“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

佐々木秀実さんと「港が見える丘」のこと・・・

2012年10月22日 03時43分44秒 | Weblog
今夜、仕事帰りにぶらりといきつけの『遊神亭』に顔を出したら、
いつも僕のブログを読んでくれているママから、
「あの佐々木秀実さんって女性じゃなかったんですね。
ブログを読んで知ってびっくりしました」と言われました。

ありがとうございます、いつも丁寧にブログを読んで下さって!
でも、佐々木秀実さんの一件では、僕もホントびっくりしたんですもん。

・・・そんなわけで、前回の続きです(笑)

今回、僕が佐々木秀実さんとお会いしたのは、
秀実さんが10月25日にリリースしたデビュー10周年記念のアルバム
『美しい日本のメロディ』のプロモーションにからんでのことでした。

佐々木秀実さんはシャンソンを歌う歌手ですが、
今回リリースしたデビュー10周年という節目のアルバムは、
「ゴンドラの唄」や「黄昏のビギン」「胸の振子」「あなたのすべてを」などなど、
いわゆる日本の流行歌や抒情歌をカバーしたアルバムになっています。

その点について、秀実さんは、
「これらの曲は小さい頃から、
おじいちゃんやおばあちゃんが聞かせてくれた
自分の原点なんです」と語っています。
節目にあたり、そんな自分のルーツをたどってみたかったのでしょうね。

とにかく選曲も完璧だし、実に聴きごたえのある素晴らしいアルバムです!
皆さんにもぜひお聴きいただきたいと思います。

そして、番組ではそのアルバムの中から一曲、
平野愛子さんの歌唱で知られる名曲「港が見える丘」をディスクしたのですが、
今日はその「港が見える丘」についてのお話を少し綴ってみたいと思います。

というのは、秀実さんが歌う「港が見える丘」がかかった折に、
僕はふと思いついて、
「秀実さん、この『港が見える丘』というのはどこの町のことだと思いますか?」
と訊ねたのです。

と、秀実さんは、案の定、「あれ?横浜じゃないんですか?」との答え。

やっぱりね・・・としたり顔の僕(笑)

さて、皆さんは「港が見える丘」とはどこの町を歌った曲だと思いますか?

横浜? はい、いちおうは横浜でも間違えではないのですが、
どうやら神戸(でもあるらしい)というのが答えなんです。

神戸?どうして? 
だって、横浜には“港が見える丘公園”があるじゃない?と思うでしょ、
でも、あそこは正しくは“港の見える丘公園”・・・というのは屁理屈か(笑)

とはいえ“港の見える丘公園”には、
「港が見える丘」の歌碑も建っているんですよね。

まぁ、そうなんですけれど・・・

平野愛子さんの歌う「港が見える丘」は、
戦後まもない昭和22年(1947年)のヒット曲ですが、
実は、この曲を作った(作詞・作曲)東辰三(あずま・たつぞう)さんは
兵庫県の出身で、旧制の神戸商業高校を出た方なんです。
つまり、青春時代を神戸の街で過ごした人・・・

ですから、この曲を作った当時の東さんの頭にあったイメージは、
おそらく神戸の丘から見下ろした港の光景だったのではなかろうか・・・
と推測されるわけです。

なぜなら昭和22年には、
まだ横浜に“港の見える丘公園”はなかったんですよ。

現在の横浜の“港の見える丘公園”のある場所には、
戦前は英国の海軍病院があり、
終戦後はアメリカの進駐軍が駐留していたそうで、
昭和37年に公園化され、
その際「港が見える丘」にちなんで
“港の見える丘公園”と命名されたということで、
平成11年には、「港が見える丘」の歌碑も建立されました。
だから、たしかに、ここぞ本家本元の“港が見える丘”と言っても
いいんですけどね・・・

この点について、東辰三さんの息子さんである作詞家の山上路夫さんは、
(あの山上路夫さんが東辰三さんの息子さんという事実にビックリしますが!)
《この曲は父(東辰三さん)がお風呂に入っている時に浮かんだ曲で、父本人は
神戸とも横浜とも言っていない、おそらく両方のイメージがあったのだと思う》
と、横浜も神戸もどちらも傷つかないような大人の答えを残しています(笑)

だから、正確には、“港が見える丘”は横浜と神戸の両方というのが
正しいのかもしれません。

ちなみに、この「港が見える丘」はどこの町のことかについての話は、
僕の持ちネタみたいなもんで(笑)
以前にも、横浜在住で横浜を愛し横浜にこだわりを持って生きている
日野美歌ちゃんが『横浜フォール・イン・ラブ』というアルバムを出した時も、
美歌ちゃん相手にやらかして顰蹙をかいました(笑)
このアルバム、最近日本コロムビアから再発売されていますが、
美歌ちゃんの歌うジャズテイストの「港が見える丘」も絶品ですよ!

なお、「港が見える丘」をモチーフにして、
あの宮川泰さんが作曲した曲が、
ザ・ピーナッツの「手編みの靴下」(作詞・岩谷時子)で、
その詩をさらに岩谷さんが書き改めて誕生したのが、
園まりさんの「逢いたくて逢いたくて」・・・
というところまで語れれば、
この「港が見える丘」の話もいちおう終わりにしてもいいかな?


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