志国特選ニュース!

至仁至愛(みろく)の大神

スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。

2021-06-21 | 岩戸開き御用

一八(いわ)の巻 書き知らすぞ。一八は弥栄。  

◎はレと〇 、◎ が神ざぞ。  ◎が神ざと申してあろう。

悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ、、皆々改心。
人民 悪いこと好きでするのでないぞ、知らず知らずに致してゐるのであるぞ、、皆々改心。

神にも見(み)のあやまり、聞きのあやまりあるのざぞ、、改心。

元の神には無いなれど、下々の神にはあるのざぞ。
それで見なほし、聞きなほしと申してあるのざぞ。

元の神には見直し聞きなほしはないのざぞ、
スサナルの大神様👃鼻の神様 かぎ直しないぞ、かぎのあやまりはないのざぞ。

(鼻嗅ぎの神)

人民でも、かぎの間違ひないのざぞ。
鼻のあやまりないのざぞ。

スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。
日月神示

 

荒ぶる神ではないぞ。現生(あらふ)る神ぞ。

 

天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。
天地のビックリ箱とはそのことざぞ。
間違ひ出来んうちに、間違はん様 気つけて下されよ。


神の国は元のキの国、外国とは、幽界とは生れが違ふのぢゃ。


外国=邪神界(がいこく)、幽界(がいこく)👿


これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。

インチキ神の前には通らんのざぞ、心せよと知らしてあらうがな。👿⚡


この方等が天地自由にするのぢゃ。

元のキの道にして、あたらしき、キの光の道つくるのぢゃ。

神のみことに生きて呉れよ、みことになるぞ、タマぞ、ミコト結構ぞ。
日月神示


一八(いわ)岩戸 

十八=六六六

18=666


邪神の計略(たくみ)の666は、
元の一八に対する牽制、逆張りであるぞ、、邪神は白状し改心。

皆々改心。

 

バアル之民春眠中。

 

邪神ト獣ヲ阿分止佐世。


神の国は真中の国、土台の国、神の元の鎮まった国と申してあらうがな。

2021-06-21 | 岩戸開き御用

此の方のコト、腹にひしひしと響き出したら、よき守護神となったのざぞ。

神の国の元のミタマと外国のミタマとスッカリ取換へられてゐるのにまだ眼覚めんのか?👿🤑⚡


神国魂(みくにだましい)⇔外国魂👿🎮邪神界(がいこく)、幽界(がいこく)

邪神の幽界からの洗脳が強烈だったが、続々破綻。

 

神の国は真中の国、土台の国、神の元の鎮まった国と申してあらうがな。

神の国であるぞ、

我さへよけら、よその国、よその人民どうなってもよいといふ程に世界の臣民、皆なりてゐるが、

表面(うわべ)ばかりよい事に見せてゐるが、中は極悪ぢゃ、、👿🎮皆々改心。


気付いてゐる臣民もあるなれど、どうにも、手も足も出せんであらうがな?


それが悪神に魅いられてゐるのぢゃぞ、、皆々改心。⚡

 

道はあるに闇、祓ひ潔めて道見て進め。

勇ましきやさかの道、光りあるぞ。
日月神示


火火の世界、火火の人、水水の世界、水水の人、と交通出来るのぢゃ。

2021-06-21 | 岩戸開き御用

今は世間では何事も分らんから、疑ふのも無理ないなれど、
神の仕組は何事もキチリキチリと間違ひないのざぞ。

宗教連合会も世界連合も破れて了ふと申してあらうがな。
つくった神や神の許しなきものは皆メチャメチャぢゃ、、破綻。

三千世界に手握る時と知らずに、 
T(た)の世界、も十の世界を知らんからさうなるのぢゃ、、皆改心。

火火の世界、火火の人、水水の世界、水水の人、と交通出来るのぢゃ。

人と云っても人間ではないぞ、ヒトカミざぞ。

手握って三千世界に天晴れぢゃ。

この道 神の道ぢゃ、光の道ぢゃ、教ぢゃ、

悪と悪と、善と善と、悪と善と、善と悪と握る手持ちて御座れよ、

心持ちて御座れよ、びっくり嬉し箱あくぞ。
八月十日、ひつ九 。
日月神示


世界を、日本を、自分をサニワ(審神)せねばならん。

幽界から渡って来た邪神は続々と改心。


大完成から超大大完成に向って常に弥栄してゐるのであるぞよ。

2021-06-21 | 岩戸開き御用

死後に於ても、現実界に自分がある。
それは丁度、生きてゐる時も半分は霊界で生活してゐるのと同じであるぞ。

自分の衣は自分の外側であるぞ。
自分を霊とすると、衣は体、衣着た自分を霊とすれば家は体、
家にゐる自分を霊とすれば土地は体であるぞ。

更に祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。
兄弟姉妹は最も近き横の自分であるぞ。
人類は横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。
切りはなすこと出来ん。

自分のみの自分はないぞ。
縦には神とのつながり切れんぞ。
限りなき霊とのつながり切れんぞ。

故に、神は自分であるぞ。
一切は自分であるぞ。一切がよろこびであるぞ。


霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉深いぞ。
よって、自分の肉体は自分のみのものでないぞ。
先祖霊と交渉深いぞ。
神はもとより一切の交渉あるのであるぞ。

その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとあるぞ。
中間に属するものもあるぞ。
神界に属するものは、正流を通じ、
幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してくるぞ。

正流に属する祖先は正守護神の一柱であり、
外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれてくるのであるぞ。

外流の中には、動植物霊も交ってくることあるぞ。
それは己の心の中にその霊と通ずるものあるためぞ。
一切が自分であるためぞ。常に一切を浄化せなならんぞ。

霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座るからぞ。
霊体一致が喜びの根本であるぞ。

一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。
それは霊なるが故にであるぞ。

霊には霊の霊が感応する。
又 高度の霊は無限に分霊するのであるぞ。

 

二重三重人格と申すのは、二重三重のつきものの転換によるものであり、
群集心理は一時的の憑依霊であると申してあろうがな。?👿⚡

 

霊が元と申してくどう知らしてあろうが。

 

人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばならん。


自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につながってゐるのであるから、
その調和をはからねばならん。

それが人間の使命の最も大切なことであるぞ。

 

調和乱すが悪ぞ。人間のみならず、総て偏してならん。霊に偏してもならん。

霊も五、体も五と申してあらう。

ぢゃが主は霊であり体は従ぞ。

神は主であり、人間は従であるぞ。

五と五と同じであると申してあろう。

(霊主体従)霊(ひ)の元


差別則平等と申してあらう。取り違い禁物ぞ。

 


神は愛と現はれ、真と現はれるのであるが、その根はよろこびであるぞ。
神の子は皆よろこびぢゃ。よろこびは弥栄ぞ。

 

ぢゃがよろこびにも正流と外流とあるぞ。

間違へてならんぞ。


正流の歓喜は愛の善となって現はれて、又 真の信と現はれるぞ。


外流のよろこびは愛の悪となって現れるぞ。


何れも大神の現れであること忘れるなよ。

 

悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄あるのであるぞ。
神は弥栄ぞ。

これでよいと申すことないのであるぞ。

大完成から超大大完成に向って常に弥栄してゐるのであるぞよ。


宇宙は総てに於ても、個々に於ても総てよろこびからよろこびに向って呼吸してゐるのぞ。
よろこびによって創られてよろこんでゐるのであるぞ。
故によろこびなくして生きないぞ。合一はないぞ。
 
愛は愛のみではよろこびでないぞと申してあろう。
真は真のみでは喜びでないと申してあろうが。

愛と真と合一し、  
するところに、陰と陽と合一、弥栄したところによろこびあるのぢゃぞ。


この巻 冬の巻、五月五日の佳き日。ひつく神。
日月神示

 

 


霊界と切り離した交渉なき現実界はないのであるぞ。

2021-06-21 | 岩戸開き御用

宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。人間も又同様であるぞ。
宇宙にあるものは皆人間にあり。人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。
人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。

人間には物質界を感知するために五官器があるぞ。
霊界を感知するために超五官器あるぞ。

神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ。
この点 誤るなよ。

霊的自分を正守護神と申し、神的自分を本守護神と申すぞ。
幽界的自分が副守護神ぢゃ。本守護神は大神の歓喜であるぞ。


神と霊は一つであって、幽と現、合せて三ぞ。
この三は三にして一、一にして二、二にして三であるぞ。

故に肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もない。
神界から真直ぐに感応する想念を正流と申す。
幽界を経て又幽界より来る想念を外流と申すぞ。

人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから
肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのであるぞ。
故に人間の肉体は霊のいれものと申してあるのぞ。

又 物質界は、霊界の移写であり衣であるから、
霊界と現実界、又 霊と体とは殆んど同じもの。
同じ形をしてゐるのであるぞ。

故に物質界と切り離された霊界はなく、
霊界と切り離した交渉なき現実界はないのであるぞ。

人間は霊界より動かされるが、
又 人間自体よりかもし出した霊波は反射的に霊界に反影するのであるぞ。

人間の心の凸凹によって、一は神界に、一は幽界に反影するのであるぞ。
幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな。

総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に、大神が生み給ふたのであるぞ。
このことよくわきまへて下されよ。

善のこと悪のこと、善悪のこと、よく判って来るのであるぞ。
故に、人間の生活は霊的生活、言の生活であるぞ。


肉体に食ふことあれば霊にもあり、言を食べているのが霊ぞ。

霊は言ぞ。

この点が最も大切なことじゃから、くどう申しておくぞ。

死んでも物質界とつながりなくならん。
生きてゐる時も霊界とは切れんつながりあること、とくと会得せよ。

そなた達は神をまつるにも、祖先まつるにも物質のめあてつくるであろうがな。
それはまだまだ未熟な事ぞ。

日月神示冬の巻