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春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

ぽかぽか春庭「イサドラ・ダンカン・ワークショップ・アサインメント」

2011-08-08 | インポート
2011/08/08
ぽかぽか春庭言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>ダンス・ダンス・ダンス(3)イサドラ・ダンカン・ワークショップ・アサインメント

 IDHSJワークショップの最後は、「前回だされていた宿題、ワークショップアサインメント」の発表が行われました。
 宿題は「イサドラ・ダンカンの踊りについて、同時代または後世の人々が、どのように批評しているか、あるいは影響について語っているか、ダンカンの研究家以外の人がイサドラのことをどう言っていたか発表して、みなで知識をシェアする」というものです。

 メアリー佐野先生は、ダンカンの伝記について『踊るヴィーナス―イサドラ・ダンカンの生涯』(フレドリカ・ブレア著、鈴木万理子訳)の監修者となっていて、イサドラ自身がダンスについて語ったことばは、折りにふれてレッスンの合間に生徒達に語ってきたそうです。

 Aさんは、スタニスラフスキーとメイエルホリドのイサドラ評を発表しました。スタニスラフスキーは、イサドラのダンスを高く評価し、自分の演劇論スタニスラフスキーメソッドにイサドラの身体表現を取り入れたことを、本に書いています。メイエルホリドは、イサドラに好意的ではなかったけれど、自分の演劇メソッドにはやはりイサドラダンス・メソッドをとりいれているようだ、という発表でした。

 今回は、「他者の評価」が中心の短い発表でしたから、私の好きなスキャンダラスな面での言及はありませんでしたが、演劇史を思い起こしながら聞いていた私には、とても面白かった。なぜなら、イサドラは最初のロシア訪問で、妻子あるスタニスラフスキーを恋人としたがり、最後のロシア訪問では、詩人のエセーニンと恋仲になり、18歳年下のエセーニンと正式に結婚したという私生活があったからです。

 エセーニンにとってイサドラは3人目の妻。2人目の妻である女優のジナイーダ・ライフZinaida Raikhは、エセーニンと離婚後、メイエルホリドと再婚しています。つまり、メイエルホリドにとって、イサドラは「妻の敵」のような人。だから、妻の手前、イサドラに好意的な批評はできなかったのかもしれないと、そんな感想を持ちました。

 それにしても、エセーニン、自殺。ジナイーダ、自殺。メイエルホリド、反体制分子とされ、スターリンによって処刑される。イサドラ、車の車輪にスカーフが巻き込まれて首の骨が折れて死去、と並べると、この四角関係の不幸な結末は、どんなドラマよりすごい。

 もうひとりの発表は、ココ・シャネルの伝記の中で、ココは「お針子」の身分から這い出すために女優かダンサーになろうとしたことがあり、イサドラにダンスを習おうと思っていたけれど、結局そうはせず、デザイナーとして身を立てる決意を固めたことが紹介されました。発表では、「ココがイサドラに賛同できなかったのは、似たもの同士だったからではないか」と、評されていました。

 女性をコルセットの締め付けから解放する20世紀の新しい衣服デザインをしたココ・シャネルと、ダンサーの足をトゥシューズの締め付けから解放して新しいダンスを作り上げたイサドラ。そしてどちらも恋多き女。いわば「男をこやしにして」のし上がっていくタイプの女性だったところが共通しています。

 私もココについては、数種類の伝記や映画を見たことがあるのですが、イサドラにダンスを習おうと思ったことがあったとは知りませんでした。面白い発表を聞けました。

 3人目の発表は、イサドラのダンス姿をスケッチしたイラスト画集の紹介。イサドラはたくさんの画家にインスピレーションを与えました。そのダンス姿は、絵画に残され、写真も数多く残されています。

 同時代のロシアバレエ団バレエ・リュスに所属していたニジンスキーの踊る姿は、映画に残されています。20世紀初頭の映画技術ですから画面は暗く荒いですが、youtubeで検索すると、短い秒数ですが、生きて動くニジンスキーを確認できて感激します。しかし、イサドラはあれほど多くの画家が描いているにもかかわらず、映画が残されていないのです。たった5秒間分だけ、イサドラが動いているムービーが、これはニュース映画のひとこまでもあるのでしょうか、youtubeで見ることができます。5秒間でも貴重なので、UPしておきます。
 http://www.youtube.com/watch?v=mKtQWU2ifOs

<つづく>

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