昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

戦友

2021年03月24日 01時18分00秒 | 2 男前少年 1963年~

戦友
真下飛泉 作詞作曲 明治38年


ここはお国を何百里  離れて遠き満洲の
赤い夕日に照らされて  友は野末の石の下

思えばかなしき昨日まで 真先かけて突進し
敵を散々懲らしたる  勇士はここに眠れるか

ああ戦いの最中に  隣りに居ったこの友の
俄かにはたと倒れしを  我はおもわず駆け寄って

軍律きびしい中なれど  これが見捨てて置かりょうか
「しっかりせよ」と抱き起こし  仮包帯も弾丸の中

折から起こる突貫に  友はようよう顔あげて
「お国の為だかまわずに遅れてくれな」と目に涙

あとに心は残れども  残しちゃならぬこの体
「それじゃ行くよ」と別れたが  永の別れとなったのか

戦いすんで日が暮れて  さがしにもどる心では
どうぞ生きて居てくれよ  ものなと言えと願うたに

空しく冷えて魂は  故郷へ帰ったポケットに
時計ばかりがコチコチと  動いて居るのも情けなや

思えば去年船出して  お国が見えずなった時
玄界灘で手を握り  名を名乗ったが始めにて

それより後は一本の  煙草も二人わけてのみ
ついた手紙も見せ合うて  身の上ばなしくりかえし
十一
肩を抱いては口ぐせに  どうせ命はないものよ
死んだら骨を頼むぞと  言いかわしたる二人仲
十二
思いもよらず我一人  不思議に命ながらえて
赤い夕日の満洲に  友の塚穴掘ろうとは
十三
くまなく晴れた月今宵  心しみじみ筆とって
友の最期をこまごまと  親御へ送るこの手紙
十四
筆の運びはつたないが  行燈のかげで親達の
読まるる心おもいやり  思わずおとす一雫


昭和38年から39年 (1963、1964年 ) 頃
テレビで 「 戦友 」 という番組があった。
当時のこと、家族全員 ( 5人 ) で、視ていたのである。
太平洋戦争中の支那が舞台で、軍曹の下士官が主役 ( 生井健夫主演 ) の物語り。
・・・だった様に記憶する。

「 戦友 」 の歌をバックに、行軍するところから始まる。
歌が始まると、
4歳の妹が、
銃の代わりに私の子供用の野球バットを肩に担いで、
行軍する兵隊と同じ様に、手を振って行進をした。
「 ほら、始まったでー 」
幼い妹の仕種が可愛くて、皆で微笑んだのである。

赤い夕陽に照らされて
♪ しっかりせよと、抱き起こし 仮包帯も弾丸の中・・♪
親父の好きだった、フレーズである。
「 おまえの祖父ちゃんはなあ 戦争前、満洲に出稼ぎに行っとったんじゃで 」
日露戦争の乃木大将の話、満洲の馬賊の話。
テレビを見もって 親父から聞かされし物語は、雄大なもの に想えたのである。
私は、満洲に行ってみたいと想った。
そして 赤い夕陽に照らされる地平線を見たいと思った。
そんな、「 満洲 」 に、少年の私、
なにかしらん ロマンを感じたのである。

♪ ここはお国を何百里  離れて遠き満洲の
赤い夕日に照らされて  友は野末の石の下 ♪



日露戦争の乃木大将
・・・リンク→偉い人 日露戦争・乃木大将
水師榮すいしえい
の話は、
吾々の親の世代が 国から教えを享けたものである。


「 狼の星座 」
1975年~1976年、少年マガジンに連載されていた満洲での馬賊の物語。
 私は、通勤の地下鉄車内でこれを愛読した。

「 狼の星座 」
広大な大陸で馬賊の頭目として活躍した日本人を描いたもの。
私は此に 『 男のロマン 』 を感じた。
その素は、親父が懐いていた 「 満洲 」 への憧れであって、
そしてそれは、親父の 『 男のロマン 』 だったのである。
さらに その因は、祖父の心懐にあったもの。
・・・と、そんな気がする。


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