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多摩丘陵林住記

徒然なるままに山歩き、散歩、読書、仏教などを書いています

紅葉を求めて公園めぐり

2011年11月25日 10時45分52秒 | 紅葉

H23.11.23

紅葉を求めて近くの公園を散策しました。

近くの小山内裏公園。

太田切池(太田川の上流をせき止めて池になりました)

パークセンター

ニュウタウン通りを横断する歩道橋。

紅葉はまだ少し早いようです。

王貞治記念球場があります。早稲田実業の練習場になっているようです。

長い滑り台があり、子供たちが遊んでいました。

団地のの中にこんな像があります。

大平公園のひねもす亭(休憩所になっています)

この道の紅葉は大分進んできています。

この先、清水入緑地に入ります。うっそうとした樹木のなかに、大きな木がありました。

清水入緑地の出口の紅葉した木

その後、長池公園に入ります。少しばかり紅葉した木がありました。

まゆみの花が咲いています。

長池公園の端に見附橋があります。

長池見附橋は、JR四谷駅直上に架かっていた都内最古の陸橋四谷見附橋を移設再建した橋梁です。四谷見附橋は、1913年(大正2年)9月に竣工し、文明開化時の面影が残っている橋梁として多くの人々に親しまれてきました。(そうです)

 土手で家族連れが遊んでいました。

ここからグリーンモールまで歩き、往復しました。

今日は小山内裏公園→大平公園→清水入緑地→長池公園を往復し14000歩の散歩でした。

 

 

 


スペイン旅行2

2011年11月14日 18時18分31秒 | スペイン旅行

前回に引き続きスペイン旅行の2回目。

4日目 11月7日 グラナダのアルハンブラ宮殿の続きです。

夏の別荘ヘネラリフェの遠望

ヘネラリフェの庭

アルハンブラ宮殿に近いホテルに宿泊しました。

5日目 11月8日

バスで白い家並で有名なミハスに向かいます。約170km。

途中オリーブの畑が延々と続きます。

白い家並みが見えてきました。

町の中に入ると白い家に囲まれた小道が沢山あります。

丘から下を見下ろすと白い家並みが続いています。海の向こうはアフリカが近い。(100kmくらい)

町の中には世界一小さい闘牛場があります。

闘牛場の入り口

昼食後再びバスに乗りセビージャ(セビリア)に向かいます。200km

途中は又オリーブ畑です。

セビージャのスペイン広場

このスペイン広場は1929年のアメリカ博覧会のために作られたそうです。

その後、ユダヤ人街を通ってカテドラルに向かいます。

カテドラルの横にあるヒラルダの塔。イスラムの塔の上部にカトリックの鐘楼を足したそうです。最上部の像は風が吹くと動くそうです。故に、ヒラルダ(風見鶏)の塔と言われる。

カテドラルの全景です。

街には市内電車が走っていました。

馬車も働いています。観光用ですが。

この日はセビージャのホテルに泊まりました。

6日目 11月9日

コルドバに向かいます。140km。途中牛の看板がありました。この看板は高速道路を走っていると所々にありますが、何のためか分かりません。

太陽光発電設備が大規模になされていました。

風力発電の風車も沢山あります。しかも全部動いています。日本のように半分は止まっているような状況とは違います。日本の技術力はどうなっているのだろうか。

コルドバのメスキータが見えてきました。前の橋はローマ橋。

イスラムのモスクのミナレットの上に増設されたキリスト経の鐘楼

メスキータの内部。イスラムのモスクの跡にキリスト教の教会が建て増しされて大きくなっていきました。現在はイスラムのモスクとしては使われていません。

 

ユダヤ人街の花の小道から見たミナレット(尖塔)

次に最終地マドリッドに行きます。ここから400km。

途中、ドンキホーテ(セルバンテス)ゆかりの場所で休憩しました。

丘の上に風車が見えました。この風車は何に使っているのだろうか。

夕方暗くなってからマドリッドに着きました。6時過ぎにプラド美術館にいき有名な絵画を見て回りました。プラド美術館は写真撮影禁止です。

その後、スペイン広場によって写真タイムがありましたがすでに真っ暗で写真どころではありません。

この日はマドリッド市内の北、チャマルチン駅のすぐ横のホテルに泊まりました。

7日目 11月10日

この日は自由行動の日です。

事前の勉強ではマドリッドは治安が良くないと出ていました。スリ、首絞め強盗等が多いと本に書いてあるしし、ネットにも良くない情報が沢山ありました。

添乗員の話でも危ないので注意してくださいと強調しています。

そういうことでちょっとばかり不安がありましたが、我々は二人だけでマドリッド市内の一日観光バス(マドリッド・シティー・ツアー)に乗って廻ることとしました。

この観光バスは赤色の2階建てのバスで一日中、乗り降り自由です。2ルートがあって、どちらのルートに何度でものれます。日本語のイヤホンガイドが付いています。一日一人20ユーロ、65歳以上は9ユーロです。(日本人でもOK,身分証明書等は不要)

ホテルのすぐ近くのチャマルチン駅から地下鉄1号線に乗り、市の中心のプエルタデルソル駅で降り地上に出ます。

地上のキオスクみたいな店でチケットを買いました。この店でチケットを買うとデパートのカフェテラスでワインとちょっとした食事を食べられる券が付いていました。ラッキー

バス乗り場が分かりづらく何回か聞いてやっと分かりました。

マドリッド自治政府庁の守衛さんが親切に教えてくれました。もっともスペイン語は分かりませんので、ドンデエスタ?(どこですか)と身ぶり手ぶりです。ここでは英語はほとんど通じません。

マドリッド・シティー・ツアーの2階建てバス(以前はマドリッド・ビシオンと言われていた)

バスでは2階の最前列に座ることができました。以下バスからの景色です。

プエルタデルソル広場。カルロス3世の騎馬像がある。ここは各地方に行く道路の起点となっている。

プリウスのタクシーが走っていました。

シーベレス広場のコムニカシオス宮殿(昔中央郵便局)

コロン広場のコロンブスの像

グランビア通り入り口

グランビア通り

グランビア通りのマクドナルド

グランビア通りで、ラーメン おいしいを付けたバス。

プエルタ・デ・トレドの門

マヨール通りから見たマヨール広場

マヨール通り

サッカー競技場で有名なエスタディオ・サンチャゴ・ベルナベウ

アルカラ門

バスの内部はこんな感じです。

ルート1を2周、ルート2を1周してプエルタデルソル駅でバスを降り、その後歩いて近くを散策しました。

マヨール広場

王宮の隣のアルムデーナ大聖堂

アルムデーナ大聖堂の内部

王宮

王宮の横のサパティーニ庭園

王宮に近いプリンシペ・ピオ駅から地下鉄10号線に乗って帰りました。

治安が悪いと大分聞かされていましたが、幸いなことにそのような事を見たり、聞いたり、感じたりしたことは全くありませんでした。逆に、スペインの人には親切に対応してもらったと思います。油断せずに、一定の注意をしていればどこの国でもそれほど心配することはないのではないでしょうか。

8日目 11月11日

ホテルの窓からマドリッドの朝焼け

今日は帰国の日です。お疲れさまでした。

スペイン旅行1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


スペイン旅行1

2011年11月13日 15時32分10秒 | スペイン旅行

H23.11.4

9日間の日程でスペインに行きました。

1日目、11月4日、 成田発;19:00  北京着現地時間22:15(所要時間4時間15分)

2日目、11月5日 北京発;00:35 マドリッド着現地時間05:35(所要時間12時間)

マドリッドに早朝着きました。飛行時間が長く、しかも殆ど眠れなかったのですでに疲れ切っています。くたくたです。当地の朝は遅く5時半はまだ真っ暗です。着後すぐにバスに乗り、西のサラゴサに向かいます。300kmのバス旅行です。

サラゴサはマドリッドとバルセロナの中間にありスペイン第5の都市です。古い町でアラゴン王国の首都であった所です。

エブロ川の岸辺にあるピラール聖母教会

この日はデジカメの日付設定変更をし忘れたので写真表示の時間が日本時間になっています。現地時間はこれから時差8時間を引きます。上の写真は現地時間5日11時10分。以下の写真も同様。

この日はあいにく曇っていて、雨が降りそうな気配です。

ピラール聖母教会の横にあるピラール広場

ピラール聖母教会

ピラール聖母教会の横にあるラ・セオ。ラ・セオとはアラゴンの言葉でカテドラル(寺院)の意味で、ロマネスク、ネオクラシック、ムデハル様式が混合している建物だそうです。

サラゴサの町並み

次にバルセロナに向かいます。サラゴサからバルセロナ間は同じく300kmあり、広大な大地の中をひたすら走ります。

途中昼食と2時間ごとのトイレタイムをとりながら走ります。現地の運転手さんも長時間一人の運転で大変です。

途中で、激しい雨に見舞われました。

この日はバルセロナの郊外のホテルに宿泊しました。今日のバスでの移動は600kmでした。疲れた!!

3日目。11月6日 この日から写真の時間は現地時間になっています。

バルセロナは朝から残念ながら雨が降っています。

ガウディー建築のサグラダ・ファミリア聖堂見学

この建物は1882年から建設が始まり、ガウディーが晩年担当したもので、まだ完成していません。予定では後100年かかると言われていましたが世界遺産に登録されてからは入場料収入が増えて工事速度が速くなり2023年に完成予定になったそうです。

サグラダ・ファミリア聖堂の内部

ガウディー設計によるグエル公園(世界遺産)

同じくグエル公園。遠くに地中海が見えます。

バルセロナの市街

世界遺産カタルーニャ音楽堂

玄関にベートーベン、バッハの像がありました。

今でもコンサートホールとして使われています。

昼食後タラゴナに向けて約400km走りました。

タラゴナ近郊の世界遺産ラス・ファレラス水道橋

高さ26m、全長216m 一番上に登ってみました。

橋脚の基礎部分

この日、バレンシア近郊に宿泊

4日目 11月7日

この日は良く晴れました。バスで510kmほど走りグラナダに向かいます。

アンダルシア地方に入りました。途中の山間の小さな町

15時過ぎにやっとグラナダのアルハンブラ宮殿に着きました。

夏の別荘ヘネラリフェのアセキアの中庭

 

イスラムの様式の壁

レコンキスタ後のカルロス5世宮殿

イスラム様式の壁の模様

 

アラヤネスの中庭。インドのタージマハールはこの宮殿をモデルにして作られたとのこと。

イスラムのアラベスク

城下のアルバイシンの町

以下次回スペイン旅行2に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


仏教的禁煙法2

2011年11月02日 06時04分32秒 | 禁煙法

前回に引き続き仏教的禁煙法の2回目です。

5 断煙する事は廻りの人には決して公言してはいけない。

大抵の人は、私もそうでしたが、禁煙の決意をすると廻りの人にこれから禁煙することを言いふらします。そのことにより廻りの監視の目が助けになり禁煙の可能性が高まると期待するのでしょう。しかし、実際には絶対に禁煙を達成させないといけないという義務感、強制感が発生してしまい、それが重荷になり、反って禁煙をすることに疲れてしまい失敗します。これは非常に大事なことです。しかし世の中には、逆に禁煙は廻りに公言してから始めるべしと書いてある本が沢山あります。これが失敗の原因であるにも関わらず。しかし、あくまで“断煙”です。断煙は自分の意志でやるものです。やるかやらないかは自分の選択なのです。自分が断煙を選択し実行しているのです。あくまで断煙は密かに行うべきなのです。

 

6 断煙を始める時は今まで吸っていたタバコ、愛用していた灰皿、ライター、その他喫煙道具は一切そのままにして身近に今までどおり置いておく。

これも一般的に言われている事と正反対のことです。5項と共通することでもあるのですが、断煙をすることを公言しないと同時に人に知られないようにタバコも灰皿もライターもいつもの通りにしておきます。奥さんにも断煙の事を知られないようにします。灰皿には吸い殻もそのままにしておきます。タバコの買い置きを少なくとも2,3個は持っておきましょう。机の引き出しにはいつでも買い置きがあるようにします。1本だけ吸って19本、箱に残っていたとしたらそのまま19本入った箱を今まで通り大事に持っておきます。机の上にいつも置いている習慣の人であれば、そのまま置いておきます。ポケットに持っているのであればそのままポケットに入れて過ごします。着替える時はタバコを忘れないようにポケットに入れましょう。タバコは今まで愛用して、楽しい時も、苦しい時も、悲しい時も一緒に過ごしてきて、お世話になった大事な大事な、いとおしいものなのです。決して、敵意を抱くようなものではないのです。タバコを肌身離さず今までと全く同じように持ち歩きましょう。只、今までと違うのはタバコを吸わないという事だけなのですから。

 

7 タバコを吸いたくなったらどうするか

6項のような事をしたら、廻りがタバコだらけですぐにでもタバコに手を出すようになるのではないかと思われるでしょうが、それは違います。今自分は自分の意志で断煙を始めたのです。誰に強制されているわけでありません。そう簡単に手は出さないでしょう。でも長年の習慣とニコチン中毒でタバコが吸いたくなります。強烈な欲求が出てくることがあるでしょう。その時はどうするか。その時はタバコの事から気持ちを切り替えて立ち上がったり、歩いたりしてタバコを忘れます。水、お茶を飲むことは良い事です。この辺の事情は他の多くの本にも記載されているので参考にするのも良いでしょう。

 

8 それでも、タバコの欲求が消えない時はどうするか。

そのときは、身近にあるタバコの箱を取り上げて愛用の箱と戯れましょう。今まで長い間一緒に暮らしお世話になった過去を振り返ったりしながらタバコの箱をいとおしみましょう。そして時間を稼ぎます。この時、禁煙の本を読み返したりします。

それでも欲求があるのであれば箱からタバコを一本取り出し匂いを嗅いだり、くわえたりしても良いでしょう。でも決して吸ってはいけません。ライターで火を付ける真似をして遊んでみても良いでしょう。とにかくタバコはいつでも身近にあって吸おうと思えばいつでも吸えるのだけれども自分の意志で吸わないだけなのだという思いで過ごしましょう。さらに強烈な欲求の時は「自分はタバコを吸わないことを選択しているが、強烈な欲求が今湧き上がっている」という事を客観的に観察しましょう。そして「この欲求は本当に強烈であるが、後30分だけ我慢してみよう」と思いましょう。そのうちに欲求が消えていく事が分かるでしょう。

タバコを決して敵に回して排除しようとしてはいけません。排除しようとすればするほどタバコは強烈な力で追いかけて来ます。排除するのではなく、タバコの中に身を置いて安心を得るのです。ただ吸わないだけなのです。

この辺の時期になると、友人、知人、家族からしきりに「この頃タバコは吸っていないの、止めたの」とか聞かれるでしょう。この時も、決して止めたと公言してはいけません。「今体調が悪いのでしばらく吸っていない」とだけ答えておきましょう。あくまで密かに断煙するのです。

 

9 それでも、タバコの誘惑に負けそうになったらどうするか。

タバコの魔力は強烈なものがあります。何度も誘惑に負けそうになるでしょう。その都度自分の選択でタバコを吸わないことを選びましょう。タバコと仲良く遊んで、たまには匂いを嗅いだり、口にくわえてみたり、吸い殻と戯れたりしても良いでしょう。それでも治まらないなら、手持ちの禁煙の本をもう一度読んで、健康に対する害悪、経済的な事、受動喫煙の害等をしみじみ再確認します。そうしているうちに知らぬ間に欲求が治まっているでしょう。それでも駄目な時は、仕方がない、ライターでタバコに火をつけましょう。煙が口のなかに少し入ってきます。強烈な臭いがするでしょう。しかしすぐに吐き出します。肺に吸い込まなければよいのです。まだまだ断煙は自分の意志で続いています。

10 運悪く肺まで吸いこんでしまったらどうするか。

吸いこんでしまっても、落胆して断煙を止めてしまわないことです。審判がいて合否を判定しているわけではありません。あくまで自分自身の意志なのです。ここまで断煙してきたのですから成功したのとほぼ変わりません。ガラガラポンの元の木阿弥にはしないことです。1回や2回このような事は起こりえるのです。このまま断煙を継続していけば必ず断煙が達成できるでしょう。

 

以上1項~10項が私がお世話になった本の内容で、私の思いも含めて書きました。実際私はこの本の内容を忠実に実行して断煙に成功して30数年間タバコは吸っていません。今思い出してみると、一番苦しかったのは断煙を始めて5日目くらいでその後だんだん落ち着いて来ましたが、半年位まではタバコと戯れるというような事が多くありました。でも決して肺まで吸いこむことはありませんでした。1年くらいで断煙成功という実感を得ることが出来ましたが、3年くらいはタバコを身近においていつでも吸える状態にしておきました。もっとも、3年後のその頃にはタバコにカビが生えてとても吸えるものではありませんでしたが。

この本の中にも書いてあったのですが、「喫煙、断煙は板に釘を打ち込むのと同じで、釘は釘ぬきで抜きとれるが板についた釘の穴はいつまでもなくならない」という事を本当に感じます。というのもタバコを吸う事は止めることは出来たのですが、30数年後の今でもタバコの夢を年に一回は見るのです。それは夢の中でいつの間にかタバコを吸っていてハッと気がついて、「しまった、またこれから断煙を始めないといけない」という夢です。このようにタバコの影響は一度吸ったら釘の穴のように長く消えない強力なものでありました。

 

ところで、この禁煙法をなぜ仏教的禁煙法と私が思ったかですが、仏教的というより禅的禁煙法といった方が適切かもしれませんが、1番目は禁煙を人から強制されるのではなく自分の意志で実行すること即ち自力的禁煙法である事、2番目はタバコを吸いたいという強烈な欲求をそれに振り回されるこのなく客観的に観察することが仏教の瞑想に通ずる事、3番目はタバコという煩悩を嫌って厭だ厭だと排除するのではなく、煩悩を見つめ煩悩の中に身を置き煩悩と一体となったところに安心を見出す事、が仏教的と思われるからです。いずれにしろ、煩悩を嫌えば嫌うほど、煩悩は強烈に追いかけて来ます。煩悩に力で打ち勝つことは出来ないのです。煩悩があってもその中に安住することこそが悟りの世界という事であり煩悩即菩提ということでしょう。

 

 多くの人がこの仏教的禁煙法により“断煙”に成功され、心身ともに健康的な生活を過ごされることを祈念いたします。

 

仏教的禁煙法1

仏教的禁煙法2

仏教的禁煙法(まとめ)

 

 


仏教的禁煙法1

2011年11月01日 14時44分31秒 | 禁煙法

仏教的禁煙法(H23.11.1

 

健康の問題、受動喫煙の問題、たばこ税の増税などから最近ますますタバコを吸う人の居心地が悪くなってきて、禁煙を思い立ち挑戦する人が増えてきているようです。しかし愛煙家が禁煙をすることはなかなか難しい事で、多くの人が禁煙に挑戦するものの途中で挫折してうまくいかない例が多いようです。

最近ではタバコが欲しくなくなる薬があって禁煙外来などで処方してもらうと楽にタバコが止められるという事ですが、それを使ってうまく禁煙を達成できても一年後には又吸ってしまっているという人も多いようです。

禁煙に挑戦して挫折してしまうのは意志薄弱だからだともいわれますが、単に意志の問題だけでもないと思います。長い間の喫煙習慣から獲得したニコチン中毒という強烈な作用から抜け出すためにはそれなりの覚悟と方法があると思います。

 

そこで、私自身が30数年前禁煙をした経験をもとに仏教的禁煙法なるものを紹介したいと思います。仏教的というのは禁煙を行ったときにそう思っていたわけではなく、タバコをやめてしまった今振り返るとあの時のやり方は仏教的であったなーとしみじみ思うのです。

私は18歳になるとすぐに廻りの悪い人から勧められ、いたずら心からタバコに手を出すようになり、そのまま学生時代、会社時代と何となくタバコを吸い続けその量もだんだんと増えだして気が付いたら一日20本以上吸うようになり、宴会などがあると一日30本位は吸うようになっていました。その頃はタバコの害は今ほど多くは言われていませんでしたし、何よりタバコが好きで、朝の起きがけ、食事の後、お酒を飲むとき等はそれはそれは美味しいと思ったものです。極端な話がタバコを美味しく味わうために食事をするというような感じでした。しかしそれにつれて、風邪をひくことが多くなり、疲れやすく、口の中がいつも苦く、歯も黒くなってきて明らかにタバコが原因で体がおかしくなってきた事を自覚するようになりました。それと、丁度この時期に子供が生まれ、幼い子にタバコの煙を吸わせてはならないと思いました。このような事と経済的な事も考え何とかタバコをやめたいと思い何回も禁煙に挑戦しましたが、何度挑戦してもせいぜい続いて3日くらい、すぐにタバコの魔力に負けてしまうのです。しかも一度失敗すると、失敗するたびにタバコの量が増えていき次の禁煙のトライがだんだんと難しくなっていくのを感じました。もちろん、「タバコを五日で止める法」といったたぐいの本は何冊も読みましたし、その本の通りに真剣に努力し実行するのですがどうしても負けてしまうのです。

 

そのような状態が数年続き45回は禁煙に挑戦し失敗したでしょうか、もう半ばあきらめている時に、本屋さんでいつもの本とはちょっと違う、題名は忘れてしまいましたがタバコをやめるために書かれた本を見つけました。その本には今までとは全く違ったタバコの止め方が書いてありました。私は最初あまり期待していなかったのですが、今まで何回も失敗していますのでこれまでとは違ったこのやり方でダメ元で挑戦してみたいと思い、この本に書いてある通りに実行したのです。

結論から言うとこの本の通りに実行することによって私はタバコをやめることができました。簡単に止めることが出来たとは言いません。途中苦しい時期もありましたがとにかくだまされたと思って本の通りに実行することによりタバコを口にすることがなくなったのです。

 

その当時に私の廻りには私と同じように禁煙に失敗して苦しんでいる人が沢山いましたので、少しでもその人達の為になるようにと、この本の内容を話したり本を貸したりしました。その結果、その本は“貸しくれたまえ”になってしまい手元になくなり、本の題名、著者、出版社も全て分からなくなってしまいました。

最近になってその本を何とか手に入れたいと思いインターネットなどで探してみたのですが、何せ、30数年前の題名も著者も出版社も分からない本なので見つかるはずはありません。多分、間違いなく絶版になっているでしょうし、著者も故人になられているのではと思います。中古の本でもと思ったのですが、探すことはできませんでした。唯一、覚えているのは、著者は神戸在住の人で元教育者であったという事です。

本当はこの本を皆さんに紹介して少しでも多くの人が禁煙を達成するお手伝いになったらと思ったのですが、残念ながらかないません。そこで私が30数年前に読んで実行したこの本の内容を今思い出して書き出してみたいと思います。

 

1 禁煙するに当たっては自ら進んで、自分の意志で禁煙をするという自覚を強く持つ。他人から勧められたり、強制されたり、いやいやながらとかでは絶対に成功しない。そういう意味では“禁煙”ではなく、自らの強い意志で“断煙”を行う事。“禁”と〝断“の言葉のニューアンスの違いを感じてください。少しずつ本数を減らすのが減煙、一遍に全て止めてしまうのが断煙と区別し、断煙の方を勧めている他の本もありますが、この本で言っている“断煙”はそういう意味ではなく、人から強制されるのではなく自分の意志で止めるという意味での断煙です。

 

2 タバコが健康にどれほど有害であるかを改めて詳細に研究し知識を得る。

30数年前もそうでしたが、今の時代はタバコの害について書籍、インターネット等を使い簡単に多くの情報が得られます。出来れば専門の医者が書いた禁煙の本が良いのですが、タバコの害を詳しく書いてあり、自分が気に入った本を手元に置き、それを数回繰り返し読んで頭に入れる。本当は私がお世話になった本があれば一番よいのですが、別の本でもよいのでそれを身近において、断煙にくじけそうになったら繰り返し読み返す。この繰り返し読み返す事により断煙の動機と意志が再確認されて断煙継続につながります。

 

3 断煙を始めるにあっての時期を考える。

断煙は簡単なものではありません。気軽に始めて、気軽に断念するものでもありません。長い間に染み付いた習慣とニコチンの中毒は、ありとあらゆる手段を使って断煙をしている人を攻撃してきます。油断をしているとこの攻撃に負けてしまいそうになります。攻撃をかわすためにはそれなりの覚悟と用意が必要です。そのために断煙を開始する日にち、時間は慎重に決定するべきです。忙しい時は始めるべきではありません。自分が断煙についてじっくり見つめる時間が取れる事が必要です。比較的時間が取れて、気持ちが落ち着いていて、これから断煙にかかることを、ゆっくり噛みしめられる時に始めましょう。仕事をしている人は年間で考えて期末の決算期、大事なプレゼンの前とかは避け、比較的仕事が暇な時がよいでしょう。学生であれば試験勉強中とかは避けて、夏休み、冬休み等がよいでしょう。

 

4 タバコの経済的な影響を考える。

最近はタバコ税の増税でびっくりするほどタバコが高くなっています。更に増税の話がありますので大変です。タバコを吸う人は確実に毎日吸うわけですから、長い期間になるとその累積は大変な金額になります。これを一度計算して、一月では、一年では、10年では、一生ではどのくらいのお金が煙になって消えて行くかを認識しましょう。そして、そのお金があれば自分の好きな事、例えば海外旅行に行ける、車が買える、家が建つ等思いを馳せましょう。その数字をノートなどに書きとめ挫けそうになったら読みなおしましょう。このような数字を紹介している本もありますのでそのような本を手元に置いておくのがよいでしょう。

 

さて、ここまでは一般的な禁煙の本には多少の違いはあれ、どの本にも同じような記述があると思います。

これらは共に非常に重要な事柄ですので疎かにしてはいけません。しかし私のお世話になった本のユニークな内容は、これから先の以下の内容であり、私がまさに仏教的禁煙法と思っている部分なのです。

 

これからが、本禁煙法の核心の部分なのですが、ブログの字数を超えますので次回に続きを書きます。

仏教的禁煙法1

仏教的禁煙法2