生きにくい
思うているは
少数派
社会なるもの
多数派が作
俗に言う健常者。
非健常者は病気だという。
その理由は多数派ではないから。
今日はどうしてもこの話をしたくて。
どうもツイッターはいかん。
二時間ばかり停止してたし。一部だけ。
短すぎるし、流れすぎる。
ブログのようにそこにとどまっていてはくれない。
そういう意味では話し言葉に近いかも。
そういや、ついーとしたものを残してくれるサービスもいた気がする。
留めておきたい人のサービスか。
如何にもブログ的発想。ついーととはちと軸足が違うの。
で、健常者。
非健常者は病気。というくくり。
水神は中間。どっちにもいる。どっちとも言えない。
医学の定義からすると、健常者だろう。
なにしろ、病名がない。
あ、あった。不安障害。
でも大したものではなく。
薬飲んでれば平気。
慣れたので、眠気もさして感じない。
家でぼけーっとしてると感じるが。
どたばたと仕事する分には支障はない。
薬で社会に溶け込めるなら、それはよいんではないかと思ってる。
で、健常者。
どうも話がずれる。
酔っぱらいが原因かも知らん。
でもどうしてもこの話はかかんと。
今日書くと決めたことだから。
書かないと眠れない。
この社会は俗に言う健常者が作ったもの。
割合で言うと、9割くらいの人々か。
そこにある、いわゆる「常識」が基準となっている。
規範と言ってもいい。
こうあるべきだ。
こうあらねばならない。とか。
そこには気分の変調や、体調の不良で仕事ができない。というのを許さない風潮がある。
そう、風潮。明文化されていない、ニューマ(空気。小室直樹先生がよく使っていた。)がある。
1割の非健常者のうち、ぼくみたいな中途半端なものもいる。
なんとか無理すれば、社会にいれる。
おそらくはこの1割のうちの大部分がそういう人なのではないかと思う。
どうしても無理。なひとはうちにこもることになる。
病気の定義。
これも、健常者ではない人。非健常者。をさすのではないかと考えている。
どっかの医者が、風邪くらいで病院に来るな。ゆうてた。
ほっときゃ治る。
もっと言えば風邪なんざ病気ではない。
つまり、風邪引きも健常者。
ほっときゃ治る。
そんなものに医者はいらんだろう。
症状を抑えたければ、市販の薬で十分。
どうせ医者だって、風邪を「治す」薬なんて持ち合わせていないのだから。
出される薬は、症状を抑える薬。
抗生物質がでることもあるが、風邪は粗方ウイルス性。
したがって、抗生物質は無力。
なのを知ってて、患者がお守りのようにそれを求めるから出す。
いかんの。そのせいで耐性菌が増殖しておる。
さて。どうも話がとぶ。
この社会は俗に健常者と呼ばれる多数派が作った世界。
ぼくみたいにちょっと変わった人間は非常に生きにくい。
それは、ぼくに合った社会ではないから。
残り一割に多数派は合わせてくれない。
そおそも。一部の極度の病気の人を除けば。
ぼくみたいな中途半端な発達障害が存在するってことすら知らない。
なので、彼らはぼくも自分たちと同じものとして扱う。
で、扱おうとすると、扱いにくい。何か変。空気読まない。態度がでかい。
と言って、評価を下げる。
多数派による評価。ね。
社会=多数派なので、社会による評価も下がる。
これが会社ならなかなか上には行けない。
けれど。たまたま。ですが、これ幸い。
少なくともぼくみたいな空気を読めない人間は人の上に立つのは難しい。
理由は簡単で。相手の考えていることが感じ取れないのだから、
人間関係がうまく構築できない。
上に上がれば上がるほど、人間関係による仕事が増えてくる。
ぼくが新規性および技術に傾倒しているのはそれが理由。
一番ぼくの能力が生かせるところだから。
そして、なにより楽しい。
多数派は残りの一割の存在を知らない。
あるいは認めていない。
例え親兄弟であろうとも。
そもそも。一割に入っている人たちですら、自分がその一割にいることを知らない。
最近はずいぶんと精神障害についての理解が進んできてはいるようだが。
それでも、それは飽くまで仕事不能な状況による。つまり症状でしかない。
その本質に何があるのか。
それを知るものは少ないし、社会はまだそれを受け入れる態勢にない
なので、なんか生きにくい。と思う人が出てくる。
少数派を認めてくれればずいぶんと楽になる。
か。
おそらく初めはいじめに合うでしょう。
人間とはそういうものです。
道徳的にはいじめはよくない。
と言うが。いじめは人間の本質にあるものだと考えている。
多数派が、異質分子を排除する社会的仕組み。
それをいじめという。
あと、顕示欲。弱者を見つけて自己顕示欲を満足させたい。
ありふれた欲求が表に出ると、いじめが生まれる。
いじめはいけない。と教えても無駄で。
その根本に潜む、自らの欲求を別な方向で満足させる方策を練る必要がある。
いじめが根源的なものを示す理由は、一つでいいと思ってる。
社会性が生まれる頃の子供からこれは始まっているということ。
大人がいじめを子供に教えるわけではに。
親がなにかをいじめているのを日常的に見ている子供が多いとも思えない。
つまり、教えでもまねでもない。
自然発生的に生まれるもの。
遺伝的なもの(一次)なのか、社会的(二次)なものなのか。
おそらくはその両方だとは思うが。
解決の術は。地道な努力。でしょうな。
大変ですが。学校の先生は。
親?今の親は忙しすぎてそこまで手が回らない。
一部の子供だけに教えても無駄で。
少なくとも、多数派に教える必要がある。
それを家庭で一律にやるのは、今の社会状況では難しいと思います。
なので、学校。となる。
学校の先生には、心理学の博士号くらいとって欲しいところだが。
そして、給料をもっと上げてください。
きっと安月給ではやってられないと思います。
税金が増える?
増やしたらいいじゃないですか。
子は国の宝。民主党はそういって子供手当を入れたんではなかったっけ?
現金ばらまくくらいなら、義務教育である小中学校に金を突っ込んだ方が
より、効果が上げられると思います。
家庭よりはコントロール可能だから。
なんかはなしがまとまりませんが。
多数派が作り上げた世界では発達障害をもつ少数派は生きにくい。
そんな当たり前のことが、認識されてない。と感じたからちと書いてみた。
でも、少数派の社会があれば、ずいぶんと生きやすいはずだが。
となると、多数派が生きにくいわけで。
多数決で負けは確実。
しかたないので、とりあえず羽生さんの言う沖縄方式で。
理解者を増やすという地味な作業から始めたいと思います。
まずは手短な、あのひとから。
思うているは
少数派
社会なるもの
多数派が作
俗に言う健常者。
非健常者は病気だという。
その理由は多数派ではないから。
今日はどうしてもこの話をしたくて。
どうもツイッターはいかん。
二時間ばかり停止してたし。一部だけ。
短すぎるし、流れすぎる。
ブログのようにそこにとどまっていてはくれない。
そういう意味では話し言葉に近いかも。
そういや、ついーとしたものを残してくれるサービスもいた気がする。
留めておきたい人のサービスか。
如何にもブログ的発想。ついーととはちと軸足が違うの。
で、健常者。
非健常者は病気。というくくり。
水神は中間。どっちにもいる。どっちとも言えない。
医学の定義からすると、健常者だろう。
なにしろ、病名がない。
あ、あった。不安障害。
でも大したものではなく。
薬飲んでれば平気。
慣れたので、眠気もさして感じない。
家でぼけーっとしてると感じるが。
どたばたと仕事する分には支障はない。
薬で社会に溶け込めるなら、それはよいんではないかと思ってる。
で、健常者。
どうも話がずれる。
酔っぱらいが原因かも知らん。
でもどうしてもこの話はかかんと。
今日書くと決めたことだから。
書かないと眠れない。
この社会は俗に言う健常者が作ったもの。
割合で言うと、9割くらいの人々か。
そこにある、いわゆる「常識」が基準となっている。
規範と言ってもいい。
こうあるべきだ。
こうあらねばならない。とか。
そこには気分の変調や、体調の不良で仕事ができない。というのを許さない風潮がある。
そう、風潮。明文化されていない、ニューマ(空気。小室直樹先生がよく使っていた。)がある。
1割の非健常者のうち、ぼくみたいな中途半端なものもいる。
なんとか無理すれば、社会にいれる。
おそらくはこの1割のうちの大部分がそういう人なのではないかと思う。
どうしても無理。なひとはうちにこもることになる。
病気の定義。
これも、健常者ではない人。非健常者。をさすのではないかと考えている。
どっかの医者が、風邪くらいで病院に来るな。ゆうてた。
ほっときゃ治る。
もっと言えば風邪なんざ病気ではない。
つまり、風邪引きも健常者。
ほっときゃ治る。
そんなものに医者はいらんだろう。
症状を抑えたければ、市販の薬で十分。
どうせ医者だって、風邪を「治す」薬なんて持ち合わせていないのだから。
出される薬は、症状を抑える薬。
抗生物質がでることもあるが、風邪は粗方ウイルス性。
したがって、抗生物質は無力。
なのを知ってて、患者がお守りのようにそれを求めるから出す。
いかんの。そのせいで耐性菌が増殖しておる。
さて。どうも話がとぶ。
この社会は俗に健常者と呼ばれる多数派が作った世界。
ぼくみたいにちょっと変わった人間は非常に生きにくい。
それは、ぼくに合った社会ではないから。
残り一割に多数派は合わせてくれない。
そおそも。一部の極度の病気の人を除けば。
ぼくみたいな中途半端な発達障害が存在するってことすら知らない。
なので、彼らはぼくも自分たちと同じものとして扱う。
で、扱おうとすると、扱いにくい。何か変。空気読まない。態度がでかい。
と言って、評価を下げる。
多数派による評価。ね。
社会=多数派なので、社会による評価も下がる。
これが会社ならなかなか上には行けない。
けれど。たまたま。ですが、これ幸い。
少なくともぼくみたいな空気を読めない人間は人の上に立つのは難しい。
理由は簡単で。相手の考えていることが感じ取れないのだから、
人間関係がうまく構築できない。
上に上がれば上がるほど、人間関係による仕事が増えてくる。
ぼくが新規性および技術に傾倒しているのはそれが理由。
一番ぼくの能力が生かせるところだから。
そして、なにより楽しい。
多数派は残りの一割の存在を知らない。
あるいは認めていない。
例え親兄弟であろうとも。
そもそも。一割に入っている人たちですら、自分がその一割にいることを知らない。
最近はずいぶんと精神障害についての理解が進んできてはいるようだが。
それでも、それは飽くまで仕事不能な状況による。つまり症状でしかない。
その本質に何があるのか。
それを知るものは少ないし、社会はまだそれを受け入れる態勢にない
なので、なんか生きにくい。と思う人が出てくる。
少数派を認めてくれればずいぶんと楽になる。
か。
おそらく初めはいじめに合うでしょう。
人間とはそういうものです。
道徳的にはいじめはよくない。
と言うが。いじめは人間の本質にあるものだと考えている。
多数派が、異質分子を排除する社会的仕組み。
それをいじめという。
あと、顕示欲。弱者を見つけて自己顕示欲を満足させたい。
ありふれた欲求が表に出ると、いじめが生まれる。
いじめはいけない。と教えても無駄で。
その根本に潜む、自らの欲求を別な方向で満足させる方策を練る必要がある。
いじめが根源的なものを示す理由は、一つでいいと思ってる。
社会性が生まれる頃の子供からこれは始まっているということ。
大人がいじめを子供に教えるわけではに。
親がなにかをいじめているのを日常的に見ている子供が多いとも思えない。
つまり、教えでもまねでもない。
自然発生的に生まれるもの。
遺伝的なもの(一次)なのか、社会的(二次)なものなのか。
おそらくはその両方だとは思うが。
解決の術は。地道な努力。でしょうな。
大変ですが。学校の先生は。
親?今の親は忙しすぎてそこまで手が回らない。
一部の子供だけに教えても無駄で。
少なくとも、多数派に教える必要がある。
それを家庭で一律にやるのは、今の社会状況では難しいと思います。
なので、学校。となる。
学校の先生には、心理学の博士号くらいとって欲しいところだが。
そして、給料をもっと上げてください。
きっと安月給ではやってられないと思います。
税金が増える?
増やしたらいいじゃないですか。
子は国の宝。民主党はそういって子供手当を入れたんではなかったっけ?
現金ばらまくくらいなら、義務教育である小中学校に金を突っ込んだ方が
より、効果が上げられると思います。
家庭よりはコントロール可能だから。
なんかはなしがまとまりませんが。
多数派が作り上げた世界では発達障害をもつ少数派は生きにくい。
そんな当たり前のことが、認識されてない。と感じたからちと書いてみた。
でも、少数派の社会があれば、ずいぶんと生きやすいはずだが。
となると、多数派が生きにくいわけで。
多数決で負けは確実。
しかたないので、とりあえず羽生さんの言う沖縄方式で。
理解者を増やすという地味な作業から始めたいと思います。
まずは手短な、あのひとから。