虹色オリハルコン

人工的でお金を目標にした人生ではなく

自然と生命を豊かにすることを目標にした生き方を選ぶ

100年前の東京の大通りと人間たち

2016年12月23日 | 歴史・文化
年内おやすみ、って書きましたが、毎度また出てきました(笑)
カラパイアに出ていたこの動画があまりにも興味深かったので、ブログにクリップしたくて。


1913-1915: Views of Tokyo, Japan (speed corrected w/ added sound)



100年前の、日本、東京。見ながら、いろいろなことを考えさせられました。
カメラに興味津々の人、怪訝そうに見る人。
町並み、着ている着物、子供の遊び、人がこれだけ溢れているのに道路がきれい。

便利な道具も家電もなく、冬は寒くて、今の暮らしよりも、ずっと大変だったろうなあ。
でも、大通りには、人が溢れていて、賑やかでいいですね。
すっかり人のさびれた、わが町のシャッター通りと比べ物にならないわ。




では、また来年  ・・・と、言いながら、また更新しちゃうかもしれませんけど。
コメント (2)

平城京にペルシャ人の役人がいたらしい?

2016年10月06日 | 歴史・文化
平城京にペルシャ人の役人か 8世紀の木簡に記述
(NHKNEWSWEB 2016年10月5日)

奈良市の平城宮跡から出土した8世紀の木簡に、ペルシャ人とみられる人物が役人として働いていたことを示す記述があることがわかりました。調査した奈良文化財研究所は「平城京が国際色豊かな都だったことを示す、貴重な資料だ」としています。

木簡が見つかったのは奈良時代の都、平城京の中心部、平城宮跡の南東にあたる場所です。
奈良文化財研究所によりますと、50年前の発掘調査で見つかった木簡を、ことし、赤外線を使って調べたところ、「破斯清通」(はし・きよみち)という人名が記されていることがわかりました。

「破斯」という名字は、ペルシャを意味する漢字「波斯」と読み方が同じことから、木簡に記された人物はペルシャ人とみられるということです。
また、この木簡は役人を養成する役所、「大学寮」の宿直勤務の記録だったことから、この人物が平城京の役人だったこともわかったということです。


古代の歴史書「続日本紀」には、736年、遣唐使が連れ帰ったペルシャ人が聖武天皇と面会し、その後、位を授けられたという記述があります。
研究所は、このペルシャ人は木簡に記された人物と同一人物の可能性がある
としています。

ペルシャ人とみられる人物の名を記した遺物が出土したのは全国で初めてで、木簡を分析した奈良文化財研究所の渡辺晃宏史料研究室長は「平城京が国際色豊かな都だったことを示す貴重な資料だ」と話しています。
この木簡は平城宮跡資料館で開かれる展示会で来月1日から公開されます。

------------------------------


このような発見は楽しく面白いものですね。歴史の一部分にスポットライトがあたり、小さな事実が浮かび上がってくる。
そういうことの一つ一つが、過去の出来事を蘇らせてくれる。

よく考えれば、シルクロードの終着点の日本の都ですから、さもありなんとも思いますが、渡来人と言えば朝鮮半島か中国大陸の方たちだとばかり思っていました。
ペルシャ人と言えば、イスラム系の方ですよね。さぞかし、エキゾチックなお顔立ちが目立っていたことでしょう。
そう言えば、以前読んだ本には、聖徳太子はペルシャ人ではないかという説もありました。
私はその説を支持してはいませんが、こういうことがわかると、そのような仮説が出てくるのも一理あります。太子の身近には、いたかもしれません。



それにしても、この世というのは、時間と空間の限られた場所であるからこそ、どこかへ旅したいと願うのは、古来より人間の本能的なものなのでしょうか。
シルクロードもそうですが、世界には、長い距離を歩く「巡礼の道」というものもありますね。
「ここではない、どこか」に、何かを求めて移動する。それは、人間らしい好奇心や冒険心だったり、願いを叶えるための旅だったり、止むに止まれぬ理由もあった逃避行だったかもしれません。

日本にやってきたペルシャ人の方は、故郷を遠く離れた日本の地で、どんなことを思ったろうか、などと考えていると、人生そのものが「旅」、毎日繰り返される日常も「この世」という世界の「旅」の一過程じゃないか、とも思えてきます。



おまけ
GODIEGO「Gandhara」(TV drama「Saiyuki(Journey to the West)」ending music)ゴダイゴ「ガンダーラ」 ( ドラマ「西遊記」エンディング曲)



コメント

飯舘の守り神・オオカミ絵復元

2015年08月25日 | 歴史・文化
福島県飯舘村は、村づくりの基本理念としてまでいライフをキャッチフレーズにしていたそうだ。
「までい」とは、「手間暇を惜しまず」「心を込めて」「丁寧に」「慎ましく」といった意味の方言。

http://www.magazine9.jp/don/110824/

よりによって、原発交付金とも無縁の、人間らしいスローライフで自立をはかっていた村までも、原発事故は台無しにしてしまった。

飯舘村の山津見(やまつみ)神社、11世紀に創建され、神の使いとして白いオオカミを祀ったこの神社で、2013年火災発生。
が、避難指示区域のため消防団がいなくて、消火が遅れ拝殿消失。天井に描かれた240枚のオオカミの絵も燃えてしまった。

・・・原発事故は、人々の暮らしだけでなく、長年培ってきた土地の文化も奪ってしまうのですね。

この現実、原発立地地域の方たちは、決して他人ごとではないはずです。



東京芸術大学の大学院生らが写真を元に杉の板に描いたオオカミ
=18日午後、東京都台東区、井手さゆり撮影


飯舘の守り神・オオカミ絵復元へ 「復興のシンボルに」
08月21日 10:12朝日新聞

 東京電力福島第一原発事故で全村避難が続く福島県飯舘村の山津見(やまつみ)神社で2013年に焼失した、オオカミの天井絵の復元が東京芸術大学(東京都台東区)で始まった。「被災地の文化の継承に貢献できれば」と取り組む日本画の専門家に、避難中の住民らは「復興のシンボルに」と期待する。
 11世紀に創建された神社は山の神のつかいとして白オオカミをまつる。1904年にできた拝殿の天井には約240枚のオオカミの絵があった。2013年4月、火災が発生。避難指示区域で住民の消防団がおらず、村外の消防が着いた時には、拝殿はほぼ焼失していた。
 ニホンオオカミを調べていた和歌山大学の加藤久美教授(環境学)らが火災直前に偶然、天井絵を全て撮影していた。NPOなどが写真を元にした復元を模索し、伝え聞いた東京芸大の荒井経(けい)准教授(日本画保存修復)が引き受けた。

---------------------------------


再現された絵のオオカミは、どこかユーモラス。(*´艸`*)
火災直前に、偶然、すべての天井絵が撮影されていたのは、神様のはからいだったのか。

原発事故のため人がいなくなった地区は、イノシシやネズミなどの野生動物が増え、家屋を荒らしていた。
西洋のオオカミは、家畜を殺すにくい奴、という感じですが、かつて日本にいたオオカミは、神の使いとして、田畑を守る頼もしい動物だったのだろう。

私も、今一度、人々の暮らしを守ってほしいと、すべてのオオカミの絵の復元を祈りたいです。

コメント (4)

古代マヤの翡翠(ひすい)の仮面

2014年01月06日 | 歴史・文化
こういう特番、大好きなんです(笑)・・「古代文明ミステリーたけしの新・世界七不思議シリーズ

5日放送分の中で、古代マヤ文明の「翡翠の仮面」が取り上げられていました。
古代マヤの王の遺体を飾った翡翠の仮面。



翡翠の仮面


パレンケのパカル王の遺体を飾った仮面は、340片の翡翠と4片の貝殻、2片の黒曜石でつくられている。木製の土台の上にあしらわれていたと思われるが、すでに朽ちてなくなっている。仮面に刻まれた記録によると、パカル王は70年近い在位期間のうち8年を、自らの豪華な埋葬の準備に費やした。西暦683年8月28日に死去すると、仮面、大きなペンダント、耳栓、指輪、ネックレス、ブレスレッドなど、翡翠づくしの副葬品と共に、末代まで崇められるべく神殿の下に葬られた。
(ナショナルジオグラフィックより)



番組では、なぜ翡翠かということに焦点が当てられ、マヤ民族にとって当時の翡翠は、非常に希少であったことから、とても価値があり、マヤの世界観では、緑色が世界の中心を示すものとして、権威の象徴であった、などということが研究者によって、語られていました。

勝手ながら、私どもの仮説も申し述べさせていただきますと、生前より身につけて、病やケガの平癒への祈願をしていたとか、亡くなった後もそばにおいて、死からの復活、あるいは死出の旅への安全や死後の幸せへなどの願いがあったのではないか。
・・・などど、理由はいくつか考えられますが、単なる権威の象徴だけでなく、翡翠の持つエネルギーに何かしらの期待があったのではないかと思いました。

古い記事ですが、以前マオリの石でびりびりびり~で、書きましたが、翡翠には特別のエネルギーがあるように感じるからです。

今は科学的な論証や思考が最優先される時代ですが、古代においては、呪術やシャーマンの存在がある一定の重きをおかれていました。
すれば、当時、そういうことを敏感に感じ取れたシャーマンたちが、翡翠にエネルギーを感じて身を守る術として権力者に通達したことも考えられます。あるいは権力者自身が、シャーマンとして存在したかもしれません。
古代人も現代人同様、ネックレスやブレスレットなどのアクセサリーを身につけていたようですが、現代のような単純なおしゃれのためではなくて、エネルギーが感じられるある種の鉱物を身につけることで、自らを強め、身を守る目的があったのではないか。
と、テレビを見ながら、色々と想像してしまいました。

いずれにしても、マオリ、マヤ、そして日本や中国でも、翡翠は、古代人にとっては大切な石だったようです。
ただし、今現在、この翡翠の仮面に、その力があるかどうかは、テレビ画面だけでは、わかりませんが。
なぜなら・・・




■ご注意:ここからはオカルト的思考(現代科学では証明できない)になりますので、生真面目な方は、スルーするように 

その石の持ち主のネガティブな意識が強すぎた場合、その石の保つ特性の上に、悪い波動が上書きされて、人にエネルギーを与えてくれるはずのパワーの情報が消されてしまい、後にその石の所有者になった者に対して、悪い影響を与えてしまうってことも、あるのですにゃ~。
権力者などの持っていたものは、良くも悪くも、極端なことがありますから、こういうものはやはり博物館に保管することが一番ですね。




★関連記事
 マオリの石でびりびりびり~
 マウリ石
 マウリ石、その後
 大阪で出土・翡翠の勾玉



コメント (2)

中世の本に猫の足跡

2013年04月05日 | 歴史・文化
中世の本にネコの足跡、ネットで話題に(ナショナルジオグラフィック ニュース)

猫っていう生き物は、不思議。
なんでこんなに人の心を騒がすのか。その寝姿に癒され、時に野生を感じ、時に迷惑千万・・・

かわいい足跡を付けられたこの手書きの本の持ち主は、ショックだったのか、それとも、もう笑うしかなかったか?・・・この本の持ち主に同情しつつも、親しみが湧いてきます。

中世ヨーロッパでは、猫は魔女の使いとして、虐げられた歴史もあるが、15世紀クロアチアの古都の街に住んでいたこの足跡の主は、きっと大事にされていたのでしょう。
飼い主が書き物をしているところに来て邪魔をするのは、猫の大事なお仕事ですからねん(笑)


関連記事
 古墳時代の猫

コメント

蘇我馬子の家は、宮殿並み?

2013年02月13日 | 歴史・文化
蘇我馬子邸 宮殿並み? 奈良・島庄遺跡 塀跡の大型柱穴列見つかる

 飛鳥時代の大豪族蘇我馬子(そがのうまこ)(生年不明~六二六年)の邸宅とみられる建物群跡が確認された奈良県明日香村の島庄(しまのしょう)遺跡で、塀跡とみられる大型柱穴列が見つかっていたことが九日、分かった。二〇一一、一二年に村教育委員会が調査していた。

 この遺跡で建物群跡のものとみられる七世紀前半の塀跡が見つかったのは初めて。調査した西光慎治主任技師は「柱穴の一辺が一メートル以上あり、宮殿クラスの規模といえる。立派な塀で囲われた邸宅だったのではないか」としており、天皇をしのぐ権勢を誇ったとされる馬子の邸宅規模を探る貴重な手掛かりになりそうだ。

 柱穴は八基で、馬子が住んだ正殿とされる大型建物跡の西八十メートルで見つかった。柱を直接地中に埋める掘っ立て柱式で、柱穴は一辺が約一・三メートルの方形。二・一~二・四メートル間隔で並び、直径三十~四十センチの柱が立っていたとみられる。塀全体の長さは不明だが、南北十六メートル分を確認した。

 〇四年の調査で見つかった馬子邸とみられる建物跡三棟と平行に並んでおり、一連の施設として造られたらしい。

 日本書紀によると馬子邸は飛鳥川の近くにあり、庭には池があったとされる。現場は既に埋め戻されている。


 <蘇我馬子> 敏達から推古まで4天皇の大臣を50年以上務め、天皇家との血縁関係を背景に蘇我氏の最盛期を築いた。対立する物部氏を滅ぼし、自ら擁立した崇峻天皇も暗殺、めいの推古天皇を即位させるなど、政界を主導。仏教の受け入れに熱心で日本最初の本格的寺院、飛鳥寺を建立。聖徳太子とともに歴史書の編さんや遣隋使派遣などを進めた。

(東京新聞2013年2月9日 夕刊)

---------------------------------


随分前だけど、NHKで聖徳太子(=廐戸皇子・うまやどのみこ)のドラマをやっていて、緒形拳さんが蘇我馬子を演じていた。
あの時代って、ドラマにすると、住居、衣装、髪飾りなどの装飾品まで、昔過ぎて資料が少なく、よくわからないがゆえに、どこかファンタジーな空気が醸しだされてしまうようで。
そんな中、緒方拳さんの馬子の、狡猾さやなんとも言えない、えぐい感じが、今に通じるリアリティーを出していました。うまい役者さんだなあって思いましたね。おかげで、本木雅弘さんことモックン演じる廐戸皇子の純粋さが引き立っちゃうのなんのって。
豪族たちの混沌の中から、日本という国が天皇を中心とした「秩序」を持ちだしたあの時代、廐戸のピュアな良心と、馬子のしたたかさが両方あって、形成されてきたのかなあと思ったものです。

今回の発見で、馬子の邸宅規模がわかりました。彼が、緒方馬子のような人だったかどうかはわかりませんが、やはり、大きな力を持っていたことに間違いありませんね。

コメント (4)

大阪で出土・翡翠の勾玉

2012年04月20日 | 歴史・文化
大阪府高槻市の成合遺跡で出土した翡翠製の小型勾玉
(大阪府文化財センター提供)


長い時を隔てても、自然の石は色あせずきれいですね。
プラスティックや何か、人工で見た目だけ真似しても、地球が作った自然の造形物の持つ、目に見えないエネルギーは真似できないのです。
記事によると、翡翠は力のある集落しか所有できなかったというけれど、それだけ特別のものだったのでしょう。
また、ウィキペディアによると、勾玉の形の由来は

動物の牙で作った牙玉を基とする説
胎児の形を模したとする説
魂の姿を象ったとする説
巴形を模したとする説
月の形を模したとする説
形そのものに意味があったとする説
破損した耳飾を再利用したとする説


など、諸説あるようです。
たった一つの小さな古代の勾玉で、いろいろな想像をかきたてられるのも楽しいことです。


★関連記事
 マオリの石でびりびりびり~


 
 大阪で翡翠の勾玉が出土 弥生中期、北陸産か

弥生時代中期の集落跡である大阪府高槻市の成合遺跡で、北陸地方で生産されたとみられる翡翠製の小型勾玉が見つかり、大阪府文化財センターが17日、発表した。
同センターによると、翡翠は新潟県の糸魚川周辺で産出するものが縄文―古墳時代にかけ全国各地に運ばれたことが分かっており、これまでに約400点が出土しているが、近畿地方での発見は珍しい。
勾玉は淡い緑色に乳白色が入り、長さ1・7センチ、幅1・4センチ。弥生時代中期によく見られるドーナツを半分に割ったような形。翡翠は力のある集落しか所有できなかったが、「近くの大集落から村が分かれ、譲り受けたのでは」という。
(西日本新聞)
コメント

2600年の時を超えて現れた少女の顔

2011年02月13日 | 歴史・文化

わあ~~!どアップだあ!・・・と、自分でアップしておきながら(笑)

どこかでお会いしたことのあるような?この方は、「モーラ(Moora)」と名付けられました。
今から2600年前、鉄器時代に現代のドイツ・ニーダーザクセン州あたりで暮らしていたらしい。
2000年に発見された頭蓋骨の断片を元にして、現代のデジタル技術を駆使して描かれた画像です。
発見当初は、失踪した少女のものとして犯罪がらみで調査していたのですが、鑑定によって、古代人の頭蓋骨と判明。
このようなリアルな画像ができてしまうと、時間も空間も超越して、ついこないだまでそばにいた人のように思えてしまいますね。
時代をさかのぼると、人骨もロマンです。

2600年前の顔復元、鉄器時代の少女(ナショナルジオグラフィックニュース)


コメント (4)

国宝に落書き

2010年08月20日 | 歴史・文化
三重塔に800年前の落書き? 京都の浄瑠璃寺(共同通信) - goo ニュース
2010年8月19日(木)20:41

(共同通信)
 京都府木津川市の浄瑠璃寺にある三重塔(国宝)で、最下層の天井板の裏側に、帽子をかぶった人物の落書きがあることが19日、府教育委員会への取材で分かった。天井板には鎌倉時代以降、数回にわたり模様が描かれており、最も古い場合は約800年前の落書きの可能性がある。府教委によると、落書きは縦横約10センチ。ピエロのような帽子をかぶり、手に棒のようなものを持って笑っている人物が墨で描かれていた。



国宝に落書きしたら、怒られちゃいますが、それも時代をさかのぼれば、歴史的な価値がある・・のか?(笑)
それにしても、この絵、達者でおもしろ~い!!

職人さんが仕事の途中で落書きし、親方に見つかりそうになって、あわてて描くのやめたとか・・・まさか(笑)
いろいろな情景が浮かんでくるようでそれも面白いです。(笑)



コメント

トキのミイラ、2000年の時を超えて

2010年04月23日 | 歴史・文化
ミイラは2千年前のトキと判明 京大保管、X線で撮影(共同通信) - goo ニュース
2010年4月19日(月)21:37
1916年に英国から寄贈され京大総合博物館が保管していた鳥のミイラ2体をエックス線で撮影したところ、約2千年前のトキであることが分かり、同博物館が19日発表。ミイラは1914年ごろに英国の調査団がエジプトで発掘。調査への寄付の謝礼として「日本考古学の父」浜田耕作京都帝大教授に贈られた。長さは約40センチで褐色の麻布に巻かれ、博物館は種類を特定しないまま保管していた。



時は1914年、イギリスの調査団が、エジプトで発掘した鳥のミイラは、2年後、調査の寄付の謝礼として、「日本考古学の父」に、贈られていた。
それがこのたび、その鳥が2000年前の「トキ」であったことがわかったという。

私自身もトキと言えば、つい、日本のトキを思い浮かべてしまうけれど、この記事を書くにあたり、改めて調べたら、今はもうエジプトでは絶滅してしまったけれど、古代エジプトにもかつてアフリカクロトキが生息しており、神聖な鳥として崇められていた、ということがわかった。
古代ギリシャのヘロドトスの『歴史』には、エジプトではこの鳥を殺した者は死罪とされた、とあるから驚きだ。

     


ウィキペディアによると、クロトキは、書記と学芸の神トートの化身とされていた。

純粋な日本のトキ、学名ニッポニアニッポンの日本のトキは、もう絶滅してしまったけれど、戦後のある時期まではありふれた鳥だった。
同様に、サハラ砂漠以北のアフリカで唯一の生息地だったエジプトのアフリカクロトキも、18~19世紀までは、ありふれた鳥だったのだが、1850年頃エジプトからいなくなり絶滅してしまった、という。古代エジプト人が知ったら、さぞかし嘆いただろう。



     
     村田エフェンディ滞土録 (梨木香歩・著/角川文庫)

文明の交わる場所では、人々の連れてきたそれぞれの土地神たちは、うまく折り合いをつけながら新たな文明を創造していった。はじめは、ぶつかり合いながらも、最後にはみんな折り合いをつけて・・ね。
神や自然への畏怖心が育っていればこそ、自分の神も他者の神も同じように尊重できたからではないか。
そういう懐の広さをなくしたものが、やがて戦争を起こすのぢゃろか。


コメント (4)

サインはD

2010年03月04日 | 歴史・文化

奈良時代に「D」?記号入り須恵器が出土(読売新聞) - goo ニュース
奈良時代に「D」?記号入り須恵器が出土
2010年3月3日(水)17:58(読売新聞)
 兵庫県朝来市和田山町、南但ごみ処理施設建設予定地の「高田遺跡」から、奈良時代のものとみられる漆で漢字やアルファベットと似た文字か記号が書かれた須恵器の破片約30点が見つかり、2日、朝来市教委が発表した。
 1か所で同様の須恵器が見つかったのは但馬、丹波両地方で最多で、一般集落からの出土例はなく、市埋蔵文化財センターは「経済的にゆとりがある人物が漆を使ったと思われる。自分の所有物を示すために書いたのでは」としている。
 施設整備事業に伴い、昨年12月から円山川沿いの丘陵地約3230平方メートルで発掘。これまでに、市内全体の遺跡の分布調査で踏査した結果、土器が見つかったことから本格調査した。
 見つかった漆書きの須恵器には、漢字の「木」を書いたようにみえる破片(縦7センチ、横12センチ)や、アルファベットの「D」に似た柄が入った破片(縦3・5センチ、横4センチ)などがあり、筆や木の先端、ブラシなどで書いたとみられる。


わざわざ、漆を使っているのだから、何か意味があるのでしょうか。
記事のように、持ち主を示すマークだったのか、模様のつもりだったのか、メッセージ性があるのかないのか、ただのいたずら書きだったのか・・・
できるなら、奈良時代に戻って確認してみたいなあ。
わかれば、多分、「なあんだ」っていうことなのでしょうが・・・はたまた?
コメント (8)   トラックバック (1)

猫の女神様

2010年01月28日 | 歴史・文化
写真:共同通信

エジプトで猫の女神発掘 プトレマイオス朝で初(共同通信) - goo ニュース
2010年1月19日(火)21:45 (共同通信)
 【カイロ共同】エジプト考古最高評議会は19日、同国北部アレクサンドリアの神殿遺跡から、古代エジプト・プトレマイオス朝の王、プトレマイオス3世(紀元前246~同221年)時代とみられる猫の姿をした女神「バステト」の像を発掘したと発表した。母なる女神とされるバステトの像は紀元前2890年ごろのエジプト初期王朝時代の遺跡からも見つかっているが、プトレマイオス朝時代では初めてという。


この像は、神というより猫そのものですねえ。口元のかわいらしさが・・たまらにゃいですにゃー
この猫ちゃん・・じゃなくて、この女神「バステト」は、初期のころのバステト像よりずっとあと、時代的には約2700年くらいたったプトレマイオス朝時代のものであり、この時代では初めての発見だそうです。
体は人で顔は猫、というような象徴的なバステト神より、よりリアルな猫神です。
畏敬の念というより、猫に対する愛情から作ったような女神のようにも感じられます。


■追記



ナショナルジオグラフィックニュースに、この神殿遺跡にあった別の猫の像が紹介されていました。
同じポーズですが、こちらはより女性的で猫らしく見えますね。上のバステトは、ライオンの子供のようにも見えますから。
記事によると、

考古学者のモハメド・アブデルマクスード氏は、「古代エジプト人は、この神殿の像を数多く作ることでバステトのさまざまな姿を表現したかったのだろう。例えば、バステトは猫の女神であると同時に人々に幸福をもたらす神でもある」と説明している。

と書かれています。バステトは猫の女神であると同時に人々に幸福をもたらす神でもある・・という言葉に、うんうんと、うなずく愛猫家の人も多いかと思います(笑)。



★参考サイト
 バステト(ウィキペディア)




21世紀の東京 バステトみっけ!  写真by「だから東京が好き!」




コメント (7)

弥生人はしょうゆ顔

2009年02月27日 | 歴史・文化
ウルトラマン?ビリケンさん?弥生の人面土器、京都で出土(読売新聞) - goo ニュース
京都府埋蔵文化財調査研究センターは26日、同府与謝野町の 温江 ( あつえ ) 遺跡で、弥生時代前期(紀元前400年頃)の人面付き土器が見つかったと発表した。
 同じ日本海側の松江市で出土している土器と並び国内最古級。高さ8.5センチ、幅7.6センチ、奥行き7.1センチ。目は切れ長で、頭頂部から後頭部がまげのように膨らんでいた。後頭部には直径1センチ程度の穴があり、くしなどで髪を留めた姿とみられる。両耳にも穴が開いていた。
 「前から見るとウルトラマンかビリケンさん、横から見るとモアイ像に似ている」と同センター。表情やまげの部分は松江市の土器ともそっくりで、大野薫・大阪府文化財センター南部調査事務所長(考古学)は「どちらも写実的な表情。大陸からの渡来人が日本海側に新たな文化を広げたのだろう」と話している。


紀元前400年、ほぼ2400年前の国内最古級という人面土器が見つかったそうです。
当時の髪型を想像すると、長くなった髪を束ねて、まげのように上に乗せていたらしい?
リアルに表現された平安貴族を思わせる、ひき目かぎ鼻の面立ち。やがて、日本を支配したのは、このころの渡来人の子孫だったんだろうと想像できますね。
縄文人に比べ、かなりおしょうゆ顔だと思いますが、現代のしょうゆ顔より顎ががっちりしているのは、当然のことでしょう。
あれ?誰かに似ている?(*^m^*) ムフッ
コメント (2)

ストーンヘンジは、治療場?

2008年09月26日 | 歴史・文化

ストーンヘンジは治療場 英調査チームが新説(共同通信) - goo ニュース
【ロンドン22日共同】世界遺産に登録された英南西部の巨石遺跡群ストーンヘンジは紀元前2300年ごろ造られた治療センターだったとの新説を現地調査している英大学教授チームが明らかにした。BBC放送が22日報道。天文観測や宗教儀式など諸説あった。造られた時期も紀元前2500-2000年などと不明確だったが、地中から採取した物質を放射性炭素年代測定法で分析し、時期を特定したという。

なんとなく、わくわくするようなニュースです。
ラジオでも山田五郎さんがこのニュースについて話していたんだけど、この巨石は、ドロマイトっていう石で、この場所にもともとあった石ではなくて、200キロくらい離れたところから運んできたらしいんです。

この近くにある墓地からは、大けがなどの痕跡がある「異常な数」の遺骨が見つかり、歯の分析によって、遺骨の半分は地元住民のものではないことも分かったのだそうです。
それが治療所であったという説の根拠の一つになっているようですが、同感です。
以前、マオリ石のこと書いたことがありますが、ある種の鉱物には、癒しの力があるのではないかと思っています。

紀元前2300年ごろの人々は、ここがパワースポットであることをわかっていた。
このパワースポットにこの石をぐるりと囲んで立てることによって、外との結界を作り、さらに癒し効果を高めた。
遠くからけが人や病人がやってきて、ここで治療してもらった。
治療といっても、現代のように、体を切ったり化学薬品を飲ませるのではなくて、体の免疫力を高めさせ、自然治癒させた。

・・・・と想像するのもまた楽し。

玉川温泉、みたいな?

omake
Enya - Smaointe


コメント (2)

14~16世紀の猿と犬の人形出土

2008年03月29日 | 歴史・文化

犬と猿の土製品が出土 福岡、安産祈って埋めた?(共同通信) - goo ニュース
福岡県朝倉市の中世黒川院関連遺跡群で、犬と猿の形をした小さな土製品が相次いで見つかった。平安時代から修験道が栄えた中世彦山の高僧にかかわりの深い遺物とみられる。土製品が見つかったのは、14-16世紀に信仰を集めた中世彦山の最高位の僧、座主の居館跡と伝えられる場所。「犬は多産の象徴とされており、座主の関係者が安産などを祈って埋めたのではないか」(市教委)という。

うふふ。こういうの大好きなんです。素朴でかわいいですねえ。
このお人形は手びねりで作られたものだそうです。こういうの作ってる時の人の顔を想像するとまた楽しいものですね。

さらに詳しいニュースによると、お猿さんの方は、約350メートル離れた寺院跡とされる場所から出土し、神道などに見られる、つま先を立てて正座する跪座の姿勢を取っているのだそうです。猿を神の使徒として、座主が14世紀に広めたといわれる山王信仰に関連があるとみられる。とのこと。

かつて私たちの国は、動物たちを神の使いとして敬い、野生動物と人間は共存していたんですよねえ。
ニホンオオカミは、明治以降、西洋から持ち込まれた犬の伝染病などによって絶滅してしまったということですが、害獣として駆除されたという話も聞いています。宮沢賢治の「注文の多い料理店」に出てくるハンターのように、当時の西洋かぶれの人たちの間では、ハンティングなんかも流行ったことでしょうし。
ニホンオオカミの絶滅は、生態系のバランスを壊し、天敵をなくした鹿や猿やいのししなどの害を増やしました・・・・。

ところで、修験道といえば、沖縄にサンゴを植えるのに参加するため、「gooホーム」というのに登録してほっぽってたんですが、先日「修験者」さんという方からお友達申請のメールをいただきました。写真見て、びっくり。本当に修験者さんだった!!
おまけにお友達が900人以上いらっしゃる、すご~~い。おかげ様で私もやっと一人お友達ができました(笑)

■修験者さんのブログ
天照柱源修験道教会~しあわせに暮らすために~地球温暖化防止、ジュセリーノ氏の予言、スピリチュアル、真理の探究
コメント (4)