goo blog サービス終了のお知らせ 

はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

逞しきパプリカ~2年目に突入(17)パプリカ栽培388日目

2011年05月27日 | やさい栽培観察日記
 実に123日ぶりのパプリカ・レポートであります。前回は、カラスに収穫間近のパプリカを囓られた悔しさを綴ったレポートでした。あの後も、実は為す術もないまま完熟間近のパプリカはカラスに持って行かれてしまったのでした。

 そして、被害に遭った実以外の、まだ青く鈴なりだった10個近いパプリカの実は、皆小さいままで一向に熟す気配もなく、それでも義務感にかられて私は水遣りを続け、あの地震の日を迎えたのでした。


 地震の前と後とでは、私の中で何かが確実に変わったように思います。地震で顕わになった都市生活の脆弱性へのショックと、いつ収束するとも知れぬ原発問題で、もう地震の前の、あの安穏とした日々には戻れない諦念とが、自分の心に確実に暗い影を落としています。一方で、通常は身近な人間の死が、日常忘れがちな"死"を覚えるきっかけとなると思うのですが、今回のような天災もまた"死"を間近に感じ、覚えることで、今、自分が生きていること、生き長らえていることの意味を、改めて考えさせられる。所謂ヴァニタス的心情でしょうか?


 地震に続く原発事故の報に、暫く洗濯物も室内に干していたので、ベランダのパプリカは放置状態。もちろん水遣りもせずnose4その後、10日間、家を留守にしたこともありました。

 漸(ヨウヤ)く4月に入って、さすがに室内干しにウンザリしたと言うか、"原発"防衛に疲れてしまったと言うか、いろいろなことに面倒臭くなってしまった私は、洗濯物を干す為にべランダに出たのですが、そこで久しぶりにパプリカと相まみえたのでした。

 すると、収穫されることなく干からびてしまった、赤や黄色や茶色のパプリカが、風前の灯火と言った体(テイ)で、辛うじて枝にぶら下がっていました。いつ熟したのかさえ見当もつきません。おそらく、とうに野菜としての瑞々しさが失われた状態で、色づいていったのでしょう。夏の、あのおいしそうな完熟パプリカとは比べるべくもなく、目をそむけたくなるような侘びしい姿でした。片付ける気も起こらず、その後も暫く放置していました。

 それから3週間後、赤、黄の2本の内、1本は幹も完全に茶色と化し、枯れ果てていました。しかし、驚いたことにbikkuri残る1本には枯れた枝葉に混じって、かわいらしい若葉が何枚か顔を出していたのですexclamation2

 そして、今日、やっと重い腰を上げて、枯れてしまった1本を引っこ抜き、もう1本も枯れた枝葉を取り除きました。若葉を見かけてから既に1カ月以上が経過しています。その間、たまに気まぐれに水遣りをする程度でしたが、いつの間にか1個着果していました。2輪の花も咲き始めています。あの小さな白い、可憐な花です。

 私はその姿を目にした時、自分自身のずぼらさを恥じ入ると同時に、鉢植えながら、うち捨てられた環境にも負けないパプリカの逞しい生命力に感銘を受けたのでした。

 パプりカ君は凄いよkirakira2

 その健気さに免じてwink、これからまた強いられるかもしれない虫との闘いoniに、私はなこも頑張りますわpeace




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 二言、三言、四言呟いてみる | トップ | 咲き誇る花(18)パプリカ栽培3... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。