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はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

SINCE 1995

2015年12月15日 | 日記
はせがわクリニックは1995年の12月16日に開業しましたので、丸々20年が経過しました。
今日は、1995年がどんな年だったのかを調べてみました。

まずは、阪神・淡路大震災でしょうか。
5000人以上が亡くなるような災害は、戦後生まれの私にとっては初めて経験するものでした。
しかし、考えてみれば、戦時中の空襲では、毎回、これ以上の被害が出ていたようですので、
戦争こそが最悪の災害であると思います。

次はオウム教による地下鉄サリン事件です。
ポアするとか、上九一色村、第八サティアンなんてのが、毎日ニュースショーをにぎわせていました。
" ああ言えば上祐 " なんて言い回しもありましたよね。

青島幸男が東京都知事に、横山ノックが大阪府知事になった年でもありました。

近鉄の野茂が大リーグにチャレンジした年でした。
野茂は大成功を収め、オールスター戦に選ばれ、新人王を受賞しました。

アジアの歌姫と呼ばれたテレサ・テンが突然死しました。
電話を受けて救急隊が到着した時にテレサ・テンは、右手にメプチン・エアー、左手に受話器を持ったままこと切れていたそうです。
メプチン・エアーは気管支喘息の患者さんに処方される気管支拡張剤のスプレーですが、心臓に負担がかかるのです。
テレサ・テンは重症の喘息発作に対して、メプチン・エアーを大量に使用し、心臓発作を誘発させたと考えられます。
この当時は、片手にメプチン・エアー、もう片手に受話器を握りしめて死亡することが結構ポピュラーでした。
そこで、このような死に方を、私たちの業界は、" テレサ・テン シンドローム " と名付けました。
現在でも結構、通用するようです。

さて、話はそれますが、私はテレサ・テンよりも桂銀淑 ( ケイ・ウンスク ) の方が好きでした。
テレサのヒット曲である、" つぐない " と " 愛人 " も、桂銀淑がカバーしたものをUSBに保存しています。
桂銀淑のオリジナル曲としては、" すずめの涙 " が最も気に入っています。

話を1995年に戻して、若乃花と貴乃花が兄弟で優勝決定戦を戦った年でもありました。
若貴フィーバーに日本中が沸き返った時代で、連日の満員御礼が当たり前とされていました。
モンゴル人に制覇されてしまった現在は、日本大相撲の危機ではなく、終焉のようにも思えます。
数年前の八百長事件を機に、NHKはテレビ放映を中止するべきだったと思います。

あとは、現在でも解決されていない事件として、八王子スーパー強盗殺人事件が発生した年でした。
縛り上げた女子店員とパートの女子高生を射殺するという残酷な犯罪でした。

CMでは、" わたし脱いでもスゴいんです。 " が最も印象に残っています。

振り返れば、90年のバブル崩壊から全く立ち直れず、さらに、これからもずっと立ち直れないであろうことを
日本人が覚悟しているような悲しい時代でした。
追い打ちをかけるような阪神・淡路大震災もあって、結構悲惨な年であったことが見てとれます。

ただし、この頃は未だ、アル・カーイダや、ウサマ・ビン・ラーディンの名前がちらほらと出てくるくらいで、
ニューヨークの世界貿易センターも無事だし、イスラム国もありませんでした。
イラクでの湾岸戦争が終わって数年が経過し、それなりに世界が落ち着いている状況でした。
中国は89年の天安門事件で、世界中からの非難を受け続けていて、まだ日本に伍する力はありませんでした。

歴史に無頓着な私が振り返っても、現代は、かなりヤバい時代になってきたことが分かります。
最大の災害である戦争を避けるためにも、日本人はすべての叡智を結集して、国際関係や戦力のバランスを工夫していくべきだと思います。
ただただ、国内で、戦争反対と叫んでいるだけでは戦争を避けられないと思うのですが.......


英語の名言集

2015年12月04日 | 日記
ネットで上記を見つけましたので、私的にヒットだと思える物をアップします。

To be happy with a man you must understand him a lot and love him a little.
To be happy with a woman you must love her a lot and not try to understand her at all.

彼と幸せでいたいのなら、彼を深く理解し、少しだけ愛すこと。
彼女と幸せでいたいなら、彼女を深く愛し、彼女を理解しようなんて間違ってもしないこと。(ヘレン・ローランド)

A woman will doubt everything you say except it be compliments to herself.

女とは、男からのお世辞以外の言葉を、すべて疑ってかかる生き物である。 (エルバート・ハバード)

Gravitation can not be held responsible for people falling in love.

人が恋に落ちるのは万有引力のせいではない。(アインシュタイン)

To play billiards moderately well is the sign of a gentleman ;
to play it too well is the sign of a misspent of a life.

ビリヤードをまあまあ上手にプレーできるのは紳士のしるしである。
しかし、上手すぎるのは人生の時間を無駄遣いしたしるしだ。(マーク・トウェイン)

I am an optimist. But Im an optimist who takes his raincoat.
私は楽観主義者だ。しかし私はレインコートを持っていく楽観主義者だ。(ハロルド・ウィルソン)

There is one thing more exasperating than a wife who can cook and won't、
and that's wife who can't cook and will.

料理ができるくせにやらない妻よりも忌々しいものが一つある。
それは、できないくせに料理しようとする妻だ。(ロバート・フロスト)

My toughest fight was with my first wife.

私が最もつらかった戦いは、最初の妻を相手にしてのものだった。(モハメド・アリ)

God heals 、and the doctor takes the fee.

神が病を癒し、医者が金を取る。(ベンジャミン・フランクリン)

We don't stop playing because we grow old.
We grow old because we stop playing.

歳をとったから遊ばなくなるのではない。
遊ばなくなるから歳をとるのだ。(バーナード・ショー)

注 : 和訳ですが、かなり意訳を加えました。

はせがわクリニック・20周年記念パーティー

2015年11月30日 | 日記
一昨日の土曜日にホテル・ニュー大谷で開催されました。



おめでたいパーティーということで、還暦以来お蔵入りとなっていたピンクのジャケットで受けを狙ってみました。



私のスピーチは3分以内に終了するのが常ですが、この日はロングスピーチとなりました。

実は、この日の午後に、私はクリニックの倉庫からエンジェルカルテを引っ張り出して、思い出にふけったのです。
死亡された患者さんのカルテはエンジェルカルテとして、他の古いカルテとは違う場所に、まとめて保管されます。
法律で定められたカルテの保存期間は5年なのですが、当院のエンジェルカルテは14年前からすべて残されていました。
懐かしい患者さんの顔が、一人ひとり蘇ってきます。
その顔と同時に当時のスタッフやクリニックの経営状況がオーバーラップされてきます。
当初は、" アッという間に20年が過ぎた。" と思ったのですが、間違いでした。
色んなことがあったのです。
色んな悲しみと喜び、不安と安心、窮乏と安定、病気と健康、思い出をたどれば波乱万丈の20年だったのかも知れません。

スピーチでは、亡くなられた患者さんたち60数名の名前を読み上げました。
その中には調剤薬局の社長の名がありました。
私と同じ年でしたが58歳の若さで他界したのです。
彼には息子さんが2人おられました。
20年前の開業当初にみんなでキャンプに行った思い出がありますが、当時長男は17歳、次男は小学生でした。
その二人が今や、社長、事務長として、会長である母親を助けながら、4つの調剤薬局チェーン店を切り盛りしているのです。
隔世の感がありますよね。
亡くなられた患者さんたちに全員で黙とうを捧げて、会をスタートさせました。

写真の背景にある張り紙は川崎婦長の父君に書いてもらったものです。
書道のプロなのですが、実は10周年の時にも書いていただいておりました。
最近では少し認知症が出てきていて、クリニックがクリニツクになっています。
川崎婦長がいくら注意しても改善されなかったそうです。
それにしても、認知症でも達筆であるというスキルには殆ど影響を及ぼさないということのようですよね。

二次会はスナック、" プラスワン " の別室を利用しました。
この20年間に数十回ものクリニック主催の飲み方を開きましたが、今回が、間違いなく最高に幸せを感じさせるものでした。
歳のせいかも知れませんが、もしもそうであるのなら、歳をとるって案外素敵なことかも知れませんよね。

頓について

2015年11月10日 | 日記
今月号の文芸春秋を読んでいると、頓教という言葉が出てきました。
仏教用語で、速やかに教えの深い部分に達してしまうことでした。
対比語は漸教です。

以前にアップしましたが、頓悟と漸悟を私に紹介しようとした妹が、" トンゴとザンゴ " と間違えて読んでしまい、
私を理解不能に陥れた事件がありました。
暫定予算の暫の字と間違えたものと思われます。

さて、今日は頓という漢字について明鏡国語辞典で調べてみました。

意味は、4つに分かれています。

1.額を地につけて礼をする。
頓首、これは手紙の最後に、へりくだった挨拶用語として使われるそうです。

2.その場に留まる。
頓挫

3.落ち着いている。
整頓、頓珍漢

4.にわかに、とみに。
頓悟、頓教、頓死、頓服、頓智、素頓狂

これからは、すぐ酒に酔う輩を見たら、" 頓酔したな。 " と、上から目線で、つぶやいてみることにしました。

被害はエビカツだけでした。

2015年10月30日 | 日記
昨日は木曜午後休診を利用して銀行業務を2か所こなし、マンションの共益費積立金の引き落とし口座を変更しました。
その足で、鶴屋デパートに行き、地下1階でエビカツを買い、他店でハンバーグとシーザーサラダを購入しました。
さらに地下2階で鯛の刺身を買ったのですが買い物袋が3つになったし、刺身の袋が大きかったので、一つにまとめたいと考えました。
そこで次の人の邪魔にならないように、レジの背中側のテーブルスペースに移動して実行しました。

で、家に帰ったのですが、エビカツが見当たらないのです。
車に戻って探したのですが、見当たりませんでした。
おかしな話です。

そこで、懸命に記憶の糸をたどったのですが、恐ろしいことに気づいたのです。

なんと私のビジネスバッグも消えていたのです。

真っ青になりました。

バッグの中には、6つの預金通帳と銀行印、実印、印鑑証明の請求カードが入れてあったのです。
ビジネスマンとして、これ以上は想像できないほどの、やってはならないミスでした。

あわてて鶴屋に引き返し、問い合わせたところ、保安係に届けられていました。
その瞬間の安堵感はハンパ無かったですね。
置き忘れた場所は件のレジでした。

ところで、不思議なことにエビカツは出てきませんでした。
今、考察すれば、エビカツも届けられていたのかもしれませんが、バッグを回収できてホッとしており
それを尋ねることなど、思い浮かびもしませんでした。

なにはともあれ、被害がエビカツだけですんだので大満足です。

これに懲りて、今後は必要な通帳と印鑑だけを持ち出すこととしました。
そして、銀行業務と買い物や食事を同時に遂行しないというルールを作りました。

加齢により、ドンクサくなっているので、また、しでかすかも知れません。
被害を最小限にするしかないのです。

無銭飲食か?

2015年10月20日 | 日記
やらかしてしまいました。

今日の昼休みは時々利用するレストラン、" ハングリータイガー " に行きました。
ちょっぴり多めのハンバーグセットを、パン、ライス抜きで注文しました。
一人で文芸春秋を読みながらのランチですが、As is often the cace with me. です。
さて、食べ終わって、レジに行ったのですが、なんと財布がありません。
そのことをウェイトレスに告げて、即、クリニックのスタッフに電話して院長室を確認させました。
すると、私が財布を院長室に置き忘れたことが判明したのです。

スタッフに頭を下げて、財布を届けてもらったのですが、精神的に凹みました。
煙草を吸わない私は、外出するときに、財布、携帯、鍵の3点セットしか持ちません。
たかだか3点しかないアイテムの一つを置き忘れたのです。

耄碌したせいでしょうか?
今後、どのようにして再発を防げばよいのでしょうか?
There is no idea. です......

ほとんどビョーキかも

2015年10月17日 | 日記


派手なソックスを衝動買いしてしまいました。

ゴルフは5本指で滑り止めのついたこいつ



を使いますので、普段に使用するソックスです。

仕事ではサンダル履きですので、ソックスが目立ちます。
患者さんたちに冷やかされるかも知れませんが覚悟の上です。
" 単なるオトナシモンのジジイじゃないんだぞ! " ということをチョットだけアピールしたいのです。
とは言え、こういう幼稚なアイテムに飛びつく習慣が、ジジイになっても改善されません。
それどころか、やけくそで開き直ってくる傾向さえ認められるようになってきました。

スタッフからはブーイングが噴出するでしょうが、いつものごとく聞き流します。
まあ、" 歳を取れば取るほど派手になるべきだ。 " という一般論?くらいは主張するかも知れませんが......

風速41m

2015年08月25日 | 日記
台風15号が珍しくも熊本を直撃しました。
16年ぶりの直撃だそうです。
熊本には滅多に台風が来ません。
九州山地のおかげで、宮崎方面にそれた台風の影響を、熊本はあまり受けません。
そして、長崎よりも左にそれた台風は、なぜか右にカーブせずに、直進して、台湾、中国の方へ行ってしまうことが多いからです。

今日は、午前中を休診としました。
開業以来初めてのことです。

瞬間最大風速41mは、木造2階建てのクリニックを震度3以上に揺るがせました。
これも初めての経験です。
クリニックの被害としては、駐車場案内の看板が、完全に破壊されて、吹き飛ばされたことだけでした。

ニュースを見た限りでは死者は出ていないようです。
雨が降らない、” 風台風 ” であるならば、熊本の台風対策は、高いレベルで完成されているということでしょうか。

振り返れば、平成3年に長崎を襲った台風19号の時も、熊本県での死者は1人だけでした。
40代後半の男性でしたが、強風に窓ガラスがたわみだしたので、ガムテープを使い、補強しようとしたのです。
その瞬間にガラスが破裂して、破片が胸腹部に突き刺さったのです。
その男性は、当時の私の職場に出入りするレントゲンや廃液関係の業者さんでした。
そして、彼の父親Yさんは私を主治医としておられました。
すぐに、おくやみを申し上げたのですが、Yさんの反応は、” 運命だから。 ” という淡々としたものであったことを記憶しています。
そのYさんは、その後20年近くも、私を主治医として追いかけてきてくれました。

Yさんの初診時の頃の様子も、昨日のことのように覚えています。
息子の嫁に連れられて来院されたのですが、主訴は腹痛でした。
診察すると、腹痛ではなく季肋部痛でしたので、胃か十二指腸のトラブルが懸念されました。
そこで、胃カメラ検査を施行したのですが、巨大な胃潰瘍ができていました。
おそらくは出来てから10日くらいは経っていると思われる所見でした。

私は、何故、もっと早く連れてきてもらわなかったのかと尋ねました。
Yさんの答えは、” また勝手に冷蔵庫を開けて、何か食べたんだろうと怒られるから..... ” というものでした。
確かにきつそうな嫁で、私もチョッピリ苦手とするタイプでした。

般若心経

2015年06月19日 | 日記
今週の6月16日午後2時29分に私の母親が永眠しました。
90歳で老衰でした。

業者を呼んでそのまま自宅に連れ帰り、カミさんと、たまたまその日に駆け付けた妹との3人で通夜をとり行いました。
オフクロがエンドステージであることは数日前から知らせてあったのですが、妹は16日に帰ってくると電話してきました。

そのことを聞いた私とカミさんは、16日が命日となることを予感しました。
不思議なことですが、" 虫の知らせ " という現象が、私の業界には存在するのです。
何年も入院していた患者が、突然、東京の親戚に会いに行ってくるなどと言い出すことを医療関係者は嫌います。
東京から帰ってきた患者の急変が、高い確率で発生するからです。
逆に、大阪に住む親戚が、10年ぶりに見舞いに訪れるということも私たちは嫌います。
いずれも、"虫の知らせ "という非科学的な根拠からなのですが、医療関係者の間では常識となっているのです。

さて90歳ともなれば、弔問客は、ほぼ、おりません。
自宅で通夜、葬儀を執り行うこととしました。
坊主も呼ばずに、私が般若心経を読み上げました。
どういうことかと言えば、オフクロは無宗教でしたが、習字が得意であった( 師範の免状を持っていました。 ) からか、般若心経の写経を数千枚も薬師寺の高田好胤のもとへ送っていた時期があったからです。
つまり、おふくろが唯一知っているお経だったからです。
当時、私も般若心経の丸暗記にチャレンジしたことがありました。
チャレンジは中途半端な失敗に終わりましたが、読むのはた易いことです。
見知らぬ坊主を呼んで、訳の分からないお経を読ませるよりも、長男の私が、オフクロの愛した般若心経を読んだほうが供養になると考えたのです。

次の晩には学生時代から自宅に出入りしていた大蔵先生と畑中にも来ていただき、ベロンベロンに酔うまで飲みました。

18日に出棺したのですが、妹の旦那の慎ちゃんと、やはり東京に住む私の従兄が参加してくれました。
そこでも、私が般若心経を読み上げたことは言うまでもありません。
その夜は妹夫婦に加えて学友の佐藤ちゃんも交えて、街で飲んだくれました。

さらに、今夜は私の誕生日ということで、またまた街で飲んだくれることになっています。
母親の死から日にちが経っていないので不謹慎だと思われるかも知れませんが、私たち兄妹はそれを不幸なことだとはとらえていないのです。
むしろオフクロに対して、" 楽になってよかったね。 " という気持ちの方が強いのです。
さらに言えば、私がまた一つジジイになる誕生日よりもずっとめでたいような気がするのです。

確定申告

2015年02月27日 | 日記
先ほど、税理士事務所の担当がすべての資料を収集して引き上げました。
ここ数日は、毎年のことながら小口現金出納帳、自費売上一覧表の作成に腐心しました。
今回はネットで購入した薬や医療材料(湿潤療法のプラスモイストなど)、さらには書籍も経費として申告しました。
便利なのはamazonでした。
アカウントから、すべての購入物品を表示させられて、領収書もプリントアウトできます。
楽天やyahoo、直販店との取引には、そのような便利な機能はありません。
しかし、支払いは殆どがVISAカードでした。
VISAの履歴にはすべての支払いが一覧表として出てきます。
しかし、そのサイトは、それをプリントアウトできるような仕様にはなっていません。
そこで、スタッフのU子ちゃんに頼んで、PrtScn(プリントスクリーン)というキーを使っての、その画面を印刷するというテクを披露してもらいました。
今では私もこなせるようになりましたが、欲しい部分のみを切り取ってプリントするのが結構難しく、かなりのコピー用紙を無駄にしてしまいます。

しかし、苦労の甲斐あって、80万円の薬代と12万円の本代を経費として請求することができました。
昨年までは、領収書が無いという理由だけであきらめていたわけですから大きな改善です。

さて、個人的に昨年の外飲みに費やした金額は180万でした。
365で割ると、毎日5000円近くですか.....反省です。

と言いながらも、今夜は木曜会です。
酩酊することは必至でしょうが、ワクワクしながら出かける自分に戸惑っています....てなわけ無いか!

早生

2014年10月28日 | 日記
先日アップしたキラキラネームで、生をセと読むことは無いと書きましたが、間違いでした。
妹の旦那である慎ちゃんから電話があって、早生のセだと指摘を受けました。
ブログを読み直してみると、バカですね、ちゃんと、早生 ( ワセ ) 晩生 ( オクテ ) と紹介しているではありませんか。
慎ちゃんに一本取られました。

しかし、慎ちゃんからの電話の前の日にも、妹との電話のやり取りで、そのブログ記事が話題になっていました。
" 全部読めたか? " と聞くと、" 大丈夫だったよ。 " という返事でしたが、
はたして妹が、早生と晩生を本当に読めたのかどうか怪しいものだと思ってしまいましたが、裕子よ、どうだろう?

キラキラネーム

2014年10月21日 | 日記
私は近所の小学校の校医をしています。
今日は来年の4月に入学してくる子供たちの入学前内科健診に行ってきました。
20名を診察したのですが、名前を正しく読めたのは、さくらと実南 ( みなみ ) の二人だけでした。
キラキラネームが猛威を振るっています。
私からしてみれば、漢字を愚弄している、ひいては子供を愚弄しているとしか思えません。
春生はハルオと思ったのですが、正解?はハルセでした。
生という字は最も日本語読みが多い漢字だそうで、調べてみるときりが無いのですが、一応、押さえておくべき読み方を列記します。

学生、生涯、生粋、大往生、平生
生きる、生まれる、生える、生い立ち、生さぬ仲、
生糸、芝生、生憎、生贄、生計 、早生、晩生
弥生時代、来生たかお、羽生結弦、壬生の新選組....などでしょうか。
( 妹よ、読めない字があれば、慎ちゃんに頭を下げること....)

読み方は沢山ありましたが、セと読ませる例はありませんでした。

以下は私の個人的な憶測に過ぎませんが、キラキラネームをつける親の漢字力は悲惨なくらいに低そうに思えます。
そもそもキラキラネームを付けようとした時点で、親のオツムが残念過ぎるということはバレバレです。
そして漢字力があるならば最低限守るべきルールを理解するはずです。
実際に、なるほどと思えるようなキラキラネームもあります。

キラキラネームではありませんが、昭和の終わりごろに京子ちゃんという小学生が受診してきました。
私は普通にキョウコちゃんと呼んだのですが、親は違うと言います。
答えはケイコでした。
言われてすぐに、京浜工業地帯や京浜急行を思い浮かべて、なるほどと思った記憶があります。
今でしたら、" お前は神奈川かっ " と突っ込みたくなるような名前でした。
しかし、これには納得できたし、自分の勝手読みを反省させられもしました。

さて、生をセと読ませるような親を持つ子が不憫に思えてなりません。
おそらくは分数計算をちゃんとできるかどうか怪しいような親でしょう。

この話をスタッフにしたところ、最近では、 " 光宙 " という名が流行っているのだそうです。
読み方は、" ピカチュウ " だとか.....

中年になっても、老人になっても、ピカチュウと呼ばれる人生ですか.... sigh。



結婚式場・マリーゴールド

2014年06月30日 | 日記










昨日は益城インターのそばにある結婚式専門館、" マリーゴールド "で調剤薬局の受付事務であるヒロミチャンの結婚式がとり行われました。

4時半からの開宴だったのですが、結婚式から始められたので、乾杯にこぎつけたのは5時45分でした。
それも、全員がノンアルコールのカクテルで乾杯するという悪夢のようなスタートでした。
さっそくウィスキーの水割りを注文し、私がアルコールにありつけた時には6時が迫っていました。
例によってダブルとストレートを同時に頼むという作戦を実行したのですが、スタッフは、それを素早く理解したようで、
注文しなくても、次々とそれらを持ってくるようになりました。
そのおかげで、8時の終了時点には、きちんと?酔っぱらっていました。
さらに、上機嫌で二次会に出席し、きちんと?記憶を無くしました。
しかし、今日携帯の発信履歴をチェックしたところ、11時過ぎには帰宅の途についたようです。
なかなかの、おりこうさんですよね。

なんだかアルコールの話ばかりになってしまいましたが、昨日の結婚式で印象深かったのは花嫁のお母さんの挨拶です。
なんでも、花嫁は幼少の頃に、自宅で行方不明になったそうなのです。
母親は必死になって探し回り、ついに風呂場で娘を発見しました。
ヒロミチャンは、30cmくらい水が溜まった浴槽に、うつ伏せに浮かんでいたそうなのです。
引き揚げますが、口のまわりは泡だらけで、名前を呼んでも全く反応は無く、呼吸も止まっていました。
救急車を要請した後、母親は人工呼吸と心マッサージを繰り返しました。
すると突然、ゴボッと水を吐いて、業界用語で言う、" バイタル " が出てきました。
ヒロミチャンは病院に運び込まれ、点滴を入れられて一命を取りとめました。
しかし、主治医は後遺症の心配があることを母親に告げました。
心呼吸停止がどれくらいの時間続いたのか不明ですので当然でしょう。
その時、どこからか夕食の匂いが流れてきたそうなのです。
すると、点滴をつながれたヒロミチャンが、" まんまー " と叫んだそうなのです。
それを見た主治医は、" もう大丈夫。 " と診断したそうです。



愛の告白?

2014年06月06日 | 日記
昨日は木曜午後休診でしたので、電気館CAFEにコーヒー豆を買いに行きました。
電気館ビルの2階で、映画のチケット売り場隣にある行きつけのショップです。
いつもの豆を購入して階段の方へ歩いていると、チケット売り場の顔なじみスタッフが私を追いかけて来るではありませんか。
20代と思われる、目がパッチリとした色白の可愛い娘です。
何事かと振り向くと、思いつめたような顔つきで、" 長谷川先生? " と訊いてきます。
何故私の名前を知っているのかを疑問に思いながらも、その真剣なまなざしに、私は愛の告白かと、ドギマギしてしまいました。
彼女は、"長谷川先生でしょ?"と念を押してきます。
そうですと答えたところ、彼女は、"私は昔先生に会ったことがあります。" と言います。
さらに、" 私はN町のKNの孫です。"と自己紹介したのです。

20年以上前のことですが、私はKN氏の母親、すなわち彼女のひいおばあちゃんの主治医として毎週往診に行っていました。
その時に小学校低学年であった彼女を見たような、かすかな記憶が甦りました。

しかし私は、この2年以上もの間、この電気館を度々訪れています。
そして彼女とも顔なじみでです。
それなのに何故、このタイミングで私を思い出したのかは謎でした。

しかし、その謎はしばらく考えると、すぐに解けました。
答えはメガネです。
最近の私は、メガネをはずしていた方が目が疲れないということに気づいて、
できるだけそうするようにしているのです。
そして20年前の私は、まだ老眼鏡をかけていませんでした。

しかし、彼女の記憶力にも感心させられます。
当時はKN夫婦と彼女の両親は同居しておりませんでした。
したがって、夏休みなどで彼女がたまたま遊びに来ている時に私が往診に来るというレアなチャンスしか無かったはずなのです。

さて、今回の出来事を考察してみましたが、少なくとも、私には42歳が20年ぶりの62歳になっても、
正体を見破られたことに対して、胸を張る権利があると思いますが、どうでしょう?

臙脂 (えんじ)

2014年06月03日 | 日記


気まぐれで臙脂色の白衣?を購入してみました。
患者さんたちには、なかなか好評のようです。

さて臙脂は早稲田大学のスクールカラーですが、私自身は漢字で燕脂と書いて、燕の眼の縁にある紅い色だと思っていました。
ところが、今朝、斎藤茂吉の、" のど赤き玄鳥 (つばくらめ)二つ屋梁(はり)にいて 足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり " を思い出しました。
紅いのは眼の縁ではなく、喉なのかなと思い調べてみました。

すると、燕脂では無く臙脂と書くのが正解のようで、中国の「燕」の国で生産された超高級品の口紅のことだそうです。
殷(いん)の紂王(ちゅうおう)の愛妃・妲己(だっき)が王にねだって取り寄せたことから有名になり歴史に名を残したそうです。

もともと、私の勘違いは、茂吉の歌が出発点でしょうから、中学生時代だったとすれば50年近くもの歴史があります。
その間、何故、のどでは無く、眼の縁と考えていたのかは謎です。
そこでツバメの画像を検索してみました。





というわけで、全くの間違いではなかったようです。

ところで、今朝は婦長から、" 酒臭い! " と非難されました。
昨夜は家飲みでしたので、冷蔵庫をチェックしてみると、なんとジョニ黒を1リットルも飲んでいたのです。
どうりで、なんだか朝から機嫌が良く、ハイテンションだったわけです。
二日酔いの辛さも一切無く、昼休みには、すき屋の牛丼ライトと牛皿を美味しくいただいて、このブログを書いています。

しかし、二日酔っぱらっていると赤ら顔を指摘されます。
この臙脂のユニフォームはそれを和らげる効果があるかもしれませんよね.....