団塊の青春と昭和の東京

昭和の名残りを求めて since2007・02・10

勝鬨橋

2007年03月28日 | Weblog

0045

「空も港も夜は晴れて月に数増す船のかげ・・」小学の音楽の時間を思い出す。
写真だったかイラストだったかは分からないが、勝鬨橋が八の字に跳ね上がり、その間をはしけが、ポンポンポンと焼玉エンジンの音を響かせ通うありさまが浮かんでくる。

曲は明治29年に作られたそうで、勝鬨橋は昭和の完成らしい。
開閉式の橋が跳ね上がる姿を団塊の世代は皆、絵か写真で見たことがあるはずだ。
しかし、この橋の上を都電が通っていたとは最近まで知らなかった。
瀧廉太郎の「花」とともに隅田川を歌った曲かなと思ったら、「港」の舞台は宇品港とのこと・・とすれば、唱歌「港」と「勝鬨橋」は結びつかないようだ。
月に数増す船の影より、今はライトアップが青く、夏は花火に映える。
  (写真)勝鬨橋

      ~ かちどきは 花火と高層 借景に ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草 名画座

2007年03月25日 | Weblog

0044

浅草六区ブロードウェイ、「浅草名画座」は隣の「新劇場」、「中映劇場」とともに懐かしの日本映画が架かっている。
裕次郎、旭の日活ダイヤモンドライン・東宝は森繁の「社長シリーズ」に・「若大将シリーズ」、東映は錦之助の「股旅物」と藤純子の「緋牡丹博徒」、松竹もめくらのお市地獄肌、大映は「座頭市 破れ!唐人剣」・・と往年の日本映画全盛期を彷彿させるポスターを見ると、全部見直したくなるラインナップである。

これも観た!あれも観た!という感じだが、ここで今、観る人たちは昔、観損なって初めて観るというより「もう一度OLDIESを」・・の人達だろうか? 今、観ると昔気づかなかった自分を見つける鍵が見つかるかも知れない。
   (写真) 浅草六区 「浅草名画座」

     ~ 今もなお 六区の名画座 三本立 ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京無粋建造物・・・③

2007年03月24日 | Weblog

0043

叱られるかも知れないが、東京無粋建造物の第三弾は東京駅舎。
あの、赤レンガ造りの東京駅・・です。
ボクが三十数年間通勤した中央線のホームから見ていた(写真)のは、戦災で焼け落ちたドーム型の屋根の応急措置として施されたウロコ屋根らしい。
一見、神戸北野の異人館あたりの屋根のようだが、本来の赤レンガ駅舎の屋根と比べるとかなりお粗末なものだと思う。
戦後生まれの我々には別に違和感はないが、設計者の辰野金吾博士は62年間嘆き続けているに違いないと思うのはボクだけだろうか?
幸い今やっと以前の姿を復元する工事が始まったらしい。八重洲側の高層駅ビルと丸の内側の高層ビル群に埋もれそうでも存在感をしっかり示すオーラを感じさせる赤レンガ駅舎が復活するのは嬉しいことだ。 これでやっと戦争の痕を引きずっていたものがなくなる。
     (写真)中央線ホームから見た応急屋根

     ~ 赤レンガ 仮設の屋根で ふたこよみ 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草 雷門

2007年03月23日 | Weblog

0042

東京見物の外人観光客に一番人気があるところが浅草だ。
必ず雷門の前で記念写真を撮って、仲見世に向かう。仲見世ではテカテカシルク調の着物に興味を示す。 日中折半型のパジャマなのだろうか?
やはり、京都や奈良の寺社と違って庶民的なのが良い。 拝観料を取るわけでもないし、すぐ近くに六区があり、寂れたとはいえ大阪のミナミや神戸の新開地と同じ空気が漂う。花やしきも健在だ。

浅草寺は何度も訪れているが、いまだかって坊さんを見たことがない。
庶民的なお寺なのに、一度も法衣を着たひとを目にしていない。
金龍山 浅草寺 と言うそうだが、宗派は聖観世音宗とか・・京都・奈良あたりのどの寺院よりも拝観する人が多く、その数日本一とか・・
   (写真 ) 雷門

      ~ 肩の凝る 京都奈良より 浅草寺  ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電気ブラン

2007年03月22日 | Weblog

0041

神谷バーの代名詞 「電気ブラン」・・・ブランとはブランデーのこと。
とにかく強い酒で、昔の日本人には強すぎる酒だったはず。
多分痺れるほどの強さを,電気という文明開化のシンボルにたとえて表現した事は推測できる。
舌でエレキに触れて感電するが如きの酒はブランデーがベースで色々ブレンドしてあるような気もする。
写真左のグラスで飲るのだが、文明開化の音がしそうだ。

ここの電気ブランはボクが貧乏学生の頃飲んだ(今も飲むが)ホッピーとは違って、多分高級ショットだったに違いないと思う。
多くの作家のあまたの作品に登場する「電気ブラン」の「神谷バー」
それにしても、11時半の開店にすでに11時ごろから並んでいるのはメディアの紹介のせいか・・・浅草の辛党名物といってもよいだろう。持ち帰りと地方発送のコーナーも出来ている。
  (写真) 電気ブランと専用カクテルグラス

      ~ 浅草に 文明開化 電気酒  ~

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神谷バー

2007年03月21日 | Weblog

0040

神谷バー」は洋風居酒屋のはしり・・?
三浦哲郎の小説「忍ぶ川」が映画化され加藤剛栗原小巻(志乃)がデートする場面にも出てくるが、この店は実はもっと古く100年以上経つはず。
当時は文明開化の電気とブランデーで痺れたのだろうか?
初老の紳士が昼下がり独りで電気ブランを飲りながらナイフとフォークを使っているさまは、絵になる風景だ。
浅草の神谷バーとお初天神(大阪)横のサンボアバーは東西のレトロ雰囲気バーの横綱だろう・・・両方とも、もう一度行って見たい店だ。

今の内にカメラに納めようと思いながら、今年になって消えてしまった昭和の東京風景が既に三つある。
国立駅舎 ②いせや(吉祥寺の串焼き) それに昨日暖簾を下ろした③大勝軒 である。 いずれも今となっては後悔が立つ。「大勝軒」に関しては一度も行ったことがなかったのが悔やまれる。 「国立駅舎」は別の場所で保存され、「いせや」は建て替えられるが、近代的なビルの中の店に行こうとは、今のところ思わない。

それにしても、飲み食いの店の思い出の多い事よ!
   (写真) 神谷バー (浅草)

      ~ 浅草は 六区と酒で 痺れさせ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神楽坂 赤城神社

2007年03月20日 | Weblog

0039

先日、神楽坂に記憶違いがあったので、土曜日に行ってきた。
何と、先日行った時は不二家のペコちゃんは休業の店先で一人さびしく立っていたが、こんどは店先でペコちゃん焼き4時間待ちのお知らせを首にかけていた。
並んだり、予約する人で混雑していたが、カメラを向けている間にさらに30分も待ち時間が延びた。
前回訪れた時は誰もいなかったのに、店先の活況は凄い! 不二家頑張れの気持ちが伝わってくる。

神楽坂を上ってしばらくすると右手には赤城神社が鎮座している。境内に神輿の倉らしき建物があるので、ひょっとして、ここの神輿をかついで坂を上り下りしたから神楽坂かと思った。しかしこの推測は見事に外れた。 津久戸明神が正しいらしい。
この、赤城神社が経営する赤城幼稚園インターナショナルだ。写真は前回行った時に撮ったものだが、ママチャリで迎えに来るママたちに日本人は皆無だった。
そばまで行っておしゃべりに聞き耳をたてると、フランス語が飛び交っているのには驚いた。
純日本的な神道の神社で、見ているボクが文化的落差を感じたのだが・・・
神楽坂のらしくない一面を見た。
  (写真)ママチャリでお迎えのフレンチママたち

     ~ ペコちゃんも わざわい転じ 福を得る 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神宮球場

2007年03月19日 | Weblog

0038

一昨日、神宮球場でオープン戦を観戦した。
ヤクルト対ソフトバンクで、ホークスの逆転勝ちの試合はオープン戦の、のどかさと神宮球場自体の大らかさを満喫させてくれた。

もともとこの球場は大好きで、学生時代は六大学野球で応援したものだ。
プロ野球の本拠地というより、学生野球のメッカの感がボクにはある。

正式名称は「明治神宮野球場」だが、正式だとなぜか暗いイメージが湧く。
それは、戦時中学徒出陣の壮行会が、ドシャ降りでぬかるむ中、ここで行われた時の映像を戦後生まれのボクでも思い浮かべるからだ。。
この映像を見たことのない人はいないと思うが・・・神宮球場のもう1つのイメージだ。
学生が戦場に駆り出される場として使われた悲しい歴史がある。

一昨日は、いたって平和な日本の休日風景だった。 青空の下でビールを飲む幸せを感じたのは、約3000+1人ぐらいかな?
ボクが学生の頃は、外野席が土手になっていて、そこで上半身裸で寝転んで日光浴しながら観戦している者も多かった。
田淵、山本浩二、富田、谷沢、荒川たちがここにホームランを打ち込む姿が思い出される。星野仙一はあまり記憶にないが・・・ 
今は外野までも椅子席で、グランドはきれいな人工芝だ。
ドームのように屋根や人口芝の球場ではなく、雨が降れば、観客も濡れて応援する自然体の野球と観戦がボクは好きなんだけれど・・・
   (写真) 神宮球場

     ~ 神宮で 野球観戦 平和なり ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京無粋建造物・・・②

2007年03月18日 | Weblog

0037

東京無粋建造物・・・②は都庁! 別に第2位と言う意味ではない。 ダントツの1位でもよいくらいである。
バブルが弾けようとする頃だから、十数年前に竣工した。構造(設計)の悪さから維持費が桁外れで、税金の超無駄遣いだそうだ。 雨漏りがひどく、天井板を外すとビニールシートが敷き詰められ、青いバケツが大量に設置されているらしい。いたる所で雨漏りひび割れがひどく、根本的に改修するには、1000億円(総工費は1570億円だった)かかるそうだ。
外壁や窓拭き用のゴンドラも普通のビルの4倍も設置してある(複雑な外面ゆえ)そうな・・ Simple is best とか「小さな政府」という言葉は外国の政治用語だったか?
この、笑えない話・・・ ANEHA さんどころじゃないよ!

東京都民を30年以上やってるボクとしては、腹が立つので横になろうか・・・?
だけど横になっても、縦位置の超高層ビルは視野には入らないほどの高層です・・・くやしいねえ! 昔、野球界から政治の世界に転身した江本氏が言ってたが、 「ベンチがアホやから、野球できない」 は、まつりごとでも言えるのだろう。

都営地下鉄を引き、自分達のために「都庁前」なる駅を作り、新宿西口からは雨に濡れないで、動く歩道をで通勤する。土日は止めて、都民には使わせない。
  (写真) 血税の山崩し? 雨漏りだらけの 都庁舎

      ~ 悪政は ベンチのアホさ さらけ出し

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京無粋建造物・・・①の理由

2007年03月17日 | Weblog

0036

写真は日本橋の青銅製飾電燈(左)すれすれに通る無粋な首都高速道路(右)。飾電燈の彫刻と高速道路の隙間は何と!4センチしか空いていない!大型トラックが通れば、2センチぐらいは揺れるはず。ここまでして景観を痛めつけるか!これが世界文化遺産、自然遺産の登録申請するのに躍起になっている国の起点、「お江戸日本橋」の風景か!
大阪だったら、市民は許さないだろう。淀屋橋の上に高速を通すわけないよなあ・・・

あれから四十年以上経った今、やっとこの部分を地下にしようという話があるらしい。(現都知事は反対してるらしいけど)善良な都民の感性は少しは良くなったかな?
それとも壮年期を過ぎた国の心のゆとりかな? 
日本橋が石橋として架かって来月で96周年とか・・100周年の記念行事の時には、目の上の枷のない青空の下(広重の日本橋のごとく)で祝ってほしいものだ。
国の重要文化財(建造物)が泣くよ! 
     拝啓総理大臣&都知事殿   
美しい日本」はいいから「やさしい日本」、「普通の日本」であってほしいです・・・  
    (写真)高速とスレスレの日本橋の青銅製飾電燈

      ~ 高速に 毛槍も挿せぬ 日本橋 ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京無粋建造物・・・①

2007年03月16日 | Weblog

0035

今日からしばらく独断且つ偏見的考察による「東京無粋建造物ベスト3」です。
一般的マジョリティからはぶっ殺されそうな考察だが、一応その理由だけは自分なりに主張する。

第一弾は日本の基点「お江戸日本橋!」いや正確にはその上を渡る首都高速道路
戦後日本の発展の象徴となった「東京オリンピック」のときに「新幹線」と共に「首都高速道路」が開通した。 映画 「 続・三丁目の夕日 」 では、ここにもうすぐ高速道路が架かるというくだりが出てくるが、当時は只ただ、発展を内外に示すのに精一杯だったことがよく分かる。
格調高い日本橋の欧風青銅製飾電燈の上にコンクリートの高速道路を通したのは誰か?
急速に近代化を進める中国だってこんな無粋なことはしないだろう。
この写真で見ると高速道路が橋のように見えるが、お江戸日本橋は下ですよ!

次ページで決定的証拠を御覧あれ。 言わんとするところをご納得いただけるはずです。 (写真)日本橋の頭越しに通る首都高

     ~ 日本橋 野暮なふんどし 頭越し ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日比谷公会堂

2007年03月15日 | Weblog

0034

日比谷公会堂は昭和20年代~30年代のモノクロニュース映画のにおいがする。
当時、ここで行われる行事は、ニュースとなって日本中を駆け巡った。

東京のセントラルパークとでもいうべき「日比谷公園」には「野外音楽堂」「大噴水」「大花壇」「松本楼」などの定番とともに、歴史を感じさせる「日比谷公会堂」がある。 関東大震災のあと、建てられた日本最初の公会堂だとか・・

日比谷公園には今でもよく行く、天気のよい日に花壇のベンチで食べるのは最高(何を食っても)だ。
松本楼は確か毎年9月ごろだったと思うが、10円カレーの日がある。 昔から知ってはいるが、並んで食べたことは、まだない。

日比谷公会堂は、息子が中学受験する前日、塾の出陣式がここで行われ、付き添ったことがあるが、なんと言ってもここの印象は浅沼稲次郎が刺されたときの、あの映像だろう・・・子供の頃ながら強烈な記憶がある。 ボクの場合、ケネディ暗殺よりも衝撃的だった。 この建物は一回しか入ったことがないが、幽霊が出そうな雰囲気がある。 血が流されたからだろうか?   (写真)日比谷公会堂

~~

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神楽坂・記憶違いでした・・・

2007年03月14日 | Weblog

0033

昨日の神楽坂の記述に誤りがあることを地元の有名出版社F社のマージャン大好き、チョイワルオヤジの局次長N.S.氏からご指摘を受けた。
成人映画館「くらら」は神楽坂じゃなくて、一本東側の軽子坂で、「佳作座」の場所も違っていると・・・
ドーモ自分の記憶に少々地殻変動があったようだ。 地元の人が言うのだから間違いないはず。 となると、2月27日の「飯田橋 佳作座」の文も間違っていることになる。 読んでくれた皆さんごめんなさい。 (3月17日訂正しました)

写真は昨日とは反対側(神楽坂の上の方から神楽坂下)に向かってのスナップです。確かに見え方が違います!
物事はいろんな角度から見なきゃいけませんねえ・・・反省します。

むかし、ボクがまだ青年の頃、酔っ払って帰宅してドアを開け、「ただいま~」と言って靴を脱いで一歩上がろうとしたら、「おかえり~」と言ってバスタオルを巻いただけの知らない女性が現われた事がある。
何で知らない女性が我が家で、湯上りの格好で?   ・・・思考と帰巣本能の誤差を軌道修正するのに3秒くらい要した気がする。
何せ、むかしの公団住宅というやつは、まったく同じ造りなもので・・・サスペンスのトリックみたいな事が起こる。 うちは4号棟、サスペンスは隣の確か5号棟で起こった。 人間は勘違いをするのです。 その、小金井団地も最近建て直されました。   もう・・・時効のお粗末話です。 「佳作座」と「くらら」には帰巣本能が働かないようで、GPSでも持たないと、徘徊しそうです。 (写真)神楽坂下を望む

     ~ ムふふふふ 時効のはなし 思い出し ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神楽坂

2007年03月13日 | Weblog

0032

神楽坂という言葉は、「芸者ワルツ」という歌謡曲(たぶん昭和26~28年ごろ)を歌った芸者歌手の神楽坂はん子で知った・・・何故、4~5歳の幼児が知っていたかというと、当時住んでいた家の向かいが、映画館だったから、毎日毎日レコードを聴かされ、門前の小僧と化していたからだ。 幼児が「あなた~の~り~ど~でえ~島田も揺れる」なんて歌っていたから、今考えると笑える。

東京へ出てきた時、営団地下鉄東西線「神楽坂」駅のホームの駅名案内板を見て、赤い文字で「神楽坂」となっていることに、チョッピリ江戸の粋を感じた。

写真は先月の撮影だが、左手のスロットは、昔はパチンコ屋で、ここで神戸までの新幹線代3000円ぐらいを稼いで帰省したことは、忘れられない。 この店の右手に行くと「佳作座」があった。
一本右の軽子坂を進むと、「ギンレイホール」「くらら」があることは先日述べたとおり。
正面の神楽坂に入ってすぐ右の不二家は休業中で「ペコちゃん」だけが立っていた。
今回の事件は尾を引きそうだ。 それでも、巣鴨のバアさんよりは少し若い・・・昔のきれいどころのおばさん達に人気があるらしく、散策しているグループが多かった。                (写真) 神楽坂下   

     ~ ペコちゃんに ごめんなさいと あやまられ ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中野サンプラザ

2007年03月12日 | Weblog

0031

正式には「全国勤労青年会館」だったが、2年ほど前から民営化されて、中野サンプラザホールが正式になったそうだ。以前の正式名称など知っている人なんていたのだろうか?
宿泊・宴会・など特にコンサート会場としては中年以上の世代には有名だ。この時代の若者の催し会場としては、厚生年金ホール日本武道館などと共に定番の施設だった。複合的施設だから、ここで結婚式を挙げた人も多いはず。

地の利もよく中野駅北口から1~2分の立地である。コンサートホール、結婚式場,研修室、ホテル、レストラン、各種スポーツ場など、複合的利用が可能な当時としては最先端を行く施設が1ヘクタールの敷地に展開している。いい意味で高度成長期の日本の若者のバイタリティの象徴と思えるのはボクだけだろうか?

東京で生活した者なら、誰でも一度は訪れたことがあるはず、ないとしても耳にしたことぐらいはあるだろう。

民営化してからは行ってはいないが、電車から見る姿(写真は電車の中からのスナップ)は変わらず、中野通り中野ブロードウエイを見下している。今でも時代おくれを感じさせない万年青年的存在だ。 (写真:中野サンプラザと中野通り)

     ~ サンプラザ アンチエイジの サンプルよ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする