。

7時半と早い時間なのにもうすでに沢山の人が並んでいて5台バスが同時に出たのですが皆満席で我々は立ち席でした。

15分くらいで黒部ダムにつき、それから階段を300段登り黒部ダムを上から一望しました。

ダムに溜まっている水量は大分少ないようですが、観光用に放水しています。

ここから大部分の人は立山までの立山黒部アルペンルートに向かうのですが、我々は車で来ているのでここで引き返します。

次に向かったところは黒部峡谷です。大糸線沿いの国道148号線を北上し日本海に出て、国道8号線を西に向かいます。地図に出ている親不知・子不知が昔学校で習った懐かしい響の地名で、はじめて見る現地を期待して行きましたが、国道からは何も見えず、がっかりでした。

黒部から宇奈月に行きそこから黒部峡谷見学のトロッコ列車に乗ります。

トロッコ電車からの景色です。

このトロッコ電車は観光用だけでなく、今も奥のダムの維持工事用に使われているとの事で、冬期雪で電車が動かなくなると、工事関係者は下の写真の地下道みたいな通路を歩いて6時間かけて現場まで行くそうです。

 

H23.9.27

世界遺産の五箇山の菅沼合掌集落に行きました。

ほとんどの家は人が住んでいませんが観光用に内部を見せている家もありました。

上を通る道路から見た写真です。

ここから東尋坊に向かいましたが途中吉崎というところに浄土真宗の蓮如上人ゆかりの本願寺吉崎別院がありました。

少し移動して東尋坊到着です。

この絶景を眺めながら昼食を食べました。

それから、金沢の兼六公園に行きました。隣の石川県立伝統産業工芸館の駐車場に車を停めてついでに工芸館の中を見学しました。

兼六園の内部です。

明治紀念之標とあります。

公園の北の端にある金沢城の石川門です。もともと兼六公園は金沢城の城主の私的な公園だったそうです。

金沢城は現在復元工事の最中です。すべて当時の図面により木造で再現しているそうです。中に入ると木のにおいがして気持ちの良いものでした。

この地には以前は金沢大学があって移転したそうです。会社時代の友達に金沢大学出身の人がいて、ああ彼はこの地で勉強したのかと感慨深いものがありました。

H23.9.28

一路能登半島一周に出かけます。

能登道路を通って今浜で降りると千里浜なぎさドライブウエイというのがあって、海岸線沿いにドライブが出来る道がありました。全長7kmくらい。看板に「走った後はその日のうちに洗車してください」とありましたが古い車なのでまあいいか。

終点の海岸に砂で作ったこんな像が5,6個並んでいました。

次に巌門と言われる観光スポットに行きました。奇岩が沢山あります。観光船も出ています。

休憩所でアワビの壺焼を食べました。

世界一長いベンチだそうです。

 

やせの断崖。ここは危ない。東尋坊より迫力があります。命を大事にという注意標識がありました。

海沿いの道から外れて内陸に向かうと輪島市門前町に曹洞宗大本山総持寺祖院がありました。

曹洞宗の大本山は福井の永平寺と横浜の総持寺ですが、総持寺は曹洞宗第4祖の瑩山禅師によって開かれ明治の後期までは能登のこの地にありました。明治31年に火災で焼失してしまいましたので、総持寺は横浜市鶴見区に移り、この地には総持寺祖院として新たに建設されました。

今は曹洞宗の修行僧を養成する専門僧堂の一つになっています。

2007年(平成19年)3月25日の能登半島地震で相当の被害にあい修理中です。2階部分の廊下で修行僧が働いていました。

 

坐禅堂

坐禅堂の内部。正面は文殊菩薩です。

火災から免れた瑩山禅師の墓所です。

その後、能登道路を通って別所岳SAに行きました。ここは能登島から七尾湾が見渡せる場所として知られています。別所岳は一年ほど前、NHKBSの日本巡礼という番組で放送していて一度行ってみたいと思っていた場所です。

今回は山に登る時間がなかったのでSAから七尾湾を見ました。少し霞んでいましたが地図通りの景色がありました。

能登島に渡る三ヶ口瀬戸の橋です。

H23.9.29

奥能登一周に出かけます。朝一番輪島に行き有名な輪島の朝市を見学しました。自然薯、箸、わかめ等を買いました。

その後、白米の千枚田を見ました。稲刈りは終わっていました。

駐車場から山道を30分ほど歩き、やっと能登半島最北端の禄剛崎に到着しました。頂上は広く開けていました。

こんなものがありました。

皆、自分中心ですね。

こんな島がありました。ユーモラスですね。

九十九湾に着きました。

ここは名前は有名ですがどこを見るのか、道もなく、よくわかりませんでした。

今回の旅行はここまでで、後はひたすら高速道路で帰りました。

 

 

 

 

 

 


長野善光寺参り

2011年09月14日 10時09分12秒 | 旅行

H23.9.7 家内のリハビリを兼ねて長野の善光寺方面に小旅行をしました。

最初に訪れたのは世界遺産に登録準備中の富岡製糸場です。明治五年の創業という、歴史を感じさせる建物が正面に構えていました。

昼休み前の時間外でしたがボランティアの人が親切に説明しながら一緒に廻ってくれました。

正面の建物のアーチの一番上に明治五年とあります。明治政府が殖産興業のためフランス人技師を招いて創立したものです。明治五年とは驚きですね。

建物は木造赤レンガ積です。木も当時のものがそのまま残っているそうです。この建物は繭の倉庫だったということです。赤レンガは大小のレンガを交互に積んでいくフランス式だそうです。

操糸工場の屋根頂上に飾りがありますが、当初菊の紋にする案があったそうですが、このような太陽と波の図案になったそうです。当時の人の意気が感じられます。

次に妙義山の近くにある貫前(ぬきさし)神社に行きました。ここは道から下った所にある珍しい神社だそうです。

その後、妙義神社にも。ここは天皇家とも関係ある由緒正しい神社だそうです。この横から妙義山に登る道が付いています。

山道をドライブして、端の方の駐車場から見た妙義山。

向こうの方に荒船山が見えます。右端は断崖になっているそうです。↓

この日はかんぽの宿磯部に宿泊。

H23.9.8 

車を一時間ほど18号線を運転して信越本線の横川駅まで行き、隣接している碓氷峠鉄道文化むに行きました。

ここは、鉄道での碓氷峠越えの難所を記念して建てられたもので、アプト式鉄道、機関車の展示・説明が沢山ありました。新幹線が出来てからはこの鉄道は横川・軽井沢間が廃線となっています。

アプト式機関車の写真です。

線路の中央にラック(写真には写っていません)があり、それに機関車側のピニオンがかみ合って動力を伝え急な勾配の坂を登っていました。↓

 

懐かしいデコイチです。↑

鉄道文化むらから眼鏡橋まで昔の線路跡が遊歩道になっています。片道1時間半かかるそうなので老夫婦でリハビリ中の我々は車で眼鏡橋を目指しました。途中碓氷湖があり綺麗な橋が向こうにあります。最初眼鏡橋かと思いましたが違いました。湖岸に「紅葉」の歌碑がありました。

この曲線で鉄道線路の跡ということはないですよね。↓

しばらく行くと、本物の眼鏡橋がありました。これはすごい!この上に鉄道が通っていたのですね。

上に登ってみました。奥にトンネルが見えます。線路、枕木は外してありますが、単線用の橋です。遊歩道になっていて人が散策しています。

北側に複線電化された新線の橋が見えます。この新線も新幹線が出来て廃線になりました。ちなみに新幹線はこのづっと北をトンネルで走っています。

その後、軽井沢に行き見晴らし台に登りました。妙義山が遠くにかすんでいます。

長野県と群馬県の県境になっています。

インドの詩人タゴールの碑があります。アジアで初めてノーベル文学賞をもらった詩人で日本に何度も来られてこの地とも縁があった方だそうです。

その後、千曲川沿いの小諸に降りて懐古園に行きました。

小諸は島崎藤村の千曲川旅情の歌で有名なところです。懐古園のなかにも島崎藤村記念館がありました。

千曲川旅情の歌   島崎藤村

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に満つる香(かおり)も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよう波の
岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む

この詩を読むと、高校一年生の時の国語の授業を思い出します。

天守台の跡です。↓

 

 

この日は小諸の布引温泉こもろという宿に泊まりました。

H23.9.9 

朝起きてまず、宿の近くの布引観音に行きました。ここは、牛にひかれて善光寺参りの牛がいた所と言われ、牛が飾ってありました。

このお寺の奥にある建物は奈良時代の建立で重要文化財に指定されているそうです。↓

長野善光寺につきました。善光寺は日本100観音順礼満願の時にお礼参りに来るところといわれています。

100観音とは西国33ヵ所、坂東33ヶ所、秩父34ヶ所のことですが、我々は、西国は未完ですが坂東と秩父は終わりましたのでちょっと早めにお礼参りということになります。

大きなお寺です。ここはどこの宗派にも属していないということですが、天台宗と浄土真宗がお世話をしているそうです。親鸞聖人の大きな像がありました。

 

門前の商店街↓

その後、長野から西方向、山越えをして青木湖というところに行きました。ここは夏はキャンプで賑わう所らしいです。人に勧められて来てみたのですが、今日はほとんど人がいなくてひっそりしていました。湖水は綺麗で澄んでいます。

 

今回はここまでとして、中央道を通って帰りました。