団塊の青春と昭和の東京

昭和の名残りを求めて since2007・02・10

ホーロー看板 ⑧ 白熱灯電球

2010年04月29日 | Weblog

0343 ナショナルのホーロー看板

最近は “省エネ” より “エコ” という言葉の方がよく使われるようになっている。
電球も、その象徴的な物だろう・・従来の白熱灯電球が悪者の如く評され、業界は桁違いに長寿命で消費電力の少ないLED電球の普及に躍起になっている。
だが、価格の方も桁違いでは普及に時間がかかりそうだ。
各戸に数個づつある電球だから、政府が補助金を出しても、決しておかしくないと思うのだが・・
車・家電・太陽電池・エコ住宅よりも優先順位が高くてもよいと思うが、電球数個では補助金を出しても経済効果を見出せないのだろう。
      
  スッキリした東芝のホーロー看板   “マツダランプ”ブランドの看板
昭和30年代と思えるが、「ナショナル電球」 と 「東芝ランプ」のホーロー看板はそれぞれ 「松下電器産業」 と 「東京芝浦電気」 時代のものだ。
「パナソニック」 と 「東芝」 になった現在、ロゴマークにもなつかしさを憶える。

ホーロー看板は距離を隔てても視認できるように単純明快な広告だが、ナショナルのは “一番よい電球・・・” “電球はナショナル” など電球とロゴマークが重複し現在の感覚からすると、かなり、お粗末に感じるのがかえって素朴でよい。
その点、東芝ランプの方はすっきりしているが、当時のシェアは果してどうだったのだろうか?

“明日をつくる技術の東芝” と “明るいナショナル” の昭和時代・・
TVの『サザエさん』と『水戸黄門』が思い浮かぶが、どちらも平成の今も続いているのには頭が下がる。

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興禅寺・・お福が生まれた寺

2010年04月24日 | Weblog

0342 興禅寺 (兵庫県:丹波市)

現在の職場から歩けるところに春日局の墓所麟祥院(別名:からたち寺)があり、昼休みに時々散歩する。
この麟祥院については、2年前このブログにUPした。
  http://blog.goo.ne.jp/gooyokoh1919/d/20080518 ← クリック
その時ふれた興禅寺へ先日行った。
お福(春日局)が生まれた興禅寺を訪れたのは、50年ぶりぐらいだろうか?
丹波市黒井の5年間通学した小学校の木造講堂は、体育館に建て替わっていたが、道を隔てた興禅寺は当時のまま濠の水をたたえていた。

小学生の頃、このお寺へ行って甘茶を飲んだり、遊んだ記憶がよみがえった。
初夏になると、大きな青大将がこの石垣に現れ、濠を隔てた道路から石を投げるという悪さをやったものだ。

半世紀ぶりに訪れた、興禅寺は麟祥院と姉妹寺かと思うほど似ていることに気づいた。
手入れも素晴らしく行き届き、禅寺特有のシンプルさがより清潔感を与えている。
麟祥院にある春日局の墓前に「あなたの誕生の地は今でも素晴らしいよ」と報告してあげたいくらいだった。

この興禅寺と麟祥院を訪れたら、20年ほど前の大河ドラマで「春日局」を演じた大原麗子の顔が浮かんできた・・人間の脳に対するイメージの摺り込みとはおそろしいものだ。

      ~ 興禅寺 大原麗子 思い出し
http://www.youtube.com/watch?v=SJegD1hmYto ←興禅寺(動画)

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余部鉄橋

2010年04月17日 | Weblog

0341 餘部駅から望む鉄橋・集落・日本海 (3月28日撮影)

子どもの頃、海水浴で香住、浜坂、諸寄あたりの海へ行った。
その思い出は美しい山陰海岸より、山陰線余部鉄橋を渡ったことの方が鮮烈だ。

行きは鎧駅を過ぎるとすぐトンネルに入る。
窓を開けて海岸線を見ながら身を乗り出していると、急に真っ暗になり石炭を焚いていたSLの煙が客車内に充満する。 
慌てて窓を閉めると、すぐトンネルを抜け、また海が広がる。 
また、開けると、またトンネルに・・また閉めると、今度は鉄橋にさしかかる。
鉄橋通過中に見た日本海の絶景と、眼下に集落の屋根、屋根、屋根・・ 
          
今年7月、この鉄橋は建設中の新しいものに役目を譲るという。
このニュースを目にしたとき、真っ先に連想したのが「東京タワー」だった。
「スカイツリー」にとって替わられようとしている「東京タワー」だが、今、逆に人々の愛着を高めている。
「東京タワー」は50年、「余部鉄橋」は100年、ボクは共通の親近感を覚える。
最近、旅行の広告に余部鉄橋を通過する企画が多くなっている。
先日、今のうちに・・と思って 鎧⇔餘部 間を往復乗車してみた。
窓から煙が入ることはなかったが、暗闇から一転眼下に広がる絶景は50年以上前に見たものとまったく同じだった。
行って、乗って、見て、本当によかった!

 この鉄橋を、歩いて渡れる観光用として残せないだろうか?
JR東日本が信越線碓氷峠のトンネルを歩けるコースにしたように・・
鉄橋の維持には経費がかかるが、観光資源という発想は出来ないだろうか・・JR西日本の考え方は・・?
 http://www.youtube.com/watch?v=RmlIasF2u8M ←鎧から餘部(往)
 
http://www.youtube.com/watch?v=JA6EeBSjN1A←餘部から鎧 (復)
 
http://www.youtube.com/watch?v=kfN53132ccY ←車から撮影

餘部駅のホームで声をかけて来た67歳の女性は、
鉄橋の直下に在った旧国鉄官舎で生まれ育ったと言っていた。
昔は餘部駅がなく、鉄橋とトンネルを鎧駅まで歩き、
そこから山陰線で豊岡まで通学したのだと・・
今は一人暮らしの母親介護に毎週尼崎から通っているとか・・
  

         ~ あまるべの 橋にかかりて 海光る

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寅さんの風景 ⑭ 伊根の舟屋

2010年04月10日 | Weblog

0340 伊根の舟屋 (3月27日撮影)

「男はつらいよ」シリーズ第29作 “寅次郎あじさいの恋”は、丹後の伊根町も舞台で、いしだあゆみがマドンナを演じている。
マドンナ(かがり)の故郷という設定で、杉山とく子演じる母親が孫と暮らす静かな漁村風景が印象にのこる。

伊根湾めぐりの遊覧船のりばへ行くと、本当に寅さんがいそうな気分になった。
切符売り場兼売店の女性に聞いてみると、撮影後何年か経って、ふらりと渥美清が現れたそうだ。
彼の方から何年ぶりだとか身振りで示していたとか・・
多分、渥美清にとっても思い入れの大きなロケ地だったらしい。
全48作品を見ているボクも、17作 “寅次郎 夕焼け小焼け”  、19作 “寅次郎と殿様” と、 この29作“寅次郎あじさいの恋”が自分の中でのベスト3となっている。

遊覧船にのっている間もずっと、映画のことを思い出させてくれる風景だった。
たぶん、映画が公開された昭和57年とほとんど変わらない景色なのだろう。
   遊覧船から見る伊根の舟屋  動画↓クリック
    http://www.youtube.com/watch?v=CJKRn3dBbSc

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寅さんの風景 ⑬ 天橋立

2010年04月03日 | Weblog

0339 天橋立 股のぞき (3月27日撮影)

「男はつらいよ」シリーズ第29作 “寅次郎あじさいの恋”では、京都・丹後・鎌倉が舞台となっている。
天橋立は、第1作のラストシーンで舎弟の登と再会するシーンで見られるが、たしか第29作では啖呵売の舞台となっている。

天橋立の“股のぞき”は子どもの頃から知っていたが、絶景を見下ろす笠松公園には行ったことがなかったので、それは叶わなかった。
高校生の時、数人の友人と橋立までバイクツーリングして砂嘴を端から端まで行ったことぐらいだった。
この時は帰りに京都市内の一方通行に進入し交通違反した苦い思い出がある。
今回は福知山でレンタカーを借り安全運転を心がけて訪れた。

日本三景は、宮島と松島も訪れてはいるが、一番近い所が後になってしまった。
橋立はケーブルと一人乗りのリフトが運行しているが、風雨さえ避けられればリフトのほうが気持ちがいい。

念願叶ってやっと“股のぞき”をやってみたが、身体が硬く大変だった。
 若ければ、背面に反っても観ることができたと思うのだが・・
 http://www.youtube.com/watch?v=mkLBsBGVWlA←股のぞき
        ~絶景に 屁をひるように 股のぞき

 若ければ、こんな風に見えたはずの“股のぞきもどき”
 http://www.youtube.com/watch?v=dfg90FZKpBY ←股のぞきもどき
        ~股のぞき 逆さカメラが 楽させる

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