老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

241; 空蝉ノ詩

2017-07-13 11:14:20 | 老いびとの聲
空蝉ノ詩

梅雨が明け、
暑い夏が訪れ木陰からは
「俺は此処に生きているとばかりに」
蝉の鳴き声が聞こえてくる。
蝉は最後の脱皮・羽化し抜け殻となり、
この世の儚さに生きる。
蝉の抜け殻を「空蝉」と云うが、
この世に現(うつつ)に生きているという意味もある。

いまこの世に生きている自分は、
蝉の生命と同じく余命は幾何もない。
最後の脱皮・羽化した蝉の如く、
自分は初老になって
ようやく過去の柵(しがらみ)ともいうべき殻を破り捨て、
「人間」として燃え尽きて逝く


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