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はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

明日の空の向こうに

2013年04月01日 | 映画




30日の土曜日に、上記作品を観るために電気館に行ってきました。
今年初めての映画鑑賞です。

旧ソ連の浮浪児3人がポーランドの空の下には、もっと良い暮らしが待っているに違いないと信じて、危険な越境にチャレンジする物語です。
11歳の少年と10歳の兄、6歳の弟の3人ですが、なんといっても、この6歳の少年こそが主役です。

ペットボトルに水を汲み足しながらの、金も食料も無い旅ですが、もともとが浮浪児ですので悲壮感はなく、日常の延長のような雰囲気です。
6歳の少年・ペシャの演技力は完璧で、全く演技を感じさせません。
パン屋のオバチャンをおだてて、くどいて、パンをせしめるセリフ回しと媚び方は大人顔負けです。
最近は、日本でも子役のレベルが、芦田真菜ちゃんの例を持ち出すまでも無く、上がっていますが、この6歳のペシャには勝てません。
悲惨な境遇は少年達の魂を、ふさわしい年齢以上に成長させてしまうというストーリーなのでしょうか。

ストーリーとは別ですが、異常に喫煙シーンが多い映画です。
子供達の喫煙シーンもかなりの時間を割いて2回も出てきますし、終盤の警察署長は、最初の尋問シーンから最後まで、ずっと煙草を吸い続けます。
しかし、振り返れば、50歳以前の私も、そのように見られていたに違いありません。

映画としてはストーリーもエンディングも面白く無く、オススメではありません。
ただただ、6歳の少年の、演技か素地なのかわからない演技力に圧倒される作品でした。

ブラック ブレッド

2012年11月24日 | 映画




昨日は電気館に上記を観に行きました。

スペイン映画ですので、アメリカ映画とは倫理基準が全く違うという点で、ある意味衝撃的でした。
冒頭から残虐なシーンが展開されます。
10歳くらいの息子を乗せた馬車をあやつる男が突然襲われ、石で頭を叩きつぶされて絶命します。
犯人は死体を馬車に積み、馬に目隠しをして断崖まで連れて行きます。
そこで犯人は馬のこめかみを石で一撃します。
馬は膝を折るようにして失神し崖から転落します。
繋がっている馬車も転落しますが、その中には死体と生きたままの息子が乗っています。
この、馬が膝を折って転落していくシーンはスローで放映されるのですが、おそらく実写です。
もしもアメリカならば、動物愛護協会が黙ってはいないでしょう。

転落した馬車の第一発見者が主人公である短髪の少年です。
スペインの貧しい家庭の日常生活が映し出されますが、なんとなく日本の江戸時代が連想されます。
貧乏百姓は米を食うことができずに、麦や粟を食べねばならなかったのと同様に、スペインでは貧乏人には白パンを食べることなど、
とんでもない贅沢であったようです。
タイトルの ブラック ブレッド はそこに由来しています。

少年の父親に嫌疑がかかり、母親を中心に家族でかくまうのですが、結局は逮捕されてしまいます。
母親の負担を減らすために、少年は親戚の家に預けられるのですが、そこにいたのが写真のロン毛の少女です。
この少女は教師と肉体関係があり、一瞬ですが全裸のシーンも登場します。
また少年の手を自分の股ぐらに導いてセックスを強要するシーンもあります。
日本ならば確実に児童ポルノ条例?違反でしょう。

さらに10人くらいの男達が洞窟に、ある男を追い詰めて押さえつけ、紐を使って金玉を縛りちぎるというグロテスクなシーンもあります。
画面にはボカシがかかっていましたが、スペイン本国ではどうなのでしょうか。案外モロのような気がします。

オチとエンディングも日本では考えられないようなものでした。

以前にアルゼンチン映画を非難しましたが、これはこれで結構ひどい作品でした。

それにしても、ヨーロッパ人?の残虐性には日本人はたちうちできないように思えました。

危険なメソッド

2012年11月12日 | 映画


昨日は天気が悪かったので、ゴルフをキャンセルして上記作品を観るために博多にまで足をのばしました。
この作品ですが、九州では博多でしか上映されないのです。

30歳くらいのユングが主役でその患者であるロシア人ザビーナがヒロインです。
冒頭での精神を病んだザビーナの演技は、ちょっと引いてしまいたくなるほど強烈なものでした。
いわゆる”変顔”でしょうか、下唇をつきだして白目を剥き、沼に飛び込んで泥だらけになるなど、すざましい演技でした。
ストーリーは実話を元にして作られていて、ザビーナはユングのトーキングセラピー(対話療法)によって、自身の抑圧の深い闇から解放されていきます。
その後ザビーナは医学部に入学し精神科医をめざします。
当時スイスでは50歳くらいのオーストリア人フロイトが、精神分析の世界で勇名をはせていました。
ユングはある日フロイトを訪ねますが、その日、精神分析の話題で意気投合した二人は10時間以上も話し込んでしまいます。
 
ザビーナが順調に医学生として2年ほど経過した頃、ユングはザビーナと寝てしまいます。
以前から、ザビーナに求愛されていたのを、ずっと突っぱねていたのですが、自分の患者でもある精神科医の
、”快楽に身をゆだねろ。”という言葉に負けてしまうのです。
生来、まじめで、浮気には向いていない性格ですので、ユングは悩み抜きます。
そして師と仰ぐフロイトにまで嘘をつかねばならないことに耐えきれず、ユングはザビーナに別れ話を持ち出します。
以後は、お約束のゴタゴタが公になっていき、フロイトにもユングの妻にもバレバレになっていきます。
結局、ザビーナはフロイトに師事し優秀な精神分析医になります。

フロイトはある時期、ユングを自分の後継者に指名し、ユングもフロイトの申し出により国際精神分析学会の会長を引き受けるという蜜月時代を過ごしますが、
後年、二人の仲は決裂します。その決裂の原因の一つがザビーナであったかもしれないそうです。

なんというか、浮気に向いていない性格ってあるんですね。
そういう性格の男性は浮気をしても楽しめずに、かえって苦しむことになるようです。
私ですか? もちろん私もそういうタイプの一人です。



デンジャラス・ラン

2012年09月14日 | 映画



昨日は木曜日の午後休診を利用して映画を見に行こうとしたのですが、新市街の電気館では、見たくもない作品ばかりが上映されていました。
そこで、仕方なく、浜線のTOHOシネマに行って上記映画を鑑賞しました。卒業したつもりのドンパチ物です。

主役である元CIAの凄腕工作員をデンゼル・ワシントンが、また相手役の新米CIAをライアン・レイノルズが演じています。
世界36カ国から指名手配を受けている伝説的な天才工作員デンゼルは、CIA、MI-6、KGB内の裏切り者、汚職に手を染めている者のリストを入手します。
舞台は南アフリカのケープタウンですが、デンゼルはリストを奪還しようとする敵に追い詰められてしまいます。
逃げ場を失ったデンゼルは、やむを得ず、アメリカ大使館に逃げ込み、CIAに逮捕されてしまいます。
このような事態を想定して、CIAは世界各地に秘密の隠れ家をキープしています。
ケープタウン郊外の隠れ家で、じっと利用者を待つという退屈な仕事を任されていたのが新米CIA局員のライアンでした。
尋問の専門スタッフ数名がデンゼルを隠れ家に連行して来て尋問と拷問が始りますが、突然、敵の襲撃をを受けます。
味方が全滅する中、デンゼルとライアンは脱出に成功します。
以後、お約束のカーチェイスや素手での殴り合いが展開されていきます。

冒頭ではデンゼルは他人の心理を操る天才だとの紹介がありますが、この映画では感心させられるような場面はありません。
むしろ、新米CIAに対しては馬耳東風に終わったような印象さえ受けます。
ストーリー事態にもあきらかなほころびが数々見受けられます。
最初の隠れ家を急襲されたにも関わらず、別の指定された隠れ家に性懲りもなく行くのは、よほどのオバカでもためらう筈です。
隠れ家の番人をしていた敵の回し者は、ライアンに対して銃を突き付けられながらも、CIAの後輩だと思わせることに成功します。
ボスや味方が、隠れ家を目指していることは百も承知のはずなのに、なんでもないタイミングで、いきなりライアンに襲いかかり、
延々と続く退屈な殴り合いの末に殺されてしまいます。

結局、この映画では、デンゼルは、一つもいい所無く殺されてしまいます。
ライアンのアメリカ人好みのガッツと執念も、この手のアクション映画では見飽きていますので感動はありません。

懲りました。今度こそドンパチ物を卒業します。


るろうに剣心

2012年09月10日 | 映画


昨年のNHK大河ドラマ、”竜馬伝”に人斬り以蔵役で出演していた佐藤健が主演の映画です。
異常に大きく澄み渡った目が印象的なイケメン役者で、はまり役を的確に演じていました。
監督も竜馬伝の監督であった大友啓史がメガホンを取っています。
ストーリーには特に見るべき点もなく、”活人剣”と称して、”人を殺さない”という幼稚なポリシーを主役に背負わせるという原作者のオバカさが鼻につきました。
おもわぬ収穫は青木崇高という役者です。
竜馬伝では後藤象二郎という憎まれ役を演じていた俳優です。
この映画では主役の相棒を努めましたが、その超ド級の迫力には拍手を送りたくなります。
サッカーの長友選手が時折見せる、いかにも野心満々といった表情が、青木崇高にも認められます。
最近私は平清盛を連ドラ予約して視聴していますが、やがては武蔵坊弁慶役で登場するそうですので楽しみです。
松田翔太にイケメンの岡田将生など、NHKは有望な若手男優を遠慮なく使いこなしていきますね。
それに比べると、それほど期待できる女優が見当たらないのがチョット淋しいような気がします。
綾瀬はるか、宮崎あおい、堀北真希、武井咲、などを”悪くはないけどイマイチだ。”
と言うと、”何様のつもりだ!”と怒鳴られそうですが...

ファウスト

2012年09月07日 | 映画

予告編は面白そうだったし、評論家の立花隆氏が、”試写会で二度見したがまだ足りない。公開されたら三度見をするつもりだ。”と書いておられましたので、
かなりの期待を胸に、観に行きました。
しかし、参りました。面白くもなんともない、退屈な作品でした。
ドイツ映画で、監督も有名なのだそうですが、ストーリー展開が散文詩のようにバラバラで理解しにくく、
途中からはあきらめて、ただただヒロインの完璧に形の良い鼻だけを鑑賞しました。
何故にこれほど面白くなかったのかを考えてみました。
原因としては、私がファウストを読んだことが無く、ストーリーを殆ど知らない点にあるのかも知れません。
悪魔であるメフィストフェレスにだまされて魂を売る悲劇だというくらいの予備知識しかありません。
思うにキリスト教徒が多い欧米ではファウストのストーリーはかなりポピュラーなのではないでしょうか?
したがって、展開をわかりやすくする必要が無かったのではないのかと推理しました。

もしも、黒沢明が古事記や日本神話の有名な逸話を映画化したとすれば、このような仕様になったかもしれません。
逸話を知っている日本人には問題無いでしょうが、外国人には、理解しにくい作品に。

LES HERBES FOLLES 風にそよぐ草

2012年08月24日 | 映画




邦題は”風にそよぐ草”となっていますが、完全な誤訳で、直訳すれば”気が狂った草”となります。
実際、映画の中でも、コンクリートの隙間から生えている、生命力逞しい雑草が何度もクローズアップされます。
写真の男性は50歳くらいの役どころなのですが、どう見ても70歳くらいのジジイにしか見えませんよね。
ストーリーは、このジジイが偶然に財布を拾い、その中に入れてあった、持ち主である女性の写真に一目惚れすることから始まります。
警察の手によって財布が返ってきた女性はジジイにお礼の電話をかけます。
女性は40歳台後半位の歯科医で趣味は小型機の操縦ですが、日本人では、まずお目にかかれないようなひどいソバカスおばちゃんです。
この電話以降、ジジイのソバカスに対するストーカー行為が次第にエスカレートしていきます。
最初は留守電、次は手紙、などですがソバカスは全く相手にしません。
ジジイは、あげくの果てに、ソバカスの車のタイヤを4本とも切り裂くという暴挙にでます。
さすがに、ここまでされると、ソバカスも警察に相談せざるを得ません。
告訴もしないし、賠償も求めないので、今後自分にまとわりつかないように説得してくれと頼みます。
それでストーカーは終わるのですが、こんどはソバカスがジジイのことを心配してしまいます。
警察を使ったことでジジイを深く傷付けたのではないだろうかと。
ある夜、ソバカスはジジイの家に電話をかけます。
電話にでたジジイの美人妻はそれがソバカスからのものであることを見抜きます。
驚いたソバカスに対して美人妻は、ジジイが自分になんでも打ち明けることを説明し、暗に、ジジイが最近ひどい精神状態にあることをほのめかします。
その夜ジジイは街の映画館にパイロット物を見に行っていました。
それを聞きだしたソバカスは映画館の前にある喫茶店で上映が終わって出てくるジジイを待ちます。
ジジイを見たことは一度も無いソバカスでしたが、誰がジジイなのかを見極める自信がありました。
正確にジジイを見抜いたソバカスは、後ろから回り込んで正面から対峙します。
驚いたジジイは、”愛の告白か?”とボケをかまします。
ソバカスの、”いいえ、心配になったから。”という応えには、”愛せなくとも心配することはできる。”とやりかえします。
以後、愛が進展することもないのですが、今度は逆にソバカスのほうが深みにはまっていき、イライラして仕事が手につかなくなります。
エンディングは二通り用意されていました。ジジイ夫婦を遊覧飛行に招待したソバカスが飛行場の事務所でジジイとキスをするシーンで終了の文字が出ます。
ところがそこで終わらずに映画は続き、3人での遊覧飛行中に冗談で操縦をまかされたジジイが失敗して墜落したかもしれないという
微妙なシーンで2回目の終了マークが出ます。
日本人ならば引いてしまいそうなストーカー行為が、フランスでは情熱的だとか、自分に正直だ、などと褒め讃えられるのかも知れません。

オレンジと太陽

2012年07月27日 | 映画


終戦後にイギリス政府は秘密裏に児童達の強制移民を続けました。
健康な白人で3歳以上であることが適用条件であり、障害者や黒人は難を逃れました。
貧しい家庭に声をかけ、子供たちを施設に収容し、頃合いをみて、強制的に移民させたのです。
”オーストラリアは太陽が素晴らしく明るいし、毎朝オレンジをかじれるんだぞ。”と騙して。
そして、その子の親には、”立派な里親に引き取られたので探すな。”と嘘をついたのです。
行先は、この映画の舞台であるオーストラリアが多かったようですが、他にも、農家に対する安価な労働力としてのカナダや、
また白人のエリート経営者を保護するための旧ローデシア(現ジンバブエ)がありました。
この秘密のプロジェクトは1970年まで続けられ、その総数は、なんと13万人にのぼりました。
そして、そのほとんどが、劣悪な状況下で重労働を強いられ、暴行を受けています。
ある修道院では、収容されたほとんどの少年達が、牧師らにレイプされ続けていました。

1986年にイギリスでソーシャルワーカーとして働いていたマーガレット・ハンフリーズが、
オーストラリアから来英した女性の思い出話に疑問を抱き、調査を開始しました。
その女性は幼い頃に英国の児童養護施設から、オーストラリアに集団移送させられていたのです。

英国政府も豪州政府も知らぬ存ぜぬの態度を貫きましたが、マーガレットは多くの証言を集め、最近で言うNPO団体である”児童移民トラスト”を夫と共に立ち上げました。
1987年のことですが、夫婦は現在もそこで活動中です。

イギリスがこのようなとんでもないプロジェクトに手を染めた背景には日本の影響もあるそうなのです。
太平洋戦争で1942年2月に日本軍はイギリス軍を打ち破りシンガポールを陥落させ、多数のイギリス軍、オーストラリア軍の兵士を捕虜としました。
それ以来、1943年の12月まで、オーストラリアは日本軍の空襲を受け続けたのです。
その苦い経験から、英国政府も豪州政府も、ある結論に至ったのです。
それは領土を守るためには、イギリス人の人口を増やす必要があるというものでした。

豪州政府がこのプロジェクトの存在を認め、首相が謝罪したのは2009年11月でした。
英国政府がこのプロジェクトの存在を認め、首相が謝罪したのは2010年2月でした。
知っていても、しらを切り通そうとするのは日本政府だけでは無いのですね。

主役のエミリー・ワトソンは以前に”レッド・ドラゴン”で盲目の女性を演じていました。
45歳でイギリスを代表するような女優だそうですが、私も大好きです。
とくに、相手の目をじっとのぞき込むときの凛とした表情が素晴らしいと思います。
あの表情でのぞき込まれると、私ならすぐになんでもゲロしてしまいそうです。

おとなのけんか

2012年06月08日 | 映画


子供同士の喧嘩で、負傷させた方の夫婦が、負傷した側の夫婦宅へ謝りに訪れます。
最初の和気あいあいの雰囲気が次第にピリピリしたものとなり、途中からは罵りあいに発展します。
更には、夫婦喧嘩が発生したり、男性二人がタッグを組んで女性二人に対峙したりのドタバタコメディーでした。
被害者側の妻ペネロプをジョディー・フォスターが演じていました。
ペネロプはアフリカの民族紛争や難民問題を憂慮する出版物?製作に関係したり、絵画の本を集めたり、
子供の情操教育を考えて、定期的にコンサートや絵画展に連れていくという、良き母親でした。
ところが彼女こそが、この喧嘩のA級戦犯なのです。
相手の男の子が、持っていた棒きれを振り回し、たまたま自分の息子の口にあたって前歯が2本折れ、唇が腫れたのですが、
ペネロプの表現では、”武装した少年に襲われ、フィギュア?が変形した。”となります。
また、加害者側の妻が息子を謝罪に連れてくることを提案しても、”無理やり連れてくることに意味はない。
本人が本当に反省して謝罪したがらない限りは、お断りだ。”と問題をややこしくしていきます。
ストーリーの終盤で加害者側の夫がペネロプに対して次のように怒鳴ります、
”正義の番人のような女なんて、クソックラエだ。男はみんなかわいくてセクシーな女が好きなんだ。
テレビにジェーン・フォンダが出てくると腹が立って、KKK(ク・クラックス・クラン?)に加担したくなる。”
ロマン・ポランスキー監督が最もしゃべらせたかった台詞はこれであったような気がします。(セリフはうろ覚えですので正確ではありません。)

この作品は冒頭で、タイトルとクレジットを流しながら、公園での少年達のいざこざのシーンが、顔も認識できないほどの遠くからの、音声も無い画像で始まります。
最後も同じような公園のシーンにエンディングクレジットが入ります。
この冒頭と最後のシーン以外はすべて、ずっと、ペネロプの住まいでの連続的な出来事なのです。
インターネットで検索してみると、もともとは舞台劇であったものを、ポランスキー監督が映画化したそうなのです。
何の為なのか意味がわかりません。監督の気まぐれか思い付きでしょうが、舞台ではとても実現できない映画の利点を最初から放棄しているのです。
この映画は玄人受けしたそうですが、素人の私には退屈な作品に過ぎませんでした。
特に前半はジョディー・フォスターの無神経な言葉遣いと、加害者側の夫の携帯電話にいらつかされるばかりでした。

この映画の製作費は通常のハリウッド映画の数十分の一に過ぎないように思われます。
単なるショボイ作品でした。


ル・アーヴルの靴磨き

2012年05月18日 | 映画



ノルマンディー地方のセーヌ川河口にある、フランスで2番目の規模の港町、ル・アーヴルが舞台です。
作家くずれで、羊飼いと靴磨きこそが、神とも人々とも、最も近いポジションにいられるという信念を持つ老人マルセルが主人公です。
妻のアルレッティとの二人暮らしは困窮の極みにありますが、二人とも意に介さず、落ち込むことも有りません。
アルレッティは近所の人たちが誉めたたえる程に良くできた妻で、靴磨きのくせに自分の靴に無頓着な夫の靴を磨いてやります。
そのアルレッティの唯一の楽しみは、夫が寝付いた後で、こっそりと吸う一本の煙草です。
マルセルも近所では嫌われてはいませんが、八百屋やパン屋には、ツケを溜め過ぎているために、煙たがられています。
ある晩、以前から食欲が低下していたアルレッティが上腹部痛で動けなくなり緊急入院となります。
主治医に、助かる見込みがないことを告げられたアルレッティは”少しの望みも無いの?”と食い下がります。
”奇跡が起こるのを信じましょう。”と言われた彼女は、”うちの近くでは起こったことは無いわ。”とフランス流のユーモアで言い返します。
そしてマルセルへの告知を、出来る限り遅らせることを主治医に約束させます。
アルレッティの入院と入れ替わるようにマルセルはひょんな偶然からアフリカからの密航少年をかくまい始めます。
敏腕警視であるモネはマルセルが怪しいとにらみ、警告しますが、マルセルはしらを切り通します。
近所の人たちは、アルレッティへの見舞いを通じて、彼女の余命が長くないことを察知します。
そのことに気づかず、少年をかくまうことに必死になっているマルセルを不憫に思い、近所の人たちは、彼に全力で協力します。
ようやく少年の密出国が成就しようとした場面で、残念ながら、モネが部下達を引き連れて船に乗り込んできます。
万事休すかと思われたのですが、なんとモネは目をつぶり、少年を見逃します。
無事に一件落着したマルセルが病院に駆けつけると、ベッドにアルレッティの姿は無く、前日に届けさせた彼女の服が、包みを開けられることも無く放置されています。
ところが、主治医の部屋に呼ばれたマルセルは、理由は分からないが、アルレッティが奇跡的に全快したことを告げられます。
これが、予告編で謳われていた、映画史上最高のハッピーエンドということなのでしょう。
とても評価が難しい作品です。言えることは、昔からそう感じていたことですが、フランス人は日本人よりも幼稚な国民性を持つのではないのかということです。
こんな幼稚な結末は、日本人には恥ずかしすぎてとても作れません。
しかし、観終わった印象としては腹は立ちません。
マルセル、アルレッティ、密航少年、モネ、八百屋の夫婦、パン屋の夫婦、靴磨きの後輩、酒場のオカミなど、良心的なキャラが多数登場するからです。

シェイム

2012年05月11日 | 映画


”シェイム”はひどい映画でしたが、たった一つだけ感動したシーンがありました。
上記の写真の、紫のニット帽の女性の演技です。
写真では二人はならんで立っていますが、当初は向かい合ってシートにに座っていたのです。
無遠慮に、ジロジロとなめまわすように視線をからませてくる主役に対して、最初は困惑し、やがて恥ずかしがり、
その後、愛想の笑みを少し浮かべたり、感じて上気してきたりと、表情の変化だけでみごとに役を演じ切りました。
この写真の直後に地下鉄を降りた彼女を、彼は追いかけるのですが、振り切られてしまいます。
この振り切られるまでにも、数分間が費やされます。万事がこの通りで、ノロい展開でした。

映画の中でキャリーがJAZZのスタンダードナンバーである”ニューヨーク、ニューヨーク”をフルコーラスで歌います。
ニューヨークで頑張って幸せになろうというような歌詞ですので、これを聞きながら兄は、こっそり涙します。
この曲を歌わせるだけのために、職業をクラブ歌手に設定したのでしょう。
しかし、下手では無いものの、一流とは思えない歌唱力で5分間も歌わせるのはいかがなものでしょうか?

小学生の頃に映画館で、ザ・ピーナツ主演の作品を観たことがあります。
意味も無く、何曲もフルコーラスが入るだけで、ストーリーはおざなりな物でした。
半世紀ぶりにその記憶が甦りました。

キャリー・マリガン

2012年05月11日 | 映画



昨日は木曜午後休診を利用して、新市街の電気館に、最近売り出し中の女優キャリー・マリガンの映画を観に行きました。
もともとは4時半からの”シェイム”を観る予定だったのですが、時間割を見ると2時半からに”ドライブ”とあります。
”ドライブ”のヒロインもキャリー・マリガンでしたので、連チャンで観ることにしました。

”ドライブ”は自分自身では、もう卒業したと思っているドンパチ物アクション映画です。
修理工、スタントマン、犯罪者の逃走を助ける腕利きのドライバーという3つの顔を持つ主役はアパートの隣に住む子持ちのキャリーと仲良くなります。
以後、出所してきたキャリーの亭主が罠にはまって射殺され、巻き込まれた主役はキャリーとその息子を助けるためにクールに敵を殺していき、
最後は大ボスと刺し違えるというベタな筋書きでした。
キャリーの役柄には、何のキャラクター付けもされておらず、ただ明るく、貞淑な、お人形さんを演じるだけでした。
しかし映画としては、アクション映画ですので当然ですが、展開が早く、退屈することはありませんでした。

一方”シェイム”の展開の遅さにはウンザリとさせられました。
アイルランドから一緒に移住して来て、エリートサラリーマンになった兄とクラブ歌手になった妹の物語です。
兄はSEX中毒でナンパ、売春婦、インターネットのポルノサイトなど幅広くやりまくっています。
キャサリンは自分の孤独と向き合うことができないタイプで、彼氏に振られると兄の住まいに転がり込んできて、
そこからモト彼にストーカーまがいの電話をかけたり、そこに兄の上司を連れ込んだりします。
兄から追い出されますが、しつこく兄にまといつきます。そして、あげくの果ては、兄の部屋でリストカットを図ります。
この映画の予告編では主役の過去にひどく恥じるべき出来事があり、そのトラウマでSEX中毒になっているようなことが示唆されていました。
しかし、私には最後までそれが何であったのかわかりませんでした。今年観た映画のワーストワンです。

映画の中盤で、私のそばに座っていた男性が突然出て行ってしまいました。
私も出ようかなと考えましたが、シェイムの根源に興味があったので最後まで観てしまいました。
見終わった後に、”中座した男性の勝ち?だ。”と思いました。





アーティスト

2012年05月07日 | 映画


一昨日は腰痛のためにゴルフを断念し、電気館にて上記映画を観てきました。サイレント映画時代の大スターが主役の恋愛映画です。
彼に憧れ、女優をめざすヒロインは順調に出世していき、トーキー映画の普及によってその人気がブレイクします。
一方、主人公はトーキー映画を認めず、自分で借金して、サイレント映画を製作しますが、
封切り日がヒロインの新作とバッティングしたこともあって、失敗し、破産します。
以後、、彼は破滅への道を歩み続けるのですが、どのような事態においても、ヒロインは彼に思いを寄せ、ひそかに彼を支援し続けます。
結局は彼女が彼を無理やりに共演者としてトーキー映画に出演させ、タップダンスの音で観客を魅了するというハッピーエンドでした。
ある一点を除けば、古典的でベタなストーリーで、別に、何ということも無い映画なのです。
ところが私は、映画の中盤あたりからヤバイなと思い始め、終盤が近づいた頃には涙をこらえきれないようになってしまったのです。
原因は主人公が飼っている犬です。驚異的に様々な芸を仕込まれていて映画にも共演する利口な犬です。
この犬が飼い主にひたすら忠実に尽くす姿を見ると、涙してしまうのです。このタイミングで涙を流すのは私だけだったでしょう。

私は物心ついてから、犬を飼っていない時期が殆んど有りません。常に犬を、それも複数飼っていました。
このクリニックを開業して間もない16年前の3月に患者さんが2匹の仔犬をプレゼントしてくれました。
柴犬の雑種で、雌犬の姉妹ででした。リーダー犬は”クロ”、もう一匹は”ワン”と名づけられ当院で育ちました。
室内犬ですが、散歩させる時でも、一度もリードを使用したことは有りません。
必ず、ちゃんと私についてくるし、車のドアを開けると、自分達で乗り降りしました。
そのリーダー犬の”クロ”が、一年前に大動脈弁狭窄症で他界しました。
一年が経過しても、ペットロスのトラウマから、未だ、私は解放されていないのです。

愛犬家は死なれる度に深みにはまっていきます。次に飼う犬にはさらなる愛情うを注ぐのです。
しかし、今回は、これまでと違って次の犬を飼うわけにはいきません。私よりも犬の方が長生きをする可能性があるからです。
今、私の傍らには、16歳になって年老いた”ワン”が静かに眠りながら、遠くはないであろう”お迎え”を待っています。


人生はビギナーズ

2012年05月04日 | 映画



先日、新市街の電気館で上記映画を観賞しました。

ストーリー自体は、妻の死をきっかけに75歳にして、自らがゲイであることをカミングアウトし、その道を謳歌する父親を中心に展開していきます。
末期癌を宣告されても、父親はめげることなく人生を楽しむことに専念します。
しかし、主役はその息子である38歳の独身クリエーターであり、この作品は、偶然知り合った美人女優とのラブストーリーなのです。
この二人のラブストーリーがあまりにもデリケートで地味なために、ゲイである父親のドタバタと死をメインに据えることでしか映画として成り立たなかったのかも知れません。

父親の死のトラウマを引きずって生きる主役は、ある仮装パーティーで、美しい女優とめぐり合います。
女優は”悲しいのに、あなたは何故、こんな場所に居るの?”と主人公に質問します。
主人公の目が悲しげであることを看破したからです。
これをきっかけに、二人は交際を始めるのですが、主役の男性はもともとが、悲観的で一歩引くような性格です。
父親の死から立ち直れない主役に対して、”私はあなたの喪失感を埋めることはできない。”と言い残し、女優は彼のもとを去ります。
主役はそれを引き止めません。
彼は亡くなった父親が75歳でゲイのビギナーとしての新しい人生をスタートさせたことを思い出します。
この物語はロサンゼルスが舞台でしたが、主人公は一念発起して、ニューヨークにある女優のアパートを訪ねます。
驚かせるために連絡もとらずに押し掛けたのですが、彼女は留守でした。
携帯に電話してみると、彼女もロスを離れきれずにいたことがわかります。
急遽ロスの自宅に戻った彼のもとへ彼女が帰ってきてハッピーエンドという筋書きでした。
女優は、出ていく自分を何故引き止めなかったのかと質問します。
主人公の答えは”自信が無かった”というものでした。
この二人が今後幸せに暮らしていく可能性はとても低いように感じました。

この主人公の”去る者追わず”という冷たいスタンスは私自身の人生と似通っているような気がして、チョッピリ悲しい気分になりました。











サラの鍵

2012年03月15日 | 映画


木曜日の午後休診を利用して、新市街の電気館で上記映画を観てきました。
第二次世界大戦下の1942年、フランスはドイツに占領されていました。
その年の7月にドイツ軍の命令によって、パリ警察は、パリに住むユダヤ人1万数千人を拉致して収容所に連行したのです。
10歳くらいの少女サラの家にもパリ警察が押し掛けてきました。
サラは7歳くらいの弟を納戸に隠して鍵をかけます。
連行されたサラは何としても脱走して、弟を救出する必要に迫られます。
一方、サラ一家が連行されて空家となった部屋は1942年の8月から、あるフランス人一家が購入して、現在までずっと住み続けています。
このフランス人一家の長男と結婚したジャーナリストが、この映画のもう一人の主人公です。
過去の記録から、サラの一家が、この部屋から拉致されたことをつきとめます。
更に、どの収容所の死亡記録にもサラの名前が無いこともわかります。
彼女のサラを探す旅が始まります。
これ以上ストーリーを書くのは控えますが、この映画で一番感動したのは2分間ほどのラストシーンです。
こんなエンディングの手法もあるんだなと感心させられます。

この映画は、今までアップしてきた作品の中で、最もお奨めです。