タイトル写真は、庭園の象徴でもある「雪見燈籠」と見事な石組み。
無慈悲にも新年早々に能登半島を襲った震災(しかも強い揺れが断続的に今もなお起きています)、翌日の羽田空港での(被災地支援に向かうはずだった)海保の輸送機と日航機の衝突炎上事故に、衝撃のあまり心が折れそうになりました。
園内の松も手入れが行き届いて綺麗。
この庭園は石組みが見事ですね。とにかく多彩な石が数多く園内に点在。
撮影スポットがあるにはあるのですが逆光(だから斜めってます)。
この時期ならではの雪吊りも。
巨大な切り株も園内のそこかしこに点在。先の震災で焼失した大木でしょうか?
枝の曲がりくねり具合に趣きがあります。龍の爪のようでもあり…
たぶん、春には桜🌸が満開のゾーン。
花びらの散り方からして、山茶花?
ツツジだと思うのですが、暖冬で狂い咲き?花が何輪もありました。
この根っこに、また何とも言えぬ風情があり…
秋🍂の残滓…
でも、カメラのファインダー越しに見ると、なかなかに綺麗。
一見枯れて見える草木も芽吹いています。季節は確実に巡って来ています。
「浮燈籠」
野鳥達もノンビリ過ごしています。全身が艶やかな黒い羽に覆われ、白い嘴の鳥は「オオバン」でしょうか?
石組みに並々ならぬ拘りが感じられる作庭が印象的。よく見れば池の中にも。
「鯛橋」
水面に映り込むビル。
現在、工事中。
おそらく、3年に渡る新型コロナ禍にも漸く終わりが見えて来て、期待感を持って新年を心待ちにしていた人も多かったはずです。
その思いを容赦無く打ち砕くような自然災害に、年頭から愕然とさせられました。
言うまでもなく、自然災害に対して人間はあまりにも無力です。特にいつ来るとも知れぬ大地震に、日頃からの備えで、ある程度被害を抑える「減災」は出来ますが、予知能力でも無い限り、被害を最大限くい止める「防災」は至難です。
それでなくとも、誰しも自身の病や事件・事故で命を落とす可能性はゼロではない。命は意外に儚いものです。
であれば、「今日」と言う1日を自分なりに悔いの無いよう生きるしかない。
そう思い至ったのは、私が6歳の時に4歳になったばかりの妹を交通事故で喪ったからです。
朝、当たり前に存在していた妹が、私が学校から帰って来た時にはもういない。あまりにもあっけなく我が家から、この世から、妹は消えてしまった。
幼心にも命の儚さを覚えた出来事でした。以来、常に「死」は私にとって、けっして遠い存在ではないのです。
だからこそ、日本の何処かで起きた災害もけっして他人事ではなく、その発生を速報で知り、リアルタイムに被災状況をニュース映像で目にして、「日々を悔いなく生きたい」、「やりたいと思ったことを後回しにはしたくない」、そして「大切に思う人とは誠実に向き合い、出来るだけ多くの時間を共有したい」と言う思いが、より一層強くなるのです。
天気が良ければ、体調と時間の許す限り散歩に出かけます。
6日(土)の南関東は最高気温が18度と、1月上旬とは思えない程の陽気でした。
正月太りが気になることもあり、夫婦で浜松町駅北口から徒歩1分のところにある「旧芝離宮恩賜庭園」を散策して来ました。ここは「小石川後楽園」と共に最も古い大名庭園のひとつです。
元は海だったこの地は、徳川家光治世の時代であった1655〜1658年頃に埋め立てられ、その20年後に時の老中・大久保忠朝の邸地となり、上屋敷を建てる際に藩地の小田原から庭師を呼び寄せ作庭したのだとか。
その後数氏を経て幕末には紀州徳川家の「芝御屋敷」となり、明治に有栖川宮家所有となって間もなく宮内省買い上げで「芝離宮」に。
1923年の「関東大震災」では建物と樹木の殆どを焼失しましたが、翌年、昭和天皇の御成婚記念として東京都に下賜され、庭園の復旧と整備を施して、同年4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般公開されています。
戦後復興の象徴として整備の後一般公開された「浜離宮恩賜庭園」より、こちらの庭園が一般公開は早かったのですね。
「池泉を中心とした回遊式庭園」ですが、「浜離宮」よりだいぶ小ぶりの庭園です。四方を高層ビル群に囲まれ、どのアングルから撮っても、高層ビルが写り込んでしまう「都会のオアシス」的存在。
JR浜松町駅舎の工事中らしい。
園内の松も手入れが行き届いて綺麗。
この庭園は石組みが見事ですね。とにかく多彩な石が数多く園内に点在。
小高い丘に立つ4本の石柱は長らくその出自が謎だったそうですが、小田原北条家に仕えた戦国武将の旧邸から運ばれたものであることが、近年になって判明したそうです。
園内には幾つかの築山があり、中でも「大山」からの眺めは素晴らしいです。
新年ならではの門松がお出迎え。
撮影スポットがあるにはあるのですが逆光(だから斜めってます)。
この時期ならではの雪吊りも。
巨大な切り株も園内のそこかしこに点在。先の震災で焼失した大木でしょうか?
枝の曲がりくねり具合に趣きがあります。龍の爪のようでもあり…
木漏れ日にも風情が感じられます。
たぶん、春には桜🌸が満開のゾーン。
花びらの散り方からして、山茶花?
ツツジだと思うのですが、暖冬で狂い咲き?花が何輪もありました。
この根っこに、また何とも言えぬ風情があり…
秋🍂の残滓…
でも、カメラのファインダー越しに見ると、なかなかに綺麗。
一見枯れて見える草木も芽吹いています。季節は確実に巡って来ています。
「浮燈籠」
野鳥達もノンビリ過ごしています。全身が艶やかな黒い羽に覆われ、白い嘴の鳥は「オオバン」でしょうか?
石組みに並々ならぬ拘りが感じられる作庭が印象的。よく見れば池の中にも。
「鯛橋」
水面に映り込むビル。
「弓道場」もあります。
現在、工事中。
残念ながら、中国の有名な堤を模したと言う「西湖の堤」も工事中で見られませんでした。
園内にはそれなりの数の入園者がいましたが、園内を散策する人より、のんびりベンチや芝生で日向ぼっこをする人を多く見かけました。
午後2時からはボランティア・ガイドによる解説も行われていました。
入園料は一般が150円、65歳以上は70円とリーズナブル。
「出口」。自分で門扉を開けて出ます。
この日の夕景。我が家の玄関より。
この日の夕景。我が家の玄関より。
いつ壊れるとも知れぬ「日常」。目にした光景や風景を、しっかり目に焼き付けておきたいです。
この日の総歩数7,715歩。目標には大分足りない歩数でしたが、夫は歩くこと自体に意味があると言っています。
被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。不幸にもお身内やご友人など大切な方を亡くされた方々には心よりお悔やみ申し上げます。地震が1日も早く鎮静化することを祈るばかりです。
現在、被災地に直接赴いて支援に当たられている方々のご尽力には感謝いたします。ありがとうございます。
被災地に赴くことが出来ない被災地以外の人間は、出来る限り普段通りの生活をし、経済をしっかり回して、(募金活動を含め)せめて経済的側面から被災地を支援をしなければと思います。
私の住む地域は、昨年自治体から配布されたハザードマップによれば、震災では火災の危険性の高い地域のようです。
実際、関東大震災では大火に見舞われ、多くの住民が亡くなったのだとか。にも関わらず、その後も区画整理はお座なりで、近隣には車も通れない路地の入り組んだ住宅密集地があります。
先の震災の教訓は生かされていないんですね。私は住む場所を間違えたのかもしれません。
それでも住み続けるのは、そこに住んでいれば、自分が人生に求めるものが手の届く範囲にあるからです。それは自分が何の為に生きているのか、と言う私自身の人生観に通ずるものです。私はただ生き存(ながら)える為に生きているのではないのですから。
とは言え、今回の震災で改めて、いつ起こるとも知れぬ首都直下型地震への覚悟と備えの必要性が身に染みました。
(了)