春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

ぽかぽか春庭「老いの小文」

2012-07-23 | 日記・エッセイ・コラム
2012/07/18
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(1)らくらく

 前から娘に「母は、ケータイ操作がわからないんだから、こっちにしたほうがいいよ」と言われていたのだけれど、「らくらくホン」というのが、「老人向け」として宣伝されていたのを見て、まだ、「老人向け商品に頼らなくてもやっていける」という見栄で、古いのを使い続けてきました。2007年に機種変更した「海外でも使えるケータイ」というケータイ。メールが打ちにくいので緊急連絡用電話として使ってきただけで、メールはほとんどパソコンメールを使っていました。

 ところが、先週、電車の中で、足にぽたぽた水が落ちてくるので、あれっと思ったら、カバンの中に入れておいた「富士の天然水」というペットボトルのフタがきちんと締めて無くて、水がカバンにこぼれていたのでした。そのときはキオスクで買った文庫本、まだ読み終わっていなかったので、本の表紙の水を拭き取るの気を取られて、カバンの奥のケータイはほったらかし。

 家に帰ってみたら、ケータイは電源が入らない状態になっていました。
 土曜日、しかたなく、池袋のドコモショップで娘のすすめる「らくらくホン」に変えました。かろうじて、前のケータイから電話帳だけは取り出してもらいました。何件もないアドレスですが。
 今度のケータイ、メールの文字が大きいし、機能もほんとロージン向けで使いやすい。

 アンチエイジングばやりの今日この頃、顔や髪などの老化については「しわは年輪、白髪は人生の勲章」と言っているのに、脳年齢は若いつもりで見栄はっていたのが、脳もローカの一途をたどっているのだと自覚されました。


 家族割りだと安くなる、というセールストークにノセられて、娘のも機種変更。アイフォン、ディズニー仕様に。かわいらしいデコケースも買いました。私のは何もかわいらしくないので、ペンギンのシールを貼り付けました。
 私が一番ほしかった機能は、ケータイが見当たらないとき、ケータイが自分で「ワタシは、ここよ」と主張する、というものなのですがそれはついていない。手を3回たたくと、返事する、というケータイもあるらしいのですが。まあ、家の中でなくさなければいいのですが、どういうわけか、私の鍵とケータイと財布は、かくれんぼが大好きです。

<つづく>
2012/07/20
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(2)老人の肖像

 オランダのマウリッツハイス王立美術館が2012年4月から2年間改修拡張工事となり、閉館している間、所蔵絵画が他の美術館に貸し出されます。

 東京都美術館のリニューアルオープン。目玉はフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。そのほか、フェルメール、レンブラント、ルーベンスなど、マウリッツハイス美術館の有名所蔵品がリニューアルオープンの目玉として東京都美術館で公開されるというので、なんとか招待券を手に入れようとしたのですが、だめ。ミサイルママが、一人5枚まで区の市民サービスで格安チケットを購入できるというので、私の分もいっしょに買ってもらいました。一般1600円のところ、半額です。

 仕事が終わってから、「少女」に会いに出かけました。平日というのに、まず美術館に入るまでに60分待ち。

 きっと絵の前は「人、黒山をなす」で、背の低い私は遠くから人の頭ごしにしか見られないだろうと覚悟して、それでも一目、見つめ合えるかも、と「少女」の部屋にいきました。他の絵はぜんぶすっとばして3階へ。
 最初はものすごい人混みにもまれながら30分並びました。最前列で見るための列です。「立ち止まらないでください」という係員にせかされて、絵の前最前列を10秒で通り過ぎる「通過鑑賞」
 つぎに立ち止まっていてもいい2列目での鑑賞をねらう。黒山の中、じりじりと前に進んで2列目に並び、30分くらい立って見ていました。
 「きれいだねぇ」としゃべりあう二人連れ。少女が頭に巻いている青いターバンの色について、連れの女性に蘊蓄並べる「油絵ちょっとかじりました男」の弁舌。いろんなおしゃべりを聞きながら、少女と見つめ合いました。
 
 5時半閉館、5時に入場締め切り、というので、入場締め切り後、もう人が入ってこない時間がチャンスと見て、館内で待っていました。2度目は比較的すいて、1度目よりはゆっくり見ていられました。今度は最初に30分2列目に陣取って見て、最後にもう列に並ぶ人がいなくなってから、何度も列について、ぐるぐる通過鑑賞。

 本物の「少女」は、とても魅力的でした。最近の図版は印刷技術がとてもいいので、版画などは本物もコピーも区別がつかないこともあるのですが、この「少女」の青いターバンや光る真珠、そしてあの蠱惑的な瞳は、図版とは比べものにならないくらい良かったです。。本物を見ることができてうれしい。

 そのほかのフェルメール、2008年に東京都美術館のフェルメール展で見たことのある『ディアナとニンフたち』にも再会できました。2008年に東京都美術館で見たフェルメール。「ディアナとニンフたち」のほか、『マリアとマルタの家のキリスト』『小路』『ワイングラスを持つ娘』『リュートを調弦する女』『手紙を書く婦人と召使』『ヴァージナルの前に座る若い女』を見ることができたのですが、このときは「真珠の耳飾りの少女」は来日しませんでしたから、今回の展覧会を楽しみにしていました。
 スカーレット・ヨハンソンが少女を演じた映画もとてもよかった、ということもあります。

 会場出口の外は絵はがきや複製画、図録などの売り場、その外側に「少女の服」が展示されていました。
 今回、展覧会のプロモーションで武井咲が少女のイメージキャラクターを演じています。『真珠の首飾りの少女』の絵は上半身だけなので、下半身のスカートについては、当時の女性の衣裳を文献資料で調べ上げ、布地やデザインなどを考証して作ったのだそうです。文化服装学園の学生達が一ヶ月がかりで手縫いで縫い上げたという衣裳も展示されていて、ていねいな仕事でした。

フェルメールの少女に扮した武井咲

文化服装学園の学生が縫った衣裳を着ています

 レンブラントやルーベンスもよい作品が展示されていて、充実していました。会期中、夏休みにもう一度行きたいと思っています。今回は、「少女」に会うのが主な目的だったので、他の作品はささっと駆け足鑑賞になってしまったので、もういちど、ゆっくり見られそうな日を選んで。

 レンブラントの最晩年の自画像と並んで、『老人の肖像Portrait of an Old Man』が印象深かったです。1667年、レンブラントの最後の日々にに描かれた油彩です。
 老人は、衣服から見ると、裕福な環境で人生を過ごしたことが見てとれます。肘掛け椅子にゆったり座り、シャツは襟元を開け広げてくつろいでいます。満足のいく人生を写し取らせて子々孫々に残そうとしてレンブラントに肖像を依頼したのでしょう。


 でっぷりとした上半身は、お金持ちらしい風貌で、17世紀のオランダということを考えると、東インド会社などの東洋貿易で大もうけしたひとかもしれません。
 しかし、レンブラントの筆致は、このお金持ちの老人の別な面も映し出しているような気がします。
 人生の成功者なのかもしれないのに、なぜか悲しげにも見えるのです。お金は得ても、愛のない人生だったのかも知れません。あるいは、愛する人に先立たれた人なのかもしれません。
 老いていくことそのものを悲しんでいるのかもしれません。いずれにせよ、この老人は幸福そうではないと思えるのです。

 晩年のレンブラントは妻に先立たれた後、家政婦や女中との愛憎関係がもつれ、裁判沙汰忍なるし、作品の完成度をめざすあまり、金持ちからの肖像画依頼がなくなって無一文になるし、不幸続きでした。「老人の肖像」には、そんな人生最後の悲しみが描き込められているように思います。
 最愛の妻が眠る墓地まで売らなければならないほど逼迫したレンブラント。さらには息子まで先立ってしまい、老いの悲しみの中に人生を終えなければなりませんでした。

 だれも、幸福で満ち足りた晩年をおくりたいと願い、人生の最後のときをおだやかにやすらいで迎えたいと思っています。
 「老人の肖像」は、そんな願いとは異なるレンブラントの「これが老人の現実なのだ」というため息が絵の具となって塗り込められているように感じました。

<つづく>


2012/07/21
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(3)老いの美学・日本語の美

 怒鳴門さんが長年住んできた住まいは、北区西ヶ原にあります。1974年から40年近く住むこの部屋の一番いいところは、窓から旧古河庭園の緑が見下ろせること。

 2008年に日本国文化勲章を受けた怒鳴門さん。その2年前、2006年に名誉北区民になっています。名誉区民受諾の記念講演で、冗談ですが、「北区のためなら死んでもいい」と発言したそうです。
 2011年までの名はDonald・ Lawrence・Keene。2012年3月8日、法務省は、アメリカ人Donald・ L・Keeneさんが、日本国籍を取得し「キーン・ドナルド」となった、と発表しました。

 キーンさんは、学生時代に『源氏物語』英語翻訳に触れて日本文化に興味を持ち、太平洋戦争中に「日本語翻訳通訳をこなす将校」として日本語を習得しました。日本文学日本文化研究を続けてきたキーンさん。コロンビア大学で長年教鞭をとり、「日本学」の研究者を育ててきました。昨年4月に退官し、現在は名誉教授です。日本で生まれ育った人よりも日本文化に造詣深く、多くの著作で西欧社会に日本文化日本文学の紹介を続けてきました。

若かりし日のドナルド・キーン「青い眼の太郎冠者」


 名前を漢字表記する時は、鬼怒鳴門にするそうで、これは愛して止まない地名、鬼怒川と鳴門を合成して作った「雅号」だそうです。
 ご本人は「人を笑わせるときに使う」と話していますが、この「鬼怒鳴門」という漢字の組み合わせ、「暴走族が背中に刺繍を入れるような字面」として、ネットで話題になりました。「夜露死苦よろしく」と同じような発想と思われたのです。古事記、万葉集、源氏物語、方丈記などを深く研究してきた先生ですから、万葉仮名、変体仮名、漢詩までたくさんの字を知った上でのこの漢字選択。いやあ、ジャパノロジー、奥が深い。日本研究、どこまで行っても奥の細道。

 4月に、北区の赤レンガ図書館を紹介しましたが、2008年の図書館オープンとともに「名誉区民ドナルドキーン文庫」が設立され、今回の国籍取得で、この文庫をさらに充実させていくそうです。

 キーンさんの著作、全部ではありませんが、興味の持てる本は読んできました。一番好きな著作は『百代の過客』1884朝日選書です。最近は『日本語の美』を再読しました。キーンさんが英語で書き、翻訳者が日本語にした著作が多い中、『日本語の美』は、キーンさんが自分自身で最初から日本語で書いたエッセイです。研究論文とはことなる気軽な随筆ですが、日本文学を長年研究した中からこぼれ出てくる日本語への愛が感じられます。

 日本国籍取得が発表されて以来、北区の住まいに腰を落ち着かせるヒマもないくらい、全国で講演活動を行っているキーンさん。専門の日本文学に関してだけでなく、国際交流であるとか、歴史だとか、ちょっとでも関わりがありそうなテーマで、なんとかキーンさんを講演者として招きたい団体やら大学がひきもきらず、全部をこなしていたら、大好きな和食をゆっくり食べている間もないのではないかと心配になります。
 なにせ1922年生まれ。今年6月10日には満90歳。
 日本人ドナルドキーンさん、これからもお元気で活躍されますように。

旧古河庭園での鬼怒鳴門近影(飛鳥山博物館「ドナルドキーン展」チラシ)                

<つづく>
2012/07/22
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(4)老いの繰り言

 姑は、「ケンコーおたく」でした。そのときそのときでマイブームは変わるものの、健康にいいことは、ドクダミ茶、桑の葉茶、玉葱茶、カスピ海ヨーグルト、なんでも試してきて、健康自慢でした。
 今年になって、少し衰えが見えてきたとはいえ、87歳にしては気丈だなと思っていたのですが、気力だけではこの夏を乗り越えることができそうになく、急激に弱くなりました。
 私の体など、姑に比べたらあちこち不調だらけ、姑より先に弱るかと思っていたのですが、この夏は「老老介護」に励むことになりそうです。

 姑は、これまで童謡を歌う会やら詩吟の会やらへ出かけ、体操教室に出かけてきました。87歳の誕生日を祝い、米寿まで元気にいたいと張り切っていたのに、そのあと「食事を作るのも、買い物に出かけるのもめんどうになった」と言いだし、「要支援1」という認定を受けたのです。87歳で初の要支援なのですから、70代でも介護5,6という方に比べればよほど気丈なひとり暮らしだったのですけれど、やはり「寄る年波」は寄ってくる。
 
 認定を受け、デイケアセンターが利用できることになりました。土曜日はバスが自宅前まで迎えに来てくれて、デイケアセンターで「体操」をするのをとても楽しみにしていて、「体操をすると元気がでる」と言っていました。まだまだ気持ちは元気でいる、ということはわかるのですが、いかんせん、足腰の弱り脳血流の衰えが日常生活を疎外しています。毎週歯医者や病院検査にひとりで通っていたのにも、付き添いが必要だと言うことになりました。

 今週の木曜日、娘がつきそっての病院への行き帰りでも、「向かいから来たベビーカーをよけ損ねて、転びそうになった」と、娘の報告。娘は、ベビーカーの通行をさまたげてしまったと思って「私が、すみませんってあやまったら、ベビーカーのお母さんは、あら、どうぞお気遣い無くって笑って言ってくれた」と言ったのですが、私はそれは違うんじゃない、と思いました。ベビーカーのお母さんは、「老人連れのふたりが私のベビーカーをよけて歩いて当然」と、感じたいるから「お気遣い無く」という発言になったのでしょう。

 私たちの世代が子連れで外出するとき、ベビーカーは通行のジャマだと扱われて、電車に乗せることはできませんでした。外出時、歩けない子はおんぶして、歩ける子は手をひくのが街を通行するスタイルでした。
 近年は、ベビーカーでの電車やバス乗車がおおっぴらに認められるようになり、子育て支援の要請をしてきた私たちの主張がやっと認められたのだと、うれしく思います。
 しかし、それを当然と心得る若いお母さんは、ベビーカーが進行するときは、歩行者はよけてくれるものと勘違いしています。

 ベビーカーが通行するときは、「そこのけ、そこのけ、赤ちゃんが通る」と、押し通ってはいけないと思います。前方にお年寄りがいたら、ベビーカーのほうが通行に気をつかうのが当然だ、と、昔モノの私は感じるのです。お年寄りが向かいから来たら、ベビーカーのほうが、立ち止まるかお年寄りをよけるかすべきだ、と思ってしまったのですが、これも「老いの繰り言」なのでしょう。

 ともあれ、この夏、妹一家に混ぜてもらって行くことにしていた「清里高原野外バレエ鑑賞旅行」の3泊4日の旅もキャンセルしました。前期いっしょうけんめい働いた、ごほうびのつもりで楽しみにしていたのですが、自分へのごほうびよりも、日常生活が不自由になった姑をなんとかしなければなりません。

 煮付けの味から窓ガラスの拭き方まで「家風」をヨメにたたき込もうとする姑の話とか、孫を「我家のあととり」と思い込み、ヨメの子育てにいちいち口を出す姑の話とか、いろんな嫁姑の愚痴を方々で聞いてきたので、私の暮らし方にいっさい口を出さなかった姑に感謝しているし、舅なきあと一人で暮らしで生きてきた姑を偉いと思って来ました。

 これまで私が働いてこれたのも、姑が元気に一人暮らししていてくれたおかげですけれど、これからも働き続けなければならない中、老老介護となるこれからの生活をどう組み立てていったらいいのか、思案中。娘がおばあちゃんの世話をよくしてくれることに頼っていくことになりそうです。

 友人達、みな第一線を退き、ゆうゆう年金暮らしに入ったのに、働かなければ食べていけない私の老後もたいへんと思ってきましたが、さらに困難が山積みとは。
 老いの繰り言を並べ立てても解決しないのですが、繰り言続けています。

横浜中華街の春節まつり。中国踊りのかぶりものをつけた姑と私

  2011年の姑の誕生日祝いに、中華街で食事したときの記念写真です。

<おわり>


1 コメント

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春庭さんへ (toliton)
2012-07-29 12:26:55
春庭さんへ

真珠の耳飾りの少女にお会いになったのですね!
私も、8月に入ったら会いに行く予定です。
武井咲ちゃんのコスプレもいいですね!
以前、DVDでフェルメールと青いターバンの少女の映画を観ました。
あの真珠の耳飾りにあんな背景と事情があったなんて…。
少女役の女優さんは、まるであの絵から抜け出してきたかのようでした。
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