2008/06/22
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>虹をかける授業(29)万葉仮名くらげなすただよへる
聖武天皇の紫香楽宮(しがらきのみや)跡から発掘された木簡。
日本語の音節ひとつに漢字1字あてる万葉仮名で「奈迩波ツ尓(なにはつに)」「夜己能波(やこのは)」「由己(ゆご)」という文字が、木簡に書かれていました。
古今和歌集仮名序に、紀貫之が引用した「難波津(なにはつ)に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の一部とみられます。
この歌の作者とされているのは、日本に漢字を伝えたという伝承がある王仁。
大雀命(おほささきのみかど・後世につけられた名は仁徳天皇)が即位したとき、治世の繁栄を願った祝いの歌。
冬ごもりをおえて咲き誇る花。年ごとに咲く花に、大王の繁栄を重ねた歌なので、王仁個人の歌というよりも、「みかどをそへたてまつれるうた」として、伝承されてきた和歌なのだと思います。
もう一首。
木簡の裏側には、「阿佐可夜(あさかや)」、下部には「流夜真(るやま)」と書かれていました。万葉集16巻に載っている、「安積香山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」という歌が読みとれます。
大和の国から九州へ東北へと勢力を広げたヤマトの大王。大王から陸奥国に派遣された葛城王をもてなす宴会で、昔、采女(うねめ)として大和朝廷に仕えていた女性が詠んだとされている歌です。
地方の首長たちは、自分の娘や姉妹をヤマトの大王のもとに采女(うねめ=宮廷の女官)として差し出すことになっていました。采女のつとめを終えてふるさと陸奥の国へ戻っていた女性が、葛城王の前に召し出されて、歌を詠んだ。
アサカヤ(マ)という日本語発音に「阿佐可夜(?)」という漢字が一字一音であてられています。万葉集成立以前に、広く「万葉仮名」が使われていたことがわかる、貴重な木簡です。
万葉仮名の表記方法で記載されているもうひとつの書。
古事記(成立712年)の冒頭。
「天地初發之時於高天原成神名天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神次神産巣日神 此三柱神者並獨神成坐而隱身也次國稚如浮脂而久羅下那洲多陀用幣流 ...」
と、太安万侶らは、記しました。
「くらげ」ということばには、音節ひとつに漢字ひとつを「当て字」して「久羅下」と書き表し、「くらげなすただよへる=久羅下那洲多陀用幣流」と、音節文字の原型があらわれています。
古事記本文は、漢字だけを用いて「変体漢文(日本風漢文)」で書かれていますが、古語や固有名詞のように漢文では表記できない部分は、一字一音表記で記す、すなわち音節文字の万葉仮名で記録するという表記スタイルを取っています。
「花」は万葉仮名で書くと「波奈」,「クラゲ」は「久羅下」と書き表したのです。
この表記方法を読み解いたのが、本居宣長です。(宣長の息子、本居春庭も国学者です。春庭が名前を借りています)
<つづく>
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>虹をかける授業(29)万葉仮名くらげなすただよへる
聖武天皇の紫香楽宮(しがらきのみや)跡から発掘された木簡。
日本語の音節ひとつに漢字1字あてる万葉仮名で「奈迩波ツ尓(なにはつに)」「夜己能波(やこのは)」「由己(ゆご)」という文字が、木簡に書かれていました。
古今和歌集仮名序に、紀貫之が引用した「難波津(なにはつ)に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の一部とみられます。
この歌の作者とされているのは、日本に漢字を伝えたという伝承がある王仁。
大雀命(おほささきのみかど・後世につけられた名は仁徳天皇)が即位したとき、治世の繁栄を願った祝いの歌。
冬ごもりをおえて咲き誇る花。年ごとに咲く花に、大王の繁栄を重ねた歌なので、王仁個人の歌というよりも、「みかどをそへたてまつれるうた」として、伝承されてきた和歌なのだと思います。
もう一首。
木簡の裏側には、「阿佐可夜(あさかや)」、下部には「流夜真(るやま)」と書かれていました。万葉集16巻に載っている、「安積香山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」という歌が読みとれます。
大和の国から九州へ東北へと勢力を広げたヤマトの大王。大王から陸奥国に派遣された葛城王をもてなす宴会で、昔、采女(うねめ)として大和朝廷に仕えていた女性が詠んだとされている歌です。
地方の首長たちは、自分の娘や姉妹をヤマトの大王のもとに采女(うねめ=宮廷の女官)として差し出すことになっていました。采女のつとめを終えてふるさと陸奥の国へ戻っていた女性が、葛城王の前に召し出されて、歌を詠んだ。
アサカヤ(マ)という日本語発音に「阿佐可夜(?)」という漢字が一字一音であてられています。万葉集成立以前に、広く「万葉仮名」が使われていたことがわかる、貴重な木簡です。
万葉仮名の表記方法で記載されているもうひとつの書。
古事記(成立712年)の冒頭。
「天地初發之時於高天原成神名天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神次神産巣日神 此三柱神者並獨神成坐而隱身也次國稚如浮脂而久羅下那洲多陀用幣流 ...」
と、太安万侶らは、記しました。
「くらげ」ということばには、音節ひとつに漢字ひとつを「当て字」して「久羅下」と書き表し、「くらげなすただよへる=久羅下那洲多陀用幣流」と、音節文字の原型があらわれています。
古事記本文は、漢字だけを用いて「変体漢文(日本風漢文)」で書かれていますが、古語や固有名詞のように漢文では表記できない部分は、一字一音表記で記す、すなわち音節文字の万葉仮名で記録するという表記スタイルを取っています。
「花」は万葉仮名で書くと「波奈」,「クラゲ」は「久羅下」と書き表したのです。
この表記方法を読み解いたのが、本居宣長です。(宣長の息子、本居春庭も国学者です。春庭が名前を借りています)
<つづく>
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