前回にひき続き正法眼蔵生死の3回目です。

「もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱(げだつ)のみちをうしなヘり。」
もし人が、生死という現実とは別に何か仏という素晴らしいものがあって、それを求めてあれこれ考え、思い悩み、努力をするというような事であれば、それは牛車の引棒を北に向けて南方の越に向かったり、顔を南にして北極星を見ようとするような見当違いのものである。
そのような事をすれば、ますます生死に拘るという悪い原因を集めて、返って悟りの道を失ってしまうのである。
「ただ生死すなわち涅槃(ねはん)とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このときはじめて、生死をはなるる分あり。」
ただ、生きる時は生きることのみ、死ぬ時は死ぬことのみ、即ち、現在の瞬間、瞬間に生きることのみに徹する事、その事こそが悟りであると心得て、生死を忌み嫌って遠ざけようとしてみたり、逆に、生死を渇望したりするべきではない。この時初めて生死の悩みから離れられるのである。
「生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきありのちあり、かるがゆゑに、仏法のなかには、生すなはち不生といふ。
滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。」
普通、我々は時間というものは書いた矢印のように連続的に流れるていると考えていますが、仏教では時間は瞬間、瞬間の繰り返しのもので、前の瞬間と次の瞬間は独立していてそれらが連なっていると考えます。丁度、映画のフィルムの一コマ、一コマのようにです。
従って生きている状態から死んでいる状態に移っていくと考えるのは間違いであって、生きていることは一つの時点における瞬間の状態であり、その前の瞬間の状態もあれば、その後の瞬間の状態もある。それ故に、仏教では、生は生限りであり、何かから生が発生したり、生が死に変わっていくのではない。そういう意味で、生すなわち不生というのである。
又、死ぬことも一つの時点における瞬間の状態であり、その前の瞬間の状態もあれば、その後の瞬間の状態もある。ゆえに滅は滅かぎりであり、生から滅に変化していったりするわけではないという意味で不滅という。
「生といふときには、生よりほかにものなく滅といふときは、滅のほかにものなし。
かるがゆゑに生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべしといふことなかれ、ねがふことなかれ。」
生というときには、生に徹しその他に何も考えることはない。死というときには死に徹していればよい。故に、生が来たならば、ただひたすら生きるのみ、死が来たならば、ただひたすら死に没頭すればよいのであって、死に向かって何かをしようとか、死を願ったりしてはいけない。
「この生死は、すなはち佛の御いのちなり、これをいとひすてんとすれば、すなはち佛の御いのちをうしなはんとするなり。
これにとどまりて、生死に著すれば、これも佛のいのちをうしなふなり。佛のありさまをとどむるなり。」
この生死、即ち生きたり、死んだりする事が仏そのものです。それなのに、生き、死にから解放された所に仏があるはずだと思いこんで他に何かを探し求め、現実の生死を嫌いて捨てるような事をしようとするならば、それは仏の命を捨てることになる。
また逆に、仏という抽象概念に留まっていつまでも生死に拘っているならば、これも仏の命を失うことになる。要するに、仏のあり様即ち無常を感得し、現在の瞬間の一瞬・一瞬を肯定し受け入れる事が大切である。
「いとうことなく、したふことなき、このときはじめて、佛のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていふことなかれ。」
厭い嫌うことながなく、渇愛することがないならば、このとき初めて仏の心にはいります。ただし、心で思い計り、言葉で言う事をしてはいけない。
「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいへになげいれて、佛のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ佛となる。たれの人か、こころにとどこほるべき。」
普通は禅は自力、念仏は他力と言われたりしますが、ここの文章は禅の道元禅師のものとは思われないくらい他力的な表現になっています。
確かに道元禅師は本当の坐禅を初めて中国から日本にもたらされた方で坐禅以外は仏教ではないというような事も言われています。
例えば、若いころ書かれた正法眼蔵弁道話では念仏について「おろかに千万誦の口業をしきりにして、仏道にいたらんとするは、なほこれながえをきたにして、越にむかわんとおもわんがごとし。又、口声を暇なくせる、春の田のかへるの、昼夜になくがごとし、ついに又益なし。」と書かれ強烈に批判されています。
しかしながら、この生死の巻ではまさに浄土真宗の親鸞聖人の言葉のような文章になっています。自力、他力というと全く方向の違うお互いに相容れない考え方のように思われますが、少なくとも道元禅師の晩年の思想としては自力、他力を超えた大いなる仏のいのちについて親鸞聖人と共通の境地におられたのであろうと思います。
蛇足になりますが、道元禅師(1200-1253)と親鸞聖人(1173-1262)は同じ時代を生きられた方なので二人の出会いはあったのかというのが興味のあるところです。
一般的には自力の道元禅師と他力の親鸞聖人は、水と油で会ったことなどはないという事になっていますが、実はこの正法眼蔵の生死の巻は、道元禅師が白子の浜(浜子)で親鸞聖人に法を説いたことがあり、その時に書かれたものだという説もあります(正法眼蔵啓迪、西有穆山)。この白子の浜(浜子)が現在のどこかは解りません。三重県と千葉県に白子の浜という所があるのですが。
又、道元禅師は秦野義重の寄進により越前に永平寺を開かれますが、秦野義重の嫡男、秦野親性は始め道元禅師に師事しましたが、後に親鸞聖人の教えに出会い帰依し永平寺の近くに精舎を構え本覚寺と称し広く念仏を称揚した事もあるとのことで、この縁により道元禅師と親鸞聖人との出会いもあったのではないかとの話もあります。いずれにしても確かな資料は現存していないみたいです。
本文に戻って、自分の体の事も心の事も考えることを止め、心配事があっても楽しいことがあっても、厭だとか、良いとか思わずに、すべて仏の家に投げ入れて仏にすべてお任せする。
すべての事について仏の方から働きがあり、それに従って生活するとき、力をも入れず心を煩わすことなく、生死を離れて仏となることができる。誰が、頭で考えて抽象的、概念的な仏というものに執着して良かろうか。

次回に続きます。
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正法眼蔵 生死1
正法眼蔵 生死2
正法眼蔵 生死3
正法眼蔵 生死4