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春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

ぽかぽか春庭「ニッポニアニッポン語教師日誌、2012前期終了。パラオ語アボリジニー絵文字など」

2012-07-30 | 日記・エッセイ・コラム
2012/07/24
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(1)学期末風鈴

 前期の授業、最後の追い込みの週です。私立大2校は、最終発表や試験を終えて、あとは出席日数不足学生救済のための補講を残すのみ。成績つけはやっかいですが、とりあえず、授業は終えることができました。国立大2校は、金曜日は27日が最終授業、木曜日はすでに終わりました。

 木曜日19日の授業、朝の1コマで文法の試験を実施。2コマ目では、敬語の紹介と、最後の授業なので、楽しく思い出になることをしたいと思い、「風鈴作り」を実施しました。
 何年か前の学生にプレゼントした和ガラス(手作り吹きガラス)の風鈴が4個残っていたので、ダイソーで買い足して、今年も学生に「風鈴の下につける短冊に願い事を書く」という作業を課します。「授業定着のためのクラスアクティビティ」の一環です。

 日本語文法の復習としては、「~ように」「~たい」という文型の復習になります。「日本語がじょうずになりますように」とか、「富士山にのぼりたい」というような願い事を書いて、風鈴の下の短冊に書き、夏の間、窓辺にガラス風鈴を下げて「日本の夏の音色」を楽しんでもらおうという「日本文化体験」の授業でもあります。これまで日本語のノートは横書きで書いてきたので、最後に縦書きに挑戦、ということも学生にとっては「はじめての経験」です。

 学生たち一生けんめい、この4ヶ月の間に覚えた日本語を書き込みました。「あいうえお」の文字を覚えるところからはじめ、漢字の難しさにネを上げ、文法がはちゃめちゃになりながら、がんばりました。日本の中学生が3年間で覚える英語に相当する分量の日本語を4ヶ月で突っ込む、という猛烈な「新幹線授業」に耐えた学生たち。

 「はかせになれますように」「日本語で地理情報システムがじょうずになりますように」「金持ちになれますように」「せかいがへいわになりますように」「がいこうかんになれますように」
 この暑さもあって、ちょっとへばっていたところでしたから、ほんとうは日本語の敬語システムをしっかり教え込むという授業予定だったのですが、最後くらいは、遊びの要素もいれて、と、企画したアクティビティです。学生達の願いごとはさまざまでしたが、風鈴の願いが成就しますように。風鈴の音色が涼しさを運んできますように。

 風鈴の短冊に願い事を書いた日の午後は、4ヶ月の日本語学習の成果を発表するプレゼンテーションが行われました。

 ベトナムの大学の先生をしていたチェンさんは、人間の動作をコンピュータで解析し、その人間が危険な行動を取ろうとしていることを予知する研究について、発表しました。宝石店で客を装っていた強盗を撮したビデオがプロジェクターに映し出されました。客のふりをしている強盗が、他の客とどう異なる動きをしているのか分析すれば、今後、同じような動きをする強盗犯の行動を事前に予測でき、強奪を防げるのではないか、という行動認知分析です。これまで、「私の専門はコンピュータです」という自己紹介をしていたチェンさんですが、どのようにコンピュータを活用するのか、私にもようやくわかりました。

 「私はアーティストです」という自己紹介からプレゼンをはじめたサムさん。これまでイギリスや日本で展示されたインスタレーション作品について発表したサムさん。この秋にも日本で展覧会を開くとのこと。「古い家具を分解してその材料で再構成した家を燃やす」というインスタレーション作品、家が燃えていく炎が、何か暗示的でした。これからも傑作を生み出して欲しいです。

 ミャンマーの土地利用を研究するアウンさん。
 アフリカに日本のすぐれたスポーツ科学を導入したいというグェィさん。 
 それぞれ、有意義な発表となりました。

 このところ、老化をなげくばかりで、学期のおわりに少々くたびれてきていた春庭、学生達の意欲溢れる発表を聞いて、まだまだ私もがんばらなければ、と、元気をもらいました。

<つづく>
パラオ諸島
南端に位置するのがアンガウル島

2012/07/28
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(3)パラオ語になった日本語

 学生に「ツカミ」として出すクイズのひとつ。
 クイズ。世界の中で、日本語を公用語として決めている地域、国はあるでしょうか。あるとしたら、どこでしょうか。日本の公用語については、あとで述べますが、日本以外の地域を答えてください。
 学生は、ブラジルの日本移民が多い地域じゃないか、などと推理します。

 正解は。パラオ共和国アンガウル州。
 アンガウル島という小さな島で人口200人足らず。そのうち、日本語を話せるお年寄りは、現在ではほとんどいなくなりました。戦前、日本が委任統治をした太平洋諸島で日本語教育を受けた人々がいます。日本軍人や統治者から過酷な扱いを受け、日本を深く恨みに思う人が残された島も多い。その中で、日本語教育を受けたお年寄りを尊重し、州の公用語として法的に決めた島があるということは、おそらく、アンガウル州で日本語は、よいイメージを保って教えられたのだろうと、ほっとします。

 ここで、戦前戦後の日本語教育史をざっと解説するのですが、「日本が15年戦争をしていた間、アジアで侵略や過酷な占領政策を行った」、という話に深入りはできません。近代史は、明治維新から大正デモクラシーまでしか扱わなかった、という高校が多く(大学入試に現代史の出題が少ないから)、この話をし出したら、1学期かかっても終わらない 加害の歴史も含めて歴史の真実を追究し続けなければ、次の世代は育たない、というのが私の考え方ですが、被害の歴史は語りたがるのに、加害の歴史は子ども達に教えられてこなかったのは事実です。(私にとっては、太平洋戦争は「歴史」ではなく、「父と母の経験したこと」として身近でしたが、歴史として学んだのは、二度目の大学での「近代史」の授業でした。15年戦争という用語もこのとき初めて知りました。。15年戦争、という用語は、現在も学校教育の現場では用いられていません。)

 日本語を母語として愛していくためには、この国の歴史の真実を加害も被害も知ってこそだと思っています。国への偏った愛は愛ではない。一方的な賛美だけをよしとすることは、結局この国を貶めることになりかねない。真実を知ったうえでの日本語愛だと思っています。

 パラオ共和国アンガウル州の「日本語公用語」についても、小さな島ながら、世界の中で、日本語を公用語と定めた島があることの意義について話して終わります。しかし、それ以上、深入りしてはきませんでした。
 しかし今期、パラオの日本語について興味を持った学生が、さらに発展した発表をしてくれました。題して「パラオ語になった日本語」

 「パラオ語になった日本語」というタイトルのサイトがあり、パラオ語の中に外来語として残存した日本語があることを調べた学生の発表。他の学生にも印象に残る発表だったようです。

 アジア各地に残された日本語のうち、たとえば、インドネシア語には「ロームシャ」という日本語由来の外来語があり、労務者の意味だ、ということなどを学生に紹介してきたのですが、パラオ語になった日本語がどれほどあるのか、具体的に授業で取り扱ったことはありませんでした。

 パラオ諸島は、スペイン、ドイツの植民地となり、次いで日本が委任統治してきたので、パラオ語語彙の中にスペイン語由来の外来語、ドイツ語由来の外来語が混じっており、パラオ語外来語の中の25%が、日本語由来のことばです。

<日本語がそのまま通じる挨拶語>
・ヨロシク ・ アリガトウ ・コメン(ゴメンナサイ) ・マタアシタ(また明日)

<名詞>
・アナタ ・アメ(雨) ・アブラ(ガソリン) ・エモンカケ( ハンガー) 
・カツドー(活動=映画) ・ゴミ 
・サシミ ・シゴト(仕事) ・シューカン(習慣) ・ジャマ(邪魔) ・シンパイ(心配) ・スコウジョウ、ショーキ(飛行場) ・センセー(先生) ・センキョ(選挙)
・タンジョウビ(誕生日) ・チチバンド(ブラジャー) ・ツナミ(津波) ・デンキ(電気) ・デンワ(電話) ・トクベツ(特別) ・トーボー(逃亡)
・ニツケ(煮付け)
・バショ(場所) ・ベントー(弁当)
・ヤスミ(休み) ・ヤッコチャン(オウム) 

<動詞>
・アバレテ(怒っている) ・ツカレナオス(ビールを飲む) ・ツカレテ(疲れた)
・ハラウ(払う) ・バラス(バラバラにする) ・ワスレテ(忘れている)
(例文)「あなた、つかれて」=意味「あなた、つかれたでしょう。お疲れさん」

<形容詞>
・アジダイジョウブ(美味しい) ・アチュイネ(暑いね) ・オイスィー(美味しい) ・サビスィー(寂しい) ・サムイネ(寒いね) ・ヤサスィー(優しい) ・

<その他の表現>
・アッテル(お似合い) ・アリマス ・アタマサビテ、アタマホコリ(だめな状態) ・アタマグルグル(混乱している状態) ・イッショニ?(一緒に) 
・クダサイ ・ゼンゼンワカラナイ ・タメス(試着時など) ・ドーセ  ・チョットマッテクダサイ ・ショウガナイ ・モシモシ ・モンダイ(問題ない)
(例文)「あなた、ためす」=意味「どうぞ、ご試着ください」

 いかがでしょうか。現代日本語には、英語由来の外来語が多くなっているので、「ブラジャー」をブラジャー以外の用語で呼ぶ人はいないでしょう。パラオ語の中に「チチバンド」というブラジャーを表す日本語が残存していることなど、面白いなあと感じます。また、現代日本語では「映画」と言うものを、戦前の言い方で「活動」というのも、なにやらなつかしい感じ。

 学生発表によって、パラオ語の中のニホン語を確認することができました。

パラオ諸島の南端にあるアンガウル島

(パラオ観光局の写真から)
http://www.palau.or.jp/

<つづく>
2012/07/27
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(3)アボリジニアートの絵文字

 日本人学生のための日本語学基礎の授業では、前半、語彙論、音声学、社会言語学などの基礎をざっと説明し、後半はグループ発表や個人発表をさせて、講師がそれを補足解説をするという方式で授業をすすめました。
 個人発表では、「四字熟語」「難読漢字」「方言」など、毎度おなじみの、学生にとって発表しやすいものもありましたが、なかには、私がよく知らなかったことを発表してくれる学生もいて、大いに興味を惹かれました。
 今期、大いに啓発を受けた学生発表。たとえば、アボリジニアートについて。

 昔、むかし修士課程でとった授業のひとつが文化人類学の授業で、アボリジニー文化の研究者に教わりました。また、アボリジニのスプリンター、キャシー・フリーマンの活躍、映画「裸足の1500マイル 兎よけのフェンス」や、エミリー・ウングワレー展でアボリジニーのすばらしいアートを見て以来、心ひかれてきました。
 しかし、アボリジニーは無文字社会であった、という西欧側から見たアボリジニー文化の解説を読むだけで、実際のところはどうだったのか、調べたことはなかったのです。

 オーストラリアでホームステイをしてきた学生のひとりが発表したのが、「アボリジニーアートの中の絵文字」でした。

 上段左:カンガルーの足跡、中:滝またはキャンプファイヤー、右:部族
 中段左:ブーメラン 中:槍
 下段: 男・女・子ども 全部をまとめて描くと「家族」を表します。


 abcの音素文字になれた西欧人の目には、アボリジニーの絵文字は、単にものの絵を省略化したものにしか見えず、それを文字とは認識できなかったのかもしれませんし、漢字が絵文字からさらに発達していったのに比べれば、「絵」から「象形文字」への移行が進まなかった、と見るべきなのかもしれません。
 しかし、文字の定義からみて、アボリジニーの伝承をきちんと伝える機能をはたし、アボリジニの文化や伝統を今日まで伝えてきた絵のかずかず、これは文字と考えてよいと思います。
 アボリジニーの社会には、音声と一対一に対応する音声文字は発達しなかったけれど、エジプトの象形文字や漢字の甲骨文字に匹敵するような絵文字が存在していた、と見なしてよいのではないか。

 アボリジニアートは、部族によって伝承が違うので、ひとつの絵柄が他の部族ではその意味には通じない、ということもあるでしょう。
 しかし、この絵文字を見る限りでは、たとえば、男と女と子どもを合わせて描けば「家族」の意味になるというのは、「日」と「月」とを合わせて書けば「明るい」という意味になる、漢字の会意文字のしくみと同じです。
 アボリジニーが伝承してきたアートの中に、文字と言ってよいものがあったこと、私は今まで知りませんでした。

 パラオ語の中の日本語、アボリジニアートのほか、学生発表から、興味をひかれ刺激を受けることも多々あります。学生の発表から知ること、学生に学ばせてもらうこと、こういう機会を多く与えられる教師は、ほんとうに退屈知らずで常に新しい刺激をもらえます。学生さまさま。
 近頃の学生の脳みそは「ザル頭」、なんて思っていてごめんなさい。
 
<つづく>
2012/07/29
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(5)日本語の大きさクイズ

 オリンピックが始まりました。
 私は「国を背負って金メダル獲得に励む」という選手の姿、「国のためにがんばれ」という応援には共感できないほうです。国を背負うプレッシャーに押しつぶされたマラソンの円谷選手らの悲劇が忘れられないからです。でも、サッカーでなでしこやU23の活躍は、素直にうれしいけれど、「国別のメダル獲得競争」に一喜一憂する気はありません。水泳、体操、柔道など、「自分自身に挑戦する姿」を一家でテレビ応援するつもりです。

 オリンピックの参加国、地域204。独立国でも参加しない国はあるし、国とは別の地域参加もあります。オリンピックがあると、世界の国のなかで、日本のニュースが報道しないような小さな国も,開会式のときはクローズアップされるので、うれしいです。

 「日本語を公用語としている地域はどこか」というクイズのほか、日本語学概論の最初の「ツカミ」として、いくつかの数字あてクイズを出します。

 (同じ話題で何度もOCNカフェ日記に書いてきたのですが、goo日記になってははじめての話題なので、goo日記から読んで下さる方、クイズをお楽しみください。何度も同じクイズを読んだ方、復習です)。

 ペアワーククイズその1。世界に「国」はいくつある?自分の知っている国を隣の人と言い合って、ふたりで国の数を決めてください。「国」とは、国土、国民が存在する共同体で、周囲の複数の国から「独立国家」として認証を受けているものを言いますが、このクイズでは、国連加盟国に限定します。したがって、バチカン市国など、今回は数えません、という注意を与えて、ペアで国の数を言わせます。自分の知っている国の名を指折り数えて、50と答えるペアあり、運動会で校庭に国旗を飾ったとき、100枚くらいあった気がする、という記憶から、100と答えるペアあり。世界は広いからという理由で1000とか答えるペアまで、さまざまです。

 正解:国連加盟国は、2012年現在193ヶ国です。国連に加盟していない国を合わせて約200と学生に覚えさせます。オリンピックがある年は、正解率が高くなります。

 クイズその2。この200という国の数から考えて、世界に○○語というのがどれくらいあるか、数えてみてください。隣の人とペアワークで、お互いに知っている言語を英語とかフランス語と言い合って数を推理して、ふたりの平均値をペアの答えとして出してください。

 国の数は200あるけれど、英語のように、いろいろな国で使われている言語もあるのだから、言語の数は100くらいかも、と少なめに出すペアもあるし、ひとつの国にいろんな民族が住んでいる国もあるから、200より多いんじゃないか、500くらいありそうだ、と考えるペアもあります。

 正解:言語学者によって数え方が違いますが、現在のところ、○○語として固有の言語と見なされている言語は、3000~6000語あります。中をとって、世界には5000の言語がある、としておきましょう。そのうち、半数は、母語話者が22世紀にはいなくなってしまうと危惧される絶滅危機言語です。

 クイズその3。世界に5000ある言語のうち、日本語は話者が多い方から何番目だと思いますか。まず、一番多いと思う言語をふたつあげておきましょう。家庭の中で家族が話す生活言語、すなわち母語として一番大きいのは何?英語と中国語という声が上がります。一番メジャーな言語、というわけです。

 母語として家庭の中で話されている人数が一番多いのは、当然中国語です。13億人の中国人のうち、11億人は漢民族。漢民族が話す中国語が、もっとも話者人数が多い。ただし、中国語は、方言差が大きくて、今は標準語(プートンファ)が普及したけれど、昔は、北京の人と上海の人は、通訳無しには話が通じなかった。(筆談はできるのですが一部の知識人以外は漢字が読めなかった)

 公用語として一般社会で用いられている言語で、世界最大の言語は英語です。これはみな、実感があります。家庭の中で、母語として英語を話す人は、世界に5億人くらいですが、19世紀の覇権国、大英帝国、20世紀の産業・軍事・コンピュータの覇権国、米国の力によって、世界のビジネスや学術の共通語は英語になりました。

 今日、英語を公用語として採用している国は、世界に50ヶ国にのぼり、アメリカのように、、英語を国家の公用語として定めていないが、実質的に公用語となっている国(州の公用語は決められている)を含めると、世界中の英語圏話者は、15億人に達すると見られています。現代では、事実上、世界共通語になっています。

 クイズその4。日本語は、世界で何番目に大きい言語でしょうか。
 英語中国語の話者数を教えてから日本語のランキングをたずねると、学生たち、世界で5000もある言語のなかでは、真ん中あたりの2500番目だろう、とか、いや国の数が200なんだから100番目くらいにはなるんじゃないか、など気弱な回答が多くなります。

 ここで、日本語が世界の中では、どのくらいの話者数がいるか、発表。日本の人口は1億2000万人とすると。世界の日本語母語話者は、おそらく1億2200万人くらい。日本国内以外の土地で日本語を母語として話す人は、日本からの移民社会のみで、移民社会では、2世3世になると、その土地のことば、英語やスペイン語を話すようになり、日本語母語社会は急速に無くなります。

 正解。日本語は、世界では、母語話者は、9~10番目に話者が多い言語です。世界でベスト10に入ると思っていてよい。世界の中でメジャー言語のほうなのです。
 母語話者数のランキングでは、中国語、英語、ヒンディ語(インド語)、スペイン語、アラビア語、ベンガル語、ポルトガル語(おもな話者居住地はブラジルなので、ブラジル語と言うのも可能だが、言語の出自を重視してポルトガル語)、ロシア語、ドイツ語と並んで話者が多い。

 公用語、共通語としての話者となると、人口2億3000万人に達したインドネシア語のほうが話者数が大きいのですが、インドネシア語の母語話者は2300万人くらい。(島ごとにジャワ語など、その土地の言語を用いていて、インドネシア一国の中に、500くらいの言語が用いられています)。

 日本語を公用語としている地域は人口たった200人の島、パラオ共和国アンガウル州で、しかも日本語話者はほとんどいない、という状態ですから、日本語話者圏は、日本国内に限られている、と言ってよい。

 ヒンディ語と英語を国の公用語としているインドは、お札には20の言語で価格がかいてあります。州ごとに異なる公用語があり、インド国内には、300以上の異なる言語が用いられています。
 日本国内の人は、ほとんどが日本語を母語として成長することを確認し、インドやインドネシアなど、ひとつの国の中に多数の言語が用いられていることを確認した上で。

クイズその6。日本語の公用語はなんでしょう。そして、日本の国内には、いくつの言語が存在しているでしょう。

 正解は、「法律上に決められた公用語はなし。公用語として法的に決められてこなかったのは、日本語を使う社会であることが自明のこととされていたからです。標準語制定は明治政府の統治上の急務でしたが、日本語がこの国の言語として当然のこととされていました。(森有礼が英語を国家語とせよと主張したのは別として)
 教育用語としては日本語のみが初等教育から大学院教育まで用いられており、実質上の公用語となっています。

 裁判所用語としては、法律の規定があり、裁判では日本語を用い、日本語が通じない出廷者のためには、司法通訳をつけることになっています。
 国会使用言語(演説したり、質問するとき用いることが決められている言語)は、アイヌ語、日本語標準語、日本語琉球方言、この3言語です。

 日本国内にある言語は、アイヌ語と日本語のふたつです。ただし、現在アイヌ語を母語として家庭の中で話して育つ子どもがおらず、国内でも、カラフトなどでも絶滅危惧言語となっています。

 ここで、アイヌ語のユーカラ朗読やアイヌの歌のCDを聞かせます。日本の大切な言語文化のひとつであるアイヌ語ですが、このことばのひびきを聞いたことがない、という学生が大半なので。北海道に修学旅行で行ったときに、観光用のアイヌ村で歌を聞いた、という学生もたまにはいますが。

 現在、国内に、アイヌ語を母語として育つ子どもはおらず、アイヌ語は消滅危機言語のひとつとなっています。学習してアイヌ語を習得する人はわずかですが増えていますが、大事なのは、母語として家庭の中で話される言語として残る事なのです。

 アイヌ語を日本国の公用語として正式に決定しようという運動もあります。公用語とする、ということは、お札にもアイヌ語で価格を書き入れ、義務教育をアイヌ語でうけられ、裁判所や警察、役所でアイヌ語を使用してやりとりができる、ということです。賛成です。

 「公用語」の意味もわかっていないのに、「英語を日本の公用語に」と主張する人もいますが、「楽天が英語を社内公用語とする」というのと、「国の公用語にする」というのとでは、まったく意味が異なる、ということをわかってから言ってほしい。英語公用語化論には大反対。日本国の公用語とすべきなのは、アイヌ語です。

 世界の言語の中では、日本語は多くの点で、「平凡な言語」です。文法も発音もなんら他の言語から変わっていることはありません。一方、英語は、世界の言語の中で、変わり者の、特殊な言語のひとつです。
 しかし、日本語は、ふたつの点のみ、特殊だと言えます。ひとつは、「4種類の文字をすべて使って表記すること」と「1億人を超える話者を有する言語であるけれど、使用地域は日本国内に限られている」という点です。

 世界最大の話者数を誇る中国語。中国政府は、中国語の世界化を見通して、世界中に「孔子学院」という中国語学校を開設して中国語普及を図っています。中国政府が直轄の事業として、中国語を知る人を増やそうとしているのです。世界100ヶ国に300を超える学院が設置されています。

 一方、日本語は。「世界に日本語を広めよう」という公的な機関が国によっては設立されていません。3.11以後、がくんと留学生の数も減ってしまいました。日本語を知ってもらい、日本文化を広める、という事業は、国の発展にも資するはずなのですが。
 
<つづく>
2012/07/29
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(6)私の奥様・日本語の親戚

 「日本語の数あてクイズ」をツカミとし、日本語の類型や系統を話して、「世界の中のニホン語」概論90分の授業になります。

 現在、英語が世界共通語のようになってしまっていますが、英語は、日本語母語話者にとって、発音面も文法面もどこをとっても、習得が容易な言語ではありません。英語を学校教育で6~10年ほども費やしてなお、流暢に操れるという人は一部分です。
 
 しかし、日本人にとって習得がそれほど難しくない言語もあります。発音が日本語と同じ開音節であるイタリア語やスワヒリ語は、発音面ではむずかしくない。
 また、ことばの並べ方(統語論=シンタックス)が同じ、SOV型の膠着語である朝鮮韓国語やモンゴル語は、日本人にとって、発音は難しいけれど、文法は簡単です。モンゴル人力士にとっても、日本語習得はそれほどむずかしくありません。

 ただし、日本語の敬語丁寧語などの待遇表現はむずかしいようで、7月22日の、大相撲夏場所優勝力士インタビューで、日馬富士は「後援会のみなさま、ファンのみなさま、親方とおかみさん、そして奥様に感謝したい」と述べました。「親方とおかみさん」と並べて、自分自身の妻を「奥様」と呼ぶと、日本人ならよほどの恐妻家と見なされるところですけれど、観客も「奥様」発言をほほえましく見守っていました。
 日馬富士の奥様ダワーニャム・ビャンバドルジ さんが1歳半のお嬢さんといっしょに画面に映りました。とても美人の「奥様」でした。奥様は、日本留学中に日馬富士関と知り合ったそうです。

 モンゴル語には「ていねいな言い方」はあっても、日本語のような敬語システムはありません。「私の奥様」と言ってしまうのも、やむをえないでしょう。

 私の授業では「妻・家内」と「奥さん・奥様」、「私の母」と「○○さんのお母さん・お母様」は、きちっと使い分けるよう指導はしています。
 けれど、朝鮮韓国語は絶対敬語であり、身内でも年上には敬語を使います。日常会話で「私のお母様」と言うので、韓国人留学生は日本語でも身内に敬語を使ってしまうことがあります。

 どのような場合でも、目上や先輩に敬語をつかう、という敬語システムだった韓国語で、おもしろいエピソード。韓国のサッカー、昔は、フィールドで「先輩様、わたしのほうにボールをお蹴りいただけないでしょうか」というように、敬語で指示を出すしかなかった。外国人監督が就任したとき命令を出した。「フィールドでは敬語禁止」。それ以来、先輩に向かっても「こっちへパス!」と言えるようになり、韓国サッカーは強くなったとか。

 父、母、兄弟姉妹、奥様と、家族にあてはめて、世界の各国語を概観してみましょう。
 
 日本語には、同系統と見なせる言語はありません。ことばの家族がいないのです。
 西欧語には、ラテン語やゲルマン語をもとにした同系統の言語が多く、ドイツ語と英語は従兄弟くらいの近さ、スペイン語とポルトガル語は兄弟くらいの近さ、デンマーク語スエーデン語ノルエ-語は、三卵生の三つ子くらいの近さ、ルーマニア語とモルドバ語は、一卵性双生児(同一言語)です。
 一方、日本語は、朝鮮韓国語が、数千年前に別れた遠い親戚かもしれない、と思われる程度で、家族はもちろん、「近い親戚」もありません。

 7~8世紀に大陸そして半島からの移民難民が数多く日本にやってきて、「渡来人」として日本文化に大きな影響を与えたことが知られていますが、「万葉集は朝鮮語で読める」などの言説は、言語学の基礎を知らない人の当て推量です。

 「このふたつの言語は親戚同士である」と言うためには、半数以上の語彙に「音韻対応」という比較方法による対応関係の規則が見いだせなければなりません。そもそも、日本語の文献は7~8世紀からのものが存在しているのに対して、古朝鮮語文献は、存在しません。(断片的な語は、中国語文献、日本語文献のなかに残存しているけれど、古朝鮮の史的文献は中国語で記録されています。日本語のひらがなカタカナに当たるハングルは14世紀の成立なので、それ以前、朝鮮の文献はすべて中国語で記録されていたから)

 比べようがないものを比べて「同系統」と言えるなら、英語と日本語は同じような語があるから、同系統ということになる。「あ、そう」という日本語と「Ah! So.」と言う英語は同じ意味ですし、日本語のnamae名前と英語のnameネイムは、そっくりです。しかし、英語と日本語が親戚だと思う人はいません。赤の他人との「他人のそら似」がいくつか見いだせるとしてDNA鑑定すれば、他人とわかります。言語におけるDNA鑑定にあたるのが、基礎語の音韻対応です。

 英語とドイツ語が分離したのは、およそ2000年前。英語とドイツ語は、従兄弟くらいの間柄。フランス語とスペイン語とが1500~1600年前に分裂。兄弟の間柄。
 一方、東京方言と首里方言とは、1700年前ごろに分裂したことが、方言の比較調査、音韻対応によって推定されています。フランス語とスペイン語の差は、日本語と首里方言の差より小さいのです。つまり、標準語と琉球方言が話せる人は、フランス語とスペイン語のふたつが話せる人よりすごい。

 よく、「私は数カ国語ができる。英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語ができる」というような西洋人の言いぐさに対して「すごいですねぇ、何カ国語もしゃべれて」と、感心する日本人がいますが、日本人が「私は、大阪弁と京都弁と名古屋弁と東北弁と琉球方言が話せる」というのも、同じくらいすごいことなのです。数カ国語といっても、同系統の言語なら、習得はむずかしくない。
 「英語とバスク語とアラビア語と中国語とモンゴル語とマサイ語とホピ語が、すべて流暢に話せて読み書きできる」というような人なら、語学の天才として瞠目するに値しますが。

 さて、言語を家族に見立てた話のひとつ。○○語さんが他の言語△△語さんと国際結婚した場合を考えてみましょう。
 ひとつの地域にふたつの言語が流通しているとき、その両方の要素を取り入れた言語が発達することがあります。これをピジン語といいます。ピジン語を母語として生育する子どもが大多数になったとき、この新しい言語をクレオール語と呼びます。
 世界には、パプアニューギニアのピジンイングリッシュや、カリブ海地域のクレオールフランス語が成立してます。

 日本語も、南方の開音節、北方の母音調和、大陸の語彙、さまざまな言語が混合して成立したクレオール語の一種だろう、という説があります。1万年~2000年くらい昔の話です。
 言語学者の大野晋さんは、タミル語と原日本語(縄文語?)が混合したクレオール語が現在の日本語の元になったと主張していました。
 私は、タミル語は「もしかしたら、混じり合ったのかも知れない言語のひとつ」とは思いますが、日本語が「ふたつの言語のクレオール語」とは思いません。さまざまな言語が混合したのだろうと思います。残念ながら、アイヌ語基礎語彙と日本語(ヤマト語)基礎語彙の音韻対応は見いだされていません。

 言語の類型から日本語を見てみましょう。
 日本語は、トルコ語、モンゴル語、タミル語、朝鮮語などとともに、単語に機能語(助詞など)が付属する「膠着語」の類型に属します。同類系ではあっても、親戚といえるほど近い言語ではないのです。日本語と朝鮮語が遠い遠い祖先から分離したとして、それは数千年まえのことになるだろうと見なされています。

 中国語は単語がひとつひとつ独立して並べられ、語順によって文法機能を決定する「孤立語」です。語順はSVO。
 ラテン語は、単語の形を変えて文法機能を表す屈折語。英語は、孤立語と屈折語の両方の性質を持っています。語順はSVO。

 日本語モンゴル語などのようにSOVの語順の言語、世界の5000の言語の中では多数派です。しかし、話者数からみると、中国語英語のSOVが多数派になるので、日本語話者は、自分たちはマイナーだと思ってしまう。
 
 「西欧語やアフリカなどのことばには、家族や親戚があるのに、日本語は孤児である」という話、毎回、日本語学の最初に学生に伝えます。
 言語ファミリーでは孤児である日本語ですが、世界の中では10番目に「体がでかい」言語であることを前回お話しました。日本語は、「でかい孤児」です。

 言語の話者数の大きさの話とセットで、「国連公用語はどのことばか」という話のときに、日本語、ドイツ語が話者数では10番目前後であるのに、国連公用語ではないことにつき、「どうしてですか」と、疑問を呈する学生もいます。
 あのね、戦後の国連体制において、日本は敗戦国側だったんだよ、と説明すると、「へぇ、日本が戦争したことあったんですか」「負けた方だったの?」という学生もいて、いやはや昭和も遠くなりにけり、と昭和生まれの老師はため息をつきます。

 日本語では、老師は、文字通り老いた教師、年取った教師。中国語では、20代の先生でも老師ラオシーです。中国語「老」に元々含まれていた「知識経験豊富な人」の意味が日本語では無くなって、「年を取った人」の意味しか無くなってしまいました。「老」のつく熟語でよい意味の語は、老練と老舗くらい。

 老師が老婆心から、学生に言いたいこと。
 二度と戦争をしないためには、戦争をしたことも、負けたことも、どのような事実があったのかも、しっかり学んでいかなければ、いつのまにやらあなた方が戦争の中に引きずり込まれることもあるんだよ、と伝えていかねばならないのですが、この先どうなりますか。

 「原子力基本法」が自民党提出の修正案により「原子力利用の安全確保は国民の生命、健康及び財産の保護、環境保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」という一文が追加された、ということ。

 私は、あまりのえげつない文言を見て、「この一文は削除された」と勘違いしてしまいました。私の誤解でした。削除されたのではなく、追加された!!
 まさか、こんなことを、仮にも国民の生命を守ることを第一の仕事とすべき為政者が言うはずないだろうと勝手に憶測してしまった。勝手な思い込み、こわいです。

 私たちの財産を保護し、環境保全するために「原発」が必要?原発のために財産すべてを失って難民となった人をどうするのか、1年たっても放射能指数が下がらないままの土地を残して、環境保全のために原発は「資する」だって?
 原発は「安全保障に資する」?あまりの文言に口あんぐりです。

 日馬富士は、美人の「奥様」とかわいいお嬢さんを守るために、稽古をかさね、「全身全霊で」精進する日々が続くことでしょう。私も、私と家族の生命を守り、豊かな国土を守るために、原発にも戦争にも反対していきます。

 国土の安全と環境を守り、文化を守るための私の仕事は、「日本語」を大切にすることです。私の「大切にする方法」は、「守旧派」とは異なるやり方ですけれど。
 さまざまな言葉を取り入れてきた日本語。1万年前の縄文語から、この言葉はこの国土に生きてきました。さまざまな言語と混じり合い、膨らみながら生き延びてきました。

 最後に、世界の重要なコミュニケーションツールとなったインターネットの使用言語ランキング。
1.英語/5億3千万人 
2.中国語/4億5千万人 
3.スペイン語/1億5千万人 
4.日本語/9千万人 
5.ポ ルトガル語8千万人
以下、 
6ドイツ語 7500万人  7 アラビア語/6500万人 8 フランス語6000万人  9 ロシア語/6000万人 10/朝鮮語 4000万人

 日本語は、系統はわからない孤児の言語ですけれど、世界では話者数では10番目のメジャー言語、インターネットでは世界4位のメジャーです。
 がんばれ、孤児にほんご。
 生き続けてほしいです。

<つづく>
2012/07/31
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(7)ザル頭の夏休み

 7月9日、仕事が終わってから、修士のときの指導教官をたずねました。いっしょに行った同じゼミだった3人ともに、「学生時代は先生に叱られてばかりだった」という思い出話をしながら、定年退官後は病後の体を労りつつ研究に専念なさっている先生に「もっと叱ってもらうため」に出かけたのです。
 
 先生は、リハビリを続けながら体調回復に励み、今ではとてもお元気になられたようす。ほっとしていろいろなお話をうかがいました。若い頃、全共闘世代で教授連と対立した思い出話から、日本語文法の話、研究仲間とのエピソードなど。

 その中で、印象的だったお話。先生がおっしゃるには、「退官して、しんどい授業から開放されて研究三昧かと思ったら、そういうわけでもなかった。このアホ学生めら、お前たちの脳みそに、私の研究成果の日本語文法をどれほど注ぎ込んでも、ザル頭からザーザーこぼれていくのがわかる、と思いながら授業を続けてきたけれど、アホ学生のザル頭に注ぐ言葉がなくなったら、自分の脳からザーザーこぼれていってしまう」とのこと。

 お気持ち、よくよくわかりました。私も、現在は「私にできる限り、このザル頭の学生に、日本語学を注ぎ込むのだ。義務だから。でも、ザルに水注ぐのが仕事とはつらい」と思って仕事をしているのですけれど、きっとこの注ぎ込もうとする時間がなるなると、自分に注ぎ込まれる何かがなくなってしまうのです。それは若い学生の学ぼうとするエネルギーが発する何かなのかもしれませんし、人と人が関わろうとするとき発する何かかもしれません。

 できる限り興味を持てるようにと工夫したつもりの日本語文法の話に、何の反応も見えないような時間がおわって「ああ、今日も徒労だったか」と思うような時間さえ、実は自分のためには貴重なひとときなのだ、と反省させられる、指導教官のことばでした。 

 毎期、いろんなことを学生から学びます。今期、ひとつのクラスでは、日本人学生30名の中に台湾からの2名と、日本在住中国籍の学生1名が在籍していました。このクラスには、日本語学の基礎を教授しました。
 また、中国人留学生30名の中に日本人学生が2名在籍するクラスに日本語教授法を教えました。

 日本語学のほうは台湾人学生に、「日本人向けの日本語学講義だから、Nテスト(日本語能力試験)1級にも合格していないというあなたたちには、少し難しいかもしれないけれど、いいですか」と、念を押しての授業で、留学生に配慮はしたけれど、授業の中味は手を抜くことはなかったので、「日本語はむずかしい」と感じたようです。それでも、最後まであきらめずに毎回出席し、発表も行いました。

 留学生のなかに日本人が混じる「日本語教授法」の授業では、日本人学生に「このクラスの中国人は、ほとんどがNテスト1級に合格していないそうです。だから、日本人が当たり前に知っていることも確認しながら、日本語復習という内容を混ぜていきますが、いいですか」と確認しました。

 たとえば、ひとつの漢字に多くの読み方がある、という日本人には当然のことが、世界の文字の中では、特殊なことなのだ、ということなど、あらためて教えられると「びっくり」なこともわかったようです。中国人には、「生」の読み方を10以上書きなさい、という課題が「え~、こんなにひとつの漢字に読み方があるのか」と、思えたし、「流鏑馬のきしゃの取材をしたきしゃのきしゃがきしゃできしゃしたそうですね」という文を漢字を使って書き分けなさい、という課題に対して、「漢字はお手の物」と思い込んでいる中国人学生にも書けない、ということがわかりました。

 「日本で使われている漢字は日本語である」という基本的なことを認識し、「流鏑馬」が、中国人には誰一人読める者がなく、さすがに日本人学生には読めた、というとき、「日本の漢字は中国のものとは違うのだ」と中国人も実感できました。
 「中国語と日本語と両方しゃべれるから、明日からでも日本語教師になれる」と思い上がっていた中国人学生に、熟字訓の練習をやらせて、自分たちの日本語知識は実に浅いものだと思い至らせただけでも、十分に授業の効果はありました。

 授業の内容や自分が発表したことをまとめる期末レポート。昔の学生レポートは、手書きの上に、作文力の低下で、これが日本人が書いた日本語文章か、と思うようなひどい文章も混じっていたのですが、最近は、読むに耐えない、とう文章が少ない。これは、ワードなどのパソコン入力の文章だと、校正機能がついていて、おかしな文章を指摘してくれるからです。主述が一致していなかったり、テニオハが間違っている文章もぐんと少なくなりました。

 授業レポートは、授業内容と自分が発表した内容のまとめを要求しているのですが、まとめの文章が規定字数に達しないとみるや、感想を付け足す学生もいます。ありがちな常套的な感想ですが、授業者が「この授業を通じて何を学んで欲しいか」と述べたことが伝わったのかも、と思える感想です。

 この講義を受けて、日本語の奥の深さや自分の知っている、使える日本語がどれだけなのかや、いかに少なかったかを確認することができました。
 言葉は、その時代時代で新たな言葉が生まれたり、時代とともに死語になる言葉があったりとまるで生きているかのように人間と共存しているんだと思いました。また、言葉は日本語だけだはなく、世界各国にあり、自分が特に興味が有るのは英語ですが、他にも様々な国の言葉を勉強して、話せるように、様々な国の人とその国の言葉を使って会話をしてみたいと感じました。言葉の歴史などにも興味をもつことが出き、今後日本語以外の言語についても、深く調べてみようと思いました。
 この授業を通して、

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