Tsumago Post Town, Nagiso Town, Nagano Pref.
さてさて、乗鞍から大阪への帰路、木曽路にある「妻籠宿」に立ち寄ったワタクシ達は、
江戸時代の宿場町を彷彿とさせる町並みの風景を楽しんでいました
。

言うまでもなく妻籠宿は、江戸時代の五街道の一つである「中山道」の宿場町です。
南回り・太平洋沿岸経由の東海道に対して、中山道は北回り・内陸経由で江戸と京都を結ぶ街道です。
江戸から現在の滋賀県草津まで67の宿場がありました。距離は東海道よりも40 kmほど長く、宿場も16宿多いんです
。

宿場数が多かったのは、比較的険しい山道が多いことに加え、冬場は寒さも厳しい内陸の地域を通るために、
降雪時に通行が困難であったので、1日の歩行距離は短くなり限界があったからだと考えられています
。

東海道に比べ大回りをする経路で、かつ、中山道には碓氷峠越えや和田峠越えなどの難所があったにもかかわらず往来は盛んでした。
と言うのも、東海道には川越人足が置かれ、時に長期の川止めもある大井川、安倍川、険しい箱根峠など交通難所が多い上に、
江戸幕府による「入鉄砲出女」の取り締まりが厳しかったため、これらを避けて、中山道を選ぶ者も多くいたと言われています
。

東海道を避けて中山道を通って江戸に向かったといえば、有名なのが皇女和宮の幕府への降嫁ですね。
1861年、和宮一行は京都を出発した後、東海道筋では川留めによる日程の遅延や過激派の妨害を恐れて中山道を江戸へと向かいます。
行列は警護や人足を含めると総勢3万人に上り、行列は50km、御輿の警護には12藩、沿道の警備には29藩が動員されたそうです
。

和宮が通る沿道では、住民の外出・商売が禁じられた他、行列を高みから見ること、寺院の鐘等の鳴り物を鳴らすことも禁止され、
犬猫は鳴声が聞こえない遠くに繋ぐこととされ、さらに火の用心が徹底されるなど厳重な警備が敷かれました。
天皇家から将軍家へ皇女が嫁ぐという歴史的な嫁入りですから、厳重な警備であったことはわかるのですが、
街道筋に暮らす庶民にとっては迷惑な話だったんじゃないかと言う気もします
。

また、中山道が険しい道であるにもかかわらず賑わった理由として、なかなか現実的な話もあるんです。
というのは、中山道筋の旅籠の宿代は東海道よりも2割ほど安かったそうなんです。
少しでも倹約したいという気持ちは、今の時代を生きるワタクシ達にも納得いく話ですな
。

この中山道のうち、当時の信濃国と美濃国(現在の長野県と岐阜県)の境界部を「木曽路」と呼びました。
江戸の方から言うと贄川宿・奈良井宿・薮原宿・宮ノ越宿、福島宿・上松宿・須原宿、野尻宿・三留野宿・妻籠宿・馬籠宿の
11の宿場が設置されました。そのうち、ここ妻籠宿と奈良井宿、馬籠宿は当時の佇まいが色濃く残っています
。

もしタイムマシンというものが発明されて、過去にいくことができるのであれば、ワタクシが一番行きたいのは江戸時代。
中山道や東海道を歩いて旅をしたいと思うのです
。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
「中山道」で思い出すことがあります。もう30年くらい前でしたが、私は夕方のニュースを見ていました。
女子アナが「旧中山道でイベントが…」という部分を「いちにちじゅうやまみちで」と読んだんですよ。
私は思わず「あんた、大学出てるんやろ」とテレビに向かって突っ込んでしまいました。
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さてさて、乗鞍から大阪への帰路、木曽路にある「妻籠宿」に立ち寄ったワタクシ達は、
江戸時代の宿場町を彷彿とさせる町並みの風景を楽しんでいました



言うまでもなく妻籠宿は、江戸時代の五街道の一つである「中山道」の宿場町です。
南回り・太平洋沿岸経由の東海道に対して、中山道は北回り・内陸経由で江戸と京都を結ぶ街道です。
江戸から現在の滋賀県草津まで67の宿場がありました。距離は東海道よりも40 kmほど長く、宿場も16宿多いんです



宿場数が多かったのは、比較的険しい山道が多いことに加え、冬場は寒さも厳しい内陸の地域を通るために、
降雪時に通行が困難であったので、1日の歩行距離は短くなり限界があったからだと考えられています



東海道に比べ大回りをする経路で、かつ、中山道には碓氷峠越えや和田峠越えなどの難所があったにもかかわらず往来は盛んでした。
と言うのも、東海道には川越人足が置かれ、時に長期の川止めもある大井川、安倍川、険しい箱根峠など交通難所が多い上に、
江戸幕府による「入鉄砲出女」の取り締まりが厳しかったため、これらを避けて、中山道を選ぶ者も多くいたと言われています



東海道を避けて中山道を通って江戸に向かったといえば、有名なのが皇女和宮の幕府への降嫁ですね。
1861年、和宮一行は京都を出発した後、東海道筋では川留めによる日程の遅延や過激派の妨害を恐れて中山道を江戸へと向かいます。
行列は警護や人足を含めると総勢3万人に上り、行列は50km、御輿の警護には12藩、沿道の警備には29藩が動員されたそうです



和宮が通る沿道では、住民の外出・商売が禁じられた他、行列を高みから見ること、寺院の鐘等の鳴り物を鳴らすことも禁止され、
犬猫は鳴声が聞こえない遠くに繋ぐこととされ、さらに火の用心が徹底されるなど厳重な警備が敷かれました。
天皇家から将軍家へ皇女が嫁ぐという歴史的な嫁入りですから、厳重な警備であったことはわかるのですが、
街道筋に暮らす庶民にとっては迷惑な話だったんじゃないかと言う気もします



また、中山道が険しい道であるにもかかわらず賑わった理由として、なかなか現実的な話もあるんです。
というのは、中山道筋の旅籠の宿代は東海道よりも2割ほど安かったそうなんです。
少しでも倹約したいという気持ちは、今の時代を生きるワタクシ達にも納得いく話ですな



この中山道のうち、当時の信濃国と美濃国(現在の長野県と岐阜県)の境界部を「木曽路」と呼びました。
江戸の方から言うと贄川宿・奈良井宿・薮原宿・宮ノ越宿、福島宿・上松宿・須原宿、野尻宿・三留野宿・妻籠宿・馬籠宿の
11の宿場が設置されました。そのうち、ここ妻籠宿と奈良井宿、馬籠宿は当時の佇まいが色濃く残っています



もしタイムマシンというものが発明されて、過去にいくことができるのであれば、ワタクシが一番行きたいのは江戸時代。
中山道や東海道を歩いて旅をしたいと思うのです


使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
「中山道」で思い出すことがあります。もう30年くらい前でしたが、私は夕方のニュースを見ていました。
女子アナが「旧中山道でイベントが…」という部分を「いちにちじゅうやまみちで」と読んだんですよ。
私は思わず「あんた、大学出てるんやろ」とテレビに向かって突っ込んでしまいました。
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「いちにちじゅうやまみちで」には
驚きました。
このネタ、吉本興業で買ってもらえれば。
僕が昔、JTBの新入社員がお客さんに向かって
紀南の本宮を「もとみや」と言っていたのを
隣のカウンターで聞きました。
旅行のプロがモトミヤとは、もっと勉強しなさいと
心の中で思ったものです。
ぽち
いちにちじゅうやまみちと、読めなくもない(笑)
中山道が賑わった背景が良く分かりました。
江戸時代にタイムスリップして、歩きたい
とは思いませんが・・・(笑)
凸
馬籠宿、いいところですね
風情があって、歩いてみたいです
私もあまり地理には詳しくはないですが
「旧中山道」は読めます(笑)
タイムマシンがあれば
20年くらい前に戻りたいです
仕事だけだった人生を
旅行したり、遊んでやれなかった息子たちと遊んだりしたいです
💻:今日の「妻籠目宿~のブログ」で憩いの一時を過ごさせて頂き有難う御座いました;😍&👍&👏で~す!
*👴:今朝のひろし曾爺のGooブログへのお誘い;welcome☞下のURLよりお越しをお待ちしてますね!
https://blog.goo.ne.jp/hiroshijiji1840
終わりに🎥を見て頂いた感想コメントや共有も宜しくお願いしますネ。
🔶それではまたお伺いしま~す;👋・👋!
ここもただ散策しただけのレベル
写真も生猫
https://blog.goo.ne.jp/tsakaegoo/d/20220316
昔の旅は命がけのところもあるので大変でした
江戸時代でしれませんは結構良かったかもしれませんね
それまで読んでたの全て飛んでしまいました
なかなかユニークなアナですね
私も中山道を少し歩きましたが
中山道は「泣かせんどー」でした。
ステキな画像と解説を拝読して
ますます大昔に訪れた
ほんわかとした想い出の場所へ
行きたい気持ちが強くなってます^^
友人と行く旅の候補リストにインです…🎵
☆