6月の上旬に行った展覧会の記録です。
美術史に名を残すような芸術家は、唯一無二の作風を確立し(作品を見れば作者が誰なのか分かる)、数々の素晴らしい作品を残していますが、加えて美術界に新しい概念を持ち込み、後進に多大な影響を与えた「美の巨人」と讃えられる芸術家達がいます。
会場外にあるフォト・ストップにて
今回購入した絵葉書類
Giorgio de Chirico(1888-1978)はイタリア人ですが、鉄道技師だった父の仕事の関係でギリシャで生まれ、17歳で父と死別したのを機に一家はイタリアに帰還。ミラノを経てフィレンツェに居住します。
その後19歳の時に彼はドイツ・ミュンヘンの美術アカデミーに進学。そこで知ったニーチェの哲学や「象徴主義」のスイス人画家ベックリンの作品に感化されます。
✳︎象徴主義:19世紀末のヨーロッパにおいて全盛期だったのがフランスの「印象派」。
鉄道の郊外への延伸やチューブ絵の具の発明の後押しもあって、戸外にキャンバスを持ち出し、外光の下で風景を描き出したクロード・モネを筆頭とする「印象派」の画家達。
彼らとは対照的に、文学・神話・聖書に取材して、自ら想像する世界を画面で表現しようとしたのがギュスターヴ・モロー、ウジェーヌ・カリエールと言った「象徴主義」の画家達であった。
アルノルト・ベックリン《死の島》(1880〜1886)
その幻想的で非現実的な作品の世界観に惹かれたのか…
2年後にはミラノに移住し、さらにパリに行った弟の後を追うように1911年にはパリへ移住。この頃に彼の代名詞とも言える最初の「形而上絵画」(Dipinti Metafisici)を手掛けています。
「形而上絵画」って何なのよって話ですが、百聞は一見にしかず。以下の作品をご覧あれ☺️。
ジョルジュ・デ・キリコ《予言者》(1914-15)
そもそも「形而上」と言う言葉が何を意味するかイメージしづらいですが、平たく言えば「形而」とは“物理的に存在するもの、さらに飛躍すれば“目の前に有って、実際に見えるもの”を意味します。
だから「形而下」なら、”その範疇にあるもの“、逆に「形而上」は、”その範疇を超えた(meta)もの“、転じて「現実にはあり得ないもの」となります。
その解釈で上掲のデ・キリコの作品を見ると、確かに現実にはあり得ない光景ですし、遠近法も無視していますし、脈絡のないモチーフを配置して、タイトルからは想像もつかない、ぶっ飛んだ表現😆だと思います。
このような絵画表現(の走り)を1911年に既に行っていた、と言うのがデ・キリコの凄いところなのです。それは過去の誰もやったことのない表現でした。
こうした彼の作品を目の当たりにして衝撃を受けたのが、サルヴァトール・ダリ(スペイン)やルネ・マグリット(ベルギー)と言った、後のシュルレアリスムを代表する画家をはじめとする若い芸術家達でした。そして、1950年代に誕生したポップアートにも、その影響は及びます。
サルヴァドール・ダリ《記憶の固執》(1931)
ルネ・マグリット《人の子》(1964)
ジョルジュ・デ・キリコ《不安を与えるミューズたち》(1950頃)
美術史に名を残すような芸術家は、唯一無二の作風を確立し(作品を見れば作者が誰なのか分かる)、数々の素晴らしい作品を残していますが、加えて美術界に新しい概念を持ち込み、後進に多大な影響を与えた「美の巨人」と讃えられる芸術家達がいます。
今や現代美術は「初めにやったもん勝ち」「何でも有り」の様相を呈していますが、それは作家の技術上の巧拙以上に、作品に反映された作家の発想の面白さや思索の結果が、表現として重要視されているからかな、と個人的には思っています。
現代美術の作品には、近代以前の神話や聖書に取材した歴史画のような物語性はないし、19世紀に生まれた「印象派」絵画のような見たままの分かり易さもない。
つまり、現代美術は鑑賞者に作品を見て(この作品は何を表現しているのか、自分はこの作品から何を感じ取るか)自ら考える〜“哲学する”ことを求めている。解釈を委ねている。その解釈には正解も不正解もなく「作品との対話」そのものを重視している、とでも言いましょうか?
そう言う鑑賞者と作品との関わり方、関係性を最初に編み出したのが、若き日にニーチェ哲学と出会い、日常に潜む非現実性に着目し、それまでの芸術の枠組に囚われない形で、自身の思うがまま、考えるままを絵画で表現して、鑑賞者を幻惑(当惑?)させた先駆者、ジョルジュ・デ・キリコではないかと、今回の展覧会を見て思いました。その革新性で、デ・キリコは間違いなく「美の巨人」のひとりに数えられるでしょう。
因みにほぼ同時代を生きた「美の巨人」がもう一人いました。あのパブロ・ピカソ(1881-1973)です。デ・キリコが「形而上絵画」で頭角を顕したほぼ同時期にピカソはジョルジュ・ブラックと共に「キュビズム」で時代の寵児になっています。
パブロ・ピカソ《泣く女》(1937)
さらにデ・キリコは長命で、70年と言う長いキャリアの中で古典回帰した時代もあって、その旺盛な探究心も、美術史に名を連ねた偉大な芸術家達に共通するところです。
今回は希少な初期の作品や彫刻作品、舞台美術に関連した作品も展示されており、デ・キリコの長きに渡る多彩な創作活動を展観する、またとない機会になっているようです。
興味を持たれたなら、是非、足をお運びくださいね☺️。
最後までお読みいただき、ありがとうございました🙇♀️。
《ヘクトルとアンドロマケ》(1970)
会場外にあるフォト・ストップにて
今回購入した絵葉書類
(了)