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となりの異次元

2010年02月03日 | ちょっと不思議
息子が小さいころ「あぶのいっとき」(虻の一時)という日本の昔話を読んだことがあります。




ある男が、虻の飛んでいる野原で一休みしていると、声をかけてきた人がいる。その人の家に招かれて行くと、あまりの居心地がよさについつい長居が過ぎて、3年もたってしまった。
男は、さすがに自分の家に帰らなければと思い、もとの野原に戻るところで目が覚める。
3年も過ごしていたと思ったのに、目がさめれば、あいかわず先ほどの虻がぶんぶんと飛んでおり、何分もたっていなかった・・・。


細かいところは失念していますが、大体こういうような内容だったと思います。

ずっと昔は、野山で不思議な出来事に出合っても、現代人のようにそんなバカなことあるもんか・・と、はなから否定せず、自然に対する畏れもあって、狐か狸に化かされたんだね、とか、不思議に対して今より悠長に構えていたんじゃないかと思います。
また、そういう出来事が少しずつ脚色されたり、形を変えて「民話」として、語り継がれてきたものもあったのではないかと思います。
日本の土壌には、そういう自然との付き合い方もあったのだと思います。

ゾウの時間、ネズミの時間」という話を聞いたことがあります。
私たちは人間の寿命を基準にして、他の動物のそれに対して、ゾウは長い、ネズミは短いと考えがちですが、体のサイズによって実感する感覚も違ってくる、ということです。つまり、人間にとっては、あっという間のネズミの寿命ですが、ネズミにとっては、その時間が人間の一生と同じくらいの長さに感じられているということです。

ならば、この話、「虻の一時」というタイトルのように、人間にとってはほんの一時くらいの長さが、虻にとっては3年くらいの長さに感じられる、ということを示唆したものでしょうか。
ぶんぶんうるさく飛び回るハエをたたこうとしても、ハエは人の動きを素早く察知して、あっという間に飛び去ります。
ハエにとって、人間の動きは、スローモーションビデオのようにゆっくりにしか感じられないから、たやすく逃げられるのだそうです。



木村秋則さんの本「すべては宇宙の采配」、のっけから、いきなり龍が出てくる部分を読んだ時、思わずこの「虻の一時」を思い出したのです。
木村さんが高校生のころの体験です。突然、前を行く男性の足取りが急にピタッと止まってしまった、というところ。まさに歩いている途中、まるで時がとまったように、片足を浮かして固まっていたというのです。
時間の流れが、突然、ものすごくゆっくりになってしまったか、あるいは、止まってしまった。ここからは、よくわかりませんが、木村さんの不思議体質で、龍の住む時間にワープしてしまったんじゃないかと・・・。

一部、抜粋してご紹介しましょうか。


 パントマイムのように完璧に止まっているオヤジさんに目をぱちくりさせていると、左側にある防風林の上から、いきなり巨大なワニの親分みたいな顔が、ドテッと現れたのです。
 半端な大きさではありません。防風林の向かいにある梅干し屋さんに届くくらいの長さで、道路いっぱいに恐ろしげな顔を広げています。私の位置からは長く伸びた口元と、人間の太ももくらいある太いヒゲが、ナマズのひげのようにうにょうにょと動いているのが見えます。ワニの親分の目は、まだ後方にあるらしく見えません。



この瞬間は、木村さん、まだこのでっかいワニの親分が、龍とは気づかずにいたようです。
しばらくして、全体がわかって、龍とわかったそうです。

私たちは、当然のように自分の感覚を基準にして世界を見ています。
だけど、もしかしたら、ちょっと違う振動の別の世界が私たちの世界と重なるようにすぐ隣にある、のかもしれないぞ・・・と思う謙虚さも、人間にあってもいいんじゃなかろうか、と思ったりするのです。(どーも、回りくどい言い方で・・汗。)


ところで、唐突にこの記事を書いたのも、下記の本を読んだからかもしれません。


家守綺譚 (新潮文庫) (梨木香歩・著)

我が家の不思議人間Aの仕事仲間でキネシオロジー仲間でもあるSさんから届いたこの本。Sさんは、おりにつけ、いつもかゆい所に手が届くような素敵なプレゼントを送ってくださる、ありがたい方なのですが、この本も、実に、はまりましたですよ。
小説ですが、まさしく、すぐとなりの異次元を疑似体験できまする。Sさん、いつもありがとうございます。


★関連記事
 そうだ、すべては宇宙の采配なのだ

★虻の写真は「フリー素材無料写真 森の父さん花鳥風穴」さんよりお借りしました

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4 コメント

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大ちゃん様へ (金木犀)
2010-02-11 22:23:20
大ちゃん、こんにちは。寒いですね。
興味深いお話をありがとうございます。

>私たちは、ふだんは科学的時空観で生きてますが、この認識方法でとらえられるものは、実は全体の中のほんの一握りなのかもしれませんね。

私もそう思います。
不思議な体験をしても、自分で自分を否定して認めたくない人もいらっしゃるようですし、そんなことを言うと馬鹿にされるかもしれないからと、話す相手も限られてきます。
私もブログにこういうこと書こうと思ったのに、読んでくださる方たちが少しずつ増えてくるにつれて、もしかしてこういうこと書くとドン引きされてしまうかも・・と、以前より自制心?が働いています。(でも本当は、書きたい気持ちがいっぱいです。)
また、そういうお話してくださる方も大歓迎ですから、大ちゃんの経験も心おきなくお話してくださるとうれしいです。(笑)

曾孫さんたちには、亡くなったお爺さんが見えたのですね。
うちの息子も2歳くらいまで、誰もいない壁に向かってよく「ばいばい」と手を振ったり、にっこり笑ったりしていました。
生まれてすぐの人は、独自の時空間・・まだあちらの世界とつながる窓が開いているんでしょうか。

そういえば、うちの母も、亡くなる直前の何日かは、すでにいろいろな人たちにあいさつに行っていたようです・・

http://blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/d/20061012

こういうことに対して、賛否両論あるでしょうが、ただ、目に見える世界だけがすべてだと思うより、そうじゃない世界もあるかもしれないぞと思うほうが、人生は楽しいし安らかな気持ちになれるのは確かです。
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Unknown (大ちゃん)
2010-02-11 12:00:01
こんにちは。

どのお話もとても興味深い内容ですね。
これらは、時空感や時空観についての問題でしょうかね。
私たちは、ふだんは科学的時空観で生きてますが、この認識方法でとらえられるものは、実は全体の中のほんの一握りなのかもしれませんね。

木村さんの体験は、個人的時空感だと私は思います。そしてこういう時空感は、本当は誰にでもあるような気がします。私にもそういう不思議体験があります。
ただ、立証主義一辺倒の科学的時空観が支配的なこの世では、そういう体験は、人はあまり言いだしません。この人頭おかしいんじゃないか、と思われるのがおちですから。(笑)

ちなみに私の父が亡くなって数日後、ひ孫たちのいるところに現れたらしく、のちにひ孫たちが、お爺ちゃん来ていたよ、と言ってました。あれなどはひ孫たち独自の時空感でしょうかね。その場にいた大人には全く見えなかったそうですから。(笑)
返信する
はなこころさんへ (金木犀)
2010-02-04 22:33:37
こんばんは。
いつもありがとうございます。
2月になって冬らしい寒さがやってきましたね。
季節を楽しみ、愛でる。
こんなことができるのも
人間ならでは・・ですよね。
返信する
主観を・・ (はなこころ)
2010-02-04 15:01:31
・・どこに置くか。
ですね。
私は人間ですから、
あぶでも、ぞうでも、ねずみでもない。
人間としての時間を
私なりに、濃く、
生きたいです。
返信する

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