団塊の青春と昭和の東京

昭和の名残りを求めて since2007・02・10

銭形平次

2007年04月30日 | Weblog

0058

神前結婚の後、親族記念撮影に向かって投げ銭をやっていたのが、この看板。
銭形平次といったら、大川橋蔵を思い出すのが普通かも知れないが、TVではなく映画だとしたら、やはり大映映画でシリーズを持っていた長谷川一夫になる。
小学生のころ映画館の筋向いにすんでいた関係でどうしてもこうなる。
まして、TVドラマでの橋蔵は一度も見たことがないのだから仕方ないが、映画なら新吾二十番勝負など東映時代劇映画は何でもみた。

それでも、この看板を見た途端、舟木一夫の歌がうかんだのには我ながら苦笑。
   (写真)神田明神 境内

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神田明神

2007年04月29日 | Weblog

0057

お茶の水駅ニコライ堂聖橋湯島聖堂と来て銭形平次で有名な「神田明神」まで歩いた。
最近リニューアルされたらしい、派手な丹塗りが鮮やかな山門をくぐると、周囲(湯島界隈)に溶け込んでいた空気とは別の世界だった。・・というのも日柄も良いのか、神前結婚式を挙げたばかりのカップルと身内がまさに記念写真をとろうとしていた。
天気もよくまわりの人たちも皆やさしく穏やかで幸せな気分にされているようだ。
顔だけくり抜かれた銭形平次も銭を投げて祝福していた。

この後、湯島天神に向かう。  (写真)神田明神境内

     ~ 神前の 白無垢よりも 巫女が派手  ~

     

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清洲橋

2007年04月22日 | Weblog

0056

昨日の朝刊を見ると、”隅田川の3橋など重文に” という記事が出ていた。
清洲橋」「永代橋」「勝鬨橋」の3橋で、清洲橋と永代橋は関東大震災の復興事業として昭和の初めに出来たとのこと。

勝鬨橋は3月28日にこのブログで扱ったが、昨日の朝日新聞によると、あの八の字に跳ね上げる橋のことを”跳開橋”と言うのだそうだ。
重文に指定するからにはこの際、開かなくなっている跳ね上げ部分を元のように動くようにしてもらいたいものだ。
文化審議会が20日、文部科学大臣に答申したとのことだが、観光資源として是非考えてもらいたい。
清洲橋」はぶこつな「永代橋」や「勝鬨橋」とは異なり、遠景からの見栄えも非常に良く、ビジュアルで勝負できる橋で、桜に水上バスとの組み合わせが最高の絵葉書になる。
   (写真) 清洲橋

     ~ 水上バス 清洲の橋は 借景か ~

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修学旅行 みやげ

2007年04月21日 | Weblog

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修学旅行のみやげといえば、奈良の大仏像に京都の金閣寺
これが東京となると、東京タワーに西郷隆盛・・・すべて置物だ。
小学で京都・奈良、中学は東京・箱根へ行ったが、大仏・金閣・東京タワー・箱根の寄木細工まで買った記憶がある。
しかし、日光と上野には行かなかったので、西郷像を観たのは近年になってからだった。子供のころ、家の神棚に西郷像があったのは、我が家のルーツが鹿児島で、ばあさんか親父が鹿児島から買ってきた物だったのだろう。
ばあさんが鹿児島ことばで「せごどん=西郷どん」と言っていたのを思い出す。

関西人のぼくには、”ああ上野駅”ではないが、それでも行ってみると、啄木の心情が少しだけ感じられるような気がする。
上野駅の公園口から入ってみると、昔の映画で、ホームに列車が到着するシーンで「うえのお~、うえのお~」と聞こえるような雰囲気だ。

いまでも西郷さんは犬を連れて、上野駅から御徒町方向を浴衣1枚で見つめている。 鹿児島の城山の西郷さんは軍服姿で犬を連れていない。
   (写真) 犬を連れた上野の「西郷さん」

     ~ 犬連れて 上野の山で ホームレス 

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御茶ノ水 丸善

2007年04月20日 | Weblog

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最近は何処の書店でもステイショナリー、雑貨を売っているが、お茶の水の「丸善」は学生が多いせいか、昔から扱っていたような気がする。
もっとも、日本橋の本店はデパートのようなところがあって、少し高級品を扱っていて、身の周りのちょっと小洒落な品が多かった。主要地方都市にも展開し、日本人向けのバーバリーなどを直輸入していて、昔の紳士の上客がいた。
日本で最も古い株式会社の1つだったと記憶している。

御茶ノ水店はこの10年ぐらい前から店外バーゲンのワゴンが常時出ているのが、学生の街らしい。
昔は、Mマークのカバーを被せた岩波新書を教科書、ノートと共にブックバンドを十字に架けて腋に挟んでアイビーファッションで歩けば、それで東京の大学生の出来上がりだった。
喫茶店「穂高」は健在だが、「滝沢」は去年閉店した。
カレーの「南海」は昼休みは今も列が出来る。
昭和の学生街が最も残っているのがこの一帯から駿河台、神田、神保町だ。
   (写真) 丸善 御茶ノ水店

     ~~

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三信ビル・・ジャズが聴こえる

2007年04月18日 | Weblog

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昭和40年代、有楽町・日比谷界隈は映画と食事のパターンがデートの定番だった。

映画街のサテライト前に今年、喜寿を迎える「三信ビル」がひっそりと解体工事を待っている。
かつての丸ビルや新丸ビルのように大きなビルではないが、格調高く、レトロなビルというより、「ビルヂング」という呼び方が似合う佇まいだったが、中に入っていた店にはどれも老舗を思わさせる落ち着きがあった。

確か、一階には1940~50年代を思わせるアメリカ式のドラッグストア兼、コンビニ兼、雑貨屋があったのを記憶している。当時日本にはない珍しい商品もあり、ユーヴァンやマックスウェルハウスのコーヒーを買ってみた。
店内はオールディーズの雰囲気そのままだったのを憶えている。
このビルに入れば、自然と ” In the Mood ”が流れて来るような気分になった。

多分、終戦直後は付近の第一生命ビル、明治生命ビルなどとともに、アメリカの兵隊がうろついていた事だろう。

写真を撮ったのは、去年の暮れだが、妙に風景に溶け込んでいる老人がレンズに納まった。 ジーンズに赤茶のジャケット、マフラーにソフト・・・昔の洒落男か?

三信ビル保存会が活動したようだが、昭和そのものがまた消えることになる。
重機がビルを壊せば、中からJazz が漏れ聞こえそうだ。
   (写真) 解体前の「三信ビル」

     ~ 昭和みた 解体ビルに ジャズ流れ ~

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三億円事件③ 東京交通会館

2007年04月17日 | Weblog

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昭和60年代になっていたと思うが、いつものように朝9時半ごろ有楽町で降りて、都庁口から、向かいの交通会館を通り抜け、会社に向かおうとしたら、付近はパトカーや警官で雰囲気が一変していた。
1階の三菱銀行前で3億円が強奪されたのである。(この事件は解決済)
それ以来、3億円に縁があるかも知れない・・と思ってジャンボ宝くじを買ってはいるが・・
まだ、当たる兆しは一向にない。罰ならあたった事はあるけど・・

三億円の話はこの辺で終えて、この交通会館はボクが銀座の出版社に就職した時には既に、建っていた。屋上の上に、回転式のラウンジがあり、昭和40年代は1時間で1回転していた。食事もお茶もゆったり頂いていた時代だった。(先月久しぶりに行ったら、45分ぐらいで1回転するのに驚いた・・しかも逆回りだった)
このような回転式のラウンジは当時としては珍しく、他にはホテルニューオータニぐらいしか知らない。
1回転すれば、当時は銀座、京橋、日本橋、丸の内、皇居の一部、日比谷、新橋・・と高層が少ない時代だから、素晴らしい夜景を満喫できたものだった。

平成の今は、1階の三菱銀行だったところは書店が店子になっている。
写真の上部に少し見えるのが、回転ラウンジ、屋上にはゴルフ練習場もある。
   (写真)東京交通会館

     ~ ~

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三億円事件②

2007年04月16日 | Weblog

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小金井市に5年弱、次に住んだのが国分寺市泉町。
ここは、事件現場から何と、直線距離だと1キロそこそこであることを後で、地図をみて知った。昭和58年にここに住み着いてからも2度ほど警察から電話があった。
紋切り型の質問は事件後十数年たっても同じで「事件当日何処で、何を?」の決まり文句だけだった。
「つねにマークしてるぞ!」と言わんばかりの雰囲気だったのを覚えている。
確かに、”犯人は事件現場に戻る”という習性をよくきくが、ボクが捜査員だったとしても、マークするだろうな・・と思う。

こうして、時効が成立するまで悩まされたのだが、今ではチョッピリ懐かしくもあり、セピア色の昭和を感じさせる。
何年か前に刑務所の西側の塀はペイントされ、北側と東側は最近スッキリと新しい塀になった。

写真は昔ながらの塀と、南側に職員の官舎が立ち並ぶ構内の風景で、””の雰囲気は抜群の場所だ。 
今日、初めて刑務所の構内に入ってみたが、なかなか静かな落ち着いたところでもあった。並木と塀の扉と赤いポストの組み合わせが雰囲気を出している。 
ここはよく撮影に使われるところのようで、 最近では「嫌われ松子の一生」でも使われたようだ。
多分、出所のシーンの撮影に使われたのだろうけど、実際はここはまだ、刑務所の構内であって、娑婆とはいえない。
本当の出所口はもっと殺風景な所で、西側の府中街道沿いだ。
   (三億円事件③につづく)  (写真)府中刑務所構内:塀と官舎

     ~ 億円 その後どうした? 使いみち 

     

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三億円事件①

2007年04月15日 | Weblog

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三億円事件」が昭和史の1ページを飾るということに異論を唱える人は先ずいないと思う。 今の金なら10倍の30億円ぐらいか・・?
この事件は、自分史の中でもページを埋めることとなった「大事件」だった。
事件当時、三多摩地区に住んでいて、車とバイクの両方を運転できる者は、警察の捜査の対象として全員リストアップされていたはずである。
当時、東伏見(多摩地区)に住んでいて、学生で、クルマと自動2輪の免許を持っていたボクは、確か二度ぐらい捜査員の訪問を受けた事がある。
そのまま卒業、就職というありきたりのコースで大阪転勤中の昭和48年頃だったと思うが、住んでいた神戸市内のアパートへ「警視庁の照会なもので、申し訳ありませんが・・」と兵庫県警から電話がきた。その後も2度ぐらい兵庫県警から事務的にかかってきた。

問題はそれから数年後、転勤で東京へ戻り、小金井(多摩地区)に住み着いたのが昭和52年だったが、その時も警視庁から「免許証を2度も期限切れで失効して、再発行していますが、どういうことですか?」・・と。 (不断運転しないとウッカリ更新を忘れるのは珍しくないと思うが・・警察はしつこかった)
常にマークしているぞ・・と言わんばかりの電話が毎年のようにきた。

このあと、さらに有力ブラックリストの上位にランクされることになる。(三億円事件②につづく)
  写真(三億円事件現場に近い府中刑務所の塀)

     ~ 三億円 俺がやってりゃ 苦労はねえ 

 

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ハーモニカ横丁

2007年04月14日 | Weblog

0049

若者の町・・吉祥寺。 住みたい町BEST5に入る人気の吉祥寺は、老人福祉の進んだ自治体:武蔵野市に位置する。
若者と老人が共存する町の代表格といえるのは、住み易いからか?
その吉祥寺の「ハーモニカ横丁」は、この一帯だけ開発から取り残された地域で、地方都市なら何処にでも存在するような路地から路地に百店前後がひしめく。
新宿の「思い出横丁」はC級居酒屋ばかりだが、ここには飲食はもちろん、雑貨、食料品、等々バラエティに富んでいるから、アメ横の小型版といったところか・・

ハーモニカ横丁の北側にはそこそこ有名な「小ざさ」と「さとう」がある。
「小ざさ」は羊羹が有名で並んでも買うのは難しい。 「さとう」は肉屋だが、ボール型のメンチカツが大人気の店。 銀座1丁目にレストランを出していて、サイコロステーキのランチは大人気で、銀座の出版社時代はよく行った店だ。

「ハーモニカ横丁」商店街の店主達がバンド(チームハーモニカ)を組んで活動しているのは、TVでも紹介された。  (写真)ハーモニカ横丁の南側入口

    ~ 老若が 平和を醸す 百商店 

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井の頭公園

2007年04月13日 | Weblog

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学生時代、東伏見にある運動部の寮に住んでいたので、よく女子大の寮のグループと合ハイ(今でいう合コン)して、知り合って、付き合って、別れた経験のうち何度かはデートで来た場所が「井の頭公園」だった。
ここのボートで橋をくぐったカップルは必ず別れるというジンクスは本当かも知れない。
最近はこの橋はボートでくぐれないようにネットが張ってあるのが・・チト癪だ。

この辺りから練馬方面にかけては「善福寺公園」「武蔵関公園」「石神井公園」など同じように池をたたえた公園がいくつかあるが、若者の町:吉祥寺からすぐの、ここが一番、地の利があるようだ。

「武蔵関公園」は学生時代毎朝ランニングをした公園で汗臭い記憶を、「井の頭公園」は彼女とのデートの・・今はもう、かすんでしまった思い出を呼び起こす。
    (写真)井の頭公園と今はもう、ボートではくぐれない”別れ橋”

     ~ おしどりが スイスイくぐる 別れ橋 ~

 

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いせや

2007年04月12日 | Weblog

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いせや」は中央線沿線の呑兵衛なら誰でも知っている店だが、残念ながら、現在は建て替え中で完成すると、相当大きなビルになるらしい。
<いせやのやきとり>とあるが、やきとんが主流の店で、NHKのBSで「1日1万本」焼かれると報じていたが、それは眉に唾を付けたくなる。
しかし、数千本は間違いないだろう。

40年ぐらい前になるが、ここの2階(先日までの木造2階建て瓦葺)で結婚披露宴をやったという知人がいるということからすると・・昔は割烹のような料理も出したのかもしれない。本店は建て替え中で、駅を挟んで北側に仮店舗で営業中だ。

写真は井の頭公園入口にある支店で、休日は子供も多く来店し、大賑わいだ。
この店の隣りはスタバだが・・コーヒーの香りは大丈夫なのか? 余計な心配をしてしまった。
去年の晩秋、平日にやきとんを5本と発泡酒のロング缶買って、昼間から井の頭公園のベンチで呑んだのは最高だった。
自宅まで帰りの自転車のふらつき加減が最高に気持ち良かった・・本当に
   (写真)「いせや」の公園口店

      ~ 公園で チャリンコ千鳥 日向ぼこ 

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たいめいけん

2007年04月09日 | Weblog

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コールスロー、オムライスであまりにも有名な日本橋の老舗洋食屋。
日本橋高島屋を挟んで、中央通の一本東側で昭和6年開業というから75年ほどになるのかな?
ということは3代目ぐらいかな?
昼時に付近のサラリーマンやOLが来る時はすでにおばちゃんたちのグループで満席の場合が多い。
こんなおばちゃんたちの光景は銀座の「煉瓦亭」や人形町の「玉ひで」でも同じで、最近は築地の場内しかり、まるで外来種の逃げ出した雑食性ペットのごとく旺盛に進出している。

洋食屋としての確固たる定評だが、意外に知られていないのが「ラーメン」である。
写真の向かって右奥に立ち喰いのコーナーがあって、好評なのが意外性をおぼえる。

また、「凧の博物館」も有名。
  (写真)たいめいけん

     ~おばちゃんが 老舗のランチ 食べ尽くし~

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