千曲川支部の会員はTDKの磁気テープ事業の中で特に千曲川工場に直接的又は間接的に関わって来た皆さん達です。8月末現在支部会員は173名ですが退職後支部メンバーとして加入していない人も多くいます。1985年頃の千曲川工場の最盛期には1200名を超える多くの人が働き佐久の地域経済の活性化にも一役を果たしていました。しかし1985年9月22日の「プラザ合意」以後の急激な円高指向の為替変動により工場機能の海外シフトの加速化が始まり、千曲川工場もその煽りで次第に縮小の方向え歩まざるを得なくなりました。更に技術の進歩により記録媒体も磁気記録から光記録等に進化する中で一層の縮小化が計られ最終的には千曲川工場は閉鎖に至りました。 時系列的に千曲川工場の歴史を整理してみますと、 1、昭和44年(1969年)第1期工事が完了し操業開始式典が行われた。 2、昭和52年(1977年)後工程完成と生産技術棟完成 3、昭和54年(1979年)ビデオ組み立てV-CATS稼働 4、昭和56年(1981年)ビデオ前工程専用11Cラインの稼働 5、昭和57年(1982年)物流棟と第二工場棟の増設 6、昭和59年(1984年)トラックヤードが完成 工場全体の機能が整った 7、昭和61年(1986年)から海外シフトの加速化が始まる 8、平成7年(1995年)磁気テープの生産は停止する 9、平成18年(2007年)光デスクの生産が停止して工場閉鎖となる 10、平成22年(2010年)8月26日工場解体前の見学会とOB懇親会が開催される 11、平成23年(2011年)9月工場が解体され更地となる 工場跡地は佐久市が買い上げその後シチズンに再売却され8月末現在シチズンが工場建設中で建物は90%程度出来上がっている様子です。 武井 悠 記
平成22年(2010年)8月26日工場解体の前にOB達の見学会が催されました。昔馴染みのある人達ばかりです。
見学会の後のOB懇親会には佐藤相談役も出席しました。
千曲川工場の花として活躍した女性達もOB懇親会に参加してくれました。
見学会と懇親会についての詳細は本ブログのバックナンバーの2010年8月の記述を参照ください。
写真の日付けは10月8日になっていますが、9月末までには解体整地が完了しています。
整地されたTDKの所有地は佐久市が買い上げシチズン時計に転売されて、シチズン時計ミヨタ佐久工場として2016年8月現在建設が進められ建物の外観は9割方完成している様子です。
千曲川工場時代の第一工場棟から物流のトンネルあたりて大規模な建物となっています。
これもシチズン新工場の一部です。
歩道橋橋から正面佐久平駅方面を望む 左側は体育館、物流棟が建っていた場所です。
TDK千曲川工場の跡地は細切れされることなく、シチズン時計KKが広大な敷地(約2万7千坪)を一括購入しそこに昔の千曲川工場を彷彿させる立派な工場の建設を目の当たりにして感慨深いものを感じます。
何時か千曲川工場の跡地を訪ねた時、シチズンのミヨタ佐久工場(実際は佐久のTDK跡地に立地)の敷地にTDK千曲川工場が存在したのだと想いに馳せって頂ければと思う次第です。