ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

インモータルズ(ターセム・シン監督)

2012-05-19 | Weblog
キャスト:ヘンリー・カヴィル、ミッキー・ローク、フリーダ・ピントー、スティーヴン・ドーフ、ルーク・エヴァンズ、ジョン・ハート、ジョセフ・モーガン、グレッグ・ブリック 、アラン・ヴァン・スプラング、ピーター・ステッビングス、イザベル・ルーカス、ケラン・ラッツ、スティーヴ・バイヤーズ、スティーヴン・マクハティ、ロマーノ・オルザリ、コーリー・セヴィア、ロバート・マイエ
ストーリー:ギリシアの貧しい農家の息子テセウスは母と二人の家庭に育ち、村人から疎外されながらも一生懸命暮らしていた。そこへハイペリオンが悪の帝国を立ち上げ、その昔神々によって閉じ込められたタイタン族を解放すべく侵略を開始する…
コメント:ターセム・シンの初めての映画作品「ザ・セル」はその後DVDを購入してなんども見直した。この映画は「300」のスタッフが再結集というのが売り文句になっているようだが、日本人でアカデミー衣装賞を受賞した石岡瑛子さんが衣装を担当し、ターセム・シンがメガホン、「スラムドッグ&ミリオネア」のフリーダ・ピントーが出演しているというのが本来の売りではなかろうか。
 主人公のテーセウスはギリシア神話の登場人物でトロイゼンで生まれる(父親はゼウスのはずだが映画ではなんにも触れられることがない)。ミノタウロスの退治で有名だが、この映画にも頭が牛のミノタウロスは伝説とは違う形で登場する。人間が入れる牛の「器」もギリシア神話とは異なる形で引用されており、ターセム・シンが神話を21世紀型に巧みに造形。ハイペリオンもギリシア神話に登場する人物で、タイタン族の一人。映画の中では言及は詳しくされていないが、その昔にあった天空の戦争というのは、ゼウスとその父クロノスとの戦い(ティタノマキーア)を指すのだろう。タルタロス山に隔離されたタイタン族という設定で、それを解放しようとするハイペリオンと阻止しようとするテセウスという構図である。ギリシア神話のうちゼウスが定着する前の自然神という位置づけがあるらしいので、いわゆるネイティブ対ギリシア文明人という構図とも読み取れる。
 ターセム・シン監督がストーリーの細部にこだわるほうではおそらくなく、場面場面ごとの映像美を重視していることががんがんに伝わる映画で、重要人物と思われた人もあっけなく画面から退場してしまい、ラストは16世紀デンマークあたりの絵画のような立体美で映画が終了する。個人的にはこういう映像美学至上主義の映画大好き。
 「老人」役で出演しているジョン・ハートはその昔「エレファントマン」で主役をはり、「エイリアン」第1作でエイリアンの人類最初の犠牲者になった人を演じた。独特の崩落感がなんともいえずいい感じで、この映画でも「外面だけは崩落」している様子が画面ににじみでている。ナレーションも聞いてて心地よい。

ぼくのエリ 200歳の少女(トーマス・アルフレッドソン監督)

2012-05-19 | Weblog
キャスト:カーレ・ヘーデブラント、リーナ・レアンデション、ペール・ラグナル、ヘンリック・ダール、カーリン・ベリ
ストーリー:ストックホルムで母親と二人暮らしのオスカーは学校ではいじめられっ子。一人で遊ぶ毎日だったが、ある日隣の部屋に同い年の女の子オスカーが引っ越してくる…。そして街では残虐な連続殺人事件が発生するようになった…。
コメント:マット・リーブス監督により、アメリカで「モールス」としてリメイク。リメイクのほうを先にみたが、原作はこちらのスウェーデンの作品。なんというかストックホルム郊外とアメリカ郊外とではまず空気の質感が違う。アメリカは冬のテキサスという設定で一応雪景色にしているのだが、雪のずしっとした重みはやはり原作のほうが圧倒的に素晴らしい。そして「物語」だがアメリカ作品は時間軸をあえて2週間ずらしている。時間軸のずらし方はアメリカ作品のほうがうまい。冒頭で「あれ?これどうして?」という観客の興味を引くにはスウェーデン作品、やや弱い。さらに「どうして引っ越してきた女の子は雪の中を裸足なんだろう?」という足に着目した見せ方もアメリカのほうがうまいなあ。
 アメリカ作品もスウェーデン作品も主人公の父親は離れて暮らしているが、スウェーデン作品では父親の存在は画面に出てくる。ただし息子はなんとなく疎外されているという位置づけだが、アメリカ作品は狂信的なキリスト教徒の母親と電話でしか会話しない父親という設定。父親不在が画面にでてこない分だけアメリカの方が強烈だ。
 ただアメリカ作品、やはり「ゾンビ」をうんだお国柄だけあってなんでもかんでも見せよう…というのがやりすぎの感もある。なんでもかんでも見せたいからアメリカでは1980年代に時代設定したのかもしれないのだが、「化け物登場」やらなんやらという場面をあまりみせられると食傷してしまう。「パラノーマル・アクティビティ」みたいな見えない恐怖とかもっと逆に追求する演出もあったかもしれない。ストーリーはほぼ同じなのだが、映像の切り取り方で別の作品になってしまうという面白さ。昔「勝手にしやがれ」をリメイクしたリチャード・ギア主演の「ブレスレス」という映画も見たが、ああなるほどリメイクとはあくまでもストーリーとごく一部の設定だけを借りるということなのだ、ということを理解。

 映画の中でオスカーが「女の子じゃない」と自らを評する場面があり、これは翻訳が「難しい」シーンだが「もう大人なんだ」の意味合いで「フリーク」とか「化け物」という意味合いではない。