虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

うれしかった一瞬のこと

2020年11月17日 | 車社会を考える

今日、出先からの帰り道、歩道を歩いていたら、大きなうどん屋さんの駐車場から、車が車道に出ようとしていた。
ここ何十年も、信号のない場所で歩行者優先してくれた経験がなかったから、今回も車がゆくのをやり過ごそうと立ち止まった。
すると、運転していた人がこちらを向いて、手を使ってどうぞどうぞと、合図を送ってくれた。

おおおおう ありがとうございます。

この感覚、何十年ぶりだろう。
はるか以前ですが昭和40年代は、当たり前のように横断歩道で手を上げて待っていると、大抵静かに止まってくれたドライバーさんたちの記憶、が、よみがえってきた。

うれしくて小学校時代のように、ぺこりと頭を下げて通してもらった。
こんな些細なことが、宝物のようにうれしい一瞬になるほど、貴重な体験となった20世紀少女だ。

しかし、昨今は車が多すぎて、うっかり信号のない横断歩道で車を止めたら、後続車にあおられるとか・・・余裕がないのかなあ。


こんなツイートがあった。これは歩行者が気の毒で理不尽すぎる体験。
   ↓


運転手の立場もあるだろうけど、歩行者の立場もある。
そして、圧倒的に歩行者は車に勝てない。だからこそ、運転手は心にゆとりを持って、歩行者優先の安全運転を心がけるべき。
また、歩行者も、自らの身を守るためにも危険な飛び出しや歩きスマホは、絶対に止めるべき。
互いに自分だけじゃなく、相手の方の立場や気持ちを思いやることを忘れないようにしたい。
お互い様の世の中になるように。


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日本の道路は歩行者を軽視しすぎている

2019年06月10日 | 車社会を考える

年金問題も、5Gも、-10000Fの行方も気になるところですが、ちょっとバタバタしております。改めて次の機会に書くとして、とりあえず車社会のことは、当ブログを書き始めた頃からのテーマの一つでしたので。



写真は、2007年9月21日の当ブログ記事 道は誰のもの?より
朝の通学時間。この道の白線で仕切られた道の端っこの方を子どもたちは、ランドセルを背負って一列に並んで歩いていました。
そこに車が突っ込んできて・・・。涙。


ダイヤモンド・オンラインに、日本の車社会について、とても我が意を得たりの文章があったので、ぜひご紹介したいです。
長年、歩行者としていつもびくびくして歩いている現状が、不快でたまらなかった。その不快感の由来を、車やドライバーへの個人攻撃に矮小化してはならないと思いつつも、我が物顔で横を通り抜けてゆくその車に、ちょっと呪いの気持ち(おいおい)まで湧いてくる事も、あったりなかったり。

その怒りの矛先を向けなければならないのは、歩行者を軽視した道路の問題だったのだということを改めて気づかされ、「そうなんだよね」とようやく長年のもやもやを言葉にしてくれた人がいた、というちょっと救われたような気持ちになったので。

以下、ノンフィクションライター窪田順生氏の記事。一部抜粋。


歩行者の死亡事故ダントツの日本、ドライバー厳罰化で解決できない理由
ダイヤモンド・オンライン2019.5.9

(抜粋)

 国際道路交通事故データベース(IRTAD)によると、30ヵ国の人口10万人当たりの死者数では、日本は3.8人(2015年)と10番目に少ない。ノルウェー(1位)やスウェーデン(2位)、英国(3位)などには及ばないものの、先進国水準といえる。

 しかし、この犠牲者たちがどのように亡くなったのかという「状態別交通事故死者数」というデータを見ると、その評価はまったく変わってくる。

 クルマに乗っている時に亡くなる「乗用車乗車中」は、死者数の少ないスウェーデンで55.6%。フランスや英国、ドイツなどもだいたい50%くらいとなっているのだが、なんと日本の場合は、それらの半分以下の21.4%に過ぎないのだ。

「見たか!これが世界に誇るメイドインジャパンの安全技術なんだよ!」と、どっかのテレビ番組のように大ハシャギしてしまう方もいるかもしれないが、実はこの低い割合は、日本のクルマが素晴らしいからだけではない。

 別のシチュエーションの死亡率がダントツに高いのだ。もうお分かりだろう、「歩行者」だ。

 日本で歩行中に事故に巻き込まれて亡くなったのは37.3%。これがいかに「異常」なことなのかということは、他の先進国の割合を見ればわかる。スウェーデンは10.8%、ドイツは15.5%、英国でも23.7%なのだ。

 このデータからもわかるように、道路がしっかりと整備され、歩行者の安全も確保されているような先進国の場合、自動車事故とはハンドルを握るドライバーや同乗者が亡くなるのが一般的だ。

 しかし、日本ではどういうわけかそうなっておらず、自動車事故というと、人を跳ね殺す、轢き殺すというパターンがメジャーになっている。なぜかというと、クルマに乗る人の安全確保や、自動車道路の整備ばかりが注力され、歩行者の安全対策がないがしろにされてきたから
。要するに、「歩行者軽視」という悪習が続いてきたのだ。

 (中略)

 2016年、JAFが各都道府県で2ヵ所ずつ、全国合計94ヵ所で信号機のない横断歩道を通過する1万26台を対象に調査をしたところ、歩行者が渡ろうとしている場面で止まったのは757台(7.6%)だった。

 厳しいようだが、これが日本の現実なのだ。

 だからこそ、歩行者軽視を変えなくてはいけない。歩道の広さを見直し、ガードレールを整備する。子どもの多い通学路などは、時間帯によって進入制限や速度制限を設けることも必要だろう。

 日本が「歩行者軽視」であることは、歩行者の中でもっとも弱い立場である子どもの犠牲が後を断たないことからも明らかだ。

 (後略)



子供に急に飛び出すな、とどれだけ教えても、車が勝手に歩道に乗り上げてくるような現状では、どうしようもない。
自動運転云々いうまえに、物理的に、車と歩行者を完全に隔てるような工夫が必要だ。
道は、歩行者のための道であってほしいとつくづく思います。



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運転を止めなかった家族も同罪

2019年04月22日 | 車社会を考える

池袋の暴走事故で、自転車の親子が亡くなった件。
暴力的な運転で殺されてしまった親子のこと、また、お子さんの一番可愛いときに、妻と子を失ったお父さんのことを思うと、かわいそうで涙が出てきます・・

車を運転していた87歳の男性は、元旧通産省の官僚で、大手企業の役員を経て、勲章を受けた、というのですから、今回の暴走運転で完全に晩節を汚しました。
官民両方で働いていたなら、年金も手厚いものでしょう。
また通産省や大手企業の退職金もそれなりだったでしょうから、このご時世に恵まれた裕福な環境ですよね。
(ネットでは、揶揄しているのか褒めているのかわかりませんが、上級国民と呼ばれているそうです)

家も都内なら、車に乗る必要もないし、動けないならタクシーを呼んだってすぐ来てくれる環境なのに。そして経済的に見てもタクシー代くらいケチらないですむ環境だったと思います。
運転に不安もあったらしいし、本人の自覚もあったようだし、なんで免許を返納しなかったのか、とても悔やまれます。

人の命を奪う可能性があるのに、自分のエゴとも言える便利さに固執して手放さないのは、本当に愚かです。
飲酒運転をゆるした周囲が罪になるように、運転の不安のある人物の運転をゆるしていた家族も相応の罪があるのではないかと思います。



この事故は、起こした国民がいわゆる上級国民であることから、もう一つの時代の側面が見えます。
下の記事はネットの憶測であったとしても、「総理近辺の人物は逮捕直前でも急転直下で不起訴になる」など前例もあることから、そのような気持ちを抱くことが不思議でも何でもない世の中となっています。


池袋事故「上級国民だから逮捕されない」 運転手の高齢男性めぐりネットで憶測
019/04/22 12:53弁護士ドットコム

東京・池袋で4月19日、高齢男性が運転する乗用車が暴走して、自転車に乗っていた母娘が亡くなった事故をめぐり、インターネット上で「上級国民」という言葉が数多く書き込まれている。

●運転していた男性は旧通産省の官僚だった
この事故で、乗用車を運転していたのは、元旧通産省の官僚で、大手企業の役員を経て、勲章を受けた80代男性だ。

男性の実名報道が一部しかなかったり、あったとしても「さん」付けだったことや、事故直後に逮捕されていないことから、ネット上で「上級国民だから逮捕されないのか」といった反発が上がった。

検察庁のホームページによると、捜査手続では、容疑者の身柄を拘束しないまま手続をすすめる「在宅事件」と、被疑者の身柄を拘束(逮捕・勾留)して手続をすすめる「身柄事件」がある。

いずれによるかは、(1)犯罪の重大性・悪質性、(2)逃亡のおそれ、(3)証拠隠滅のおそれなど、事情を総合して判断することになっている。

報道によると、男性は骨折して入院しており、警視庁はその回復を待って、自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)の疑いで話を聞くという。共同通信は「警視庁は証拠隠滅の恐れがないと判断、男性を逮捕せず任意で捜査を進める」と報じている。

つまり、「上級国民」かどうかは関係ないのだ。


●神戸市でも死亡事故、さらに広がる憶測
池袋の事故から2日後の4月21日、神戸市中央区JR三ノ宮駅前で、市営バスが横断歩道に突っ込み、歩行者をはねて、男女2人が亡くなる事故が起きた。こちらの事故では、バス運転手の60代男性は自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)の疑いで現行犯逮捕された。

ネットでは「(池袋事故の男性は)逮捕されないのにおかしいだろ」「むしろ『上級国民は逮捕されない』という小噺を補強してしまった感が有るな」といった声が強まっており、「上級国民は逮捕されない」という誤解・憶測がさらに広がっている。



だからといって、地方に限って言えば、やはり足としての車は必要なんですよね。高齢者の車と若者の事故。
下の事故は、むしろ21歳の若者の運転が未熟だったため。車社会とは、「誰でもが被害者にもなり加害者にもなる」という矛盾で成立しています。


車どうしが正面衝突事故 高齢夫婦が死亡 栃木 鹿沼
2019/04/22 14:41NHKニュース&スポーツ

22日朝、栃木県鹿沼市の県道で、乗用車と軽乗用車が正面衝突し、軽乗用車に乗っていた80代の夫婦2人が死亡しました。

22日朝7時半ごろ、栃木県鹿沼市樅山町の県道で、乗用車と軽乗用車が正面衝突しました。

この事故で軽乗用車を運転していた市内に住む柏田益美さん(85)と助手席に乗っていた妻の壽子さん(84)が全身を強く打って病院に運ばれましたが、いずれも死亡しました。

また、乗用車を運転していた市内に住む21歳の会社員が手に軽いけがをしました。

現場は田畑に囲まれた見通しのよい片側一車線のカーブした道路で、柏田さん夫婦は病院に行く途中、会社員は出勤途中だったということです。

警察は、車が衝突した位置などから乗用車がセンターラインを越えたものとみて、運転していた会社員から事情を聴くなどして詳しい状況や原因について調べています。
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過疎地域の民間バス路線などは、それがないと地域が成り立たない by 枝野幸男

2018年02月13日 | 車社会を考える
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」というテレビ番組が人気だったけど。
規定の時間内で、路線バスだけ乗り継いで、目的地までたどり着けるかっていう・・・。
面白いけど、もうそれは大変な旅。あれ見ると、本当にきついですよ。
車なら、すぐに行けるところも、バスだと1日に数本しかなかったり、バスの路線が去年まではあったんだけど、今年になって廃止になっちゃったとか。次のバス停まで、何キロも歩かなければならない。歩く場所も、歩道のない危険な道だったり。
地方の現状が、垣間見えたりする。

電車もバスも「赤字だから廃止廃止」って言うなら、車社会になるのも当然なんだけど、その車だって高齢化や病気や障害があったりで、誰でもが運転できるわけじゃない。免許はあっても、車の運転が苦手な人もいるし。

枝野さんの言葉、本当にありがたい。「お互い様の社会」は、人間に優しい。
リニア新幹線なんか、なくたって誰も困らない。でも、駅まで行ける路線バスは、過疎地にとっては必要不可欠なライフラインなんだから、効率だけで考えてはいけない、と心から思う。
たとえそれが、民間でなくても小さなマイクロバスであっても、あれば助かる人がいて、ゼロになってしまえば、困る人がいる。
明日何が起こるかわからないのが人生だから、車の運転だっていつまでもできるわけじゃない、誰もが他人事じゃない話だ。


立憲・枝野氏「JR北海道や過疎地のバス路線は不可欠」
朝日新聞 2018年2月12日

枝野幸男・立憲民主党代表(発言録)

 JR北海道の(経営)問題は大変深刻な問題だ。国鉄改革は(JRに民営化した)あの時点にさかのぼって「間違っていた」とは言えないが、もう一度見つめ直す時期になっているのではないか。北海道の場合はJRだが、全国各地では私鉄の鉄道・バスも人口減少、高齢化の時代の中で、30年、40年前と比べ、飛躍的に公共交通の持つ役割が大きくなっている。新しいスキームを作ることを含めて、しっかりと今後も成り立っていくための知恵を出していきたい。

 (安倍政権が財政投融資で3兆円を投入する)リニア(中央新幹線)がなくても東海道新幹線はある。しかし、JR北海道の多くの鉄軌道や過疎地域の民間バス路線などは、それがないと地域が成り立たないという不可欠なインフラだ。優先順位は誰が考えてもはっきりしている。(12日、北海道帯広市内の会合と終了後の取材で)

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枝野さん、ありがとう。発想が、まっとうだね。
もう一度、政権交代してほしい。



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 経済優先のため、公共交通を捨て車社会になった日本
 道は誰のもの?

★関連サイト
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 リニア新幹線、「絶対にペイしない」(JR東海社長)のに税金3兆円投入を安倍首相が決断…異例優遇の事情
(Business Journal 2016年7月29日)

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どちらにも不幸な交通事故、スマホ見ていて信号無視

2017年02月10日 | 車社会を考える
「スマホ見てて、信号見なかった」…母子死傷

 埼玉県草加市中央の市道交差点で8日昼、多重事故があり、はずみで歩道に乗り上げたトラックが、手をつないで歩いていた母子をはね、母親が脳挫傷で即死し、次男(2)ら3人が軽傷を負った。
 トラックは赤信号を無視したとみられ、草加署に現行犯逮捕された運転手は、調べに「初めての道でスマートフォンで地図を見ており、信号を見ていなかった」と供述している。
 死亡したのは、同市住吉の銀行員荒井美季さん(38)。育休中だった。現場近くの防犯カメラには、荒井さんと次男とみられる2人が手をつないで歩く姿が映っていた。
 事故は8日午後0時半頃に発生。東京都葛飾区のアルバイトの男(28)のトラックが、別のトラックと交差点で出合い頭に衝突、はずみで歩道に突っ込み、荒井さん母子をはねた。巻き込まれた他2台の男女も軽傷を負った。
 

またまた、やるせない交通事故のニュースです。

事故の翌日が次男の誕生日で、職場復帰の日だったという被害者の女性。当たり前の普通の家族の日常が突然途切れた。
ご遺族のこれからを思うと、ほんとうにやりきれない。


私どもは車に乗らないので、日常的に運送業の方たちにはお世話になっている。なので、荷物を届けてくれる方たちには、特別の思いがある。
加害者の彼もアルバイトというが、社長さんの話ではとてもまじめな青年だったらしい。
スマホを見ていたのも、いつもの道が渋滞で、遅れそうなので、別の道を選んだ。はじめての道で、ナビの地図を見ていたからだという。・・・ジョブズよ、せつないなあ。 


車はいまだ不完全な乗り物。そのうっかりが、人の命を奪う機械・・・ということをどれだけの人が認識しているだろうか。自分は大丈夫と他人事になっていないだろうか。

自動ブレーキ機能のついた車の義務付け。そんな車がようやく作れるようになったのだから、普及のためにも、購入の際には補助金をつけたっていいじゃないですか。(政府のお金の使い方って、なんていうか、いつも違和感があるんだ。)

そして、歩道と車道の間には、必ず緩衝地帯を設けるとか、最低でもガードレールをつけてほしい。小さくてもそれが命を守る。


あと、余談だけど、宅配便の時間指定とか、2時間毎とか細かすぎて、受け取る立場としては、申し訳ない気持ちになる。
午前か午後、昼か夜か、2種類でも十分ありがたいと、私なんかは思うけど、そうは行かない世の中なのだろうか?・・・なんだか切ないなあ、ジョブズ。


亡くなられた女性のご冥福を祈ります。


おまけで、こちらの社説も 

自動ブレーキ 事故防止へ普及急ごう
東京新聞2017年2月10日

 せっかくの安全技術も基準がバラバラでは、運転者を惑わしかねないし、普及も進まないだろう。政府は「自動ブレーキ」の国際基準づくりをリードし、乗用車への搭載義務化を急いでほしい。

 ひと口に自動ブレーキといっても機能や性能はメーカーごと、そして車種ごとに大きく異なる。
 歩行者に対する停止実験では人形の前でピタリと止まる車と、止まれずに人形をはねてしまう車があるほどだ。統一した安全基準がなく、国内外のメーカーが独自に開発を進めてきたためだ。

 政府が先月、国連の作業部会で乗用車や小型貨物の国際基準づくりを提唱し、今秋から議論が始まることになった意義は大きい。

 国土交通省は国際基準ができれば、法改正し自動ブレーキの搭載を義務付けるというが、官民が協力して普及を進めるべきである。

 交通事故の原因の多くは運転者の判断ミスや、ブレーキとアクセルの踏みまちがいなど操作ミスだ。そうしたヒューマンエラー(人的ミス)をゼロにすることができないのだからクルマの安全性能を高めることが不可欠である。

 この分野で国内メーカーの草分けである富士重工業によれば、自動ブレーキを搭載した車は非搭載車に比べて、事故を約六割も減らすことができたという。「自動ブレーキによって死傷事故は約35%減った」との米運輸省の調査結果もある。

 ただ、注意したいのは自動ブレーキはあくまでも運転を補助する装置であって、完全に依存するようなものではないことだ。事故が起きた場合には運転者が全責任を負うのが大前提である。

 日本で二〇一五年に生産された新車で自動ブレーキが搭載されたのは約45%にとどまる。性能がバラバラなうえに、普及率も欧米に比べて低いのが実態だ。自動車保険の割引適用や、税制面での優遇など官民の後押しが欠かせない。

 クルマは計り知れない便益をもたらしてきた半面、交通事故でかつては年間一万人もの尊い人命を失わせてきた。交通戦争や「クルマは走る凶器」などとありがたくない言葉をなくすためにもメーカーは安全技術に注力してほしい。

 アクセルとブレーキの踏みまちがい防止装置をはじめ、日本の公道の制限速度を大幅に超えないよう、必要以上にスピードが出ない車などだ。国の政策も、安全を第一に考えたクルマづくりと、その普及にギアを入れ直すべきだ。



★関連記事
 脱・車社会を待っている
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脱・車社会を待っている

2016年12月21日 | 車社会を考える
今年もいろいろなことがありましたね。とにかく世界が騒然としている、というのがそのままの感想ですが、日本でも、ネットやマスコミの、悪いもの叩き(本当に悪いのかどうかわかりませんが、「悪い」と認定したものへのバッシングは、すごかった)
社会全般見ても、福島いじめ、貧困いじめ、生活保護いじめ、沖縄いじめ、不倫芸能人いじめ…

今年の漢字は、「叩」だと思った。

いじめている加害者だって、立場が変われば自分も被害者にもなっていくのではないかと思ったり、下の方で、いじめあって、本当に悪い人は知らん顔してるのじゃないの?って思ったり。


 


まあ、そのようなことも考えつつ、今年印象に残ったことをもう一つ。

交通事故に関してです。かつては、交通事故で亡くなる人は、年間1万人以上いました。これが公共交通機関だったら、とっくに営業停止だろうと思うほどの数です。そしてその数の向こうには、取り返しのつかない後遺症などで、苦しんでいる人、事故が元で、寿命を縮めてしまった方たちもいるでしょう。
今は、5000人代とだいぶ、死者数も減ってきたそうです。
http://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h21kou_haku/zenbun/genkyo/h1/h1b1s1_1.html


そのせいかどうかわかりませんが、昔は多すぎてニュースにもならなかったような事故も、ニュースの話題になるようになってきました。
そして、今年、とくに印象に残ったのは、高齢者の運転ミスや、認知症による事故。
いつかこういう時が来るのではないかと、思ってはいましたが、今年はついに、加速がかかった感じ。


私は、このブログを立ち上げたときから、ずっと言い続けてきたのは、交通事故への警鐘というよりかは、車社会への警鐘です。
なぜって、車は、人間が使いこなすのに、まだ不完全な乗り物だって思っていたから。
でも、当然のことながら、車の批判は、原発の批判より風当たりが強く、誰にも言えないで我慢していました(汗)。
かつて、地球温暖化防止のために私は車に乗らないよ、といったら、「馬鹿じゃないの」と笑われました。
ずっと疎外感ばかりで生きてきました。だから少しひねくれてしまったかもしれませんけどね。


高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違えの事故や、認知症による無謀運転の事故が、今年はやけにクローズアップされました。
自動停止機能の付いた車がでてきたから、交通事故のニュースを報道しても、スポンサーに怒られないので、オッケーになったんじゃないかって、偏見的な見方もしています。
・・すみません、少しひねくれてますから。


11月の東京新聞の投書欄に、車の理不尽性を指摘した投書を見つけ、切り抜いていました。

 


写真、少しわかりにくいですが、車と人間が、同じ道路に存在したら、車にかなうわけがない。同じ土俵にいるのが、「理不尽」なんですよね。
そこのけそこのけ、車が通る、じゃなくて、運転者はもう少し歩行者に遠慮と配慮と恐縮を持って運転してほしい、というのがずっとずっと思っている、切なる願いです。

スマホに夢中だったり、認知症の人の運転する車だったり、歩行者は、運転者への区別はつきませんから、ガードレールのない道路では、四六時中緊張を強いられます。
車が、突然襲ってくる猛獣と同じなら、檻の向こうに行ってほしいです。
小さなガードレールでも、それがあるのとないのでは大違い、命を守る歩行者の檻です。

車の運転はどうせ一生できるわけではないのだから、車に依存しなくてもいい社会、いい街になって欲しい。
人や動物にもやさしい移動手段に、そろそろ変わっていくべき時が来たのではないかと思います。



★関連記事
 車依存社会からの脱却を


 この記事を持ちまして、年内のブログ納めとさせていただきます。
(コメント欄では、お答えします)

今年も1年、ご訪問下さいまして、ありがとうございました。
来年が皆様にとりましてより良き年でありますよう、お祈りしています。



追記(名無しさんへのお返事に変えて)

介護や子育てに追われて、日々、車を利用して忙しく暮らしている方にはご不快に思われた表現があったかもしれません。その点はお詫びします。
「カテゴリー車社会を考える」を全部目を通していただければわかると思いますが、「車=悪」とは表記していませんし、必要な方には必需品であることも理解できます。
しかし、車に頼らないと介護も子育てもできない、病院にもいけない、親の面倒も見られない、という社会構造全体がおかしいんのではないか、という提言をしています。
公共交通も必要ですが、むしろ自分の徒歩圏内で、全てが解決できる街、というのが理想です。
都会ではそれができますが、地方では無理です。

社会のコミュニティの復活。私の子どもの頃は、病気になると街のお医者さんが往診に来てくれました。
熱の出た子どもを抱いて、電車に乗って病院に行くなんて無理です。しかし地元の町の小児科は、次々と廃院に追い込まれています。
私も、子育ても同居の家族の介護も経験しました。
幸い、病院も幼稚園も徒歩圏内にありました。必要なときは、必ずお世話になるタクシー会社もありました。愚痴を聞いてくれる人もいました。

社会全体としての助け合いが、希薄になっているから、全部一人で背負い込んで、全部自分でしなければならない。
疲れ果てて、ついつい、目を三角にして怒りながら運転していないでしょうか。
今すぐにどうこう解決できる問題ではないかもしれませんが、自分のブログで「こんな社会、おかしいよね」と言うことくらいはお許しいただけたら幸いです。

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認知症とクルマの運転から見えてくるもの

2015年11月02日 | 車社会を考える
宮崎暴走、運転手に認知症の入院歴 事故との関連捜査
10月30日 05:06朝日新聞
 宮崎市中心部で28日、歩道を暴走した軽乗用車にはねられ2人が死亡、4人が重軽傷を負った事故で、運転していた男性(73)が過去に認知症で入院していたことが、捜査関係者への取材でわかった。宮崎県警は他の持病との関連も含め慎重に調べる。
 捜査関係者などによると、運転していた川内実次(みつぎ)さん=鹿児島県日置市東市来町=は事故直後、歩道を車道と間違えたのかを警察官らに聞かれ、「はい」と認める反応をした。受け答えなどの際は、ぼうぜんとした様子だったという。
 歩道上を走った約700メートルの間にブレーキ痕がないことや、途中で加速したとの目撃証言があることから、県警は川内さんが正常な運転ができない状態に陥っていた可能性があるとみている。一方で、歩道中央にある車止めのポールを避けて走ったような形跡もあるという。

---------------------------------


数年前うちの近所でも、なぜか歩道をずずーっと走ってきた車に遭遇し、「え?なに?どした?」というびっくり体験をしたことがある。
幸い、途中で車道に出てくれたから良かったものの、今思えば、他人事じゃなかったかも。

この件は、ニュースを見た時から認知症かなあと思っていたので、「やっぱり」という以外の何物でもない。
前からいわれていたことだけれど、認知症とクルマの運転が社会問題としてクローズアップされるのも、時間の問題だったわけですよね。

今後も、無策で放置すれば、10年先には、このような事故はさらに増えてゆくことだろう。

一般的には、運転者の問題として、高齢者の免許返納とか運転者の認知機能のチェックなどの対策が挙げられているようですが、もっと大事なことをなぜ、放置しているのかと、歯がゆく思うのは私だけでしょうか。
単純にドライバーだけの問題にしてこのニュースを矮小化させてはならないと思う。



画像クリックで拡大:東京新聞2015年11月1日


上記の絵を見ればわかるとおり、群馬、長野など交通の便の悪い山間部などが多い地域は、65歳以上の高齢者のうち、60%以上が免許を保有しているが、東京36.5%、大阪38.2%など都市部は、その保有率が40%以下なのである。

高齢者の多く住む田舎ほど車がなければ生活できない。
つまり、日本ではある時期から効率性を優先させ、あえて公共交通を減らす、あるいは全く廃止してしまう、というような理不尽なことが、国の政策としておこなれてしまったこと。
経済優先のため、公共交通を捨て車社会になった日本

そのために、時が経ち、高齢になり認知症になってすら、通院のための足、買い物の足である、車を手放せない、乗らないわけにはいかないという現実が生まれた。
また、車の普及により、車社会の象徴のような、郊外型の大きなスーパーや多角的な大型店舗が進出してきたことで、更なる悲劇が。
自ずと客はそこに集中し、地域の昔ながらの店は、どんどん潰れていった。
そして、シャッター通りが多くなり、昔ながらの村の雑貨屋さんなどのような店舗がなくなれば、地域のコミュニティーも壊れてしまう。
最後に残るのは、高齢化、過疎化した町や村の、買い物難民。通院難民である。

小回りの利くコミュニティーバスなど、最近は地域によってそのような取り組みもあるようだし、また食料品を載せた巡回店舗カーのようなものもあるようだ。しかし、まだまだ完全とはいえない状態。

またごく最近になって、自動運転なんていう車が出てきた。技術の進歩はすごいと思うが、自分の車は安全運転でも、他の車の暴走に巻き込まれることもある。すべての車に、ぶつからない機能や自動運転機能などの装備が整っていない現状では、不測の事態にも安全であるという確約はなく、今すぐには大きな期待は持てない。

高齢者がムリしないでも、買い物も通院もできる町。そんな当たり前のことが壊れてきているから、悲劇が起こる。
「認知症とクルマの運転」に関して言うなら、街づくりという視点からも、もう一度行政の考え方を変えてほしいと心から思うのです。


★関連記事
ポニョの町、パーク&ライドはいかが
車に依存しないでも住みやすい町がいいな
認知症と車の運転
偶然同じようなタイトルの記事を2007年にも書いていました。あれから8年。現状はほとんど変わっていない。
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ぱぱをかえして

2013年09月23日 | 車社会を考える
秋の全国交通安全運動が始まりました。

東京新聞のこの記事は、5年前に交通事故で父親をなくした小4の子鹿柚祐(ゆずゆ)ちゃんの紹介。自転車に乗っていたパパは、後方から来た大型工事作業車にはねられ、病院で息を引き取った。
幼い心に、刻み込まれた思い出はとても衝撃的だったのでしょう。
  ↓
パパをかえして 事故で別れ 名古屋の小4・柚祐ちゃん

ネットでは読めないけれど、本紙に掲載された柚祐ちゃんの作文が、心に残りました。


【六歳だった子鹿柚祐ちゃんが交通遺児を励ます会で発表した作文】

 「ぱぱをかえして」

 ぱぱは、りょうりがじょうずで、やさしいです。わたしはそんなぱぱがだいすきです。
 ほいくえんで、えをかいていたら、おじいちゃんがいきなりむかえにきて、わたしはなんだろうとおもいました。 
 びょういんにいき、ぱぱのまわりは、ちだらけでした。おかあさんとおねえちゃんは、ないていました。
 わたしはぱぱのてを、にぎりました。ぱぱのちを、とめてもらいたかったので、ぱぱのちをてにためました。でも、ぱぱはおきてくれませんでした。
 ぱぱをころしたひとは、きらいです。ぱぱのことを「ごみをひいた」といいました。ぱぱはごみではありません。いまでも、そのことばは、わすれません。わたしは、ころしたひとをゆるさないです。
 だいすきなぱぱを、かえしてほしいです。ぱぱをかえしてください。ぱぱが、なかないでと、やくそくしたので、ゆずゆはなきません。
 わたしは、これから、くるまにきをつけます。


 

行楽シーズン、ドライブでお出かけの方もいらっしゃると思いますが、くれぐれも心してハンドルを握ってほしいなと思います。
テレビでは、あいも変わらず、人気タレント総動員のこじゃれたCMがあふれているけれど、その機械は、命を奪う可能性のあるものです。そこのところ、絶対に忘れないで欲しいです。

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危険な通学路、全国に6万カ所

2012年09月21日 | 車社会を考える
東京新聞9月21日の記事より

危険な通学路 6万カ所 安全対策要請へ

 文部科学、国土交通、警察の三省庁は二十日、公立小学校の通学路約七万カ所の点検で、児童が事故に遭う恐れがあり、横断歩道や信号の設置など安全対策が必要な地点が約六万カ所あったと発表した。文科省は今後、点検結果を精査して詳しい状況を公表する。地方自治体には、危ないとされた地点での具体的な安全対応方針を十一月末までに検討するよう求める。
 全国の公立小学校や特別支援学校小学部の九割程度に当たる約二万校の通学路のうち、事故の危険が考えられる約七万カ所で、八月三十一日時点の点検結果をまとめた。具体的には、道幅が狭かったり見通しが悪かったりする地点のほか、踏切や歩行者の待機スペースがない交差点、交通量が多いのに狭い歩道が片側にしかない区間なども点検対象とした。
 その結果、横断歩道や信号、歩道の設置、児童を安全に誘導する人員の配置を増やすなどの安全対策が必要な地点は、約六万カ所に上った。残りの約一万カ所は、車の通行量が少ないなどの理由で、当面は対策の必要はないとしている。


7万カ所調べたうちの、6万カ所 って・・・多すぎ
行け行けどんどんの社会のつけは、たいてい弱いものに押し付けられていたのでした。

東京新聞によれば、具体的な通学路の問題点として

 ・横断歩道がない交差点
 ・信号機のない見通しの悪い交差点
 ・歩行者の待機場所がない交差点
 ・交通量が多いが、歩道が狭く片側にしかない区間
 ・見通しの悪い踏切


等が挙げられている。
最初に「横断歩道がない交差点」が挙げられているけれど、横断歩道があろうがなかろうが、最近は、信号が赤にならない限り、止まってくれやしないのだから・・ドライバーのマナーも良心も誇りも、どこにいっちゃったんですか。

居眠り運転だけに限らず、子どもたちが、小さくなって道の端っこを歩いているなんて、そもそもおかしいのですよ。
朝の通勤時間、余裕のないドライバーが、抜け道としてさらに細い路地に入ってくるのも危険で迷惑。
 
丸亀市の事故は不幸だったけれど、国が一連の事故を警鐘として受け止め、車優先社会の改善が少しでも進むなら良かったと思う。
車の総量規制や、車道と歩道の完全分離など、更に抜本的な対策も望まれます。
長期的には、車なしでもなんとかなる社会の方向転換を、私は心から希求しています。


オスプレイも危険であるけれど、リアルに毎日危険な交通事故
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gooニュース交通事故
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車は包丁ではなく猟銃に似ている

2012年04月23日 | 車社会を考える
この手のニュースは、やりきれない気持ちになるので、正直、話題にしたくない。
だけど、ニュースを見ても、誰も言ってくれないし、あえて車を運転しない選択をする若い人たちを応援するためにも、しつこくまた書きます。

小2女児と引率の妊娠女性死亡 京都・亀岡の事故(朝日新聞) - goo ニュース
23日朝、京都府亀岡市で集団登校中の小学生の列に軽乗用車が突っ込んだ事故で京都府警は、意識不明の重体だった市立安詳(あんしょう)小学校2年の小谷真緒(おだに・まお)さん(7)と、引率していた妊娠中の保護者、松村幸姫(ゆきひ)さん(26)が死亡したと発表した。
 府警は、自動車運転過失傷害の疑いで逮捕した亀岡市の少年(18)について、容疑を同致死傷に切り替えて調べる。


悲しい交通事故が繰り返されている。

無免許の少年が、起こしてしまった事故。彼を責めるのはたやすい。
でも、悪いのは彼だけなのか。彼だけが特別悪かったんだ、と誰が言いきれるだろう。
たとえ、この少年が、もう二度と運転をしないと誓ったとしても、また同じような事故は、繰り返し起こるだろう。

よく、車を包丁にたとえて、包丁が悪いんじゃない、包丁で人を殺すことが悪いのだ、それと同じで、車が悪いんじゃない、事故を起こす人間が悪いのだと、いう人がいるけれど。
私はその例えは、正確ではないと思う。
なぜなら、包丁は悪意を持って使わなければ、人を殺すことなどできないけれど(せいぜい調理中に自分の指先を切るくらいだ)、車は悪意があろうが無かろうが、自分も含めて人を殺してしまうことができる機械だから。

しいてたとえるなら、猟銃に似ているのだろう。
猟銃は、銃と違って人に向けるものではない。鳥や動物に向かって使う道具。しかし、間違って使えば、そこに悪意があろうが無かろうが、たやすく、人間も殺してしまえる道具。
どちらも、人間のちょっとした判断のミスで、愛する家族の命さえ、一瞬にして奪うことができる道具。
テレビは、毎日、きれいごとだらけの車の宣伝を流しているけれど。

運転する人たちは、どうかそこを自覚して責任を持って運転してほしいと、つくづく思う。

しかし、たとえ本人がいくら気をつけていても、道路は何が起こるかわからない場所。
突然誰かが飛び出してきたり、対向車がこちらに向かってきたりしたら…
もし乗らずにすむものなら、車への依存は極力避けた方がいいのではないかと思う。
運転免許は、より厳しく訓練された自覚ある運転のプロたる人のみに、与えていただきたいもの。
・・・・と、(むなしさもあるけれど)とりあえず今日も書いておきました。


亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


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故意であろうが無かろうが、車はたやすく凶器になる

2012年04月13日 | 車社会を考える
京都・祇園の車突入事故 運転中に発作か 死者計8人(朝日新聞) - goo ニュース

第一報を聞いたとき、運転手が30前後の男性だったこともあって、とっさに、2008年の秋葉原の無差別殺傷事件を思い出したのだけれど。
てんかんの発作による暴走運転だったことがわかった。
亡くなられた方とご遺族の皆様にはお悔やみを申し上げます。
ただ、故意による暴走でなかったことがわかり、言い方は不適切かもしれないけれど、少しだけほっとした思いがした。
人の心の闇と時代の閉塞感が凝縮されたような秋葉原の事件は、思いだすだけで、哀しくつらい気持ちになってくるから・・

しかし、結果としての不幸に変わりはなく、そこに悪意があろうが無かろうが、車は、たやすく凶器になりえるということがまた、実証されてしまった。
つまり車とは、力のない女性でも、年配者でも、故意であろうが無かろうが、自分以外の人を巻き込んで、一瞬にして大勢の人を殺傷してしまうことができる機械であるということ。
実は、車に乗るということは自分だけの問題じゃないのだけれど、ほとんどの人は自分だけの問題にして、あまりにも依存し、慣れ過ぎて、無自覚でいるということ。

昨年も、運転手のてんかんの発作で6人もの小学生が事故に巻き込まれて亡くなるという不幸があった。
こういうことが起こるたび、てんかん患者への差別が起こるのではないかという意見もわかるけれど、私はむしろ、車への疑問が何も起こらない方が、不思議でならない。

 「てんかん患者が悪いのではなく、てんかん患者が車を運転することが悪い。」
 「飲酒が悪いのではなくて、飲酒して運転することが悪い。」

それらは、とりもなおさず、「車」の存在自体が、凶器になりえるのだということの裏返しであり、車がまだまだ機械として不完全なものであるという証しにもなる。

最近は「ぶつからない車」という車が登場した。この機能を、どの車にも必ず装備してほしいと本気で思う。
そして、運転する人たちにいいたいのは、車を運転すること自体、どれだけの重い責任があるものか、どうか自覚を持って運転してほしいということ。

80歳を過ぎてもなお、運転している方は、特に気をつけていただきたい。「自分に限って大丈夫」という根拠もない過信が、原発安全神話と同じ落とし穴。
自転車では、ふらついて危険だから、車を運転しているのだという人もいたけれど、それって自分の安全は考えても、他人を危険にさらしているのを忘れている。

公共交通が廃止されてしまったという地域は別として、公共交通が完備した市街地であるならば、本当に必要な時は、タクシーもあるし、荷物の輸送には宅配便がある。
それで、不便だろうか?荷物を担いで二本の足で歩いて旅した江戸時代に比べれば、十分十分、十分便利でしょ。


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神になった「たま」駅長

2011年01月21日 | 車社会を考える
写真:共同通信


前に、「たま駅長は公共交通の星になるんにゃ」という記事を書いたんだけど、ついに神になってしまったんにゃ。

 三毛猫の「たま」駅長が神様に 和歌山電鉄貴志駅(共同通信) - goo ニュース

なんでも、駅長就任4周年を祝う式典で、「和歌山観光まねき大明神」の名前を任命されてしまったんにゃって!
廃線寸前の路線が、人気スポットに大変身し、さらに「たまバス」まで、運行されて、集客率アップ。和歌山県にとっては、まさしく神様、仏様、たま様だもんにゃ。
おまけに、たま駅長は、どれだけちやほやされても、人と違って、おごらずいばらず、マイペース。
これからも、元気で長生きしてほしいにゃ。


 卯之町駅守るは「ウサギ駅長」 愛媛・西予

さらに、愛媛県のJR予讃線・卯之町(うのまち)駅では、1月3日に、ウサギ駅長が誕生した。



本物の駅長とおそろいの帽子をかぶった「うさぎ駅長」
(写真:朝日新聞)
 


街の名前と今年の干支にちなんで、抜群のタイミング。こちらも集客アップにつながるといいにゃ。

なんだか、公共交通の本来の役割よりも、観光的な要素の方がメインになってきちゃっているけれど・・・それでも、地元の公共交通がなくなってしまったら、困ります。
どんな形であれ、ねこちゃんもうさぎさんも、重大な任務を背負っているんだにゃ~。



 
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免許取りたての事故

2010年05月15日 | 車社会を考える
車は、おもちゃじゃありませんのだにゃ


なんにつけても、新しいものを買った時、おろしたてって、案外、一番傷がつきやすいものじゃありませんか。
まだ慣れていなくて、使い勝手がよくわからないし、失敗もしやすくて。
そんなこんなで、息子のランドセルもピカピカの小1の4月についた傷が、6年間ずっとワンポイントみたいについたまんま、それ以外は、たいした傷はつかなかったんですが。
家具なども、運び入れたときに最初に傷がついちゃったり…

まあ、持ち物や家具の傷くらいなら、しょうがないね、間が悪かったねで、すむんだけど、車となったら命取りです。(涙)

免許取得10日目、18歳事故死 名古屋、3台絡む事故(朝日新聞) - goo ニュース
2010年5月15日(土)10:11
 15日午前2時半過ぎ、名古屋市中村区八社1丁目の庄内川沿いの堤防上にある県道で、乗用車など3台がからむ衝突事故があり、乗用車を運転していた同市中川区中郷2丁目、星城大1年の男子学生犬飼悠稀(ゆうき)さん(18)が亡くなったほか、1人が左足骨折の大けがをした。犬飼さんは免許を取得して10日目だったという。
 中村署によると、堤防道路を走っていた犬飼さんの乗用車が、前を走っていた愛知県弥富市竹田3丁目、会社員栗山一秋さん(36)の乗用車を追い越し間際に、側面から衝突。直後、犬飼さんは対向の名古屋市中村区岩上町、会社員石川正智さん(40)のワンボックスカーとも衝突。犬飼さんは、約2時間後に出血性ショックで死亡、石川さんの車はのり面を転落して、石川さんは左足の骨が折れる大けがをした。


前の車を追い越そうとして、起こった事故でした。
免許を取って10日目、まだ18歳。ご家族の気持ちを思うと、お気の毒でなりません。

免許取りたての頃って、人の話を聞いても、事故起こしやすいですよね。
車はおもちゃでもないし、車の運転はゲームでもありません。
少しの油断が、取り返しのつかないことになる・・・それが車という乗り物です。

この時期、高校卒業したり、春休みを利用したりして、免許取りたての方が多くいらっしゃると思うんですが、くれぐれもくれぐれも、くれぐれも運転には注意して欲しいなと思います。
自分ひとりの問題じゃなくなるんですから。
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ぶつからない車

2010年04月17日 | 車社会を考える
車が世に出て、どれくらいたったのだろう。
はたして車は、すべからく欠陥商品ではないのかと思ったことが何度もある。
誰もが安全運転できることを前提とし、人間はミスを犯すものと言う前提はないものとされ、万が一事故が起きたら、運転手のせいにされるか、運が悪かった・・・で、メーカーの責任は問われないわけで。
そして今日も、世界中で車は、販売され使用され続けている。
携帯電話もそうだけど、リスクは覚悟の上で、人類は、便利さを選んだのである。

車に対して、便利だし、助かるし、ありがたいと思ってはいる。
現代生活に、もはやなくてはならないものだとわかってもいる。
しかし、車を持たない者の「公共交通」という足を廃止させ、温暖化を促進し、道路を作るために自然は破壊・寸断され、たくさんの人々や動物たちがそれによって命を落としている現状に、ずっと悲しみを覚えていた。



ふと、そのことに気づいて以来、ここ20年ばかし、ずっとそんな葛藤が私の中にはあって、車の悪口を思いっきり言いたいのに言えないで、世間の皆さんと話を合わせることも正直、つらくて疲れたこともある。どーせ、変わり者だよと、開き直ってはいたけれど・・

車が次に進化するなら、ぶつからない車だって思っていた。それをどうやら、日産が開発してくれたみたいです。
長かったけど、やっとこさ、車が次の進化をしたのかもしれない。
ただ、運転者を守るためだけじゃなくて、歩行者、特に背の低い子どもや小動物たちを守るため、という前提で、ぶつからない車を作ってほしい・・・。
これは、この20年来の私の悲願です。


車の前後左右「ぶつからない技術」 日産、年内に搭載へ(朝日新聞) - goo ニュース
 日産自動車は、車線変更やバック時に後方から接近する車とぶつかるおそれがある場合、自動的にブレーキをかけて運転手に危険を知らせる技術を開発した。同社によると、後方の衝突を回避する技術は世界初という。前方と側面の衝突を避ける技術はすでに実用化しており、これで前後左右すべての「全方位運転支援システム」が完成。年内にも同システムを搭載した車を発売する。
 車線変更時の衝突を防ぐ技術は、車の側面に付けたセンサーで、移ろうとする車線の斜め後方を走る車との距離や速度差を計測。車が急接近しているのに変更しようとすると、車輪を元の車線に戻す方向にブレーキがかかり、運転手に変更をやめるよう促す。
 また、駐車スペースから車をバックで出す際に衝突を避ける技術は、後部センサーで走ってくる車を察知するとブレーキが作動する。
 日産は安全対策として「ぶつからない車」を究極の目標に設定。あらゆる方向の衝突を防ぐ「全方位運転支援システム」の開発を進めてきた。すでに前方車に近づきすぎた場合にアクセルペダルを押し戻す技術や、走行車線を外れそうな時に車線に戻るよう制御する技術は、高級車「フーガ」などに搭載済み。今回開発した技術でこのシステムが完成する。
 まずは、年内をめどに北米で展開する高級車にシステムを丸ごと搭載。国内向けの車への導入も検討中だ。
 技術開発本部担当の篠原稔常務は「危険が迫ったときに単に警報を鳴らしただけでは、運転手が瞬時に判断できない場合がある。いずれの技術も、運転手が直観的に次の操作に移る手伝いをする」と話す。(小暮哲夫)


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たま駅長は、公共交通の星になるんにゃ

2010年04月12日 | 車社会を考える
写真:時事通信


たま駅長、バス事業に進出…「にゃあ」と満足げ(読売新聞) - goo ニュース
 和歌山電鉄貴志川線貴志駅(和歌山県紀の川市)のスーパー駅長、三毛猫の「たま」をモチーフにした観光バスが完成し、7日、同電鉄本社前(和歌山市伊太祈曽)でお披露目式が行われた。
 「たまバス」は、同電鉄の関連会社が製作。車体には、様々なしぐさや表情、50種類のたまのイラストが描かれている。内装も、座席に三毛猫の「ぶち」を、カーテンにはネコのシルエットをあしらい、「たま柄」満載。
 式に“出席”したたま駅長は、バスを見上げて「にゃあ」と満足げ。バスは今後、貴志駅でたまと会ったり、伊太祈曽駅でキャラクターグッズのショッピングを楽しんだりする大阪発着のツアーに使用される。



和歌山県の貴志川線貴志駅を、有名駅にした、ミケ猫のたま駅長さんがついに、バス事業に進出しました。
その名も、まんま「たまバス」(笑)
バスには、たま駅長さんのイラストいっぱい、工夫がいっぱいだとか。
猫バカの皆さん、よかったですね。バスマニアも、ぜひ乗ってほしいですね。
なんだかんだいっても、日本はいい国じゃにゃ~。
たま駅長さん、いつもありがとうございます&お疲れ様です。


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