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老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

398;認知症老人と存在論 ⑤

2017-09-18 04:57:30 | 文学からみた介護
 認知症老人と存在論 ⑤
~ハイデガーの哲学から考える~


(4)「ある」ということばの意味
 
「ある」ということばを、『類語新辞典』(大野晋・浜西正人著、角川文庫)を紐解いてみると、
「有無」という箇所に当たり、[ありーそこに物があること]として、「有る」「在る」「居る」「存する」が列挙されている。
「有る」「在る」「居る」の存在は日常語として使われ、
「存する」の存在は文章語として使われている。

いまここに自分が「在る」ということは、
いまこうして自分が「生きている」ことであり、
いま生きているとは自分の「居る場所」(居場所)が「在る」のかということに連なる。

ハイデガーは「ある」ということばは、
漠然とした理解ではなく、存在論の中心的な問題であり、
「自分の存在をどう理解するかは、自分がどう存在していくかと深く関わっており、自分の生きかたそのものを決定して」いくことである(31頁)。

自分自身の存在が大事であるということ、
それは自分の生きかた、
自分の人生そのものを大切にしていきたいと思い願っている。

それは自分だけでなく、
他者に対しても同じ人間として「自分自身の存在や人生、家族そのものの存在」も同様に大事なのである。
老人介護において、
ひとりの人間としての「老人の存在が大事」であり、
「存在をよりよく理解」しようと努力しているかである。
老人は、私たちに「ある」ということばの意味と理解について問題提起されていることを忘れてはならない。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


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