団塊の青春と昭和の東京

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鈴木真砂女の店 「 卯波 」

2007年12月17日 | Weblog

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昨日の朝日新聞 「 家族 」 の欄に “ 銀座・卯波の3代  真砂女と孫つないだ店 ”という記事が出た。   俳人 鈴木真砂女の店 『卯波』 が来年1月25日で閉店するとあった。

10年以上前、兵庫県丹波市柏原の料亭『喜作』の女将(高校の同級生)から、ぜひ母親(大女将)を真砂女に会わせてやって欲しいと頼まれ、『卯波』へ連れて行ったことがある。
アメリカ帰りのお孫さんが板前として立った頃で、カウンターには俳句や文芸の大先生方や、東大の総長までもが事も無げに呑んでいるのには、気後れしてしまった。
この頃、真砂女はNHK俳句の選者だったと思う。
隣の魚屋から刺身を持ってきて、出してくれたり、俳句の解らないボクに気さくな心遣いも見せてくれた。
真砂女に会えて、満足した大女将と店を出る際、初対面のボクに 「 ツケで良いから,いつでも呑みに来なさい 」 と言ってくれたのだが、その後は畏れ多くて、とても店には足を運べなかった。

『卯波』は勤めていた会社のすぐ近くだったので、たびたび見かけると会釈を交わすようになった。
小柄で凛とした着物姿は80歳代半ばとは思えぬ女の色香があり、遠くからでもオーラを放っていた。
銀座・松屋デパートに着物姿の彼女の大垂れ幕が架かったり、新聞の全ページ広告のモデルになった時は90歳ぐらいだったと思う。
瀬戸内寂聴が彼女をモデルした 『 いよよ華やぐ 』 を日経に連載したのはその頃で、新潮社からは単行本が刊行された。

真砂女が亡くなって数年経つ。
先月通りがかったら、隣の魚屋は閉店、『物干し』(寿司屋)は移転していた。
色気ない話だが、またぞろ、地上げが来たそうな・・
『ひょうたんや』の旨い鰻はどうなるのだろう・・?
路地の入り口のお稲荷さんも可哀想な気がする。
   (写真) 卯波 
 

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