Ominosato, Iida City, Nagano Pref.
さてさて、桜の花に彩られる長野県飯田市の桜を楽しんできたワタクシ達ですが、
続いては飯田市をさらに北上して「麻績の里舞台桜」へと向かいました。なお、「麻績」は「おみ」と読むんです
。

ここには旧座光寺麻績小学校の校舎があるんです。その校舎の前に地域唯一の新品種・半八重枝垂れ紅彼岸桜を見ることができます。
樹齢は約350年。胸高周囲約4m、樹高約12mの古木です
。

では、なぜこの桜が「舞台桜」と呼ばれるのでしょう。それにはちゃんと理由があるんです
。

旧座光寺麻績小学校の校舎は1874(明治7)年に建築されました。、その後1988(昭和59)年まで使われた県内最古の校舎です。
木造2階建てで、1階を歌舞伎舞台としているという非常に珍しい校舎なんですよ。
南信州の各村で村芝居が盛んだった明治初期、「この地域は住民が1500人ほどだった。校舎と歌舞伎の舞台の両方を作りたい。
それならば『舞台校舎』を作ろうということになった。地域住民全員が協力し、杉やヒノキを切り出し、
大きな素晴らしい梁(はり)があり、全て人力で、住民みんなの熱意で建てた」と伝えられています。
その校舎の前にあるので、「舞台桜」という名前がつけられたんですね
。

この桜は子ども達が、村人が歌舞伎を演じる姿を見続けてきたのでしょうね。
学校が廃校になった今、桜は子ども達の声が聞こえなくなって寂しい思いをしているのじゃないかなぁ
。

学校は廃校になりましたが、この舞台は今も使われています。歌舞伎って日本の伝統芸能で、どうも敷居が高いような気がします。
でも、元々は奇抜な格好でおかしなことをする「傾き者(かぶきもの)」と呼ばれる者たちの、扮装やしぐさを取り入れた踊りでした。
本来は庶民が気楽に楽しめる芸能なんですよね
。

ここ麻績の里舞台桜は有名なのでしょうね。平日であるにもかかわらず、結構な数の人が桜を見にきていました。
と言っても、混雑とはほど遠い状態ですし、傍若無人な外国人観光客は皆無です。
静かにゆっくりと桜を愛でることが出来るのはありがたい限りです
。

でも、誰かがSNSなどで南信州の桜を紹介して、ネットでバズったりしようものなら観光客が大挙して押し寄せるんでしょうね。
今はまだそうじゃないので、一年でも長く今の状態が維持されていてほしいです
。

この桜は舞台桜とは別の桜ですが、左上の方に残雪を纏った山が見えるかと思います。
南アルプスの名峰である塩見岳(標高3052m)です。ワタクシが塩見岳に登ったのは25歳の時ですから、もう40年近く前なんです。
伊那地方では東に南アルプス、西に中央アルプスが聳えているので、残雪と桜の組み合わせを楽しむことが出来るんです
。
使用したカメラ:8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
大阪市内で生まれ育った私には、地域に伝統芸能や伝統文化というものがありませんでした。
ですので、村の中で住民の手によって歌舞伎が演じられるというのが、すごい驚きなんですよ。
そういえば同じ南信州の大鹿村では300年にわたって「大鹿歌舞伎」というのが演じられていますが、
それを取り上げた「大鹿村騒動記」という映画が10年ちょっと前に話題になりましたね。
確か原田芳雄さんの遺作となった作品です。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
にほんブログ村

さてさて、桜の花に彩られる長野県飯田市の桜を楽しんできたワタクシ達ですが、
続いては飯田市をさらに北上して「麻績の里舞台桜」へと向かいました。なお、「麻績」は「おみ」と読むんです



ここには旧座光寺麻績小学校の校舎があるんです。その校舎の前に地域唯一の新品種・半八重枝垂れ紅彼岸桜を見ることができます。
樹齢は約350年。胸高周囲約4m、樹高約12mの古木です



では、なぜこの桜が「舞台桜」と呼ばれるのでしょう。それにはちゃんと理由があるんです



旧座光寺麻績小学校の校舎は1874(明治7)年に建築されました。、その後1988(昭和59)年まで使われた県内最古の校舎です。
木造2階建てで、1階を歌舞伎舞台としているという非常に珍しい校舎なんですよ。
南信州の各村で村芝居が盛んだった明治初期、「この地域は住民が1500人ほどだった。校舎と歌舞伎の舞台の両方を作りたい。
それならば『舞台校舎』を作ろうということになった。地域住民全員が協力し、杉やヒノキを切り出し、
大きな素晴らしい梁(はり)があり、全て人力で、住民みんなの熱意で建てた」と伝えられています。
その校舎の前にあるので、「舞台桜」という名前がつけられたんですね



この桜は子ども達が、村人が歌舞伎を演じる姿を見続けてきたのでしょうね。
学校が廃校になった今、桜は子ども達の声が聞こえなくなって寂しい思いをしているのじゃないかなぁ



学校は廃校になりましたが、この舞台は今も使われています。歌舞伎って日本の伝統芸能で、どうも敷居が高いような気がします。
でも、元々は奇抜な格好でおかしなことをする「傾き者(かぶきもの)」と呼ばれる者たちの、扮装やしぐさを取り入れた踊りでした。
本来は庶民が気楽に楽しめる芸能なんですよね



ここ麻績の里舞台桜は有名なのでしょうね。平日であるにもかかわらず、結構な数の人が桜を見にきていました。
と言っても、混雑とはほど遠い状態ですし、傍若無人な外国人観光客は皆無です。
静かにゆっくりと桜を愛でることが出来るのはありがたい限りです



でも、誰かがSNSなどで南信州の桜を紹介して、ネットでバズったりしようものなら観光客が大挙して押し寄せるんでしょうね。
今はまだそうじゃないので、一年でも長く今の状態が維持されていてほしいです



この桜は舞台桜とは別の桜ですが、左上の方に残雪を纏った山が見えるかと思います。
南アルプスの名峰である塩見岳(標高3052m)です。ワタクシが塩見岳に登ったのは25歳の時ですから、もう40年近く前なんです。
伊那地方では東に南アルプス、西に中央アルプスが聳えているので、残雪と桜の組み合わせを楽しむことが出来るんです


使用したカメラ:8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
大阪市内で生まれ育った私には、地域に伝統芸能や伝統文化というものがありませんでした。
ですので、村の中で住民の手によって歌舞伎が演じられるというのが、すごい驚きなんですよ。
そういえば同じ南信州の大鹿村では300年にわたって「大鹿歌舞伎」というのが演じられていますが、
それを取り上げた「大鹿村騒動記」という映画が10年ちょっと前に話題になりましたね。
確か原田芳雄さんの遺作となった作品です。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
学校跡に歌舞伎舞台があるのは珍しいです。
歌舞伎以外に色んな行事に使わないのでしょうか。
舞台校舎、初めて拝見しました。
この舞台桜は、子供たち、歌舞伎を演じる
村人たちを見守ってきたんですね。
歴史を感じます。
SNSでバズらない事を願います。
こんな所に、こんなに外国人?って事が
増えてきました(汗)
凸
麻績の里と言う地名も初めてですし
樹齢350年の舞台桜のことも初めて知りました
そうですね
外国の観光客さんがどっと押し寄せて
麻績の里の雰囲気が変わってしまうことのないように
願いたいです
ませき
と呼んでいました。
麻績村では、聖高原に行ったくらいです。
桜に歴史ありですね。
桜と雪のアルプスが最高です。
舞台桜として今も見られているなんていいですね
ママのひいおじいちゃんはそうした役者さんだったそうです
桜もいい思いがありますね
幹回り4mでかいですね
これだけあるからこの枝を支えられてるんですね
ぽちだけですみません
これといって特別なことはしていません。
「麻績」は「おみ」と読むのですか!
これは初めて知りました。
何となくでは読めない難読漢字ですね。
半八重枝垂れ紅彼岸桜も見事ですね!
これはじっくり眺めてみたいです。
正に 雄大な信州です。
娯楽の少なかった時代、村人たちが総出で
舞台校舎をつくったのでしょうね。
信州の桜は 大自然の中で 美しく
伸び伸びと咲いているように感じました。