団塊の青春と昭和の東京

昭和の名残りを求めて since2007・02・10

はとバス

2007年06月30日 | Weblog

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東京のバスガール」 という唄が流行ったのは昭和30年代だから、ボクが小学生の頃だったと思う。 初代コロムビアローズなる歌手が ♪若い希望も恋もある~ と明るく唄ったのは観光バスのガイドではなく、路線バスの車掌のことだと思うが、なぜかこの唄をきくと、はとバスを連想する。 東京のバスとは修学旅行で乗った観光バス・・観光バスなら、はとバスという連想になる。

このはとバスは地方からの東京見物のみならず、東京の人の暇つぶしにも結構利用されるらしい。 多くの種類のコースがあるので飽きないそうで、このところ密かな人気のようだ。

東京駅丸の内南口の案内所には、いつもコースを選ぶ観光客でにぎあう。 新宿駅東口しかり。

はとバスの良さは、客に安心感を与えるところ・・それはバスガイドがみんな地方出身の健康的な女性だかららしい。 年輩の観光客は昭和を想うにちがいない。
   (写真) はとバス 東京駅丸の内南口

 

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つばめ グリル

2007年06月29日 | Weblog

0088

つばめグリル」  ボクの記憶違いでなければ、本店は銀座じゃなくて品川だったような気がするが・・流石に銀座通り1丁目に移したか?
勤めていた会社からは、3~4分の立地だったから昼飯によく利用したものだ。
銀座本店と品川店しか味を知らないが、横浜方面にも多く、店舗数も多くなっている。

この店の特徴は、サラダにある。 冷たいトマトの中にいろいろ詰め込んだ冷前菜というところか・・ 日本橋 たいめいけんコールスローと共に店の登録商標的な一品だ。

最近、銀座店に行ってみたが、ウエイトレスの服装が替わっていた。
以前の、白いフリルの付いたエプロンは店内の雰囲気とともにレトロで、食事もゆったり出来たのが・・懐かしさを覚える。 今のもかなり時代がかっていて、白い簡素な上着は20年まえの中国か東南アジアのレストランというイメージ?
銀座本店でトイレを使うには、厨房を通らなければならない・・これまたレトロ?

日本橋たいめいけん、銀座3丁目の煉瓦亭など昼ごろには平日、休日を問わない中年女性のパワーに比べ、つばめグリル銀座本店はカップルや老若男女家族連れも多く、幸せ感が漲っている。

この、つばめグリルでは、品川店 ( 店も広く大きいし、料理も美味い )のブイヤベースが絶品で、絶対におすすめ!
   (写真) つばめグリル 銀座本店

 

 

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柳橋物語

2007年06月24日 | Weblog

0087

柳橋を一本抜けると篠塚稲荷に出る。
向いの黒塀には 「柳橋1丁目6番」 と住居表示が出ている。

雨上がりで打水の必要もない黒塀の中からは三味の音でも聞こえそうな午後だった。
見越しの松ならぬ柳が (柳橋ゆえ?) 黒塀から見越している。
篠塚稲荷の狭い境内からは、今時、なんと!三毛猫が、デジカメを構えるボクを監視していた。 監視しているというより妖艶な目つきでボクを見ていたような気がした。三毛猫のオスは生まれないというから、メス猫だったに違いない。  正真正銘の三毛猫なんてとっくに絶滅していたと思っていたのだが・・・ 江戸から昭和が事もなげに息づいているのが嬉しい。

粋な黒塀は築地や日本橋では結構見られるが、ほとんどが料亭などで、新しく、立派すぎるものばかりだ。
日本橋界隈は緑錆銅板葺きの家屋と共に、黒塀がもっとも多く現存する所のようなので、人形町へ行って玄冶店の跡へ行ってみたのだが、粋な黒塀はおろか 「玄冶店跡」 と標した小さな石標が歩道の放置自転車に埋れているだけだった。
これには、流石のお富さんも知らぬ仏の・・・ 
(写真) 篠塚稲荷と黒塀  柳橋1丁目

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柳橋慕情

2007年06月23日 | Weblog

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船宿に屋形船が係留されている風景は心に涼風を呼び込む。
黄昏時は提灯が水面に映え、柳を揺らすのだろう。
昼間の雰囲気でも江戸情緒満点だ。

NHKで 「柳橋慕情」 がドラマ化されて、もう7~8年になるだろうか?
毎回みることができず残念だったが、今でも強く残っているものがある良いドラマだった。 再放送でもあれば全編観るのだが・・・
話の並べ方からして多分、山本周五郎の短編物をオムニバスに構成したものだと思うが、プロデュースが上手かったのだろう。 ずっと心に残る話になってしまっている。

主人公の「おせん」を演じた「無名塾」の若村麻由美が女優として大きくステップアップした作品だったと思える。 役者にとってタイミング良く役柄に巡りあうかどうかで、役者人生を左右されるように思えるから、確かにその経験は人生そのものかも知れない。
この役で、それまでのニキビ面の大部屋女優から、輝きを放つようになったのは確かだが・・・最近の活動には物足りなさを感じる。
いろいろなことを乗り越え、それを肥やしにして大女優への道を拓くことを願う。
   (写真)浅草橋から 「柳橋」 を望む

   ~ 大部屋の 無名をこえて 大女優

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柳橋

2007年06月22日 | Weblog

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神田川隅田川に流れ込むところが柳橋
名前の通り、橋のたもとに柳がそよぐ。
橋の下には屋形船が係留されている。
緑の鉄橋と背景のマンションというのを我慢すれば、すべてに江戸情緒満点。
橋の両岸は船宿の「小松屋」と佃煮屋の「小松屋」が固めている。
一本路地を抜けると、「篠塚稲荷」、筋向は三味の音でも聞こえそうな粋な黒塀の佇まい。
何もかもが山本周五郎の「柳橋物語」(TVでは「柳橋慕情」)の世界だった。
小松屋で佃煮を買ったが、その品と値段の上品さに現実に戻った。
お店に「おせんちゃん」か「おもんちゃん」でもいたら許せたのだが…    
   (写真)柳橋と小松屋

   ~  ~ 

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勝鬨橋②

2007年06月19日 | Weblog

0084

3月28日に勝鬨橋についてアップしたが、その時は遠くからシャッターを押しただけで今回、初めて徒歩で渡ってみた。
橋のど真ん中 ( 可動橋の中心が割れて跳ね上がるところ ) の隙間から隅田川水上バスを撮ったのが、この写真。 もし、橋が跳ね上がると、右足は築地、左足は月島側へと股裂きの刑となる。
今は左右に別れて跳ね上がることもない ( 昭和45年まで跳ね上がっていたそうだ )   が、ここに立つと揺れが激しく、歩行者は怖さを覚える。

日露戦争の勝利を記念したのが名前の由来だそうだが、完成は昭和15年とか・・
戦後、都電がこの勝鬨橋の上を走ったことまでは知らなかった。
今月、永代橋、清洲橋とともに国の重要文化財に指定されるそうで目出度いかぎり。
出来てから、僅か67年で重文とは 素晴らしい!  万々歳!  勝ちどきを!
   (写真)勝鬨橋のど真ん中から見た水上バス

   ~ オー 重文指定を 勝ち取った! ~

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築地 本願寺

2007年06月17日 | Weblog

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築地本願寺には、仕事上の不祝儀で参列したことが多かった。 大体は大企業の経営者クラスの葬儀だから、いつも長蛇の列に並んで疲れた経験しかなかった。

今回、初めて観光気分で入ったが、京都・奈良のお寺と違って、「 どなたでもご自由にご拝観して下さい」 と貼り出してあり、『 千客万来 』 的なところが良い。( もちろん拝観料など不要 )

外観を観て、普通の日本のお寺の雰囲気とはかなり違うとは思っていたが、内部を観て二度ビックリ・・ まるで西欧の大聖堂のような雰囲気に思わずデジカメで撮りまくった。

本堂(金堂)では、背中でお経を聴くのがまた最高!  お経も上手な坊主のを聴くと、眠たくなるほど素晴らしい。 これが三人ぐらいの合唱だと、極楽のの上で居眠りしてる気分になりそうだ。 枕草子 を著した人の気持が少しはわかるような・・

本堂には、なんとパイプオルガンが設置してあり、お経とコラボさせるのであろうか?
何となく、世界三大宗教がジョイントしたような錯覚を覚えて平和な気分だった。
   (写真) 本願寺 築地別院

   ~ 眠気さし 南無阿弥陀仏 蓮華の座 ~

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九段会館

2007年06月16日 | Weblog

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九段会館』ときくと、2・26事件の時、戒厳司令部がおかれたところで、昔は「軍人会館」と呼ばれたらしいということを思い出す。 戦後はGHQに接収されていたとか・・
そういう意味で歴史を見つめてきた壁や床に時代の「気」のような物が染み付いているのではないかと・・いつも思う。 それほどの薄気味悪さも感じる。

この九段会館は意外にも小規模のコンサート会場としても有名だ。 屋上のビヤガーデンは、また別の明るいイメージで館内の雰囲気を打ち消している。
武道館に来る時、東西線の九段下駅から地上に出ると必ず目に付いて、昭和の40年代にすでにレトロな感じで、存在感を持っていた。
屋根が瓦葺で甍があるのが、( 帝冠様式 というらしい ) かなりのインパクトを与えている。

ボクの母校、兵庫県立柏原高校の同窓会組織 「柏陵同窓会 東京支部」 は毎年ここで総会・懇親会を開く。
一度だけ出席したことがあるが、この中に入ると、まだまだ若輩を意識するので、あと数年は出づらい感がする。 お尻の青さが取れたら出席してみようと思う。
   (写真) 九段会館

   ~ 同窓会 母校のごとき 青瓦 ~

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靖国神社 ・・・桜前線

2007年06月14日 | Weblog

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あまり知られていないはずだが、広い「靖国神社」の中には能舞台がある。
ここで薪能でもあれば・・観てみたいものだが・・それほど素晴らしい舞台の向かって右手前側(脇柱の方向)に一本枝がせり出した(添え木がしてある)桜の木がある。
これが、桜前線の北上を例年観測し、東京の開花を判断する『基準桜』らしい。
舞台の向かって左手前にももう一本、添え木をしてある桜があるが、これは『基準桜』ではない(最初、勘違いして撮影したが、聞いてみると違うとのこと)

近年、温暖化のため東京の開花も早く、NHK気象キャスター半井小絵さんのエッセイ『 半井小絵の お天気歳時記 』によると、最も早かったのは平成14年3月16日だったとか・・

この『基準桜』を撮影しようと木の下へ行ったら、赤黒いサクランボが落ちていたので、数粒拾って持ち帰った。 種として植えてみることにするが、我が家は多摩地区なので例年靖国よりは2日前後は遅いが・・はたして『基準桜』の子供は疎開地で如何に育つか?
   (写真)東京の「基準桜」(靖国神社) 
 

   ~ 将来は 我が家で開花 宣言か ~                              

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靖国神社・・・九段の母

2007年06月10日 | Weblog

0080

20年以上も前になるが、まだ父母が元気だったころ、10日間ぐらい東京見物に来た時、「靖国神社」に連れて行った事があるが、日頃はそばを通るだけだった。昨日、武道館に来たついでに足を伸ばしてみた。

時の総理大臣が参拝云々・・・とかく物議を醸し出す。
明らかに戦争未亡人と思える老婆の身内に連れられての参拝が今でも見られた。
多分90歳前後だろう・・あと数年もすると、こんな風景は見られなくなるのだろうか?「九段の母」なる唄が戦後生まれのボクでも思いうかんだ。 
♪上野駅から九段まで~杖を頼りに一日がかり♪
 
確かに九段下の駅からの坂道はきつい。
   (写真) 靖国神社

   ~ (塩)まさるさん あなたの唄も 聞き納め ~

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日本武道館

2007年06月09日 | Weblog

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団塊世代にとって、武道館は思い出多いところであるはずだ。
まず、東京オリンピックでの柔道無差別級決勝でオランダのヘーシンクが日本の神永を押さえ込みで破り金メダルに輝いたところ。
そして、もう1つは何といってもビートルズの来日公演だった。

今日はダンスの選手権をやっていたが、NHKの中継バスがうなっているのを見ると、
学生時代の剣道の試合を思い出す。
独特の8角形の建築は堂々と威厳をもった姿は、名建築といえるだろう。

北の丸公園に位置し千鳥が淵や九段会館靖国神社なども近く、今でも年に一度は足を運んでいる。
   (写真) 日本武道館

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安田講堂

2007年06月08日 | Weblog

0078

何年ぶりかで東京大学へ行ってみた。
別に自分の母校でもないが、何となく憧れのようなものを感じる。
東大病院から三四郎池をまわり、安田講堂へ行ったところで雷雨に遭った。
雨宿りのつもりで安田講堂前広場地下の食堂へ行ったら、土曜日は2時までの営業で、閉店した後で残念だった。
仕方なく売店で大きなメロンパンを買ってしのいだ。
売店で売ってるグッズを見ると何と・・ダサいものばかりで、早稲田の生協の方がオシャレに感じるから不思議だ(早稲田もダサさでは相当なものと思っていたが・・)
早稲田の生協に行ったとき、20年ぐらいバックした気がしたが、ここはさらに10年ぐらい溯ったようだった。

ボクの世代が「安田講堂」と聞くと、まず連想するのは、「全共闘」と「機動隊」との攻防戦だ。
早稲田の大隈講堂はこの春、リニューアルされ明るいイメージに変わったが、安田講堂は昔と変わらないので、どうしても学生運動を連想させる・・耳をすますと聞こえるようだ。
しかし、広いキャンパスでとうとう・・一枚のアジ看板すら見ることもなかった。
申し訳ないが、キャンパスを歩くと、廃墟をという言葉が浮かんできた。
この時ばかりは”猿の惑星”で未来(廃墟)のニューヨークに降り立ったチャールトン・ヘストンのような気分だった。
  (写真)安田講堂

    ~ キャンパスに 夢の廃墟か 時計の塔 ~

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忠犬 ハチ公

2007年06月03日 | Weblog

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 渋谷で待ち合わせすると、109とかモヤイ像の前で待ち合わせる若いひとが多いが、昭和の時代は何といっても「ハチ公」前が定番だった。 久しぶりに渋谷に行ったら、ハチ公の前に昭和29年から45年まで使われた東横線の懐かしい深緑の車両(5000型といっても短く作り直してあるが・・)が展示してあった。   
 それを見つめているのが、かの「忠犬ハチ公」だ。 東急文化会館の五島プラネタリュームもいまはなく、渋谷川は暗渠やコンクリートで固められ 唱歌「春の小川」 の舞台とは思いもよらない。 今はコンクリートの渋谷川に沿って高架の東横線が走る。                  
 現在のハチ公は2代目らしいが、初代は鹿児島出身の 安藤 照 氏(城山の西郷隆盛像の作者)の作らしく、鹿児島で親しまれているとか・・

 忠犬ハチ公の話は団塊世代以前は知っているとは思うが・・この日ハチ公前にいた人達のどれぐらいが知っているのか?
映画にでもならなきゃ・・いや、アニメじゃなきゃ・・だめか・・
   (写真)昭和の東横線を見つめる 「忠犬ハチ公」

   ~ ハチ公が 東横線に 何かたる?

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富士そば

2007年06月02日 | Weblog

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東京の立喰いそばを始めて喰ったのは、大学へ入った時、早稲田の文学部前、馬場下の「富士そば」だった。
醤油の中に、うどんやそばが浸かっているようで、胸焼けして気持ち悪くなった。
当時かけそば一杯45円~50円だったと記憶している。 和風のファーストフードと言えば、あとは出始めの回転寿司や梅もと」のおにぎりぐらいしかなかった。 吉野家の牛丼が出回るまえだったから、貧乏学生は都内各地にある「富士そば」をよく利用したものだ。

早稲田の文学部前の「富士そば」は2年ほど前になくなった。 お茶の水から下った小川町の店は健在。 市ヶ谷の店は撮影しようと思った矢先、取り壊されて残念・・と思ったら、店内改装で先週リニューアルオープンしてホッとした。近々いってみよう。

写真は渋谷のセンター街の店で、「吉野家」と隣り合わせというのが、面白い。
昭和の40年代と50年代が隣り合っている。さらに続けばマックスタバか?
はたまた、「小諸そば」か「はなまるうどん」か・・?
   (写真) 「富士そば」

   ~ 富士そばに 吉野家つづき マック来る ~

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都電 荒川線

2007年06月01日 | Weblog

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都電は荒川線だけが営業運転している。
ボクが東京へ出た昭和40年代初めには、いたるところに都電とその架線を利用したトロリーバスが走っていた。
通いなれた高田馬場からは早稲田方向と荒川方面など賑やかに走っていたものだ。
早稲田の都電の車庫は今はバスの車庫となり、面影がない。
早稲田から面影橋を経て大塚まで都電に乗ってみた。
昔とは異なり、沿線はことさらきれいで、花など植栽が見事である。

先週、昔の面影を残すレトロ調の車両(9000系)がデビューした。イメージは昭和初期の東京市電だそうで、車内は木目調とか・・まさか、床に油は引いてないとは思うが・・
三ノ輪橋の停留場も昭和のイメージにリニューアルしたようだ。

むしろ、各地に散らばっている昔の都電を戻して欲しいものだ。
チンチン電車には冷房は似合わないので、扇風機でもあれば、最高だが・・
   (写真)都電 荒川線 町屋付近にて

   ~ 荒川線 しもたや裏を 縫って行き 

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