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2024-06-12(水)…第16首「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」中納言行平

2024年06月12日 | 小倉百人一首


中納言行平って誰なんだろうとググってみたら
在原行平という人らしい。




だから、今回は須磨。
京都じゃなくて須磨。
兵庫県だよ兵庫県。
京都の次の駅、新大阪を飛び越えて、大阪府の隣の県の兵庫県。

新大坂で「こだま」から「さくら」に乗り換え「西明石」駅で下車。
そこから、少し戻って須磨。

ところが、
西明石について
在来線に乗り換えようとしたところ、アクシデントに遭遇。
大阪の茨木でトラブルがあって、JR電車がめっちゃ遅延してるとのこと。
電車がまともに走っていないようだった。

不思議だったのは
新大阪までの切符しか買っていなかったので
新大阪から乗越、西明石で精算しようとしたところ
駅員さんから950円しか請求されなかったこと。
随分と安いような気がしたんだけど、ま、俺の思い過ごしかな。


西明石からJRの在来線に乗ったんだけど
ちょっと進んで数分止まるを繰り返し、なかなか前に進まない。
そんなJRを見限り、途中、山陽電鉄に乗り換えて、どうにかこうにか須磨寺駅に到着。








松風村雨堂

ここからGoogleさん頼り。
まずは、松風村雨堂に行く。
松風村雨堂は、行平が須磨で暮らした際に、彼をお世話した2人の女性の住まい?















百人一首の「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」は
行平がその2人の女性との別れの際に詠んだ歌らしい。(諸説あるようで)
「私のことを待っていてくれると聞いたならば、すぐ帰ってきましょう」という意味らしい。
帰ってくる気なんてないくせに…と思ってしまうのは、
俺が浅いニンゲンだからだということで…。

行平が、形見分けに烏帽子や狩衣を掛けた初代の松は既に無く、
現在、二代目?三代目?の松があるんだそう。

んでもって、
行平は、マジ因幡国に赴任したん?
遙任だったりして…。
え?マジ因幡国に赴任したん?
そりゃあすげぇや。


さ、次は須磨寺へ。
せっかくなんで、松風村雨堂の近くにある須磨寺に立ち寄る。

須磨寺












Google!さんに案内されて、ほどなく須磨寺へ到着。
まずお寺の入り口手前にある、海外の仏像が陳列されているところにお立ち寄り。
























平敦盛の首塚があったりしました。







須磨寺は大きなお寺で、遊園地みたいな感じ。
なんて言っていいのかなあ…迷える衆生の悩みを全て引き受けてくれそうな、そんな感じ。
万華鏡みたいなお寺さん。楽しめる。









宝物館には、行平が創始者と言われる一絃琴が陳列されていた。(写真撮忘れ)(^_^;
さ。次は源氏物語と縁のある現光寺に。

現光寺




















せっかく
ここまで来たんで須磨の海を見物に。
JR須磨駅は、海縁にあると言ってもいいくらい。
海に近い。

須磨の海










訪れた時期が早かったせいか
海の家は建築中で、砂浜にはほとんど人はいなかった。
ひたすら暑い。


さ。海も見たし、次、次。
京都に戻ります。
山陽電鉄→阪神乗入→阪神梅田駅→徒歩→阪急梅田駅

久しぶりに阪急梅田駅構内を歩いて懐かしさがどっと心の中に湧き出る。
あー、昔もこんなふうだったなあ。
動く歩道。
駅に上がる階段。
阪急電車が何車両も並ぶ情景。
3番街
17番街
32番街

阪急梅田駅→阪急烏丸駅→地下鉄→丸太町駅下車→徒歩

陽成院跡

で、5/16に行きそびれた、「陽成院」邸宅跡に。
第13首「つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞ積りて淵となりぬる(後撰集 恋 776)」と詠んだ方の家の跡。










「跡」であるので、
邸宅の跡形はさらさら無く、現在は小さな公園になっている。
このあたりで後陽成天皇は暮らしていたようだ。

さてと。
帰るにはいい時間。

京都駅まで戻り
地下街ポルタで夕飯。
串カツ屋さんで腹を満たす。