つくばの“ド素人”音楽同好会

クラシック音楽から,邦楽,洋楽とジャンルにとらわれず幅広く語り明かす,音楽の素人さんのための憩いの場です。

涙がでます・・・

2006年06月13日 22時51分12秒 | マエストロ
岩城先生の訃報を聞いて,部屋に戻ると,ちょうどテレ朝系の「ニュースステーション」でそのニュースが。

ベートーヴェンを振る姿を見ていたら,涙が止まらなくなりました。
悲しい。こんなに悲しいなんて不思議なくらい。
電車の中ではこらえていたんですけどね。

岩城先生を生で観たのは確かに指折り数えるほどです。
初めて先生を観た,執念のベートーヴェン「振るマラソン」。
病気から復帰された都響との森の歌。
OGT君とゲネプロから観たレスピーギ3部作。
ニューイヤーコンサート。
ブラームスの3番・・・・。

どれもこれも,昨日のことみたいです。

岩城先生の訃報はいろいろな新聞が記事を載せていますが,産経のそれは短文ながら生前の人柄を偲ばせました。

『世界中のひのき舞台に立ち続けても決して大御所ぶることなく、ユーモア精神を持ち続けた。』

そうでした。本当にそうでした,

いつのまにか,こんなに岩城先生のことが好きになっていたんだなあと,今更実感する,鈍感な私です。
ご冥福をお祈りします。


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以下,こちらは毎日新聞の記事を転用します。
<岩城宏之さん>亡くなる3日前まで、ベートーベンを勉強

 「死にやしないよ」。最近の岩城さんの口癖だった。強い意志と周囲への優しさを併せ持った岩城さんにふさわしかった。13日亡くなった指揮者の岩城宏之さんは、3日前までベートーベンのスコア(総譜)を見て、今年の年末のベートーベン交響曲全曲演奏会のための勉強を続けていた。
 世界でも例を見ない、1日で9曲全曲を指揮する試み。2回目の昨年は体調を崩しているにもかかわらず、血圧を測り、ドクターストップも視野に入れながら、一人で全曲指揮し通した。間近で見ていた作曲家の三枝成彰さんは「次々に演奏解釈のアイデアがあふれてくる。いくらでも勉強する。情熱の強さに驚いた」という。「ベートーベンの次はワーグナーの楽劇を全曲やろう」と、思いも付かない大企画も三枝さんに持ちかけていた。
 岩城さんは他人のためにも力を尽くした。特に若い作曲家にはポケットマネーで作曲委嘱を続け、藤家渓子さんや金子仁美さんらの優れた作品を生み出した。その一人の作曲家、西村朗さんは「『この音がよくない。削ったらどうだ』などと若手には厳しかったが、作曲家とのコラボレーションで作品を作り上げた。もし岩城さんがいなければ、日本の現代音楽の作品数はずっと少なかっただろう」と語る。
 一方、岩城さんは直言を辞さない反骨の人でもあった。N響の定期演奏会で聴衆に「お義理の拍手はやめてほしい」と呼び掛けるなど歯に衣(きぬ)を着せなかった。また「日本の文化行政を変えなければ」と83年、無党派市民連合から参院選に出馬した。また、頸椎(けいつい)後縦靱帯(じんたい)骨化症となって一時期、車いす生活をしたことから「日本は障害者に最も冷たい国」と改善を訴えた。
 最後の指揮は今年5月24日、東京・紀尾井ホールで、音楽監督を務める東京混声合唱団の創立50周年記念コンサートだった。コンサートの最後に、聴衆も一緒になって「赤とんぼ」を大合唱した。「岩城さんはいつも通り淡々としていたけど、これがお別れパーティーだったのでしょうね」と団員は声を曇らせた。【梅津時比古】
(毎日新聞) - 6月13日20時9分更新