老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

遙かな旅の夢

2024-02-04 11:59:14 | 老いの光影
2025 鉄線はつづくよどこまでも




鉄塔の隙間から筑波山を眺める

遙かな先の線路は終着駅
遙かな先の路は終点(行き止まり)
遙かな先の海は帰港地
遙かな先の鉄線は我家の電燈

始発点の先は終着点
オギャ〜と産ぶ声をあげた先は死
そう考えてしまうと虚しくなってしまう

キッズソング | せんろはつづくよどこまでも | 童謡 | I've Been Working on the Railroad (coverd by うたスタ)

線路は、はるかなまちまで ぼくたちの
たのしい たびの ゆめつないでいる

『せんろはつづくよどこまでも』の詩は
遙かな先きまで夢をつないでいる。
夢は無限である。
オギャ〜と産ぶ声をあげた赤ん坊は無限の可能性を秘めている。

線路も路も海も鉄線も
遙かな先の町は
どんな処か想像してしまう。

こどもごころの頃
山の向こうはどんな風景なのか、と想像していた。

どこまでもつづく鉄線を眺めてると
そんなことを思ってしまった。


義父の一周忌

2024-02-03 18:01:32 | 阿呆者
2024 家に帰ったよ


筑波山が見える関東平野、鉄塔が立ち並ぶ

昨日は事務的な仕事に追われて、筑西市(茨城県)に帰るのが遅くなり21時前に着いた。

wifeの父の一周忌法要。
「家に帰ったよ」、帰ってくるような感じさえする。。
短い時間ではあったが最後は寝たきりになったものの
自宅の畳の上で妻、二人の娘と大の親友に看取られながら逝った。

別れの言葉を交わし、穏やかな顔だった。

実家(wife)から福島に帰るときは「気をつけて帰れよ」といつも言葉をかけてくれた。
「パチンコに行こう」、と誘う。
不自由ながらも杖をつき歩き
軽トラに乗りパチンコ屋に向かった。

二人とも大当たりはなく損したまま帰るも、楽しかった。


筑波山

朝夕合わせて100分余りの散歩。
夕暮れ前の筑波山を眺め見る。
旧下館市は第二の故郷。
関東平野は閉塞感がなく、開放的な気持ちになる。

冬は空気が澄み渡り白い富士山が見える。
見えたときは合掌する。



「奇跡だ!」、と言われた85歳の老女

2024-02-01 21:45:11 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2023 眠りから蘇生(よみがえる)



疲れると頭が機能しない
「何も書くことがない。今日のブログはお休みかな」、と
さぼり癖が見え隠れする。

ふと、思い出した。
今日15時30分、在宅訪問をした。
主役の85歳の老母は入院中で会うことができなかった。

同居している夫(85歳)と長女に会った。
近々老母は「家に帰りたい」、と主治医に懇願し2月5日に退院することになった。
2月6日から火木土の透析治療のため、介護タクシーの利用を始める(移動支援にかかわらせて頂くことになった)。

糖尿病が原因で人工透析となり3年が過ぎた。
昨年8月の或る日、歩ていても躰が左に傾いてしまう。
透析治療を受けている病院の医師から「脳腫瘍ではないか」と告げられ入院となった。

脳腫瘍の手術を施行しようとしたとき
血液サラサラの薬を止めて3日しか経過していないことがわかり、急遽手術は中止になった。

脳外科医から「脳腫瘍ではなく脳梗塞だった」、と告げられた。
手術は成功したが、老女の意識は回復せず眠りのなかにあった。

それから老女は、3月ご眠りから目が覚めた。
主治医も意識が戻るとは思っていなかったことだけに
「奇跡だ」、と話された。

脳梗塞を起こした部位は、運よく四肢の麻痺が起こる場所ではなかったことも「奇跡だった」。

その老女は眠りから蘇り、生き始めた。
眠っている3月間の記憶はすっぽり抜けたまま。
85歳の命が蘇生った(よみがえった)老女に会うのが楽しみだ・・・・・。