団塊の青春と昭和の東京

昭和の名残りを求めて since2007・02・10

ウェンディーズ

2009年12月30日 | Weblog

0330 ウェンディーズ 表参道店

ウェンディーズのハンバーガーが無くなるらしい。
どうせ他の商社が肩代わりして店舗展開するのだろうが・・
日本人の常として、閉店を決めたとたんに客が増えてるようだ。
先日、11年ぶり復活の表参道イルミネーションを見に行ったついでに食べてみた。
   
 ウェンディーズ バーガー

  
 佐世保バーガー
ウェンディーズは西銀座店がボクが勤めていた会社の真向かいで、20数年前の開店以来、馴染みだった。
表参道でしばらくぶりに食べると、味が変わっていた。
マックなどよりは少々値が張るし、やわらかく“グジュッ”とした感じだったが、旨さではマックの数段上だった。
しかし、今回食べてみると、20数年前に西銀座店で初めて食べた時の“ウェンディーズ”とはまったく違った味で、展開する会社が変わっていたのかも知れない。
次に何処の会社が引き継ぐかは知らないが、また味が変わってしまうのだろうか?

昭和40年代後半、マックを初めて食べた時はケンタッキーやコカコーラとともにアメリカの食文化のシンボルとして意識した。
ウェンディーズはマックよりも高級感があり、店舗も少ないので食べていること自体がステータスだった。

しかし、平成になって『佐世保バーガー』を食べた時、その美味しさにビックリして、以来マックもウェンディーズもモスも食べなくなってしまった。
 
表参道を歩いて昭和を呼び起こしてくれるのは、同潤会アパートのイメージを端に少しだけ残すヒルズと、ウェンディーズだけだったのに・・

11年ぶり復活した表参道イルミネーション・・ウェンディーズと関係ないけど・・
   http://www.youtube.com/watch?v=VVGhoD1o25I←クリック

 

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昭和の名残り ②銀座シネパトス1・2・3

2009年12月23日 | Weblog

0329 銀座シネパトス入口

勤めていた会社の先輩、後輩、同期の計5人で待ち合わせたが、日比谷から歩いても早過ぎたので、銀座4丁目交差点から2~3分の三原橋へ足を伸ばした。

晴海通を4丁目と五丁目双方から横切るのには、地上よりも地下道を利用する事が多かった。
ここは昔の三原橋の構造物を残して、地下道・飲食店・映画館などに利用されていることはあまり知られていないが、そんな眼で見るとなるほどと思える。

著しい変貌を見せる銀座の、それも4丁目交差点からほんの2~3分のところに昭和の匂いが鼻につく一角が時を止めたまま暗い灯りを燈している。
映画館のポスターを見ると、先頃なくなった森繁久弥のシリーズ、関根恵子やひし美ゆり子などの出演作も貼ってある。              
昭和ばかりが息づいているようで団塊の世代のボクには、こころが和む。
 http://www.youtube.com/watch?v=g6a7h6aPkDk ←昭和の匂い

ホンの数分間だったが昭和を反芻して地上に上がると、そこはもう・・平成の銀座だった。
待ち合わせ場所の伊東屋の前まで歩いたが、若いカップルがいないのに奇異な感じがする。
歩いているのは男同士、女同士、もしくは一人、同性の2~3人連れで、ボクらが若かった頃の映画や歌のイメージとは違った銀座があった。
これも最近の世相の現われか・・数寄屋橋の“銀座の恋の物語”の歌碑などは宝くじを求める群集の列に埋もれて位置さえ判らないほどだった。
石原裕次郎も忘れ去られるのだろうか?
 http://www.youtube.com/watch?v=d3XOVsITnQY ←師走の銀座

行き交う人の顔も明るくは感じないし、若者の表情を見ると老けて見えるのはボクの偏見だろうか・・

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昭和の名残り ①開かずの踏切

2009年12月13日 | Weblog

0328 中央線踏切 道路標識も混乱(進入禁止と直進可が同じ所に・・)

一週間前、JR中央線 三鷹・国分寺間の上り高架線が開通した。
下り線は一昨年の6月に開通しているので、ようやく上下線とも踏切りなしの運行が実現した。
中央線の“開かずの踏切”は全国的にも有名で、1時間のうち58分間遮断機が下りていたという踏切もあったとか・・

大阪転勤から戻ってきた昭和52年には、武蔵小金井に住み着いたが、小金井街道の踏切の凄まじさには辟易したものだ。
踏切の脇にある小屋の中で、警手がマンガ本を読んでいたのを横目にイライラしながら遮断機が上がるのを待ったものだ。

現在の所に引っ越して十数年になるが踏切に近いため、ずっと振動と警報機の音に悩まされてきた。
それが、上下線とも高架になり、騒音と振動がなく静かなことで、かえって落着かない日々になってしまった。
踏切が閉鎖されて車が渋滞無く通過し、交通量が多くなると予測していたが、逆に車の量は減った気がする。
多分、他の踏切跡に回ったのだろうか?

勝手なもので、あれだけ悩まされた騒音と振動もなくなってしまうと少しは寂しい気もする。
しばらくはこんな気持ちが続くのだろうか?
今となっては踏切を通過する電車を撮影しておいて良かった気も少しはある。
 踏切通過最後の日・・高架開通前日の様子  クリック ↓
 http://www.youtube.com/watch?v=DCNmuEbUg9Q

 昭和の数十年もの間、地域の人々を悩ませてきた“開かずの踏切”だが、“でんしゃの風景”の一要素がなくなったのも事実だ。
孫を抱っこして電車を見せるおじいちゃん、おばあちゃんの姿なども見る事が出来なくなってしまったような気がする・・
  翌日の高架路線通過1・2・3番電車の様子   クリック ↓
 http://www.youtube.com/watch?v=YtNsmNB_YgM

  中央線 高架工事連結地点  開通直後の様子  クリック ↓
 http://www.youtube.com/watch?v=ds848bIVZvs

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ゴルフ 日本シリーズ

2009年12月05日 | Weblog

0327 ‘09ゴルフ日本シリーズ3rd roundスコア

ゴルフ日本シリーズ第3ラウンドを観戦してきた。
12月とはいえ、さほど寒くなく快適に観戦できた。
昔は雪が降って、2日間や3日間に短縮されたりしたことがあるが、最近はそんな事がないのは気候が温暖化しているからだろうか?
箱根駅伝しかり、雪が降ったりしたのを思い出すが、この20年間ぐらいはそんな事は記憶にはない。
    
以前は、水・木と大阪よみうり、土・日は東京よみうり と2日間づつ開催していたが、いつの頃からか4日間とも東京よみうり での試合となっている。
ボクらの世代にはジャンボ尾崎が出場していないのが不思議な感がする。
練習場に行くと、もの凄い存在感を示し、他の選手はそのオーラに圧倒されてビビッてボールを打っているのがギャラリーにもよく伝わって来た。
ジャンボに対して臆しないのは杉原選手ぐらいだった。
ゴルフをほとんどやらなくなった数年の間に、このトーナメントの出場者もだいぶ替わってきているのに驚いた。

今評判の石川 遼のショットを目の当たりにしたが、確かに良い球を打つ・・が、驚いたのは今までの日本人ゴルファーにはない何かが滲み出ていることだ。
試合の勝ち方がセベ・バレステロスやタイガー・ウッズのデビュー時に似た印象を与えている。
日本人ではジャンボが奇跡的なショットで勝ってきた絶好調時の勢いぐらいしか思い当たらない。
この少年が歴史に残るゴルファーになるためには、TVのGOLF番組などにやたらに出ないで、しばらくはGOLFにだけ集中して欲しいと思う。
間違っても紅白歌合戦の審査員などには出ないで欲しい。
今までチヤホヤされてダメになったプロは数えきれない。
大人になったら、ただのプロだったではあまりにも残念すぎる。
そういう意味では、マスコミもこの少年を大切に取り扱ってもらいたいものだ。
 (追記)日曜日の最終ラウンドを見ようとTVをつけたら、丸山茂樹と韓国の金とが     
      プレーオフで延々4ホールまで戦い、丸山が優勝した。
      尾崎兄弟、青木、中島、倉本、杉原等の顔がない日本シリーズは寂しい感
            が否めない。  
            それでも、パーシモンで育った丸山や鈴木 亨が元気な姿を見せてくれたの
            は、昭和世代にはうれしかった。
           
            ボクにチケットを廻してくれたMW氏も小春日和の最終日、18番グリーン
            周りで、旨い冷や酒を呑みながら観戦で、堪能されただろう・・
            小春日に 冷や酒旨し 綱のそと

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