定年後も自分らしさを輝かせて暮らそう。

 「まだまだやれるぞ!」と頑張っているシニヤの皆さんへ共感と声援を届けたい。定年後も挑戦し続けるおじいちゃんの記録です。

B.9.ベトナムからの手紙

2016-10-30 | ベトナムのおばあちゃんと田舎で暮らして
  晩秋の気配です。関東地方も少し寒くなってきました。
 北海道の釧路で通訳として働いているベトナムの友人から「寒い!」とメールが届きました。
 
 ○バクニン省のおばあちゃんからも遊びに来いと手紙が届きました。
  ベトナムのたくさんの人々からメールやら手紙を頂くとまたベトナムに行きたくなってしまいます。

  

 ○バクニン省のおばあちゃんは日本語のできる学生に頼んで手紙書いて頂いたのでしょう。
  私を待っていてくれます。嬉しいですが、・・・・もう高齢でしょう。・・・・

  

 ○ベトナムではおばあちゃんのおかげで病気もしないで元気に働くことができました。
  おばあちゃんの子供とお孫さんです。家族も近所に住んでいていつも私を大切にしてくれました。
  思い出すと感謝で胸が一杯になります。ありがとう!
    

 ○小さいお孫さんは私のベットで一緒に寝ました。日本人の私によく懐いてくれましたね。


 ○手紙もいろんな思い出を書いて送ってくれます。
  その、一つ一つが宝です。ベトナムを訪ねる度に変貌するベトナムに驚かされますが、あの頃はよかった!
    
 
 ○従業員のサイン入りの手紙やもあります。
   

 
 ○しおりや結婚式の招待状も届きますが、現在は出席できません。
  

  

  私を忘れないでいてくれる人がいるベトナムが恋しいです。

  11月2日からハノイに行く航空券を予約しました。母の一周忌を済ませて少し落ち着いてきましたから、
  体が元気なうちに行っておかないとそう思うこの頃です。


      ~ ベトナムはまだ気温もあたたかくて、11月が旅行にお勧めのシーズンですよ! ~

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B.8.ベトナム友人からの贈り物は、

2016-08-03 | ベトナムのおばあちゃんと田舎で暮らして
goo  ベトナムの人たちは親しくなると家族のように接してくれるようになります。

  まず最初に「私の家に遊びに来て下さい。」と誘われます。そこで食事をご馳走され家族を紹介されます。
  次に、親族に紹介されたり、家族や親族のお祝い事に招待されます。

  家族との旅行にも誘われます。そしてプレゼントを頂けるようになります。
  ベトナム人は昔の日本人の様に家族と親族、友人を大切にします。
  そして、年上の人を敬います。古き日本の良き時代を想い出させてくれますよ。

 ○私の好きなベトナムのアオザイを身に付けたお人形さんです。当時買えば1ドルぐらいでしたが、・・・今は?
  価格よりもプレゼントしてくれた子を想い出させる品です。

   

  ベトナムでは貧しい家の子は大変です。子供の頃から家のお手伝いをします。
  子供の頃から学校を休んで仕事をしなければならない子供も少なくありません。
  
  近くの食堂で働いていたランちゃんと言う15歳の子供でしたが、どう見ても12歳位にしか見えませんでした。
  朝早くから、夜遅くまでよく働いていました。
  私が毎日声をかけてあげたら、初めはニコニコするだけでしたが、・・・いつからかランちゃんから声をかけて
  来るようになりました。
  それからは私が店で食事をすると私のそばに来て色々話をするようになりました。
  「家が貧しので学校へ行けない。」「本当は学校へ行きたい。」そんなランちゃんに私は何冊も本を買ってあげ
  ました。
  人形のように大きな目に涙を浮かべて家族の貧しい暮らしぶりを話していました。
  私達は廻りの人から「親子の様ですネ・・・」と言われるようになり、それをランちゃんも嬉しい様子で「恋人よ」
  と返してはしゃいだりしていました。そんな月日が数カ月流れて北ベトナムにも冬の寒気がやってきたころ、・・
  
  ある晩、私の宿舎をランちゃんが訪ねて来ました。
  アオザイを身に付けていました。私が「どうした?・・・」と聞くとあの大きな目から涙がいっぱい溢れて、声
  をあげて泣いてしまいました。
  
  少し落ち着いてからランちゃんは言いました。「Heiya、私を忘れないで!」
  その時持ってきたのがこの人形です。私はランちゃんを抱き締めて「ノウレン、ノウレン・・」と繰り返し涙を
  流すことしかできませんでした。ランちゃんから聞いていたその日が来てしまったのです。(ノウレン=頑張れ)
  

  次の日、私が朝起きる前に父親が迎えに来てランちゃんを故郷へ連れて帰ったそうです。
  ランちゃんは自分が望まない親の決めた人の所へ嫁がなければならなかったのです。
  
  この人形を何処で見かけてもランちゃんの大きな目を想い出してしまいます。
  ハノイのお土産やで若い夫婦の人形を1ドルで買いました。
  ランちゃんが結婚して幸せであって欲しいと祈らずにはいられません。
 
    
 

 ○ベトナムの友人からお土産を頂いて困った物もありました。
 
  私の趣味の彫刻を知った友人が持ってきてくれた置き物ですが日本に持って帰るのにリックを買って背負って来ました。
 日本円で二千円位していました。掛け軸も頂きましたがこれは100円位です。掛け軸の方が軽くて有り難いですね。

   
  

 ○これも頂いたものです。名前が彫られています。
  私が赴任したハロン湾のはづれのカンファという小さな街は石炭の街です。
  これは石炭に彫刻したものです。壊れやすいので持ち帰るのに注意しました。もう一つは折れていました。
  何処かにぶつけたりしなければ自然に壊れることはありません。
    

 ○ベトナムからのお土産にはいろいろの想い出がついて来ます。
  価格に関係なく私には宝です。

  ベトナムでは刺繍の絵と木板に書く漆絵も有名です。必ずプレゼントされますが持ち帰りに苦労します。
  私は、一時帰国する際に少しずつ持って来ました。
  

 ○ハノイから車で30分の所にシルク村とバッチャンという陶器の村があります。
  10年前はハノイの観光ルートになっていました。陶器のお土産も重くて大変です。

    

 ○これは銀製品です。小物入れでしょうか?奥さんにと頂きました。
    

 ○これも小物入れですが、石を彫ったものです。
    


 ○コースターも趣のあるものが色々あります。頂いたので価格は?
    

  これは板が反りやすくて使うのにはお勧めできません。飾りならOKかも?
     

 ○私の好きな物を知っているいる友人がよく持ってきてくれるのがこのお菓子と即席ミーとフォーです。
    

  小腹がすいた時によく食べました。

  まだまだ、沢山の物を頂きましたが、一つ一つに想い出があります。ひとりひとりの顔を想い出します。
  

       ~ お土産には想い出が付いていますから、眺めているとベトナムが恋しくなります。 ~  
  
 
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B.7.海外で安全に暮らすにはpr2、

2016-07-26 | ベトナムのおばあちゃんと田舎で暮らして

   私が二度目にベトナムで働くことになったのはハノイから車で30分のバクニン省のBac Ninh Cityでした。
  日本企業の工場長代理として此処でも約二年間を暮らしました。

  私が工場の近くに住むことを希望しホテル住まいから始まり、ベトナム人のお婆ちゃんと暮らすことになった場所です。
  
  この町での暮らしはハノイにある日本大使館からメールで送られてくる安全情報と、このお婆ちゃんの家族からの情報に
  助けられました。ハノイに近い街ですが日本人に出会うことは少なく日本食のお店もまだありませんでした。

  バクニンへはハノイの有名なロンビエンの橋の近くからバスが出ています。
  土、日、曜日で会社の運転手さんの休みの時はよくこのバスを利用しました。ハノイまで約1時間で25円でした。
  今は150円位するそうです。ここ数年はすごい物価の高騰です。

  
 ○ハノイのロンビエンの鉄橋です。
  

○1900年初めに造られたハノイでは象徴的な鉄橋です。
  

  ディーゼル機関車が走っています。 
  
  すごく小さな駅です。
  

○鉄道でバクニンやハイフォンへ行く場合はこの駅を利用しますが、バスの方が本数も多く便利です。
  このすぐ近くにロンビエンバスターミナルがあります。

 ○帰りが遅くなる場合はハノイ~バクニン間タクシーで帰ります。約片道2000円です。

  私の帰りがどんなに遅くなってもお婆ちゃんは待っていて家のカギを開けてくれます。
  ハノイのホテルに泊るより、ホッとしてよく眠れる場所でした。

 
  Bac Ninhのお婆ちゃん。
  犬と猫と暮らしていましたが、
  一人増えました。
    

  とても親切にしてくれました。
  一生懸命に私の食べれる食事を作ってくれました。
  私のベトナム語の発音も注意してくれました。

 ○特にお婆ちゃんは日常の生活が安全に過ごせるようにを厳しく教えてくれました。

  ・ベトナム人の綺麗なお姉さんに注意すること。絶対誘われてもついて行かないこと。
  ・交通事故防止のためバイクの後ろに乗らないこと。
  ・麻薬常習者に注意すること。(常習者を教えてくれました。)
  
  私が前者の人と話しているとお婆ちゃんの家族が迎えに来て私を連れて帰りました。
  この町では、いろんな人が私に話しかけてくるので私も面白くてつい話してしまいました。
  
  お婆ちゃんの口癖「綺麗な女の子に話しかけられてもついて行くな!」「若い女の子に手招きされても行くな!」です。
  確かにこの町では、カフェやビヤホールの中から若い女の子が手招きする事が多かったです。


  私達はいろんな話をしました。
  ベトナム戦争時代、
  お婆ちゃんの若いころ、
  そして、子供たち、孫の話も、・・     
                           

  いつの間にかお婆ちゃんは日本語を勉強していました。「日本に行きたい!」そう言うようになりました。

  私は、母の病状が悪化し日本に一時帰国したままベトナムへ戻れなくなってしまいました。
  「お婆ちゃんを日本に連れてくる」あの約束が果たせないまま、・・・・

  今年まだお婆ちゃんは元気でしたが、・・・高齢で長旅させるのは心配です。
  私も高齢になりつつありますから、・・・


 ○バクニンの工場の従業員もみなさん私に親切にしてくれました。
  私の顔を見るとみなさんニコニコ顔で挨拶をしてくれました。
  自分のの子供の様な感じにさせる可愛い従業員でした。
  周囲の工場がストライキをやられる中、私の工場はストライキが一度もありませんでした。

 
 ○これらの写真は私が会社の旅行で撮影したものです。撮影する私にみなさん手を振って笑顔で答えてくれています。
 


 ○若い人達に信頼されると絶対裏切れない気持ちで重圧はありました。


○従業員の協力で会社の業績を改善出来たのでこの会社で初めて慰安旅行に連れて行った時の写真です。 


 ○十代の若者が多くいました。 写真右中央が私で60代の高齢者!


 ○若者が多いと、結婚式も多く数え切れないほど出席しました。
 

 
  外国の企業のほとんどが賃金の安い労働力を目的にベトナムにも進出してきました。
 私の企業も例外ではありません。企業は儲けないと存続できませんね。

 その前にその国の文化や人々の人格を尊重してあげないとそこに行く資格はないはずです。
 安い労働力だけ狙っては、企業もそこでは生き残れないと考えます。
 進出する企業はそのことを理解しているようで、多くは理解していないです。日本人の言動で分かります。
 ストライキで賃金を上げられて、もっと労働力の安い国へと移る事の繰り返しでしょう。

 最近の過激テロの原因は間違いなく先進国にも大きな責任があるように思われます。
 地元の政治家やお金持ちと組んで金儲けする場合、その国の一般の人の生活まで考えているでしょうか?
 東南アジアで事業を拡大する。アメリカ、EU、日本、中国、韓国、いづれの国も自分の国でさえ解決できて
 いない多くの問題と矛盾を抱えています。搾取の競争が格差を拡大させ不信感を増大させます。
 ベトナム中部でも数年前には中国の企業が襲われ死者が出てしまいました。 
 中東の石油戦略も各国の経済活動上重要なことは理解できますが、この混乱のさせ方は人々を苦しめるだけです。
 此処まで来るとテロの背景を変えることは難しいです。
 「これ以上テロが拡大しないように経済活動を考え直さないと、」そういう学者さんに現れて欲しい!

 私が言いたいことは、
 その国の自立と人間としての尊厳を認めたうえで企業活動することが重要と言うことです。
 易しそうでなかなか出来ていないことです。
 
 現在の世界の経済学は本当に正しいのですか?学者さん!
 国も個人も借金に借金を積み上げて人を縛り付けて、いつか破綻しませんか?どの国も借金だらけだ!
 
 「人間にはそれが出来ないから紛争やテロ、戦争が無くならないのだ」と言うなら諦めるしかないのかもしれません。
 また、人間は同じ誤りを繰り返すだけでしょうか?

 時間かけても、テロのない世界から戦争のない世界に繋がらないと、核を持って脅し合う世界は怖いでしょう。
 
 もう先のない老いぼれが心配しています。
 
 

   ~ 焦ってももう老いぼれに出来ることは少ない。それでも老いぼれはベトナムを歩きまわります。~ 

 
  
 
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B.6.海外で安全に暮らすには、

2016-07-22 | ベトナムのおばあちゃんと田舎で暮らして

   最近海外で暮らす日本人がテロや事件に巻き込まれるニュースを良く見聞きするようになりました。
  それだけ海外で働く人や海外旅行に行く人が多いということでしょうが、・・・

  海外で働く日本人は97万人もいるそうです。私も海外で長く暮らした経験がありますから安全に暮らすコツを
  書いて見たいと思います。


 ○第一に重要なことはその国を良く知ることです。
  私はベトナムではハノイから車で4時間も離れたハロン湾近くのカンファという田舎に2年間赴任しました。
  日本人は会社の同僚が数人居るだけで、言葉もベトナム語だけしか通じない所でした。

  宿舎の窓から見えるハロン湾が好きでした。
  

  ホームシックになると裏の丘に登ってハロン湾を眺めました。
  
  
  一人で丘からハロンを眺めた際一人のベトナム青年に会いました。
  私がサングラスを落とした話をしたら。次の日その青年がサングラスを届けてくれたのです。感動しました!
  

 ○私がベトナム赴任が決まった時、まずは本でベトナムの概要を把握しました。
  歴史、ベトナム人の宗教や考え方、日本人に対する評価、食べ物、言語、通貨など易しく読みやすいものを選びました。
  
  読みやすくて、分かり易い本です。
  
 
  ベトナム語は発音が難しいですが覚えておくと友達が多く出来ます。
  ベトナム語の先生達、(宇都宮大学の留学生)
  
  
  ベトナム赴任前に二人の先生からベトナム語学びました。
  頭がとても良い可愛らしい先生でした。
 

 ○海外旅行に行くのと海外で働きながら暮らすのには大きな違いがあります。
   
  ・旅行は旅行会社が比較的安全な所、安全な食べ物など調査してくれています。
  ・海外で働く場合、安全が調査出来ないまま遭遇する危険も多くなります。


 ○第二に重要なことは身近な危険情報を分かるようにして置くことです。
   
  ・大使館から情報を頂く場合は在留届を提出しておくこと。危険情報がメールで配信されます。
  ・その土地の人と仲良くなること。(信頼されること)その土地の危険情報が把握できます。
   これが命を守る上でとても重要です。

 ○私と赴任した日本人の危険事例
  ・バスに乗った際ナイフを突き付けられてお金を強奪された。
  ・宿舎の前の道路でバイクにはねられ、ヘリコプターでシンガポールの病院へ搬送された。
  ・遊覧船(漁船)の屋根から海に落ちそうになった。
  ・飲み屋のトイレに入って鍵が開かなくなり、一晩トイレに置かれた。
  ・食堂でベトナム人からいきなり罵声を浴びせられ喧嘩になりそうになった。
  ・ビヤホールで友達になったベトナム人から麻薬を吸わされた。
  ・漁船で遊覧したが船が浅瀬で動かなくなり、背広のまま海の中を歩いて岸に上がった。
  ・お酒を飲んで大声で話していたら、レンガをぶつけられた。
  ・サッカーボールが飛んだ草むらに入ったら注射器(麻薬)だらけだった。
   などなど、

  普通に生活して居る近くに危険がいっぱいです。交通事故も多いです。
  歓楽街はもっと別の危険もあるようです。(私はお酒が飲めないので情報少ない。)

 ○私が病気も怪我もなく帰国できたのはベトナムの友人のお陰です。
  
  この家族は全員で支援してくれました。 
   
  お母さんの実家へも紹介してくれました。
  

  公園に母親と遊びに来ていて私に食事を勧めてくれた子供です。
   
 
 
  私は小旅行が好きで一人でふらりと出かけたりしました。その場所の安全を確認することが大切です。
  ハロン湾で色々教えてくれた人です。
   
 
  公園やお寺院を案内してくれた人達です。女性は積極的でみなさん親切です。
      

  ・友人はいつでもどこでも細かな注意点を教えてくれました。
  このお店はいかない方がいいよ。此処はこういう危険があるよ。いつも誰かが見ていてくれました。
  市場にも友達が出来て、買い物でも何でも助けてくれました。

 ○ベトナム人は信用できる人は家に招待し家族に紹介してくれます。
  友達を大切にしますから、こちらも大切にしないといけません。此処までくれば安心して付き合えます。
 
  この家でも何度も食事に招待して頂きました。
  お礼に家族をマンガチックに書きプレゼントしました。
  


 ○第三に重要なことはあまり目立たないことです。
  私の場合ベトナム人の通訳や友人がそばに居る事がほとんどでしたので危険を感じませんでしたが、
  日本人は目立ちます。中国人、韓国人と間違われることもあります。彼らは日本人より嫌われています。

  目立つことや、行動パターンを把握されない様に注意しましょう。
  ベトナム人で声かけて比較的安心なのは、仲良し女子グループです。
  
  次回はベトナムのバクニン省でのお話しを、・・・・・・

  ~ 外国で暮らす場合危険情報を事前に知って行動しましょう。危険なところは避けるようにしましょう。~  
 
 


  
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B5.版画村を訪ねる。

2014-03-01 | ベトナムのおばあちゃんと田舎で暮らして
   4.の続きです。

   ○次の週、私は版画村を訪ねると決めていました。
    バイクタクシーの運転手に電話して待ち合わせをしました。
    私のベトナム語の発音が悪いと言って、おばあちゃんが電話を取って話してくれました。
   

 
    ベトナム人は移動手段としてはバスとバイクタクシーがほとんどです。
    タクシーを使う人は富裕層です。
         

     自分でバイクを持っている人は、多少遠くても自分のバイクで行くことが多い。
     バイクの利点は狭い道でも自分の家の玄関から、相手の家の玄関まで横付けできます。


     私もベトナムでバイクを購入したが、遠くまでは危険なので運転しないことにしています。
     (余談ですが、ベトナムでは日本人の名義でバイク購入できない。ベトナム人の名前を借りる。)

   
   ○版画村は田舎だ!
    
    道路には犬が寝ているほど静かな村でした。
    表から見るだけではただの農村としか見えません。
     


   ○版画村には展示販売所と、個人の版画家の家2件がありました。
   
    実は私も若い頃版画の先生に学んだことがあり、以前からドンホー版画に興味がありました。

   
   ○私はハノイで見つけて購入したこの画家の版画がぜひ見たかったのです。
     

   
   ○この村の版画は500年も続いているという。ユネスコでも認められています。
    世界の愛好家に知られる版画です。
     


   ○画材(紙や絵の具)もドンホー版画独特のものらしい。
    

   ○ドンホー版画はお正月のお飾りなどに使う為のものだった様です。
    

   ○私は版画も好きなので沢山買い求めました。     
   
   
     


     

     


     


     



    私も帰国したら版画をまた始めようかと秘かに思った。

  
   ○バクニンというこの場所が芸術や文化でも素晴らしい場所だと知りました。

    私の楽しみな場所が沢山ある。淋しいことなどなく過ごせそうです。 
   
                                     6.へ続く
  

     
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