こんばんは。
水神です。
竜巻注意情報はみなさんに届いていたのでしょうか。
昨日は東京にも出ていましたが。
今日現実となり。
それを思い起こしたところです。
それよか、雨はいつ降るのだろう。
ざっとふると車がきれいになるのだが。
という不謹慎な想いのまま今日を終わる。
まだ三時間くらいあるので、もう一仕事。
昨日書いた話の本。
コミュニケーションは、要らない。 Author 押井 守
要らない。という言葉が好きです。
いらない。ではなく、要らない。
本来の使い方であるところが、うれしい。
この本は、言葉のままコミュニケーションは要らないと言っているのではなく。
日本的ないわゆる「食う清め」ではなく、「空気嫁」でもなく、「くうき。。。もういいか。
ことえりのバカさ加減に楽しくなってきている今日この頃。atok欲しいっす。
で、空気読め的なコミュニケーションは要らないと言っておる。
コミュニケーションには二つあり。
駆け引きとなれ合い。
そもそもなれ合いはコミュニケーションなどではない。
空気読めの一言で思考停止に陥らせるような村社会にコミュニケーションなどない。
とゆうておる。
では、どこにあるのかと言えば、IT屋的には、要件定義書や仕様書にある。
つまり、誰が読んでも一通りの解釈しか不可能な言葉。
それに立脚してコミュニケーションが初めて可能になる。
というようなはなし。
東日本大震災と原発の話を例に出しているので、amazon書評ではそこに言及する感想多数であったが。
そんなのはただの例のひとつであり、この本の本質ではない。
ひとつ。
日本人とは何か。
ということも問うておる。
日本は古来より北や南から入ってきた様々な人種が混じってきた。
現代でもそうだが、諸国よりなんでも取り入れ自分のものにしてしまう。
昭和の高度経済成長もそんな素地が生み出したものだと、私は考えている。
ではなぜそれができるのか。
日本人には、日本人としてのアイデンティティがない。
というのがその理由。と著者は解いておる。
ふむ。
確かに。
ぼくは日本が好きだし、日本人としての自覚はあるけれど。
では何を以て日本人なのか。
と言われると悩む。
一つだけ言えるのは、日本語が好き。ということ。
このブラックホールのようになんでも消化してしまう言語。
漢字やそれをもとにした仮名とカナ。
近年はアルファベットすらも日本語の中にふつーに現れる。
カタカナにすらしない。
こんな言語は世界中どこ探してもない。
とのこと。
と、考えると他の言語は結構たいへんなのね。と思う。
単に発音としての言葉なら、そのまま取り入れることも他の言語もある。
例えば、TSUNAMI。
けど、名詞はともかく動詞まで輸入する言語ってそうないと思われる。(未調査)
と、最後に。
何よりも大切なのは、何かを成したいという意思だ。
という言葉。
この言葉にこの本の本質が凝縮されていると思う。
何かを成したい。その意思がある。
だから、コミュニケーションが必要となる。
人を動かすための手段として。
それがないのはただの、なれ合い。あるいは暇つぶし。
果たして、LINEで何かを成したいという意思を持ってスタンプ押している人がいるだろうか。
それはコミュニケーションと呼べるのだろうか。
この本を読んで、ぼくの中の価値観の一部が確実に変質したのを感じた。
だから、珍しく本の話に言及しておる。
かなり好き嫌いが分かれる本だし、押井守氏の個人的意見でしかないのも事実だ。
決して一般論でも不変的真理でもない。
が。
だからこそ。
そこに信念があり、意思が感じられる。
結果、ぼくに何かの変化が生じた。
コミュニケーションとは斯くたるものである。
と、思うた昨日でありました。
水神です。
竜巻注意情報はみなさんに届いていたのでしょうか。
昨日は東京にも出ていましたが。
今日現実となり。
それを思い起こしたところです。
それよか、雨はいつ降るのだろう。
ざっとふると車がきれいになるのだが。
という不謹慎な想いのまま今日を終わる。
まだ三時間くらいあるので、もう一仕事。
昨日書いた話の本。
コミュニケーションは、要らない。 Author 押井 守
要らない。という言葉が好きです。
いらない。ではなく、要らない。
本来の使い方であるところが、うれしい。
この本は、言葉のままコミュニケーションは要らないと言っているのではなく。
日本的ないわゆる「食う清め」ではなく、「空気嫁」でもなく、「くうき。。。もういいか。
ことえりのバカさ加減に楽しくなってきている今日この頃。atok欲しいっす。
で、空気読め的なコミュニケーションは要らないと言っておる。
コミュニケーションには二つあり。
駆け引きとなれ合い。
そもそもなれ合いはコミュニケーションなどではない。
空気読めの一言で思考停止に陥らせるような村社会にコミュニケーションなどない。
とゆうておる。
では、どこにあるのかと言えば、IT屋的には、要件定義書や仕様書にある。
つまり、誰が読んでも一通りの解釈しか不可能な言葉。
それに立脚してコミュニケーションが初めて可能になる。
というようなはなし。
東日本大震災と原発の話を例に出しているので、amazon書評ではそこに言及する感想多数であったが。
そんなのはただの例のひとつであり、この本の本質ではない。
ひとつ。
日本人とは何か。
ということも問うておる。
日本は古来より北や南から入ってきた様々な人種が混じってきた。
現代でもそうだが、諸国よりなんでも取り入れ自分のものにしてしまう。
昭和の高度経済成長もそんな素地が生み出したものだと、私は考えている。
ではなぜそれができるのか。
日本人には、日本人としてのアイデンティティがない。
というのがその理由。と著者は解いておる。
ふむ。
確かに。
ぼくは日本が好きだし、日本人としての自覚はあるけれど。
では何を以て日本人なのか。
と言われると悩む。
一つだけ言えるのは、日本語が好き。ということ。
このブラックホールのようになんでも消化してしまう言語。
漢字やそれをもとにした仮名とカナ。
近年はアルファベットすらも日本語の中にふつーに現れる。
カタカナにすらしない。
こんな言語は世界中どこ探してもない。
とのこと。
と、考えると他の言語は結構たいへんなのね。と思う。
単に発音としての言葉なら、そのまま取り入れることも他の言語もある。
例えば、TSUNAMI。
けど、名詞はともかく動詞まで輸入する言語ってそうないと思われる。(未調査)
と、最後に。
何よりも大切なのは、何かを成したいという意思だ。
という言葉。
この言葉にこの本の本質が凝縮されていると思う。
何かを成したい。その意思がある。
だから、コミュニケーションが必要となる。
人を動かすための手段として。
それがないのはただの、なれ合い。あるいは暇つぶし。
果たして、LINEで何かを成したいという意思を持ってスタンプ押している人がいるだろうか。
それはコミュニケーションと呼べるのだろうか。
この本を読んで、ぼくの中の価値観の一部が確実に変質したのを感じた。
だから、珍しく本の話に言及しておる。
かなり好き嫌いが分かれる本だし、押井守氏の個人的意見でしかないのも事実だ。
決して一般論でも不変的真理でもない。
が。
だからこそ。
そこに信念があり、意思が感じられる。
結果、ぼくに何かの変化が生じた。
コミュニケーションとは斯くたるものである。
と、思うた昨日でありました。