2006/09/08 金
やちまた日記>夏のおでかけリポート(35)南極展・白瀬探検隊がのこしたもの
写真や映像のなかにのこされた白瀬探検隊の姿。また、白瀬の著書『南極探検記』も、大切な記録のひとつです。
さきにのべたように、白瀬矗がのこした物品は多くありません。「寝袋」「防寒手袋」「南極でつかったすりこぎ」、、、、
物は残さなかったけれど、何より、彼は私たちに「探検精神」「未知の世界へ挑戦する心」をのこしてくれました。
白瀬京子(1936~1990)は白瀬矗の弟さんの孫にあたり、「雪原へ行く」という白瀬の伝記を執筆出版しました。
身内でなければ知り得ない矗の晩年のエピソードを、エッセイなどに書き残しています。
晩年の白瀬は、恩顧の人々の名前を紙に記し、朝夕、仏前で経を唱えてすごしました。
涙もろくなった晩年は、ときに涙をみせなが京子に思い出話を語ることもあったそうです。
京子さんが忘れられない幼い日の記憶。
矗が仏壇に供えた供養の人々の名のなかに、「犬」の一字があったこと。まだ、むずかしい漢字が読めない幼い頃のことだったけれど、犬の字はわかったので、よく覚えています。
南極を離れるとき、やむを得ず置き去りにしたカラフト犬のことが頭を離れなかったのではないか、と京子さんは推測しています。
1990年、白瀬京子は、秋田県金浦町に設立された白瀬南極探検隊記念館初代館長に任命されました。しかし、記念館オープンの数日前に54歳で病死。
京子さんは、とても思いやりにあふれたやさしい人柄だったそうです。
白瀬京子は、1970年34歳のとき、3人乗り小型ヨットによる日本初の世界一周航海を成し遂げた女性です。
白瀬はコック長。長といっても、コックはひとり。船長ひとり。機関長ひとり。男性ふたりとともに、3人のチームで、堂々世界一周に成功しました。
1969年5月5日~1970年8月22日までの、475日の西周り一周でした。
窮乏生活の中で一生を終えた白瀬矗でしたが、京子さんが小型ヨット世界一周航海を成し遂げたのを知って、なんだか、とてもうれしい気がします。矗の探検精神がしっかりと受け継がれた、と感じるのです。
南極展は、1956年第一次南極観測から50周年を記念する展示が中心なので、白瀬隊についての話は、ごく簡単な説明しかなかったため、南極展を見たあと、白瀬矗について調べはじめました。
「南極展」に展示してあった「白瀬矗のすりこぎ」「野村直吉の航海日誌」「三浦幸彦の南極光景墨絵」「開南丸の模型と命名書」「白瀬隊の写真」などの展示物を見た感想からさまざまな興味がひろがり、リンクをつけたHPなどを参照しながらたくさんのことを知りました。
自分の興味が向いた順に構成執筆したので、探検の記録としては話が前後したり、わかりにくかったかと思います。
南極探検については、下記書籍、HPをご参照ください。
@参考
白瀬矗「私の南極探検記」日本図書センター
白瀬京子「雪原へ行く」秋田書房
白瀬南極探検記念館HP http://hyper.city.nikaho.akita.jp/Konoura/ko05.html
これまでは、昔読んだ伝記でしか「白瀬矗」の姿を知りませんでしたが、今回、白瀬の生涯を知り、想像以上の波瀾万丈の一生であったことがわかりました。
白瀬のように、この世での栄達富貴を求めるのではなく、ただひたむきに自分の使命と信じたことを黙々とやり遂げる人生、尊敬します。
私などは、寒さにも暑さにも耐えられないヤワな精神身体。何事も中途半端になってしまうイイカゲンな毎日をおくっていて、ヤクタイもない日々をずるずるとすごしています。
また、稚内市役所に「サハリン課」がある、というようなことも、今までまったく知らなかった。調べ出すと、興味深いことが次々に見つかります。
南極展は9月3日で終了しましたが、春庭の「南極展」紹介、エピローグとして、タロジロの話、砕氷船の話が続きます。
<つづく>
やちまた日記>夏のおでかけリポート(35)南極展・白瀬探検隊がのこしたもの
写真や映像のなかにのこされた白瀬探検隊の姿。また、白瀬の著書『南極探検記』も、大切な記録のひとつです。
さきにのべたように、白瀬矗がのこした物品は多くありません。「寝袋」「防寒手袋」「南極でつかったすりこぎ」、、、、
物は残さなかったけれど、何より、彼は私たちに「探検精神」「未知の世界へ挑戦する心」をのこしてくれました。
白瀬京子(1936~1990)は白瀬矗の弟さんの孫にあたり、「雪原へ行く」という白瀬の伝記を執筆出版しました。
身内でなければ知り得ない矗の晩年のエピソードを、エッセイなどに書き残しています。
晩年の白瀬は、恩顧の人々の名前を紙に記し、朝夕、仏前で経を唱えてすごしました。
涙もろくなった晩年は、ときに涙をみせなが京子に思い出話を語ることもあったそうです。
京子さんが忘れられない幼い日の記憶。
矗が仏壇に供えた供養の人々の名のなかに、「犬」の一字があったこと。まだ、むずかしい漢字が読めない幼い頃のことだったけれど、犬の字はわかったので、よく覚えています。
南極を離れるとき、やむを得ず置き去りにしたカラフト犬のことが頭を離れなかったのではないか、と京子さんは推測しています。
1990年、白瀬京子は、秋田県金浦町に設立された白瀬南極探検隊記念館初代館長に任命されました。しかし、記念館オープンの数日前に54歳で病死。
京子さんは、とても思いやりにあふれたやさしい人柄だったそうです。
白瀬京子は、1970年34歳のとき、3人乗り小型ヨットによる日本初の世界一周航海を成し遂げた女性です。
白瀬はコック長。長といっても、コックはひとり。船長ひとり。機関長ひとり。男性ふたりとともに、3人のチームで、堂々世界一周に成功しました。
1969年5月5日~1970年8月22日までの、475日の西周り一周でした。
窮乏生活の中で一生を終えた白瀬矗でしたが、京子さんが小型ヨット世界一周航海を成し遂げたのを知って、なんだか、とてもうれしい気がします。矗の探検精神がしっかりと受け継がれた、と感じるのです。
南極展は、1956年第一次南極観測から50周年を記念する展示が中心なので、白瀬隊についての話は、ごく簡単な説明しかなかったため、南極展を見たあと、白瀬矗について調べはじめました。
「南極展」に展示してあった「白瀬矗のすりこぎ」「野村直吉の航海日誌」「三浦幸彦の南極光景墨絵」「開南丸の模型と命名書」「白瀬隊の写真」などの展示物を見た感想からさまざまな興味がひろがり、リンクをつけたHPなどを参照しながらたくさんのことを知りました。
自分の興味が向いた順に構成執筆したので、探検の記録としては話が前後したり、わかりにくかったかと思います。
南極探検については、下記書籍、HPをご参照ください。
@参考
白瀬矗「私の南極探検記」日本図書センター
白瀬京子「雪原へ行く」秋田書房
白瀬南極探検記念館HP http://hyper.city.nikaho.akita.jp/Konoura/ko05.html
これまでは、昔読んだ伝記でしか「白瀬矗」の姿を知りませんでしたが、今回、白瀬の生涯を知り、想像以上の波瀾万丈の一生であったことがわかりました。
白瀬のように、この世での栄達富貴を求めるのではなく、ただひたむきに自分の使命と信じたことを黙々とやり遂げる人生、尊敬します。
私などは、寒さにも暑さにも耐えられないヤワな精神身体。何事も中途半端になってしまうイイカゲンな毎日をおくっていて、ヤクタイもない日々をずるずるとすごしています。
また、稚内市役所に「サハリン課」がある、というようなことも、今までまったく知らなかった。調べ出すと、興味深いことが次々に見つかります。
南極展は9月3日で終了しましたが、春庭の「南極展」紹介、エピローグとして、タロジロの話、砕氷船の話が続きます。
<つづく>
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