速報
ヘロヘロで丸岡城
なんか、犬山城に似ているような
知らない土地で付近を調べるときは
スマートフォンでいいのだけど
何十キロか先の方向を確認するときは
広域の地図がいい
で、買った、これで
出発地の永平寺から九頭竜川沿いを東尋坊まで
確認できる、前回の織田・武生で、迷った
次回の「越前で遊ぼう」のとき、これでウロウロ、(^^)
さて、冷凍海鮮でアヒージョ
便利なんだけど解凍すると、ぐちゃぐちゃになるのが
どーも、水気をしっかり拭き取って
トントンっと適当に
焦がさないように弱火で
香りがたってきたら全部入れて
少なめのオイルで五分煮る
塩・コショウ・鷹の爪
まっ、普通に美味しい
照明を手抜きしたら、色がへん
去年走ったかな~
真夏日になったらしい
残念、もうすぐ、伐採かも
25km/h
頑張れば、18分台がでてたのに
醜いのを一枚
頑張りすぎて迷惑をかけてもいけないので
ボチボチ
二日目は
越前大野のトトロから
背中は、ややむくれぎみ
荒島岳をバックにして南へ
黒谷に入って
謎の
越前ローマ水道橋
黒谷の防雪壁
なかなかの迫力、やがて、世界遺産かも
今回の最終目的地は
街道をゆく 18、宝慶寺の雲水
水田地帯をすぎて、いよいよ山間部の登りへ
途中でめまいがして、ふらふら
やっぱ、6割くらいの回復しかしてないか?
引用
ーー 「宝慶寺はどこでしょう」
たずねるべき村人を見いだせないのである ーー
村人はおろか、人家がない
ヘロヘロになって、到着
寂円も歩いたであろうか
ってたって、鎌倉期なんで、千年も前の話
ーー やがてそこだけが、
小さな箱のなかであるような小空間に ーー
ーー 出てしまった ーー
けっこう、明るい
ーー 最初に出くわしたのは、杉木立のはてにあった
粗末な四脚門で、 ーー
建て替えたのだろう、やや新しい
これはもっと新しい
ーー 楼門とはなばかりの簡素な ーー
ーー 無造作な石積の土台の上に、
小さな本堂が ーー
司馬遼太郎が訪れたのは、1980年10月とある
当時
ーー 宝慶寺は、いまは住職がいない。 ーー
ので、しょうがないか
ただ、本堂の内で、若い雲水が曹洞禅の
説破・説法の修行をビックリするくらいの大声で
近づきがたくてかげで立ち尽くしていると
これも、若い雲水が、「中へどうぞ」と、誘ってくれた
とても中へ入る勇気なんぞなくて
手を左右に振って、後ろにさがってしまった。
この宝慶寺集落に、江戸期には百戸近くの家があったという
こんな山坂の地に、とても想像できない
*本文のようやく*
(司馬遼をようやくしていいものかは、おいといて)
織田信長が越前を征服したとき、寺領百石をあたえたとある
7~8百万円/年くらいか
当時の安堵状に、光秀・秀吉・一益などの署名あるそうで
おもしろいじゃないですか
銀杏峯の方向、県境の能郷白山は、まだ
山ひだ三つくらい向こうなのだ
最後に
靴下に穴が開いていることにきずいて、買って帰った
街道をゆくの越前編
また出かけよう
武生の街
中央公園に車をデポして
街なかを散策
箪笥町通りから
卍が辻
どうやってもうまく表現ができない
手が写っているのは、大逆光の
旧武生郵便局
蔵の辻
誰もいない観光施設はよけいにさみしい
浄秀寺
ほこりが入ったな~
大きなお寺がいっぱいある
京町石畳の小路
でもって
初日の行程が終了
続く