“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

体罰という言い方って変ですよね、あれって暴力じゃない?

2013年01月09日 22時32分07秒 | Weblog
大阪の市立高校の男子バスケットボール部の主将だった2年の男子生徒が、
顧問の男性教諭の体罰を苦に自殺した問題が話題になっています。

自殺した男子生徒の死体には唇が腫れてめくれあがるほど
平手で殴られた体罰の痕跡が残っていたそうです。
なんとも傷ましいですねぇ。

そして、無性に腹立たしい。
自殺の原因が生徒同士のいじめが原因どころか、
教師の体罰だなんて・・・

で、このニュースを聞いて思ったのですが、
この男子生徒の自殺の原因を“体罰”という表現で報道するのってどうですか?

いまどの新聞もテレビも報道機関は、
体罰がどうたらこうたらというような報道の仕方をしていますが、
ここでいう“体罰”というのは“暴力”というのが正しくはないですか?
“体罰”ではなくて“暴力”、“暴力”による“暴行”、
これはまさに“犯罪”だと、僕はそう思うんですが・・・

辞書によれば、体罰とは
「こらしめのために、からだに直接苦痛を与える罰のこと」となっています。

ドストエフスキーじゃないですが、罪と罰は対比する言葉ですよね。
つまり、罪を犯したから罰を与える、悪いことをしたから罰を与えるという・・・
で、その罰のうち肉体的苦痛をともなう罰のことを“体罰”というわけですが、
では、皆さんにうかがいますね、
この男子生徒は何か罪を犯すような悪いことをしたのでしょうか?

タバコを吸ったとか、
他の生徒を殴ったとか、いじめたというわけではないんでしょう?
聞けば、試合でミスをしただけというじゃないですか。

試合でミスをするのは罪を犯したとか、悪いことをしたというのではなく、
カンタンにいうと、“失敗”をしたということです。

その“失敗”に対して、教育的見地から(?)体罰を与える、
しかも、その体罰が半ば日常化、常態化しているというのはあまりに行き過ぎです。
これはどう見ても“暴力”としかいうほかはないじゃないですか!

ところが、ネットなどのニュースで見ると、一部のOBなどの中には、
「先生の指導は間違ってはいなかった」と、
この“暴力教師”を擁護する発言をしている者がいるということです。

これにも驚きます。
唇がめくれあがり、自殺を図るほどの“心の傷”を負わせた人間をですよ、
「先生の指導は間違っていなかった」と擁護する発言をするというのは、
この男子生徒の親族の気持ちをあまりに無視、愚弄、逆撫でした行為だと思います。

100歩譲って、この顧問の教師が純粋に、愛校心から、母校の優勝のために、
これまで生徒たちに対して“体罰”と称して“愛のムチ”をふるってきたとしても、
それによって死者が、犠牲者が出てしまったということ自体、
その方法論は完全に間違いであり、
この教師にはある種の思い上がりと慢心があったというほかはありません。

また、こうした一連の行き過ぎた“暴力行為”を、
実績重視でこれまで見過ごしてきたり、
以前に訴えがあった時もいいかげんな調査ですましてきた学校側と、
それを管理する大阪市の教育委員会には、
橋本市長から徹底的にお灸をすえてもらいたいと思います。

でないと、この亡くなった男子生徒が浮かばれないし、
彼のお母さんもやりきれないと思います。

いいですか、“体罰”とは悪いことをした時に加えるものですよ。
この生徒が何か悪いことをしましたか?


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