今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

そして歌は生まれた~別れの一本杉

2005-07-20 14:52:27 | 戦後・歌謡曲
戦後歌謡史に残る大偉人、キングレコードの大看板、春日八郎。
彼が一躍スターダムになったのは昭和29年8月発売の「お富さん」である。
勿論、デビュー曲「赤いランプの終列車」「街の燈台」「雨降る街角」などは、既にヒットしていた。
が、売れ方が「お富さん」は違った。
それまでの最高のヒットが70万枚だったのが、いきなり65万枚。
時はジャズ全盛期、キングでも江利チエミが大人気。
そんな時代にぴったりの明るく、うきうきとした曲は見事にあった。
「歌は時代を映す鏡」、まさにその通りであろう。
そのヒットをさげて、国際劇場で初ワンマンショーを開いた。大盛況。

しかし、他の曲が売れないのである。
「瓢箪ブギ」「裏町酒場」「妻恋峠」「男の舞台」「ギター流し」…小・中ヒットはあった。
が、所詮「お富さん」を超えるヒットではない。
どこへ行っても「お富さん」、後の歌がすっかり食われてしまう。
やがて、「『お富さん』が消える時、春日八郎が消える」と言う声も聞こえてきた。

同じキングレコードでも
戦前からの大ベテラン・林伊佐緒は「真室川ブギ」などを当て、まだまだ健在。
昭和18年デビューの先輩・津村謙は「あなたと共に」のデュエットがヒット。
年下の先輩・江利チエミも「ウスクダラ」「パパはマンボがお好き」…快進撃は続いていた。
大津美子、ペギー葉山、若原一郎(先輩だが)といった新人も出てきた。
何より、最高の好敵手・三橋美智也が「おんな船頭唄」のヒットでスターダムに。

春日は焦っていた。
新曲を吹き込んでも「売れないだろう」と思うようになっていった。
やがて口数も少なくなった。いつも暗い顔をしているようになり、ますます言われた。
「『お富さん』と共に彼はオシマイだ。」

そして、ヒグラシの声も絶え始めた季節、奇跡は生まれた。

「あのう…」と全く見知らぬ人に呼びかけられた。キングレコードの廊下でだった。
「春日八郎さん、で・す・ね」
「そうですが…」
「実はぼく、作曲しているんです。いま、3曲くらい持っているんですが、聞いていただけないでしょうか」
「……」
「ぼくはピアノが無いから、ギターを弾きます。ぜひ聴いて下さい」

この男こそ、後の大作曲家・船村徹だった。
彼も売れるため、必死だった。
春日もだ。
「もしかしたら、今の俺の悩みを吹き飛ばしてくれるかもしれない」

早速、彼の曲を聴いてみた。
「う~ん、この『別れの一本杉』というのはいい。この曲をぜひ私に歌わせてほしい」
「ええっ、本当ですか」
それはそうだろう、聴いてもらうだけでも大変なのに、まして歌わせてほしいである。
「これはいける。絶対いける。この曲でまた勝負したい」
自分に言い聞かせるように、春日はつぶやいていた。

当時は歌謡界でも世代交代の時期だった。
藤山一郎などの戦前の大スターのヒットが落ち着き始め
戦後デビューの歌手が出始め、新しい歌謡曲が出来始めていた。
その中でも「故郷歌謡」というものが売れ始めてきていたのだった。
そんな中での「別れの一本杉」だった。

春日本人が大いに乗り気だったのに加え、当時のキングは「故郷歌謡」に力をいれていた。
あっさりとレコーディングすることができた。
船村が、春日と同じような下積みをしていたことや、春日の妻と同じ学校だったことも幸いした。

時代の波に乗った「別れの一本杉」は見事にヒットした。
そして、「故郷歌謡」の代表曲となり、永遠のスタンダード歌謡へとなった。

この歌のヒットによって、「春日八郎」の名は不動のものとなった。
その後の活躍はここに書くまでも無いだろう。

「好きな歌が売れる。これほど嬉しいことはない」彼は後に語っている。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして (桃園)
2005-07-24 12:28:02
私も懐メロ大好きでブログ始めたばかりの者なんですが。

春日八郎ってお富さんで大スターになった感がありましたが、色々と苦労もあったんですね。いつだったか最近のことですがNHKで船村徹が『別れの一本杉』を歌ってましたね。とても名曲ですね。

私は春日八郎では『その後のお富さん』というちょっとマイナーな曲が気に入っています。

これからも記事楽しみにしてます。
返信する
お富さん (もののはじめのiina)
2018-10-11 11:03:12
歌謡曲をはじめて口ずさんだのが「お富さん」であったように思います。
まだ幼稚園にも通っていない幼児の想い出です。

この「お富さん」の歌詞にある玄冶店を漠然と聴いていたのですが、江戸は日本橋の人形町に石碑があって意味を知りました。


船村徹も売れない時代かあったのですね。
『別れの一本杉』が、春日八郎と出会っていてよかったです。

返信する