1gの勇気

奥手な人の思考と試行

防砂林に海風を防がれて

2010-08-03 21:59:06 | 1gの思いつき
こんばんは。
水神です。
ぼけぼけっと一日過ごし。

田舎を走った燃費のよさに驚く。
12.5km/L。
エコだの。田舎は。

逆に都会はそもそも車が不要。
という正論はこの際置いておく。
そういや、海沿いはよいの。

この時期でもオープンが心地よい。
海沿いゆうても、ほんとの海沿いですが。
防砂林ごしでは、やっぱり暑いです。海風がないので。

お昼頃。
炎天下の中洗車してみたら。
ぬー。汗だく。

当たり前といえば当たり前ですが。
当たり前もやってみなければ分からない。
という話ともかく、車が汚かったので洗ったのです。

何も昼に。
とも思いましたが、思いついたときにやらないとなかなかできないので。
いや、しないので。

テレビのない生活をしてみるが。
なんとなく物足りない気がします。
ちゃんと見ているわけでもないのに。

なんかついてないと落ち着かない。
一種の依存症でしょうな。
特に夜寝る前。無音で寝るのはちと違和感がある。

そんな生活も今日で終わりなので、それはそれとして。
そんな状況でぼくが何を感じるか。
を楽しむ時間でもあります。

田舎道にも〒マーク

2010-08-03 21:35:06 | 1gの短歌
田舎道
何もないのに
見えるもの
幾千万もの
〒マーク

現在(2010年6月30日時点)の郵便局の数は、簡易郵便局も含めて24292。
人口で割れば、1/5000人。
面積で割れば、1/16平方kmに一つ。

つまりおおざっぱに言えば16kmも車で走れば郵便局へ行けるわけです。
そらー、見るわな。
コンビニなんてかけらも見ないような田舎道でも、郵便局だけはでん。と座ってる。

あと、JAのガソリンスタンド。
んー。無敵だ。思うた次第。
ちなみにコンビニ※の数は全国で42899(2010年6月20日時点)。

郵便局の1.8倍くらいだと思いますが。
コンビニは儲かるところしか行かないので、田舎道走っててもありません。
幹線道路で、交通量の多いところでないと。

郵便局の非経済的合理性が見て取れる数字&実態です。
ユニバーサルサービスというのはわからんではないが。
今は電信の時代。郵便局より光回線。いや、無線(携帯)か。

ユニバーサルサービスの御旗をおろしてもいい時期に来ていると思いますが、いかがでしょうか。
既得権益。
郵便局が減らない理由はこの一言で片付くかと。

※JFA 正会員コンビニエンスストア本部 10 社の合計
対象はこちら。
㈱ココストア、㈱サークルK サンクス、㈱スリーエフ、㈱セイコーマート、㈱セブン-イレブン・ジャパン、㈱デイリーヤマザキ、㈱ファミリーマート、㈱ポプラ、ミニストップ㈱、㈱ローソン

コンビニの統計情報:http://www.jfa-fc.or.jp/particle/42.html
郵便局の数:http://www.jp-network.japanpost.jp/notification/storeinformation/index02.html

今を楽しんでますか?

2010-08-03 09:43:35 | 1gの思いつき
子供いる
家を垣間見
これきびし
自分の時間
そんなものなく

暇をもてあます。
実はそーとーに贅沢なことなんではないか。
と感じた次第。

子供二人(2歳と0.5歳)を抱えた家(じじばばとお母さん)のどたばたぶりを見ているとそう思う。
ぼくも遊び相手のターゲットにされてますが。
あ、父親は平日単身赴任中。土日(下手すると日曜日だけ)のみ帰宅です。

三人いてもあれだけのどたばたぶりなのを見て。
とても一人では育てられんな。と思いました。
お父さんの子育て参加はもとより、地域および自治体の支援は必須かと。

人口減を問題視しているお偉いさんは、こんなローカルな現実は知っているんでしょうか。
机上の空論で議論してないですか?
昔の村社会なら、自治体や国の支援などはさして必要なかったでしょうが。

すでに都市部では(地方都市含む)村社会は崩壊しとります。
というか、端っからなかったようなもんです。
崩壊してからすでに世代を重ねているので。

ぼく自身も机上の空論で、このあたりの話に関しては意見をゆうてたと思いますが。
現金もらったって、保育園には入れない(順番待ち)し、母親の精神的負担が減るとも思えない。
でもお役人の論理も分かるのですよ。

金ばらまくのが一番簡単。
欲しいひとは自ら申請してくれるし。(申請が必要なんだっけ?)
保育園なんて作ろうとすれば。

ひとを育てねばならん。こういうの苦手なお役人にはいやがられることでしょう。
時間もかかるし、すぐに結果・成果でないし。
政治家も気が短いからの。自分の任期で成果を上げたがる。

実績が次の選挙で重要なのは分かるが。
あ。気が短いのは投票する国民も一緒。
すぐに成果が出ないと文句言う。

文句が出るのはある意味健全だが。
努力(成果への過程)もみてやらんと。
政治家およびお役人はその努力(経過)もちゃんと説明せんと。

マスコミも「興味を持って」報道せんと。
当然各マスコミおよび識者の意見を反映して。
単に発表の事実と発表内容の全文見せられても国民は興味を持たない。

そこに人間的な議論があるから、見ていて楽しいわけで。
楽しいから見るわけで。さらに言えば、興味を持つわけで。
TVタックルなんてまさにそんな例。

話している内容は、出演者(識者?)の個人的意見でしかないが。
それが議論になるところで、見ている人も自分なりの意見や思いが生まれてくる。
最近あんまり見てないですが。何しろ暇がない。いや、なかった。

ここ半年くらいBS1とたまのNHKGしか見ていないので、
テレビ的な流行(特に芸人)はまったくわからんし、話に乗れないのだが。
あ、世田谷ベースは見てますよ。流れているCMはいかにもBSっぽいのばっかですが。

しかも録画してみてるので、全部飛ばしてる。
相違や最近、テレビは録画で見ることが多くなったの。
特に民放(見てないんだが)を生で見てるとかったるい。

生で見てるのにビデオのリモコンもって早回ししようとする。
で、動かず。あ。と思う。
映像を見るスタイルも変わったということか。

というか、なぜにテレビの都合(放送時間)にぼくの生活スタイルを合わせねばならん。
という方が大きい。
ぼくの好きなときに見せるのだ。

そうすることにより、ながらテレビというのはかなり減る。
いったん録画したものを敢えて見ようと思うのは、
かなり見たい番組のみ。

とりあえず、とっとけ。みたいなのは絶対見ない。
よっぽど暇で、さらにその番組を見たいという気が多少なりとも起これば見るが。
過去の例から見て、死蔵率は9割を超えます。で、見ずに消す。

ビデオのHDDの容量はどんどん増えてますが。
死蔵率が増えるだけなんではないでしょうか。
とって満足。というのも満足。という考え方ならその投資の価値はあるかと思いますが。

でもこれかなりなバーチャルな満足だよね。
欲求が脳内完結しとる。
アウトプット(テレビを見るという行為もまた行動。すなわちアウトプット。)がゼロだ。

実は。
ぼく自身もインプット過多な方で。
つまり、自分の妄想で楽しんでるところがあり。

楽しめるんならそれもよいのだが。
それだけでは満足できない自分もいる。
やっぱり、アウトプットしたいのですよ。

このブログがこんだけ長く(6年超)続いているのも、その欲求からだと思われます。
毎日書かねば。という義務感だけでは続きません。
それが楽しいから続くのです。

ネタに困る。
なら、書かなければよい。
時々あるが、挨拶だけして今日は何も思い浮かばんのでと書いて終わったりもします。

でも人間生きていれば感じることも思うこともあり。
女の子好きな水神は、女の子見て感じることも多々あり。
最近あんまり色っぽい話はしてないですが。

たぶん、それを感じなくなっているのでしょう。
と。隠してるかもね。
さすがにこれは書くの止めとこうとか。

思いつくまま書いているように見えて、時々そんな風に書くことをやめたり、
いったん書いても、消してしまったりする内容も結構あります。
脳内完結が多いと感じていらっしゃる方。

とりあえず、ブログでもいかがでしょうか。
ツイッターもよいと思います。
mixyは...あんまりおすすめしませんが。

村社会な感じなそうなので。
アウトプットがうまくできていないひとがいきなりそんなところに入っても。
思うのですが、いかがでしょうか。

水神は。
思うたのですよ。
俺ってひ弱。

はじめにこの言葉を感じたのは、全然関係ないゴルフ練習で右手の指の皮がむけたことですが。
ひ弱だ...
思うているうちに、自分の精神(脳みそ)がひ弱なのに気づく。

一般的な言葉で言えば、傷つきやすい。
繊細といえば、多少言葉は柔らかいでしょうか。
でも要するに、ひ弱ってことですよね。

他人の一言に、えらく心が揺れる。
もっといえば、それが怖い。
告白なんてその最たるものです。

なにしろあれは全否定だからね。
人格の否定。
もちろん、断る側にはそんな意図はないが。

断られる側からすると、全人格の否定...つまり存在の否定なわけです。
そらー、疲れる。
だから恋なんてしたくない。というのも分かる。

けど、それってできるんでしょうか。
恋は嗜好ではなく、本能なので。
それをつぶすのはそれはそれでかなりの労力が必要だと思うのですが。

ぼくには無理ですな...
というか、どちらかというと積極的に恋してますな...
一方的(これも脳内完結。つまり妄想。)だけど。

話はちょっとだけ戻って、全否定を感じる理由。
恋をすれば、少なくともその相手に対しては、自分のすべてを「賭けてる」。
といっても言い過ぎではない。と思う。(ここはブログ的に断定は避けてます。by 水神。)

その賭に負ければ、当然全否定でしょう。
ふった相手の思いはともかく。
まあ、ある意味これも脳内完結しとるわけですが。ある意味妄想。

となると、失恋は妄想の結果落ち込んでるわけです。
あー。
次なる妄想(恋)をしたくなくなるのも分かる気がする。

そういや、昨日本屋で凹まない方法みたいな本があった。
凹まないための物事の考え方みたいのが、エッセイ風に書いてある。
で、凹み度チェック。があったのでやってみた。

結果。ぼくは凹まないひとだったので、この本買いませんでしたが。
凹まないための実践はあらかたやってたらしい。
ひ弱なりに努力した結果だ。

昔は凹まないために外界から刺激を遮断(要は引きこもり。精神的に。)するといった方法をとってましたが。
最近(ここ十年くらいか?)は、すべての事象を楽しむ。という考え方になってきた。
誰かの影響だったと思うのだが...誰のだろ。

すでに覚えていない。
本で読んだんだと思うんですけどね。
このあたりの本は数十冊読みましたから。

そんだけ苦労してたのですよ。
無理して社会と関わってきていた。とも言えますが。
恋もさっぱりうまくいかずに。くっきり残った傷跡も多数。

けど、今はそれもまた経験。と割り切ってますが。
それがあるから、今のぼくがある。
今のぼくは完璧ではないけれど...いや、ひ弱だけど、嫌いではない。

というか、好きだな。自分が。いや、今の自分が。
昔の自分は、今見ても好きにはなれない。
後ろ向きだったからね。

で、すべての事象を楽しむ。
人生で今おきていることは、自分の人生の中で一回しか起きない。
これを一回性というらしいですが。わかりやすい言葉です。

ならば、この一瞬を楽しもう。
たとえば、暑い。
いや、ほんとに暑いのですが。

暑いことを楽しむ。
どんだけ汗が出るんだろ。
あるいは、今何度だ?何度でこの暑さを感じているのだ?とか。

どこまで暑さに耐えられるか。
と、敢えてエアコンを入れずにがまんしてみたり。
で、今我慢してたのですが、耐えられなくなりエアコン入れました。

新潟の朝は比較的涼しい。
が、十時も過ぎると無理。
というのも、分かる。

そしてその「分かる」を楽しむ。
何事も経過だけではその場しか楽しめず。
何かが分かればそれは経験となる。

内容によっては人に話せる。
あるいは、ブログのネタくらいにはなる。
そう思えば、失恋もまた楽しい。と思える。

あー、落ち込んでる。
人生いやになってる。
という自分を見つめる。(内観といいます。)

そんな自分を見ていると。
今の事象および精神状態を客観的に見れる。
見れたからといって、楽しめるからといって落ち込まない訳ではないのです。

なにしろ全否定なので。
そらー、転落もしますわ。
でもその転落を楽しむもう一人の自分がいると。

極端な妄想は生まれにくくなります。
死のうとか。
何も信じられない。社会との関わりを断とうとか。

あと、よく言われることですが。
片思いは、それ自体を楽しんでいる。
だから敢えて行動起こしてその楽しみを壊すより、ずーっとこのままでいよう。

と考える。意識的、あるいは無意識に。
今の事象を楽しむ。という考え方にもこれは通ずるところがあり。
ぼくもきっとそんな感じなのだと思います。

でも。
もっと近づきたい。という欲求があるのも確か。
あんまり抱きたい。というのはないんだけどね...不思議と。

きっとそれはもっと近づいて、それが現実的になってくれば出てくるものでしょう。
きっと今はまだ神聖視しているのだと思われます。
ある意味、神様。

そんな風に思ってはいけない。みたいなのがどっかに。
でも、あののど元のふにふには触りたい。
猫ののどをごろごろするように。

こっちはいわゆるフェチな傾向な話。
ちと話がずれてる。
えーっと。なんだっけ。

あー、今を楽しむ。
例えそれが自分にとって都合の悪いことだとしても。
踏切で十五分も待たされた。

そもそも全く明く気配のないこの踏切を見てぼくが感じることはどんなことか。
あとどのくらいで明くのか。
明く気配とはどんなものなのか。

というのを自他を観察しつつ、今を楽しむ。
そうすれば、あんまり凹まなくなります。
いらいらすることもかなり減ります。

いらいらしたら、いらいらしてる自分を楽しんでください。
あー、俺今いらいらしてる。なんでだ?こんなささいなことでか?
自分観察は意外に楽しいし、結果として自分を好きになれると思います。

自分くらい自分で好きになってあげようよ。
自分を好きになれれば、自分に自信がつくし。
自分の限界ってのも見えてくる。

限界が見えれば、自信はつくものです。
できる範囲がわかるので。
できる範囲については、自信を持てます。

できる範囲があるから、できないことは、できないと言えます。
代わりにできることが分かるから。
なにもできない。と感じれば、できないとは言えないものです。

自分を好きになれない人は、好きになれない。
というような女子の声も聞きますが。
たぶんそれは真理で。

自己否定しているひとは、魅力的ではないです。人間的に。
恋以前の問題。
自分を好きな人をナルシスト。と呼んで軽蔑する向きもありますが。

それは他人にまで自分の好きを強要するから。
自分が勝手に自分を好きになり、その様を他人に見せないのであれば。
煙たがられることはないでしょう。

というか...
自分を好きになれないでいるひとは、とりあえずそんな「先」の話はおいといて、
いや、いっそのことナルシストを目指してがんばってみてください。

行き過ぎたらまた直せばいいのです。
どうせそこまで行き着くのは先の話ですから。
なにより。自己否定するくらいなら、ナルシストの方が人生楽しいです。

生きているのは自分だし、
世の中。を認識しているのも自分です。
まず自分を認めなければ、世の中も認められない。

ふぅ。
ちと書き疲れ。
ビール飲みたいが、今は午前中。自粛中です。

というわけで。
自分探し大好きな人も、まず今いる自分を好きになることから始めてください。
自分が好きになれば、自分が楽しいと思えることも分かってくるはずです。

あ、俺って今(仕事中)かっこいい?
んー。いかにもナルシスト的発想ですが、表に出さなければよし。としましょう。
で、そう思える瞬間があれば、それはあなたにとっての天職。...かも。

なんでこんな話になったのか、我ながら意味不明ですな。
まあ、きっといまこれをアウトプットしたかったのでしょう。
今を楽しむ。是非実践を。