Jinaimachi, Tondabayashi City, Osaka Pref.
さてさて、大阪府富田林市の寺内町を訪ねたワタクシは、見事な青空の下、
気持ちのいい散策を続けていました。やっぱり外出する時は晴天がいいですね。
この日は5月12日。こういう気持ちのいい五月の晴れた日を「五月晴れ」と呼ぶ人がいますが、これは間違いなんですよ。
五月晴れは本来、6月(陰暦の5月)の梅雨時に見られる晴れ間のことなんですね。
ただ、「さつきばれ」ではなく「ごがつばれ」と読む場合は、新暦5月の晴れの日を指すんです。
5月半ばごろに大陸から流れてきた高気圧によって、晴天が続く状態を表す言葉です。
この日はまさに移動性高気圧に覆われ、「ごがつばれ」にふさわしい一日でした。
最近はこの「さつきばれ」と「ごがつばれ」が混同され、五月の爽やかな晴天を「さつきばれ」と呼ぶ人が多いです。
そんなことを細かく気にするのが、ワタクシの悪い癖なのかも知れません。
さて、富田林の寺内町は昨日のブログにも書いたように、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、
道場(御坊)を中心に形成された自治集落として発展しました。
18世紀に入って近在の村々に綿作りや菜種作りがさかんになるにつれて、その買い集めや加工、取引をする問屋が増えました。
富田林はこの地域の産業の中心地として、米をもとにしての酒造りの家、菜種から油をしぼり取る油搾り問屋、
木綿から織った河内木綿の問屋などが、元禄・宝永の頃から次第に栄え、大きな店が軒を並べるようになり、
各地の商人や近在からの出入りも多く、町場の賑わいは年とともに加わり、商取引も広く大きくなっていったそうです。
中世の寺内町の性格は次第に失われて、近世地域商業都市である在郷町としての経済発展を遂げることになったんですね。
急激な近代化が推し進められた明治末から大正時代、人の流れは次第に寺内町から近鉄電車の駅前へと移っていきました。
栄えた酒造業は大市場での競争力を失い淘汰され、近隣の農村に田畑を持っていた地主の多くは農地改革で大ダメージを受けました。
こうして、富田林の寺内町は衰退していくことになるのです。
最近はこの歴史的な街並みを訪れる人が増え、このようなゲストハウスも誕生しました。
外国人の観光客もけっこう泊りに来ているようですよ。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
私がゲストハウスの前を通ると、中から若い女性の2人組が出て来ました。
お宿の人とは英語で会話をしていたので、日本人でないことは間違いありません。
アジア系(多分台湾の方ではないかなぁ)の方でしたが、こういう宿もネットなどで見つけるのでしょうね。
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さてさて、大阪府富田林市の寺内町を訪ねたワタクシは、見事な青空の下、
気持ちのいい散策を続けていました。やっぱり外出する時は晴天がいいですね。
この日は5月12日。こういう気持ちのいい五月の晴れた日を「五月晴れ」と呼ぶ人がいますが、これは間違いなんですよ。
五月晴れは本来、6月(陰暦の5月)の梅雨時に見られる晴れ間のことなんですね。
ただ、「さつきばれ」ではなく「ごがつばれ」と読む場合は、新暦5月の晴れの日を指すんです。
5月半ばごろに大陸から流れてきた高気圧によって、晴天が続く状態を表す言葉です。
この日はまさに移動性高気圧に覆われ、「ごがつばれ」にふさわしい一日でした。
最近はこの「さつきばれ」と「ごがつばれ」が混同され、五月の爽やかな晴天を「さつきばれ」と呼ぶ人が多いです。
そんなことを細かく気にするのが、ワタクシの悪い癖なのかも知れません。
さて、富田林の寺内町は昨日のブログにも書いたように、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、
道場(御坊)を中心に形成された自治集落として発展しました。
18世紀に入って近在の村々に綿作りや菜種作りがさかんになるにつれて、その買い集めや加工、取引をする問屋が増えました。
富田林はこの地域の産業の中心地として、米をもとにしての酒造りの家、菜種から油をしぼり取る油搾り問屋、
木綿から織った河内木綿の問屋などが、元禄・宝永の頃から次第に栄え、大きな店が軒を並べるようになり、
各地の商人や近在からの出入りも多く、町場の賑わいは年とともに加わり、商取引も広く大きくなっていったそうです。
中世の寺内町の性格は次第に失われて、近世地域商業都市である在郷町としての経済発展を遂げることになったんですね。
急激な近代化が推し進められた明治末から大正時代、人の流れは次第に寺内町から近鉄電車の駅前へと移っていきました。
栄えた酒造業は大市場での競争力を失い淘汰され、近隣の農村に田畑を持っていた地主の多くは農地改革で大ダメージを受けました。
こうして、富田林の寺内町は衰退していくことになるのです。
最近はこの歴史的な街並みを訪れる人が増え、このようなゲストハウスも誕生しました。
外国人の観光客もけっこう泊りに来ているようですよ。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
私がゲストハウスの前を通ると、中から若い女性の2人組が出て来ました。
お宿の人とは英語で会話をしていたので、日本人でないことは間違いありません。
アジア系(多分台湾の方ではないかなぁ)の方でしたが、こういう宿もネットなどで見つけるのでしょうね。
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残念ですが時代の大きなうねりと
言いますか、流れと言いますか
抗えないものですね~。
でもこの様に街だけは保存されて
活動もあり生き生きしていますね。☆
やっぱり晴れがいいですね
写真の色が鮮やかにでますしね
素敵な散策に同行させていただいた気分に浸っています(^_-)-☆
雨の日に紫陽花は1回は撮りたいなって
思ってはいます(;'∀')
その違いをはっきり使い分けている人は
確かに今は少ないかもしれないですよね。
最後の「ご婦人の宿」は
レディース専用なのかな?
☆
そんな場所も今も変わって移っていきますよねぇ。
応援ぽち。
昔の街並みがまだこんなに残ってるなんて素晴らしいですね。
保存状態も良さそうにみえますね。
応援☆
瓦大好きです☆
ちょっと関心があったので
「泊や」をググってみました。
やはり、高齢者には無理そうです(笑)
☆
こういう景観を保つために、いろいろな苦労がありそうですが、
これからも残して欲しいですね^^☆
その使い分けは知りませんでした!!
寺内街がまた、見直され訪れる人が多くなったのはいい事ですね・・・イイ形でこのまま残って欲しいものです♪
☆!
この立派な建造物を維持してくは...
大変でしょうが何時までも後世に
残して欲しいですね!
外国の旅人は本来の日本の姿を..
宿泊して感じられた事でしょうね!
応援 ポチッ
台湾には親日家がたくさんいてうれしいです。
日本も韓国ばかりを気にしないで、
台湾やベトナムの情報をもっと報道してほしいです。
「泊や」というのはなかなか面白いネーミングのお宿ですね。
街並みにマッチしていると思います(*^^*ゞ
また、ひとつお勉強が出来ました。
んーでも、そのまんまという感じではありますww
ご婦人乃宿 泊や
女性だけの旅は
こういう宿は安心して泊まれますね
学生時代友達と泊まったことがあります
海外の人も安心して泊まれますね
そうでしたか、梅雨時の青空でしたか。
勉強になりました。
図書館レベルは要求しませんが
場を壊さないレベルでお喋りをお願いしたいですね
ポチ!
降り立ったことがナイかも?です^^A
昔の面影もあって、ステキな街並みですね♪
オシャレなゲストハウスが
増えて来ましたね^^
「ごがつばれ」と「さつきばれ」のちがいを勘違いしている人は、意外に多いかもしれませんね。
よっちんさんのブログで知りました。
五月晴れの意味も知りました。
てっきり五月の晴天の日を言うもの
だと思ってました。
泊まりやなんて、センスのいいお名前
ポチリ!!
女性限定のお宿
これなら安心ですね(*^▽^*)
☆~
五月の句は良く詠みます。
五月晴れはごがつばれと言いますね。
昔の町並みは板の目が美しいです。
こむらがえりでは「ツムラ68番」を
飲みますが、常用してもいけないのかな〜なんて考えています。つい予防で飲んでいます。☆
実家がそうなんですけど
吉祥寺にいた頃にお世話になっていたお寺さんと
こちらに越してきてから父が亡くなってるので
その時からお世話になってるお寺さんと
同じ浄土真宗なのに、ぜんぜん違うんですよ。
ちょっとビックリでした。
応援♪
いいですねぇ~。
友達なんかと旅行するにはピッタリではないですかっ。
想像しただけで楽しそう( ´罒`*)✧
肉じゃがに
ミッグジャガー。
タモリ倶楽部に投稿したい・・・(笑)
『さつきばれ』と『ごがつばれ』
知りませんでした。
一つ賢くなれました(^∇^)
☆。
メモしました。
いろんな歴史的なことを詳しく説明していただき
なるほど…という感じでした。
傘マークの今日はまだ雨降っていません。。。
小春日和もその中に入りますネッ
五月晴れ。。デコも勘違いをば( ;∀;)
一つ勉強になりました^^
素敵な町並みですね
屋根や瓦がとってもきれいです
ずーっと残して欲しいですね
応援ポチ!
知り合いではありませんが(^_^;)
いろいろコーヒーのことを
教えていただきました(^^)v
ここの焙煎機がすごい!
その場で焙煎してもらって持ち帰れるので
風味が長持ちするのでおすすめですよ~(^^)v
それから、こちらでいただいたアイスコーヒーがとっても美味しくて
目からウロコだったのです~♡
寺内町にも、ようやくお店が増えてきたんですね~
今まであまり注目されてこなかったのを
不思議に思っていました・・・
応援ぽち
分かりました。
また、活気を取り戻せて、良かったです。
こた母は、「ら」抜き言葉が気になります。
TVを見てても、ほとんどの方が、
「ら」を抜いてるんですよね。
ら抜きが、本流になるのかもしれません。
凸
東高野街道が通っていたので
街道好きの私は、ついつい
滝谷不動まで歩きました。
川越を思い出しました。
このようなところは、時間をかけて
散策したいものですね。
応援☆
「泊や」ご婦人乃宿
このような町家の宿泊施設は
女性だけで泊らるのは安心かも・・・
時代の変化と共に日本語も変化する
グローバル化によって日本語だけで日常生活が遅れたが言語の変化も今後起こるだろう。
その時は失われる物も多いが
新しく生まれる文化と産業が日本を常に
世界のトップを走る国として受け継がれて行くだろうな。
応援!
美しい街並みに心惹かれますわ
栄えた町、今も綺麗な街の様子
心配りがされているのでしょうね
ぽち!!
広辞苑第六版によると「五月晴れ」は
「五月(さみだれ)の晴れ間。梅雨の晴れ間。」と書いています。
そして二番目の意味として
「5月の空の晴れわたること。」とも書いています。
したがって、「五月晴れ」のこのような使われ方は
厳密には正しくはないですが、世間一般には
受け入れられているようですね。