chargeのブログ

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違いについて思いついたこと

2015-11-02 20:06:19 | 日記
 世界には色々な人が居て、それぞれに異なった角度から異なった状態でもって世界を観測しているが、感じ取り方の機構は大体同じではある。しかし、生物というのは遺伝子変化によって多様性を獲得し続けるので、中には本当に機構が異なっているのに物事を上手く感じ取って生きている人も混じっている。

 例えば、通常、人間の色覚は赤と紫・緑・青に知覚する周波数帯を持つ錐体細胞によって知覚するわけだが、中にはその細胞のどれかが欠損した色盲の人が挙げられる。色覚が三色でなく二色や一色である哺乳類は多いので実は生きるのに必須ではないわけだが、他者が色を用いて表現をしてきたときにそれを同じに感じ取れないことは時々ハンディになる。同じようなことは味覚や嗅覚でも起こっていてフェニルチオカルバミドの味を感じるか感じないかや、イソブチルアルデヒドの臭いを感じるかなどの差異はかなり多く、どちらも地域や人種によって差があるが人口の約三割は感じ取ることが出来ない。そのことによって、料理の好みや好き嫌いが異なってくるなどの差が生じる。

 そのような違いが脳にもあって優しさや愛情、悲しみの基準が大きく異なる人も居る。そしてその一部は他者の権利を妨害すると見做されるため変質者として取り締まることが出来る。ネコがその辺に居るネズミを捕まえて、自分のところに自慢げに持ってきて見せ、目の前で生で食べるのを見ても変質的だと普通思わないだろうが、人間がそれをやっていたら変質的だと思う人は多いと思う。もし、その獲物を捕まえて生で食べるような人は体質として獲物を捕まえて殺して血の味を感じ取るとβ-エンドルフィンが出てきてリラックスし、胸を張って歩いてパワーを他人にもアピールしたくなるのだというどうしようもない事情が本当に存在しても共感は少ないであろうと思う。日本人が生の刺身を食べることや、イヌイットがアザラシの生の内臓を食べることが長く異文化には受け入れられて来なかったのは異文化に暮らす人から見て遺伝的な違いを感じるぐらい異文化の常識と異なって見えたからでは無いだろうか。

 大多数と違っている場合にどうしたらよいのかという事は実際には他人と全く同じではありえない全ての人が大かれ少なかれ問題としなければならないことであり、多数派でなければ攻撃することが多数派によって正当化される状況になると全員が多数派が反論できない正当な権限でもって被害を受けることになりかねない。注意しなければならないのだが、自分ではこの問題については失敗続きで何ともいうことが出来ないほど未解決であって、常に解決を与える糸口を提示出来たりはしない。ただ、多数決は扱う事象の性質によっては間違った方法であり、条件が人によって異なる問題には特に使えないという事だけは事実であると言える。

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