[写真はJulia Gillardが首相になった日のCourier Mail一面]
能弁な政治家ほど危ないですよね。
今回の出来事は労働党が選挙に負ける可能性を恐れたことにもよりますが、
このままでは国としてオーストラリアが危ないという
懸念もでてきたことによる結果ではないかなと思いました。
投票した国民もちょっとは責任あるんじゃないのかな~
ケビンラッドについて
『2007年12月3日、同年11月24日の連邦議会選挙勝利の結果、
第26代オーストラリア首相に就任』
日経
『労働党は2007年11月の総選挙で保守連合を破り11年半ぶりに政権を奪回、
党首のラッド氏が首相となった。首相任期1期目の期中での退陣は同国では異例。温暖化ガス排出量取引制度の導入先送りするなど、公約未達成が相次いだことで支持率が急落。資源産業への大型課税案で産業界からも批判を受けていた。ラッド政権は南極海での日本の調査捕鯨についても強硬姿勢を示し、5月末には中止を求めて国際司法裁判所(ICJ)に提訴していた。首相交代が一連の政策見直しにつながる可能性もある』
ジャッキー・チャンと。 「ニイハオマ」
「ウォーシーフアンー」 「ウォアイニ」
Wikipediaの「ラッド政権の主要な実施事項」をもとにちょっと追加
[ラッド政権の主要な実施事項]
* 2007年12月:京都議定書に調印。
* 2007年12月:イラク駐留のオーストラリア軍部隊を2008年6月までに撤収させる交渉を関係各国と開始。
* 2008年2月13日:連邦議会で先住民児童政策(「盗まれた世代」)への謝罪演説を行う。
* 2008年4月:北京大学で北京語で講演し「チベットには顕著な人権問題がある」と発言。
このときの外遊に日本は含まれず。
* 2008年6月8日:首相として初めての来日。まず広島訪問。
=>『この日本訪問時に「アジア太平洋共同体」構想を提唱。
日豪関係については、捕鯨問題の外交問題化や、
中国が反発する日米豪印対話や日豪共同宣言条約化の先送りといった問題が発生』
* 2008年9月3日:豪キャンベラでラッド自身が今回発案し記念日制定した第2次世界大戦下での対日戦勝記念式に出席。
* 2010年4月:目玉政策としていた温室効果ガスの排出権取引制度導入に失敗。
* 2010年6月:資源会社を対象とした「資源超過利潤税」の導入案が産業界の猛反発を買い、支持率が急落
* 2010年6月24日: 首相職を辞任。
アボリジニのStolen Generationへ謝罪したり(Howard政権ではしなかった)
西側の首脳としてはじめて広島を訪問したり
人道面では評価されるべきことが多いかもしれません。
でも、首相後一回目の海外訪問で日本をはずしたかと思うと
対日戦勝記念日なんて設定したり
日本にとってはありがたくない首相でしたね。
景気対策として国民に一律に900ドルばらまいたり
...その点日本は一万円くらいでしたっけ...
前政権がためたお金をあっというまに使い切って。。。
使ったら今度は資源超過利潤税を導入しようなんて
アマチュア政権とGerry Harvey から言われてもしょうがなく思います。
外遊が多く、オーストラリアの
国としての地位を高めようとがんばりました。
移民の流入を緩和して増やしたのも
人口を増やして国民総生産を増やそうとしたのか。。
理想が頭の中にはあったのかもしれないけど
政治に必要なバランスというものを調整できなかった。
国政を甘くみてたんじゃないかな。
ケビンラッドに対して柔軟性を感じて共感できた点は
独身(ジュリア・ギラード -当時-副首相、美容師のボーイフレンドはいるけど)、
同性愛者(ペニーワン Minister of Climate)
元ロッカー(ピーターギャレット Minister of Environment)などの
マイノリティ(というほどでのことでもないけど)を閣僚にしたこと。
これはTony Abbotなどだったらありえないことと思いました。
でももう一度チャンスがあったら
今回学んだことを教訓に
次回はもうちょっと謙虚な首相になると思うな。うん。
...その日がくるのは今の状況ではもうないかな。
能弁な政治家ほど危ないですよね。
今回の出来事は労働党が選挙に負ける可能性を恐れたことにもよりますが、
このままでは国としてオーストラリアが危ないという
懸念もでてきたことによる結果ではないかなと思いました。
投票した国民もちょっとは責任あるんじゃないのかな~
ケビンラッドについて
『2007年12月3日、同年11月24日の連邦議会選挙勝利の結果、
第26代オーストラリア首相に就任』
日経
『労働党は2007年11月の総選挙で保守連合を破り11年半ぶりに政権を奪回、
党首のラッド氏が首相となった。首相任期1期目の期中での退陣は同国では異例。温暖化ガス排出量取引制度の導入先送りするなど、公約未達成が相次いだことで支持率が急落。資源産業への大型課税案で産業界からも批判を受けていた。ラッド政権は南極海での日本の調査捕鯨についても強硬姿勢を示し、5月末には中止を求めて国際司法裁判所(ICJ)に提訴していた。首相交代が一連の政策見直しにつながる可能性もある』
ジャッキー・チャンと。 「ニイハオマ」
「ウォーシーフアンー」 「ウォアイニ」
Wikipediaの「ラッド政権の主要な実施事項」をもとにちょっと追加
[ラッド政権の主要な実施事項]
* 2007年12月:京都議定書に調印。
* 2007年12月:イラク駐留のオーストラリア軍部隊を2008年6月までに撤収させる交渉を関係各国と開始。
* 2008年2月13日:連邦議会で先住民児童政策(「盗まれた世代」)への謝罪演説を行う。
* 2008年4月:北京大学で北京語で講演し「チベットには顕著な人権問題がある」と発言。
このときの外遊に日本は含まれず。
* 2008年6月8日:首相として初めての来日。まず広島訪問。
=>『この日本訪問時に「アジア太平洋共同体」構想を提唱。
日豪関係については、捕鯨問題の外交問題化や、
中国が反発する日米豪印対話や日豪共同宣言条約化の先送りといった問題が発生』
* 2008年9月3日:豪キャンベラでラッド自身が今回発案し記念日制定した第2次世界大戦下での対日戦勝記念式に出席。
* 2010年4月:目玉政策としていた温室効果ガスの排出権取引制度導入に失敗。
* 2010年6月:資源会社を対象とした「資源超過利潤税」の導入案が産業界の猛反発を買い、支持率が急落
* 2010年6月24日: 首相職を辞任。
アボリジニのStolen Generationへ謝罪したり(Howard政権ではしなかった)
西側の首脳としてはじめて広島を訪問したり
人道面では評価されるべきことが多いかもしれません。
でも、首相後一回目の海外訪問で日本をはずしたかと思うと
対日戦勝記念日なんて設定したり
日本にとってはありがたくない首相でしたね。
景気対策として国民に一律に900ドルばらまいたり
...その点日本は一万円くらいでしたっけ...
前政権がためたお金をあっというまに使い切って。。。
使ったら今度は資源超過利潤税を導入しようなんて
アマチュア政権とGerry Harvey から言われてもしょうがなく思います。
外遊が多く、オーストラリアの
国としての地位を高めようとがんばりました。
移民の流入を緩和して増やしたのも
人口を増やして国民総生産を増やそうとしたのか。。
理想が頭の中にはあったのかもしれないけど
政治に必要なバランスというものを調整できなかった。
国政を甘くみてたんじゃないかな。
ケビンラッドに対して柔軟性を感じて共感できた点は
独身(ジュリア・ギラード -当時-副首相、美容師のボーイフレンドはいるけど)、
同性愛者(ペニーワン Minister of Climate)
元ロッカー(ピーターギャレット Minister of Environment)などの
マイノリティ(というほどでのことでもないけど)を閣僚にしたこと。
これはTony Abbotなどだったらありえないことと思いました。
でももう一度チャンスがあったら
今回学んだことを教訓に
次回はもうちょっと謙虚な首相になると思うな。うん。
...その日がくるのは今の状況ではもうないかな。
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