Karahori, Chuou Ward, Osaka Pref.
さてさて、ワタクシ、このブログに何度か書いてきたのですが、ワタクシは大阪市の生野区という下町で生まれ育ちました。
町工場の機械の音が聞こえ、長屋が立ち並び、路地裏で子供たちが遊んでいる…そんな光景の中でワタクシは育ちました。
そのせいでしょうね。ワタクシは下町の路地裏の風景が大好きで、このブログでもそういう写真を何度か紹介しました。
久々に下町の路地を歩きたくなったワタクシは、大阪市中央区の空堀を訪れたのでありました。
ワタクシ、以前にもこのブログで空堀を紹介したことがあるんですが、空堀(からほり)という名前をちょっと説明しますね。
かの豊臣秀吉が大阪城を守るために築いた堀のうち、この空堀周辺にあった南惣構堀は水を入れない空(から)の堀であったことが
この空堀という地名の由来となっています。大阪城から空堀まで徒歩で20分はかかりますので、
いかに大阪城のエリアが広大であったかがわかります。
第二次大戦の末期、大阪大空襲によって大阪は甚大な被害を受け、大阪市内の中心部は焼け野原となってしまいました。
しかし、運良くこの空堀地区は空襲の被害を免れたために、大阪市内では珍しく戦前の雰囲気が残る町並みなんですよ。
最近は古い町家や長屋に若い人たちがお店を開いたりしておりまして、空堀はなかなか興味深いエリアなんですよねぇ。
大阪の中心部。大阪城からほど近い場所に、このような古い街並みが残ってくれたことは
ワタクシの様な歴史好き、下町好き、路地裏好きには嬉しいことですね。
大阪市内には上町台地という高台があるのですが、ここ空堀は上町台地の西側斜面になるんですよ。
そのために町を歩くとけっこう坂道が多いんですよねぇ。
斜面にへばりつくように、木造モルタル張りの3階建ての民家が立ち並んでおりました。
まるで時代が昭和30年代から40年代にタイムスリップしたような錯覚を感じます。
ワタクシが生まれ育った町も、こんな感じだったんですよねぇ。
あらあら、昔懐かしい「ちんどん屋」さんが今も健在なんですねぇ。
今の若い人に「ちんどん屋」と言っても、理解してくれるのかなぁ。
使用したカメラ:FUJIFILM X-E1
私が生まれ育った町には、大きな商店街がありました。
商店街が大売出しやセールをする時に、必ずちんどん屋さんが宣伝のために町をねり歩いていたんですよ。
私たちはそれを見るのが大好きで、後ろについて行ったりしたものでした。懐かしいなぁ。
人気ブログランキングへ←ランキングに参加しました。
励みになるので、よかったら「ポチッ」と押してやってください
さてさて、ワタクシ、このブログに何度か書いてきたのですが、ワタクシは大阪市の生野区という下町で生まれ育ちました。
町工場の機械の音が聞こえ、長屋が立ち並び、路地裏で子供たちが遊んでいる…そんな光景の中でワタクシは育ちました。
そのせいでしょうね。ワタクシは下町の路地裏の風景が大好きで、このブログでもそういう写真を何度か紹介しました。
久々に下町の路地を歩きたくなったワタクシは、大阪市中央区の空堀を訪れたのでありました。
ワタクシ、以前にもこのブログで空堀を紹介したことがあるんですが、空堀(からほり)という名前をちょっと説明しますね。
かの豊臣秀吉が大阪城を守るために築いた堀のうち、この空堀周辺にあった南惣構堀は水を入れない空(から)の堀であったことが
この空堀という地名の由来となっています。大阪城から空堀まで徒歩で20分はかかりますので、
いかに大阪城のエリアが広大であったかがわかります。
第二次大戦の末期、大阪大空襲によって大阪は甚大な被害を受け、大阪市内の中心部は焼け野原となってしまいました。
しかし、運良くこの空堀地区は空襲の被害を免れたために、大阪市内では珍しく戦前の雰囲気が残る町並みなんですよ。
最近は古い町家や長屋に若い人たちがお店を開いたりしておりまして、空堀はなかなか興味深いエリアなんですよねぇ。
大阪の中心部。大阪城からほど近い場所に、このような古い街並みが残ってくれたことは
ワタクシの様な歴史好き、下町好き、路地裏好きには嬉しいことですね。
大阪市内には上町台地という高台があるのですが、ここ空堀は上町台地の西側斜面になるんですよ。
そのために町を歩くとけっこう坂道が多いんですよねぇ。
斜面にへばりつくように、木造モルタル張りの3階建ての民家が立ち並んでおりました。
まるで時代が昭和30年代から40年代にタイムスリップしたような錯覚を感じます。
ワタクシが生まれ育った町も、こんな感じだったんですよねぇ。
あらあら、昔懐かしい「ちんどん屋」さんが今も健在なんですねぇ。
今の若い人に「ちんどん屋」と言っても、理解してくれるのかなぁ。
使用したカメラ:FUJIFILM X-E1
私が生まれ育った町には、大きな商店街がありました。
商店街が大売出しやセールをする時に、必ずちんどん屋さんが宣伝のために町をねり歩いていたんですよ。
私たちはそれを見るのが大好きで、後ろについて行ったりしたものでした。懐かしいなぁ。
人気ブログランキングへ←ランキングに参加しました。
励みになるので、よかったら「ポチッ」と押してやってください
私の母の実家がこの近くにありました。
子供のころは空堀商店街によく連れていってもらいました。
従姉妹もこの近くの中学校に通ってましたよ。
私の記憶にある空堀と殆どかわってないですね。
久しぶりに行きたくなりました(^^)
素敵なショットと解説から、様子、雰囲気、伝わってきました。
眺めて、心和みました。
ありがとうございました。
昨日も、拙い私のブログを見て、嬉しいコメント&応援ポチに、恐縮、恐縮です。
応援ポチ♪♪
昔々 安人も生野区に住んでいました
東成区と生野区の境です
近鉄のガード下の商店街です
懐かしいです
ポチ(*^^*)
路地のわきには、必ず植木があるんですよね!
懐かしいですね~。
ちんどん屋さん、見ないですね。
私が子供のころは、ソースは量り売りで、
ビンをもって、近くの雑貨屋さんに行きました。
いつかお散歩したいです。
1歳半までですから記憶にはありませんが
私が生まれた場所です
谷町筋に面した貸しホールで練習することがあるたびに
50年前の自分を想像しておりました
レトロな街並み
風情があってステキです。
いつまでも残しておきたい景色ですね。
応援です☆~
温もりを感じました~ v(*^-゜)v Thanks☆
応援P☆
私の目には、ここの全てのアングルが新鮮です。
日本に行って目にとまるのは、こんなJapanかも。
しかし、まだあるんですね。昭和の日本。
今日からいよいよ11月にはいりましたネ!
お互いに体調管理に気を付けて芸術・スポーツ・食欲の秋を楽しみましょ~!
☆生まれ故郷大阪の空堀地区の風景ですね。
大坂大空襲で焼ける事も無くこの様な佇まいが残っているのは珍しいですね。
昭和の佇まいを見せて頂感謝です。
('_')今日から2回に分けて広島植物公園で開催された「秋のグリーンフェア」に行きましたので、御付き合い頂ければ嬉しいで~す!
!(^^)!閲覧・感想のコメントをお待ちしていま~す!バイ・バ~ィ!!