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はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

利己的な遺伝子・リチャード・ドーキンス

2016年03月23日 | 読書


30年前に出版されて、世界中で物議を醸した作品です。
私が当時聞きかじったのは、" 生物は遺伝子を次の代に受け渡すための乗り物に過ぎない。 "というものでした。
まあ、分かりやすい理論で、読むまでも無く、" そういうものかもしれないな。 " と思い、実際にこの本を手に取ることはありませんでした。

そして、今回、この大作を読み始めたのですが、聞きかじった部分は、ほんの一部に過ぎず、難解な理論たちが待ち構えていました。
まあ、基本的なラインはダーウィンの自然淘汰説に準拠します。
つまり、ある生物集団において不適当な個体が排除され、特定の形質を持つ生存力の大きい適者が生き残って繁殖する現象です。
ところでこの自然淘汰ですが英語では natural selection と表示されていました。
こいつを和訳するならば自然選択になるはずですよね。
そこで淘汰をグーグル検索しました。
淘は水で洗って選択すること。汰は勢いよく水を流すことでした。
不純物や不適応な物は流されてしまって残らないという意味でしょうが、才能あふれる和訳ですよね。

さて、書評ですが、このボリュームを解説することは不可能です。
そこで、今後この本を読まれる方々のために、私が理解しにくかった考え方を、紹介しておきます。

Evolusionarily Stable Strategy (ESS)
進化的に安定した戦略


ある種の個体群をタカ派とハト派しかいないと仮定してみる。
タカ派は必ず攻撃で勝利を目指し、ハト派は時間はかかるものの話し合いで決着をつけるものとする。
互いに相手が何派かを知らないで対決した時に、その結果に対して点数を与えるものとする。
例えば、勝者には50点、敗者には0点、重傷者にはマイナス100点、
長い闘いでの時間の浪費にはマイナス10点でシュミレートしてみる。

もしもグループ全員がハト派だった場合は、長い話し合いの末に決着がつくので
勝った側は勝利の50点と時間の浪費のマイナス10点をたして、40点をゲットする。
負けた側はマイナス10点だけをゲットする。
この二人の平均値はプラス15点であり、なかなかの好結果のように見える。

ところが、このグループに一人のタカ派が発生すると彼の独り勝ち状態となってしまう。
彼は50点をゲットし、負けたハト派は0点に終わる。
この二人の平均値はプラス25点である。

すると、次第にタカ派が増えていくことが予想される。

次に全員がタカ派になった場合を考えてみる。
必ず激闘が繰り広げられて勝った側は50点ををゲットするものの、敗者側は大けがをするのでマイナス100点となり、
二人の平均点はマイナス25点である。
そして、このグループに一人だけハト派が入ると彼の得点は0点であるのでタカ派たちより優位となり、ハト派は増えていくであろう。

では、最終的にグループ全体の平均値をMAXにするタカ派とハト派の構成比はどうなるのかといえば
数ⅡB程度の数学力を駆使して、タカ派が12分の5、ハト派が12分の7となる。

もちろんこの結果は最初に設定した得点の設定を変えれば違う答えになるであろうが、
それでも答えは必ず存在するはずである。
このように、グループ全体の平均点をMAXにする戦略をESSと呼ぶことにする。

延長された表現型

遺伝子でクモはクモになり、人間は人間になるが、クモがクモの巣を張ったり、人間が群れて社会を作ることも遺伝子情報としてインプットされているはずである。
これを延長された表現型と呼ぶことにする。
鳥の巣やビーバーのダムもその一例である。

さて、私的には延長された表現型という和訳に対して不満を感じてしまいます。
英語では extended phenotype だったと思います。
extend は最近女性たちの間で流行しているマツエクのエクで、延長する、延ばすの意味でしょうが、英和辞典を引いてみれば、" 拡大解釈する " という訳があります。
私ならば、" 広義の表現型 " と意訳したいところです。

ミーム meme
人類は( 人類だけではないが ) 遺伝による伝達だけではなく、情報や文章、音声の録音、映像などで文化を次の世代に伝達していくことができる。
つまり先代の模倣をすることによって遺伝子を使わずに自己複製をすることができる。
そこで、そのような伝達をギリシャ語での模倣の語根である mimeme を略してドーキンスが提唱した造語である。


右脇腹の痛みが2にまで回復したので、1か月半振りにゴルフの練習を再開しました。
まだ、ポコーンとAWで寄せを50球ほど打つだけですが、快感です。
運動をして飲む酒は、やはり一味違います。
痛みと運動制限は精神をも蝕むということを実感しました。












新聞をやめてみました。

2016年03月15日 | 読書
2月いっぱいで読売新聞の購読を中止しました。
毎朝40分以上もの時間を新聞読みに費やすのは贅沢過ぎると判断したからです。

物心ついた頃から、毎朝欠かすことなく新聞を読んできました。
母子家庭ですので、私には真っ先に新聞を読む権利がありました。
毎日毎日、隅から隅まで、数十年間も飽きることなく読み続けてきたのです。

新聞休刊日には、なんとなく落ち着かないような気分に襲われていました。

得られる情報が必要かどうかということよりも、
そのニュースや記事が面白いかどうかということの方が優先されていたような気がします。
まず一面にざっと目を通します。
次に三面記事を開き、そこからページを逆に辿って一面に帰ります。
重視するのはスポーツと新聞小説と囲碁将棋欄です。

まあ、私の人生を豊かにしてくれたと言えなくも無いのですが、
殆どが不要な情報であったようにも思えます。
最近、ネットでニュースを見るようになってからは、さらに新聞は無駄な物になってしまいました。

新聞をやめて以来、毎朝を読書でスタートさせています。
今は、かの有名なリチャード・ドーキンスの " 利己的な遺伝子 " を読んでいます。
本文だけでも400ページを超えるし、序文と補注が更に150ページ以上あるという、圧倒的なボリュームの作品です。
しかし、朝一番でこいつに取り組むことで、私のアルコールにまみれた頭脳はたちまち全開となり、読書がはかどるのです。

さて、右の脇腹を負傷して20日目ですが、痛みは4くらいでしょうか。
回復しつつはありますが、まだ打ちっぱなしに行く気にはなれません。
内心では、桜が咲き始めるまで安静を続けようと考えています。

桜咲け!


今、この記事を読み返してみたのですが、自分の人生を振り返って、" 数十年も " という表現をさらりと使っていました。
" 儂も (わしも) しっかりと歳をとったものじゃのう.... "

萩尾望都

2016年03月15日 | 読書
先日NHKで萩尾望都と浦沢直樹の対談が放送されました。

萩尾望都ですか.....懐かしいですよね。

私の妹は漫画好きで、いつもたくさんの雑誌を購入していました。
りぼん、少女フレンド、マーガレット、別冊マーガレット、花とゆめ、セブンティーンなどです。
私もことごとくそれらを読破していきました。

その中で最も記憶に残るのが、萩尾望都の、" 百億の昼と千億の夜 " そして竹宮恵子の、" 空が好き " です。
まあ、百億の昼と千億の夜には光瀬龍というSFの原作者がいますので、代表作とはみなされないようですが、私的にはベストです。
そこでネットで購入してみました。





面白かったし、若いころよりも、ストーリーにたやすくついていくことができました。

さて、妹は16歳の頃でしょうか、、"18歳になったら、セブンティーンは読まない。 " と宣言していました。
ところが、実際には、20代半ばを過ぎても読み続けていたようです。

同じような話ですが、20代の頃、妹は体重が53Kgになると、ダイエットして49Kgに減らすということを繰り返していました。
そして、" 私には美意識がある。56Kgになったならば、舌噛んで死んでやる! " と宣言していました。


汎動物学・Zoobiquity・ズービキティ

2016年03月06日 | 読書


大昔には医師が、人間も動物も両方診るという時代がありました。
しかし、医学が発展してきて、ビッグビジネスになるにつれ、両者は分離されました。
その当時は、人間と動物は違う生き物であるという、願望にも似た常識が主流になっていたのです。
日本では坂本龍馬が活躍していた時代に、英国ではダーウィンが種の起源で進化論を発表して学会に一石を投じましたが不評でした。
動物にも感情や、それに付随する行動があるという考え方が受け入れられなかったのです。

デカルトは、肉体と心を完全に二分して、以下のように述べています。

人間だけが ( 特に男性が ) 心を持つ。
心を持たない動物は、物質的領域にすっかり押しやられている。
人間は、「我思う、ゆえに我あり」だが、動物は 「考えることができない」

まあ、この、( 特に男性が ) という付注には、異論もあるでしょうが、当時のデカルトの意見です。
一瞬、ニヤリとしてしまった私には何の罪もありません。

さて、10年前までは、人間を診る医師と、人間以外の動物を診る獣医師との交流は稀でした。
しかし、この本の著者は、応援に行った獣医師たちの間では数十年も以前から常識とされてきた、" 捕獲性筋疾患 " という病名を初めて耳にします。
そして、その疾患は、最近日本人医師たちによって発表された、" たこつぼ心筋症 " という人間の病気に似ていることに気づきます。
ごく最近に発表された人間の疾患が、動物の世界では昔からの常識であったことに驚き、獣医学が人間に応用できる可能性を見出します。

この本は、医師、獣医師にとっては、素晴らしく有用です。必読書かもしれません。
しかし、400ページに迫るようなボリュームですので、すべての方々に推薦するわけにはいきません。
そこで、私にとってユースフルだと思われた内容を、個別にアップしておきます。

捕獲性筋疾患
獣医学の教科書では数十年前から掲載されている疾患です。
捕食者につかまえられた動物は血中のアドレナリン濃度が危機的なまでに急上昇することがあり、筋肉に障害が起きます。
心臓の筋肉がやられた場合は、過剰なストレスホルモンによって、血液を送り出す心室の動きが妨げられ、うまく機能しなくなります。
特にシカ、齧歯類、鳥類、小型の霊長類など、捕食者の獲物にされる、ひどく神経質で臆病な動物の場合は死に至ることがあります。
捕食者が獲物に対して最初に起こすアクションは、" 見つめる " ということですから、彼らと目を合わせるという行動は避けるべきです。
そういえば、高崎山でも、" 猿と目を合わせないように " という注意書きが掲示されていますよね。
動物にとって捕まるというのは、何かが自分を食べようとしている時以外にはありえないのです。
実際に人間が動物を捕獲する際には、何割かの個体は、外傷も無く死亡します。
キリン、バッファロー、ヘラジカ、鹿、インコ、アメリカシロヅル、イルカ、クジラ、ロブスター、マスタング、などは
追いかけられるとカテコールアミンが大量に分泌され、横紋筋融解症を引き起こします。
その溶け出した血中のプロテインが腎臓での処理能力を上回り腎不全からのショック死を招くのです。
この死に方は、人間が、建て物の下敷きになって、かなりの時間が経過した後に助け出された時の死に方に似ています。
つまり、当初は意識もあって、会話も可能なのに、下敷きになって壊死した患部からの血流が再開されたために
同じようなメカニズムで死亡するパターンです。

たこつぼ心筋症
1990年代の半ばに日本の心臓専門医のチームが発表した病名です。
英語では broken heart syndrome と名付けられました。
極端な感情的ストレスを体験した人が、押しつぶされるような強い胸痛を自覚して救急病院を受診します。
心電図の波形は心臓発作の発生を示しています。
ところが、冠状動脈の造影では、閉塞や狭窄が、どこにも認められないのです。
しかし、通常はレモン型で血液を駆出し続ける心室が、たこつぼ型(裸電球型)に変形して、機能不全を起こしているのです。

さて、追いかけられた動物の何割かは捕獲性筋障害で死ぬのですが、追いかけられること無く捕獲された動物はどうでしょうか?
著者はゲームオーバーと表現しますが、やはり高い確率で死亡します。
アイルランドユキウサギ、オジロジカ、ワタボシタマリン、アンテロープ、ナキウサギ、ヒグマ、オオヤマネコ、ハイイロオオカミなどで確認されています。

捕獲された状態に、大音量が追加されると、死亡率はさらに上がります。
コペンハーゲンの公園でタンホイザーが演奏された時に、その隣の動物園で飼育されていた6歳の雌のオカピが、
ストレスいっぱいの数分間を過ごした後に、ぱったり倒れて死んでしまいました。
獣医たちは大音量が引き起こした捕獲性筋障害による死亡と診断しました。

動物ではポピュラーな心因性の障害が肉体的な障害に即座に結びつく病態を、人間の医学ではネーミングしていません。
そこで著者は Fear/Restraint-Associated Death Events
FRADEと名付けました。
おそらくは、Afraid にこじつけて エフレイド と読ませたいのでしょう。

乳幼児突然死症候群
危険要因は3つのようです。
1.うつぶせ寝
うつぶせで寝ている時、心臓の上方の部屋(心房)は、大動脈から入り込んだ血液でいっぱいになる。
そして、心房内の圧受容器が容積の増加を感知し、圧受容体神経がそれを押しとどめるための一連の反応を自動的に起こす。
その結果、呼吸衝動が弱まる。
心臓の拍動も遅くなる。
2.大きな音
たとえば、ドアをがちゃんと閉める音、車のクラクション、口論の大声、電話の呼び出し音に子供は驚きおびえる。
心拍数は、突然のショック音に反応して、急激に低下する。
3.おくるみ
2004年にベルギーの医師たちは、厳重な監視のもとで、仰向け寝、うつぶせ寝、おくるみの有る無しに赤ん坊をグループ分けして
耳から2.5cm離れたスピーカーから90デシベルのホワイトノイズを3秒間流した。
結果は、うつぶせで寝ていようが、仰向けで寝ていようが、おくるみで拘束されている赤ん坊たちは心拍数の低下が著明であった。

つまり、おくるみを着せられた赤ん坊をうつぶせ寝にして大音量を与えることは、三重苦を与えることになるのです。



さて、私の右の側腹部痛ですが、経過は最悪でした。
骨折を疑って、何度もレントゲンを撮ったのですが、確認できませんでした。
バストバンドを厳重に巻いて生活しました。
負症後3日目に、痛みは、当初を10とするならば9に減ったような気もしましたが、冷静に考察すれば、これは痛みが減ったのではなく
痛みに慣れただけかも知れないと思いました。
そして、怪我というものは、日にちが経つにつれ、回復していくはずです。
ところが、わたしの痛みは逆に悪化していきました。
7日目には、車の運転に支障をきたすようになりました。
痛みのせいでウィンカーが出せないのです。
左手一本で運転していたのですが、左手で自分の右手を握って、ハンドルまで運びました。
ハンドルに乗せた右手から、かろうじて小指を引っ掛けてウィンカーを作動させるしかありませんでした。
もちろん曲がり角でも左手一本でハンドルを切っていきます。
車庫入れでも体をねじるのが苦痛でしたので、ミラーだけを頼りに実行しました。

そして、その晩ですが、精神的に切れてしまいました。
痛みは、控えめに評価しても12くらいに増強していました。
怒りの矛先はバストバンドに向かいました。
息苦しいのを我慢しながら着用し続けていたのです。
まあ、女性たちは、ブラジャーなる物で毎日我慢していることだろうから....などと自分を慰めながらです。
我慢が全く報われなかった時に人は切れます。
温厚な?私もワンノブゼムで、バストバンドを投げ捨てました。
投げ捨てて、今日で4日目ですが、不思議なことに痛みは急速に減り始めて、数字で表せば5くらいでしょうか。
骨折は誤診で、実際は捻挫(肉離れ)だったのかもしれません。
肉離れをバストバンドで厳重に圧迫固定することが、回復に対してマイナスに働いたのかもしれません。

やれやれと一息ついたのですが、今年の春は完全に諦めていたゴルフへの復帰がチョッピリですが、垣間見えてきました。

貶める・貶す・貶む

2016年02月18日 | 読書
前々回にアップした内容ですが、確信が持てなかったので、徹底的に検索してみました。

もともとは毀誉褒貶の貶の字から始まったのですが、
結論は、貶める(オトシメル)と貶す(ケナス)は当確です。

ここで、貶すの英語について言及しておきます。
英語ではdisparageと書き、米国式の発音だとディスパラッジとなります。
最近よく耳にする、" ディスる " の語源でしょうか?

次に、貶む(サゲスム)ですが、ぎりぎり当選でしょうか。
変換すると、" 蔑む " が真っ先に出てきます。軽蔑のベツですよね。
しかし、一応セーフです。

最後に、貶る(ソシル)ですが、こいつはさすがに無理なようです。
ソシルという漢字は意外と多いのですが貶るはヒットできませんでした。
謗る、誹る、毀る、讒るなどがありました。
最初の2つは、誹謗中傷の2文字ですよね。
3つ目の毀るで、毀誉褒貶の意味がクリアーにわかりました。
毀ったり、誉めたり、褒めたり、貶したりすることです。
そして、4つ目の讒るですが、難しい字ですよね。
私がこの字にこだわるのには個人的な理由があります。

一時期、諫言(カンゲン)と讒言(ザンゲン)の読みと意味が、曖昧になっていたのです。
諫言の諫は長崎県に諫早市がありますので、いさめるという意味が容易にわかります。
しかし、これを直ぐにカンゲンと読むには、私にとって修行が必要でした。
私の中で、なぜか諫言をザンゲンと読む癖が付いていたからです。
しかし、本物の讒言という単語を習得したことにより解決されました。

念のために二つの単語の意味を分かりやすくアップしておきます。

諫言 : 殿よ、そのようなことは、おやめ下され。

讒言 : 殿よ、あやつは謀反を企てておりまするぞ。


今、" ディスる " を検索したのですが、語源は、はっきりしていません。
HIP-HOP関係から出てきたとも言われており、disrespect がそれだと言う説はポピュラーなようです。
disは否定の接頭辞ですので、なんでもよさそうな気がしますが.....
しかし、ディスるを和訳するとしたならば、" 尊敬しない " よりも " 貶す " のほうが適訳だと、個人的には思います。

芥川賞・死んでいない者、異類婚姻譚

2016年02月17日 | 読書
今月号の文芸春秋に掲載されたので、一気に読んでしまいました。
とは言うものの、本谷有希子氏の、" 異類婚姻譚 " はちゃんと読んだのですが、
滝口悠生氏の、 " 死んでいない者 " については、最初の4、5ページで、その文体に辟易としてしまい、
それ以降は流し読みになりました。
流し読みでも、面白くなく、結局、読んでいないのと同じかもしれません。
冒頭の文章をアップします。

押し寄せては引き、また押し寄せてくるそれぞれの悲しみも、一日繰り返されていくうち、どれも徐々に小さく、静まっていき、斎場で通夜の準備が進む頃には、その人を故人と呼び、また他人からその人が故人と呼ばれることに、誰もかれも慣れていた。

初老で認知症におびえ始めた私にとっては、脳味噌が拒絶反応を起こすような長すぎるセンテンスです。
私のプアな記憶力を考慮すれば、

夜が更ける頃には、その人を故人と呼び、また他人から故人と呼ばれることに、誰もかれも慣れていた。

くらいに、主語にかかる修飾語を短くして欲しいのです。
なかなか主語がでてこない文体はジジイにはつらいものがあります。

まあ、現実的には短く省略するわけにもいかないでしょうから、センテンスを2つに分けてもらえれば助かります。

押し寄せては引き、また押し寄せてくるそれぞれの悲しみも、一日繰り返されていくうち、どれも徐々に小さく、静まっていく。
斎場で通夜の準備が進む頃には、その人を故人と呼び、また他人から故人と呼ばれることに、誰もかれも慣れていた。


これならば抵抗感なく読めるのですが、文学的ではないのでしょうね.....

結論として、私が滝口悠生氏の作品を今後読む可能性はゼロです。

さて本谷有希子氏の作品は、スラスラと読み終えることができました。
これは、ジャンルとしてはファンタジー小説になるのでしょうか?

エンディングは完全にファンタジーです。
そして読み終えたときに、そういえば最初からなんとなくファンタジーぽかったなと思われます。
以前にも書きましたが、B級のホラー映画で常用される、怖いシーンを流しておいて、実は夢だったという手法を思い出してしまいました。

さて、禁酒も順調に12日間を消化して残り9日間となりました。
ストレスは全くありませんし、禁断症状も皆無です。
体重もウェストも減りました。
毎晩、黒酢ハイを美味しくいただいています。
難点は、就寝時に、" さあ、寝るぞ。 " という決意が必要なことです。
以前は酔っぱらってバタンキューでしたので、一瞬たりとも眠る努力をしたことがありませんでした。
ですから、なんだか新鮮な感じです。
新鮮であると同時に、自分が堅気(カタギ)の仲間入りをしたような誇らしげな気持ちにもなります。

内田樹・困難な成熟

2016年02月10日 | 読書


昨年の8月が初版ですので内田樹の最新作でしょう。
前回アップした、" ためらいの倫理学 " では、彼のデビュー作ということもあって、かなり苦労させられましたが、この本はスラスラと読み終えることができました。
しかし、私が内田樹をじわじわと尊敬していくという傾向に変わりはありません。

とにかく語彙が豊富なうえに、私が知っている単語でも、見たこともない使いまわしを、さらっとやってのけるのです。

たとえば、信憑性という単語がありますよね。
私は、この単語は、信憑性がある、とか、信憑性に欠ける、なんていう使い方しか思い浮かびません。
しかし、内田樹の手にかかると、
「善」と「悪」という二つの超越的な力の拮抗のうちに世界は秩序づけられているという信憑抜きには「罪」というものはありえない。
となります。
信憑抜きには....ですか。カッコイイですよね。

また、以前にこのブログで取り上げた、 " 貶 " という字も
物神という言葉を貶下的な意味で使っている.....
となります。
当然、ヘンゲテキでいくら変換キーを叩いても絶対にヒットしません。

(毀誉褒貶の貶を復習しておきます。)
貶める(オトシメル)
貶す(ケナス) は確実です。
他に可能性として、貶む(サゲスム)
貶る(ソシル) があります。


それから、読むのは簡単ですが、自分で使うことが無く、それでも使い慣れると、とても便利そうな漢字2つが目に留まりましたのでアップします。
訊いて回る (きいてまわる) と
赦し (ゆるし) です。

この本のタイトルの一つの落としどころですが
成熟というのは、仲裁する立場に立たされたときに、
それらしく振る舞えることが、一つの目安になるようです。(私の個人的な解釈です。)

とにかく、肩もこらず、ユーモアに富み、なるほどと思うカタルシスも提供してくれるというオイシイ本です。




内田樹・ためらいの倫理学

2016年01月22日 | 読書


読み終えるのに10日間を費やしました。
読むというよりも勉強すると表現したほうがピッタリくるかも知れません。
なぜならば、知らない哲学用語やフランス語が満載だからです。
いちいちグーグル検索をかけながら読み進める必要に迫られました。
その一部を紹介します。

ドクサ : 根拠のない主観的な知識。思いイ故し。( 思いなしと読むようです。)
ルサンチマン : あらがいようの無い上司や権力者に対する、恨み、妬み、ひがみ。
アクロバシー : 英語のアクロバットのようです。
キャナライズ : 流れを~に導く。運河(キャナル)を造る。
テクストとコンテクスト : 文章と文脈。織物(テクスタイル)が語源です。
ディスクール : 言説。言われたこと、書かれたこと。
ジャルゴン : ある集団の内部でだけ通用する業界用語。
アポリア :行き詰まり.
エクリチュール : 哲学。
クリシェ : 濫用されて、目新しさが失われた常套句。

当然知っておくべき人物も、数多く登場します。
エマニュエル・レヴィナス、ジャック・ラカン : 有名な20世紀の哲学者です。
モーリス・ブランショ : 極右のジャーナリストだそうです。

悪戦苦闘の末ではありますが楽しく読み終えることができました。
そしてなんとなくではありますが内田樹のスタンスが見えてきました。
表題にもなっているためらいと、含羞 です。
ある意見を述べつつも、内心では、ためらいと含羞が行き来しているようです。

明日からも内田樹の2冊目にチャレンジしていきます。

さて、昨夜はホテル日航での勉強会の後にT君とスナックガウディで痛飲しました。
12時に引き上げたにもかかわらず、今朝は酔っぱらっていました。
久し振り (半年ぶり) にスタッフから、" 酒臭い! " と非難されました。
私でさえ、このざまでしたので、T君のことがとても心配です。

( 追加記事 )
今、冷蔵庫のジョニ黒を見て分かったのですが、昨夜は帰宅後に飲み直したようです。
そういえばスピーカーの向きからして、JAZZを聴きながら飲んだのでしょう.....
ということはT君は大丈夫か.....良かった。

修猷館・中村天風

2016年01月11日 | 読書
前回アップした、"正直、親切、愉快に生きる " ですが、中村天風という人の言葉だそうです。
正確には、

今日一日を
怒らず、恐れず、悲しまず
正直、親切、愉快に生きる


でした。

内田樹の師匠は中村天風という人の弟子であったそうです。
そこで、内田樹は、自分のことを、中村天風の孫弟子と称することがあるそうです。

今日は中村天風を検索してみました。

ウィキペディアでの肩書は、日本の思想家、実業家、諜報員、日本初のヨーガ行者です。
諜報員ってスパイのことでしょうか?

天風は明治8年生まれですが、父親は旧柳川藩士でした。
6歳より、家伝である随変流という剣術と抜刀術の修行を始めます。
そして、なんと修猷館に入学したのです。
当時の修猷館は授業をオール英語で行っていたのですが、天風は幼少の頃より近所の英国人に接していたおかげで秀才となりました。
また柔道部の主将としても活躍する文武両道の館生でした。
ある年修猷館柔道部は熊本済々廣との対抗戦で圧倒的な勝利を収めます。
ところが惨敗した済々廣は包丁を持って、天風に闇討ちを仕掛けたのです。
天風は返りうちに仕留めるのですが、その際相手を刺殺してしまいました。
正当防衛が認められた天風でしたが、修猷館を退学となってしまいます。

その後、玄洋社の頭山満のもとに預けられますが、天風は、そこで頭角を現していきます。
気性の激しさから、" 玄洋社の豹 " と呼ばれたそうです。
16歳で帝国陸軍のスパイとなり満洲に赴き、大連から遼東半島に潜入し、錦州城、九連城の偵察を行います。
そして26歳で再び満州に潜入し、松花江の鉄橋を爆破します。
さらには青竜刀を手にして襲い掛かってくる馬賊達に仕込み杖で立ち向かい、" 人切り天風 " と呼ばれました。

日露戦争の直前には、コサック兵に囚われて銃殺目前となりますが、辛くも部下に救出されます。
天風は、その後も危険を乗り越えながら目的地である大連に到達します。
この作戦で派遣された帝国陸軍のスパイは113名でしたが、生きて大連に辿り着いたのは僅か9名であったそうです。

日露戦争後は帝国陸軍で高等通訳官を務めていましたが、肺結核を発症します。
その当時、アメリカのオリソン・マーデンが書いた、" Pushing to The Front " という成功哲学の本が世界中でベストセラーになっていました。
それを読んで感動した天風はアメリカ行きを決断します。
しかし肺結核が原因で渡航許可は下りませんでした。
そこで親交のあった孫文の親戚になりすまして密航します。

アメリカでオリソンに会うことはできましたが、あまり相手にされなかったようです。
そこでコロンビア大学に入学しますが、ここでも英語力が物を言ったのでしょう。

その後、英国、フランス、ドイツと廻り、35歳で帰国の途につきます。
ところが経由地であったアレキサンドリアでインドのヨーガの聖人であるカリアッパ師と出会います。
天風はそのまま弟子入りしてヒマラヤ山麓の村で2年半もヨーガの修行に打ち込みます。
その修行を通じて、天風は肺結核を完治させ、悟りを得ます。
37歳でインドを立ち、日本に帰ろうとした天風でしたが、その途上で孫文の引き起こした第二次辛亥革命に巻き込まれます。
そのまま中華民国最高顧問として孫文に協力しました。
革命は挫折したものの、その謝礼として財を得ます。

帰国後は東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任し実業界で活躍します。
しかし、44歳の時に突然感じるところがあり、頭山満に相談したうえで、一週間で一切の社会的身分と財産を処分して、" 統一哲医学会 " を創設します。
その後、統一哲医学会は発展し、昭和15年に、" 天風会 " と名称を変え、昭和37年に国の認可により、" 財団法人天風会 " となります。

そして、天風は昭和43年に92歳でこの世を去りました。

まあ、なんというか、すざましい人生ですよね。
このまま映画化できそうなスペクタルストーリーです。

さて中村天風をアマゾンで検索したところ、200件以上もの著書、CD、テープなどがヒットしました。
これほどメジャーな修猷館の先輩を、これまで知らなかったのは不思議です。

ウィキペディアには天風に影響を受けた人物が列記されています。

東郷平八郎、宇野千代、双葉山、尾崎行雄、稲盛和夫、広岡達朗、大佛次郎、堀越二郎、園田直、重宗雄三、松岡修造などです。

松岡修造ですか? 調べてみると松岡修造が1歳の誕生日を迎えた直後に天風は死亡しています。
そこで、" 松岡修造と中村天風 " でグーグル検索をかけたところ、次のような記事がヒットしました。

彼のメンタルを強めるのに一役買ったのは心身統一法を広めた思想家・中村天風だった。
天風に出会ってから、ほぼすべての著書を読み、講演テープも聴いたという。
なかでも強く実践しているのは、" 絶対積極 " というもの。
たとえば、病も気から、痛みも気の持ちようで感じなくなるんじゃないかと思った松岡は、
歯の治療を麻酔なしでやってみたという。
( 週刊現代 2015年2月7日号 )


なんとなく天風先輩の気質が想像できるように思えました。

さだまさし・チャンポン食べたかっ!

2015年11月27日 | 読書


さだまさしが、思春期から20歳で " グレープ " としてデビューするまでを、ほとんど自叙伝として語っていきます。

年齢は私の1学年下ですので、取り上げられる世相のニュースが、まさに私の思い出とシンクロします。
ベトナム戦争、フォークソング、グループサウンズ、加山雄三、ラブミーテンダー、70年安保闘争、浅間山荘事件、
トニー谷、三島由紀夫と楯の会、大阪万博、まぼろしの邪馬台国、横井庄一などです。

さだまさしは、長崎で貧しい家庭の長男として生まれるも、3歳の頃からバイオリンを習わせてもらったそうです。
その後も夏休みの度に東京に行き、有名な鷲見三郎先生の指導を仰いできました。
そして、九州・山口音楽コンクールに出場し、小学校5年生で3位、6年生で2位に入賞します。
大層喜ばれた鷲見先生に、中学生になったら東京に出て来て、自分の元へ通ったらどうだと言われます。
これは異例のことだそうで、経済的な不安はあったものの、なんとかなるだろうという楽観的な考え方で上京を決意します。
しかし、さだまさしは、このポジティブな考え方が、いつも自分を過酷な方へ追い遣ることになったと述懐しています。
ともあれ、こうして中学生でありながらプロのバイオリニストを目指し、1人での下宿生活を、そして青春時代をスタートさせたのです。

この自伝では30人以上にも及ぶ人物との交流のエピソードが綴られていきます。
様々なキャラのオンパレードですが、その中でも圧倒的に魅力的であり、作者に影響を与えたのは、
高校2年のときの担任である安本衛先生でしょう。
この先生をモデルとして小説を創作して欲しいと思うほどユニークで素敵なキャラでした。

とにかく、トーク術に長けるさだまさしの小説ですので面白くない訳がありません。
" 天才だ天才だ天才だ " など3回繰り返されると、つい、その気にさせられるという最近の鉄板ネタがありますが、
そのオリジンとなった親子も紹介されます。

さだまさしは、この本の長い後書きで、登場人物の消息を次々と列記しています。
そして、次のように締めくくります。

こうして振り返れば当時の仲間は、物故者を別にすれば驚くほど「相変わらず」の交誼がほぼ途切れず却って暑苦しいほどに続いている。
出会った時には、まさか半世紀の時を友として過ごそうとは、想像だにしなかったことである。
まさに偶然、我々の仲間に 「さだまさし」というランドマークが出現したことによって、それぞれ我々の連絡先が担保されたわけであるから、これは 「さだまさし」をつくってくださった神様に心から感謝したい。

東山彰良・ミスター・グッドドクターをさがして

2015年10月14日 | 読書


まあ、面白かったのですが、直木賞を取った、" 流 " と同じ作者が書いたとは思えません。
文章の厚みが全然違うので、読みやすくはあるのですが、比較すれば物足りなさを感じてしまいます。
それでも現代的というのでしょうか、矢継ぎ早のスリリングな展開が加速していきます。
そして残りのページ数が少なくなってきても、ストーリーの落としどころが見えてきません。
オイオイ大丈夫か?と心配したのですが......
大丈夫でした。
一気に、胸のすくようなエンディングが用意されていたのです。

疑ってご免なさいと作者に謝りたくなりました。

さて、タイトルですが、1977年にダイアン・キートン主演で作られた、" ミスターグッドバーを探して " に由来すると思います。
私も若いころ貸出ビデオで鑑賞した記憶があり、ダイアンキートンのファンになりました。
ダイアンキートンですが、ゴッドファザーでのマイケル(アル・パチーノ)の妻を演じた女優で、
同じ年に制作された、" アニー・ホール " でアカデミー主演女優賞を獲得しています。

ところで、検索して驚いたことには、" ミスターグッドバーを探して " には若かりし頃のリチャード・ギアが出演していたのですね。
計算すれば私の2歳年上ですので28歳だったことになります。
この映画では全く記憶に残らないほど、パッとしない俳優でした。
私は昔からリチャードギアの大ファンだったのですが、28歳の彼からは全くオーラを嗅ぎ取れなかったのです。
恰好良くなっていくのは33歳で主演した、" 愛と青春の旅立ち " くらいからでしょうか。
35歳で、" コットンクラブ " 、37歳で、" ノーマーシー "、そして41歳の時に、あの、" プリティーウーマン "でピーク?を迎えるのです。

最近ではフーテンの寅さんに扮して子役とからむという日本のCMに登場しています。
まだまだフェロモンを残す魅力的なジジイですよね。




東山彰良の直木賞 ・ 流

2015年10月08日 | 読書


満足しました。
青春小説、ハードボイルド、恋愛小説、ミステリー小説など、様々なエレメントが混ざり合った長編小説です。

作者は1968年に中国出身の両親の長男として台湾で生まれました。
修猷館のすぐ隣にある西南学院中学、高校、大学を卒業していますが、現在も国籍は台湾です。

主人公は、東山彰良の父親がモデルなのだそうですが、年齢は作者の10歳上くらいに設定されています。
父親から聞いた大陸での共産党と国民軍との戦いや、台湾での軍隊体験などがベースになっているのですが、
半分くらいは自叙伝的な要素があるのではないかと思われます。

とにかく、読みだしたら止まらないという面白さでした。

この作家は2003年のデビューで、いくつかのヒット作もあるようですが、本来はミステリー作家だとか。
この秋は東山彰良で楽しめそうです。

村上春樹・職業としての小説家・2

2015年10月06日 | 読書
村上は春樹は長編小説ならば毎日原稿用紙10枚を書くと決めているそうです。
調子が悪くても10枚は書くし、調子が良くても10枚以上は書かないのだそうです。
朝、コーヒーを淹れて4時間か5時間は机に向かい、キッチリ10枚書くことをノルマにしているのです。
このことが長丁場で挫折することなく仕事を成し遂げる秘訣とみなしています。
そして、アイザック・ディーネセンの " 私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます。" という言葉を紹介しています。
私もブログを希望もなく、絶望もなく、毎日書くように心がけます。

さて、先週は飲み方が続きました。
水曜日は木曜会、木曜日は勉強会、金曜日は突然来熊した妹の旦那との飲み会、
そして土曜日は当院のSの全快祝いの飲み方を蔵で開きました。

それでも日曜日にはめげずにゴルフに出かけました。
阿蘇グランヴィリオの西コースです。
結果は96打の35パットでした。
頓悟を目指して、ひたすら練習を続けます。

村上春樹・『職業としての小説家』

2015年09月18日 | 読書


いつの間にか村上春樹の follower になってなってしまって、新刊本を即買いするようになりました。

今回の作品では第1章から第6章までは村上春樹が雑誌、" MONKEY " に連載したものです。

1章:小説家は寛容な人種なのか
2章:小説家になった頃
3章:文学賞について
4章:オリジナリティーについて
5章:さて、何を書けばいいのか?
6章:時間を味方につけるーー長編小説を書くこと

それに、書下ろしで第7章から11章までを追加しています。

7章:どこまでも個人的でフィジカルな営み
8章:学校について
9章:どんな人物を登場させようか?
10章:誰のために書くの?
11章:海外へ出て行く。新しいフロンティア

そして最終12章は季刊誌、" 考える人 " に掲載されたものです。

この作品は村上春樹の作品を、ある程度は読んだことのある人たちを対象にして書かれたものです。
まあ、この作品が、初めて読む村上春樹の著書であるなんて人は考えられませんが、もしもいたとすれば不幸な人だと思われます。

昨日妹が帰熊してきました。
早速ジョニ黒を和食の店、"蔵 " に持ち込んで、ほとんど空けてしまい、2次会のスナック、" 安楽 " でカラオケを歌いまくりました。
今夜も刺身の店、" 天草 " に出陣です。
畑中も参加するそうですので、どうなることやら......

時間ですので、続きは明日アップします。

D.P.Dutcher

2015年09月04日 | 読書


D.P.Dutcherは1944年にニューヨークで生まれたアメリカ人です。
ハワイ大学を卒業し、ハーバード大学博士(極東アジア言語文化部)を経て来日し、
英和、和英辞典の執筆と編集に力を注ぎました。

また、日本の俳句を愛し、明治の俳人である永井守昌の ” 妻を恋うる十二か月俳句日記 ” の英訳本も執筆しています。
その中からいくつかをアップします。

妻の骨小さし五月雨上がりけり

花茄子妻は幸せだったのか

恋うる身の置きどころなき大暑かな

魂に生も死もなく月見草

名月や妻の内なる癌太郎

秋なすの糠漬け妻に誉められて


さて、冒頭の画像は金子みすずの童謡集をダッチャーが英訳した本です。
ダッチャーは現在、熊本に住んでおり、彼の日本人妻が私に貸してくれたものです。
その中から東北大震災の直後に繰り返し放映されて有名になったものをアップします。



英訳はこうなります。



この唄では、主語を省略できない英語の弱点が浮き彫りになっていますが、
数多くの前置詞が活躍して、歯切れの良い唄になっている作品もありました。



最近読んだ本ですが、現代の日本語の文法が英語を和訳するときに都合のいいように改悪されていると批判しています。

愛らしい。赤ん坊だ。泣いた。
日本語の基本文はこの3種で必要十分であると指摘しています。
なるほどなとは思いましたが、やはり文法の本ですので、読み終えるのには、かなりの辛抱が必要でした。