昔話になりますが
小学校入学前の1年間だけ
聖公会の幼稚園に通っておりました。
わけもわからずに毎日毎日
唱えていた「主の祈り」
天にまします我らの父よ、
願わくは御名(みな)を聖となさしめたまえ。
御国(みくに)をきたらしめたまえ。
御心(みこころ)を天におけるごとく、地にも行なわしめたまえ。
我らの日用の糧を今日(こんにち)も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我ら赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。
国も力も栄えも世々に父のものなればなり。アーメン
私が幼いころの家族は、「いまを楽しむ」ことが
苦手な家族でした。
大人になった私は、
自分の思考がネガティブなものであることにも気づくことができず
満たされない思いを
自己分析したり、カウンセリングの学びを通して
解決しようとしてきましたが・・・。
私は、「幸せ気分」を教えてもらってないのだから
いくいらがんばっても感じることができないのだと思うことばかりでした。
少しずつ少しずつですが
自分の苦しい思いが手放せる方法がわかって
とらわれのこころから自由になれる道が
おぼろげながら見えて来たような気がします。
幼いころに覚えた主の祈りを唱えてみます。
「我らに罪を犯すものを我ら赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。」