千曲川支部ブログ

支部行事報告

TDK千曲川地区50年の歩み

2020年10月10日 | イヴェント

TDK千曲川地区の出発点は1969年(昭和44年)TDK創立記念日の12月7日、長野県佐久市に磁気録音テープの工場を建設し操業を開始した日にあります。 今年で50年を経過しましたので、その歩みを振り返ってみたいと思います。 千曲川工場が建設後磁気テープの市場は急激に拡大して行きそれに呼応して工場規模も拡張されて行きました。最盛期の1985年(昭和60年)頃には全従業員数は1200名前後の規模に達していました。 千曲川工場約3万坪の敷地内には磁気記録媒体の研究開発、生産技術開発等の機能も集約され、世界中に販売されたTDKブランドのオーデオ及びビデオカセットの大生産拠点に変貌して行きました。千曲川工場の規模の拡大に伴い多くの人材が千曲川地区に転勤等で移動して来ました。それ故2020年(令和2年)10月1日現在の千曲川支部会員数176名の70%にあたる124名が佐久地域外の出身者であることは当時の状況を物語っていると思います。  しかし1985年(昭和60年)9月22日のプラザ合意を契機に急激な円高が進み1ドル225円が1987年末には120円まで上昇し、生産拠点の海外シフトが加速されることになりました。 その結果千曲川工場の縮小化が始まり、1995年(平成7年)磁気記録媒体の生産停止、2007年(平成18年)光デスクの生産停止となって千曲川工場は閉鎖されました。 

2010年(平成22年)8月26日 工場解体前の見学会に集まったOBのメンバー達

2011年(平成23年)9月 解体が終了した後、フェンスに残る千曲川工場の看板   

 

1982年(昭和57年)TDKは佐久市より市内西屋敷地籍の工業用地約6万坪を佐久市から購入し、1983年(昭和58年)「磁気、光メデイアの研究開発拠点」として第一テクニカルセンターを建設しました。  このテクニカルセンターは現在はTDK千曲川テクノ工場として蓄電池システムの設計、開発、電池の分析、解析、及び信頼センターとして事業を行い、二次電池事業の国内中核拠点として、事業拡大、新ビジネス創出に100数十名のメンバー達が取り組んでいます。

千曲川テクノ工場(1983年に第一テクニカルセンターとして建設された)

 

 第一テクニカルセンターと同じ敷地内に1986年(昭和61年)に「HDD用磁気ヘッド開発、生産工場」が竣工しHDD用ヘッドの量産と開発が行われて来ました。その後2014年(平成25年)より「車載及びLGT向け磁気センサ開発、製造」へ事業を移行し、現在はTDK浅間テクノ工場として約400名の従業員で長年培われた薄膜技術を駆使して、センサー用ウエハーの製造をすると共に関連工場等と連携して磁気センサのパッケージ、モジュール製品の提供をしています。顧客の要望に応えて、将来の磁気センサ事業の中核工場となることを目指しています。

浅間テクノ工場入口に通ずるゲート

浅間テクノ工場(1986年HDD用磁気ヘッドの開発、生産工場として建設)

 

2007年(平成18年)に閉鎖された千曲川工場は2011年(平成23年)建物が解体され更地にして佐久市に売却された後、シチズン時計が3万坪の土地の全てを買収し2016年(平成27年)に時計のムーブメントの組立、コイルの生産等を目的とするミヨタ佐久工場を建設し稼働中であります。

TDK千曲川工場跡の敷地に建設されたシチズン時計ミヨタ佐久工場(従業員数は約300名)

以上がTDK千曲川地区の歴史的経緯の概要です。諸行無常は世の習いと誰もが承知しているものの時の流れの速さとその変化を思い知らされた50年だったと思います。